カテゴリー別アーカイブ: つれづれなるままに

読書ってやつぁ!


「読書って勉強だろ」
「勉強なら他にいろいろなのものがあるし、本を読んだからといって必ずしも教養が深まるわけでもなく、無理して読む必要はないじゃない」

「読書は趣味でしょ」
「スポーツや楽器と同じで、好きでない人・得意でない人に強要しても仕方がないって」

そんな意見を読んだ。

本当に、誇張でも何でもなく、年に一冊も本を読まないどころか、これまでに一冊もちゃんと本を読んだことのないひとすら、今ではいるらしい。

「必要ではない」
そんな悲しい言葉が、当たり前のように語られている。

いま、読書の置かれている立場はかつてないほど厳しそうだ。
(かつてないとはいっても、誰でも気軽に読書できるようになったのだってせいぜい200年かそこらだろうけど←調べてません。突っ込まないで)
(電子書籍は売れているという統計もあると聞くし、電子コミックの販売は伸びているし、ネガティブな材料だけじゃないことも分かっているけれど、ね)

ぼくは考える。

読書は窓。
読書は世界。
読書は友達。
読書は体験。

読書ってやつぁ!

インターネットの検索結果より
 ずっと広範で!
 あるいは狭義で!
 専門的で!
 あるいは曖昧で!
 偏向していなくて!
 あるいは偏向していて!
 掘り下げていて!
 あるいはあるときは信じられないくらい上っ面で!
 拡張された情報を!

与えてくれるものではないか!

インターネットで何かについて書かれたひとつの奥深いコンテンツをじっくりと読むのであれば、それは読書に近い、限りなくニアリーイコールな体験だろうけど。

読書は不要だと言い切るタイプの人は、きっとそれもしない。
検索して結果を得る。
──以上。
思索、熟考必要なし!

斜め読みイコール正義!
スピードイコール正義!

結果だけ得られればいいというインスタント思考では、脳が考えることを拒否してしまうように思うのは僕だけだろうか?

味わうこと。
咀嚼すること。
想像すること。
妄想をたくましくすること。
打ちのめされること。
猛烈に頭にくること。
とてつもなく羨ましいこと。
憧れてやまないこと。
優しい気持ちを取り戻せること。

小説は、世界そのものなのにな。
小説は、人間そのものなのにな。

本に恋する喜びを、
一人でも多く手に入れられる世界が、
ぼくらの望むいろいろな世界の中でも、
とても大事なもののように思うことは、
いけないことだろうか?

読書ってやつぁ、
読書ってやつぁ、
読書ってやつぁ!

あわれ

つくづく、因果なものだなあと思う。

コブシの植わった庭がある。クリーム色の美味しそうなつぼみが膨らんでいる。
美しい花を愛でるために、人は花木を植える。

クリーム色の美味しそうなつぼみは、ほんとうに美味しいらしい。小鳥たちにとって。
ぼくの家の近くにあるコブシの木も、膨らみかけた蕾のいくつかがかれらの食料になった。

この家の庭の主は、それを防ぎたかったのだろう。
それはそうでしょうよ。家の庭のたった一本のコブシ。丹精込めて育てた木。

だから庭の主は、コブシをすっぽりと覆う網を掛けた。
あわれ、コブシの花は網に絡まり隠され、その美しい花姿の光を半減させた。
美しさを壊されないために、自らそれを壊す。
そんなものさと割り切るしかないのだけれど。

一方で、このユキヤナギ。
春を迎えて、小枝からはどんどん花が咲いている。
柵を越えて。
自由に、四方八方に伸びて咲き誇ってこそのユキヤナギだけれど、近いうちに剪定されてしまうのだろう。
近くには既に、柵を越えないように刈り取られた株も目につく。
歩行者の邪魔にならないことも、それはまあ、大事なことなのだ。

僕だったら全然構わないのに、むしろどんどん伸びてほしいのに!
と思う人間は、少数派なのだろうか?

あわれ。

うるさいのは

電車の中で喋っている外国人に対してうるさいと感じてしまうのには、いくつかの理由がありそうだ。

まずは言葉が分からないからという理由がある。
たいして大きな声じゃなくても、何を言っているのかさっぱり理解できなければ、ついうるさく感じてしまうことがある。
あるある。

うるさいほどじゃなくても、それなりに声を大きく出していることもある。
旅行者のみなさんは日本のような電車に乗り慣れていない場合が多いだろうから、大声を出さないとコミュニケーションを取ることが難しい場合だってあるだろう。
日本語が充満している車両の中で、言葉が埋もれないように声を張り上げてしまうことも、あるかもしれない。ありがちだ。

そもそも体格が違うとかね、発声が違うから声が通るってのもあるかもしれない。欧米人の場合なんかは。

そういうことじゃなくても、やっぱりうるさいことがある。

携帯電話で喋ってる人がいることもあるけど、それもマナーの種類が違うのだろうなあ。
日本人が普通にやっていることで、海外ではとんでもなくマナー違反になってしまうことだっていっぱいあるしね。

そうそう、ここらで自分自身の過去の行いに思い当たって、恥ずかしい思いをするタイミングだ。

海外旅行をした時、別に〈旅の恥はかき捨て〉なんてバカなことを考えていなくとも、つい大声で話しをしてしまった経験がないだろうか?
常識的には静かに過ごすことが当たり前の空間で、特に。
日常とは違う異空間で、ちょっとした興奮状態になっていることもあるだろうし、〈自分がここにいる〉ことを必要以上にアピールしてしまってる自分に気がつくかもしれない。
周りの人は自分の言葉がさっぱり分からないのだし、ヒソヒソ声で話さなくとも聴き耳を立てられることもないって思うと、いつの間にか大きな声を出しているかもしれない。

人のふり見て我がふり直せって言いたいわけでもないんだけどね。

誰かの何かに対して迷惑だなぁと思ったら、とりあえず自分はどうだったかなって、考えるようにしたいものだな。と。

まあ、それだけ。
海外とか、国内とか、日本人とか外国人(←やな言葉だよね、外国人という響きは好きじゃないなあ……ほんとは)とか、実は関係ないかも知れないし。
(日本人のおばさんグループと来た日にゃ、世界制覇出来るくらいのうるささレベルだったりしてね)

あれ、創作と何にも関係ないや……

じゃ、またね!

ぼそり

自分の考え方がこんなにも変わってしまうとは思わなかった。

独立作家同盟のセミナーで聞いて、ブログの毎日更新を2年間続けて必ずブレイクするんだと意気込んでから約1年半。ここでの小説の連載がバタバタと終わるのと前後して、ブログの更新もぱったり止んでしまった。
毎週書き続けてきたBlender-99チュートリアルですらもとうとう書く時間が確保できずに休載を余儀なくされたり。読者さんにはたいへん申し訳ないと思っている……。それでも、もう今となっては〈更新しないこと〉の危機感は希薄だ。

死ぬほど忙しかったり、倒れそうなくらい疲れているときは、やっぱりブログも書けないもの。それはもう、どうにもならないし、仕方がない。仕方がないことは諦めるしかない。

なぜあそこまで毎日毎日こだわっていたのか、逆に不思議なくらい。

一昨年なんかは仕事で徹夜が続いたりしても何とかして〈詩もどき〉をひねり出したりして、1日も欠かさないということだけがモチベーションになってたこともあった。

だからといってアクセスがどんどん増えたわけでもないし、本が売れたわけでもない。
むしろ、記事を書けば書くほど自分の活動の一貫性のなさが際立つばかりになっていった気すらして。
この淡波ログは、固定読者さんより検索流入による読者さんの比率がずっと高いのが特徴の一つ。作家のブログとしては、〈少しずつ固定ファンが出来てきてやがて小説にも手を伸ばしてくれる〉という形が理想なんだろうけれど、どうにもそんな感じにはなりそうもない。僕個人に興味を持つかどうかではなく、検索に引っかかった記事の内容に、端的に興味があるかどうかが訪問のポイントなのだ。

それで、どのくらいの頻度で更新されているかということよりも、どうやら溜まってゆく記事の絶対量でアクセスが増える傾向があるらしいことが、最近分かってきた。
だからなのか、毎日更新していた頃より最近の方がずっとアクセスが多かったりする。もちろん記事が全然増えなければ、見に来てくれる人もずるずると減ってしまうのだけど(それがここ数日の状況)。
ほんとうは作家として、本好きの人や僕の読者さんたちが読んで楽しかったり興味の持てる記事を書くべきなのだろうけど、どうも僕はそのあたりが器用ではないようだ。器用貧乏という意味では充分に器用なんだけど……。

まあ、CGが好きな人はきっとSFも好きなんじゃないかという気持ちは変わらないんだけど、ねえ。

blender-99読者のみなさん、『さよなら、ロボット』っていう無料の小説は面白いですよ! blender-99の更新が途切れて暇なときは、ちょこっと読んでみてくださいね!

なんて、ね……………

今夜はここまで!


「今すぐ『さよなら、ロボット』を読んでみたい!」
というあなたは、Amazon Kindle Store楽天KOBO電子書籍ストア、またはカクヨム(横書きです)に急ぎましょうか!

いずれも現在無料ですよ!

(どうでもいい)お知らせ

えー、ども。淡波です。

この淡波ログですが、以前から時々書いているように検索流入の読者さんが最も多いブログです。ブログというよりむしろ、CGのチュートリアルサイトのように利用されていることが多くなっています。

それが、〈Blender-99〉の連載を開始してから更に顕著になっていて、ビュー数の八割がCG記事ということも少なくありません。

もちろん、『魔女と王様』などの小説連載を楽しみに来てくださる方もいらっしゃるのですが、どうもCG関連の記事と小説やエッセイ的な記事とのギャップが激しくなってしまっているのですよね。

それできっと、どんな方にとっても、「とりあえず見に行ってみようかな」というサイトではなくなっている。

そんな気がしています。

見たいものがあるときに、見に行く。

そんなサイトになっているのかな、と。

淡波ログの開始時のコンセプトは、【「まだ無名な淡波亮作」という作家が様々な活動を通して一人前になっていく姿を見ていただく】というものでした。

最近、自分自身、そのコンセプトとのズレ感がかなり激しくなっているわけです。

そうなってくると、

「どうしても毎日絶対更新してやる!」というモチベーションにも影響してきます。まあ、いろいろと多忙でブログ更新を維持するのがきついという状況も大きいのですが、何よりも「毎日更新」ということの意味が薄れてしまっているように思うのですよね。

CG関連の記事の特長として、読まれる記事はいつまでも読まれる。ということがあります。それはもう、季節や時期とは関係なく。これ、日々の思いを綴るブログとは全く違うものですよね。

そんなこともあり、淡波は決めました。

1年5ヶ月ほど頑張ってきた淡波ログの毎日更新ですが、意図的にストップします。

「毎日更新を2年間継続すれば必ず成果が出る」という言葉を信じての行動でしたが、きっと、現在のスタイルは「毎日更新」とは無関係のところに位置していると思うのです。

必要なときに必要な記事を。

そんなスタイルに、これからの淡波ログはチェンジします。

もちろん、小説の連載はきちんと終わりまでフォローしますし、好調のBlender-99も出来る限り週1回掲載をキープしたいと思っています。

でも、これからはもっと作品の創作に力を入れて、「どうしてもブログを更新しなければ!」という強迫観念からは卒業することにしました。

そんな淡波ログですが、今後ともどうぞ宜しくお願いしますねっ!

じゃ、また次回の記事で!

文字から、映像が見える?

とは言っても、必ずしも〈映像を見るような描写〉ということではないんです。
映像化されたいということでもないし……、
映像を、文字で描くという感じでしょうか。

僕は、あまり「文学」という言葉じたいにはこだわりがありません。
僕の小説を読んで、いい映画、面白い映画を一本見たような気持ちになって欲しいのかもしれません。

だからといって、
映像化を前提として書いているということではないのです。

むしろ、
映像化できないイメージを文字で表現することで、頭の中にあなたなりの映像を描いて欲しいのですね。
誰かが具体的に描いた画像、映像ではなくて、具体的にどんな絵とは説明できないのだけれど、頭の中にふわりと浮かんでくるもの。
そういったものを味わって欲しいのかな、と思うのです。

「映像化されるのを前提で書くなら、小説である必要はない」
そう断言するひともいますよね。
その気持ちも分かります。
僕の作品を映像で見たいと言ってくださる読者さんもいます。

でも、
映画化された小説作品はあまり好きではない、という自分もいます。
小説できめ細かく表現された様々なイメージ、または曖昧に表現されたイメージを、万人が納得する映像に再現するのは無理、とも思います。
既読の小説が映画化されたとき、ほぼ間違いなく映画館でがっかりする自分もいます。
長大な小説を2時間程度の枠に収めるのはとても難しいでしょうし、短めの小説を、脚色を加えながら映像にするくらいがちょうどいいのかもしれません。

昔読んだ小説で、こういうものがありました。
主人公は人間ではないけれど、描写としては人間のように読める。
それがオチのどんでん返しで人間ではなかったことが分かる、という。

僕がSF雑誌オルタニアのvol.2に書いた『繭子』という物語もそんな感じでした。

いわゆる〈映像化不可能〉的なストーリー構成です。
(映像にした途端に、行間に仕込んだ謎が見えてしまうという)

もちろん、抽象的に表現するとか、語り手の姿を一切出さないなどの工夫で映像化は出来るでしょうけれど、小説を読んでいる時はきっと、読者は人間の姿を思い浮かべているのですよね。
それを、大胆に裏切るのは文字で書かれた小説ならではの醍醐味なのかなあと思ったりします。

まあ、そんなことを考えながら、今日も作品を書いています。

SF雑誌オルタニアvol.3の発売は3月です。
まだまだ、時間はありますね。
(そう思っているのは今のうち!)

では、また明晩!

淡波、2017年の抱負を語る

昨日は総括したから、今日は抱負を語るしかないよね、ということで、ざっくりいってみましょうか。
〈抱負〉、というより〈計画〉でしょうか……。


まずは文芸方面から

【SF雑誌オルタニア】

文芸方面と言えばもう、SF雑誌オルタニアの成功に賭けてますよ。なんてったって3代目編集長ですから。もうこれ以上〈元編集長〉の生クビを晒すわけにはいかんのです。しかし、正直あの優秀なお二人に続いて自分の肩にのし掛かってくることになるとは思わなかったです。山田編集長に付いていきたかったのになあ。

まさか、ここで自分が指名されるとは……。

と、いうことで、まずは創刊号から掲載している連作短編『痛みの見せる夢』の第3幕、『醜い腕』を脱稿するのが第一です。編集長ともなれば、自分の作品以外にも書き起こさなければならない原稿がたくさんあります。たぶん。
ゲスト執筆者さんのスケジュール管理だとか、原稿集めだとか、レギュラー陣の尻を叩くとか、雑務系もいっぱい。

ガクブル……。

なにしろ、こういうことは初めての経験ですからね、なんとかして発刊まで漕ぎつけたいものです。いや、「ものです」とか言ってる場合じゃないでしょ、必須です、義務です、絶対です!

頑張るからね、vol.2を買って応援してくださいな!

 

【自作単著】

『魔女と王様』
あと四ヶ月ほどで完結予定です。それまでに少しずつ挿し絵を描き溜めたいと思っているのですが、さてさて、そんな時間を取ることが出来るのでしょうか??

『痛みの見せる夢』
前述のとおりSF雑誌オルタニアに掲載中のこの物語、全5幕の予定です。きっと雑誌オルタニアのvol.5は夏ごろに出ているでしょうから、秋口には電子書籍として出版したいものです。

『歌うシェパード』
このタイトルを書いたのは、きっと初めてだと思います。新年の抱負なので、思い切って言っちゃいましょう。
実はこの物語、僕が小説を書き始める前からプロットが存在していました。今から11年前、2006年の手帳に鉛筆で細々と設定などが書き込まれていました。
僕はこれをいつの日か形にしたくて、小説を書き始めたといっても過言ではないかもしれません。小説を書き始めた当初、とても自分の筆力では描き切れないと思い、力がつくまでじっと書くことを我慢していました。
でも昨年、セルパブ作家仲間の広橋悠さんから欠伸文庫(〈紙の文庫本〉を作ろう、というプロジェクト。広橋悠さんの『IMAGO』が第1弾の作品になる予定で、そろそろ編集作業が始まろうとしています)に誘っていただいたことがきっかけで、この物語にそろそろ形を与えてあげたいな、と考えるようになりました。
プロットを書いた手帳は3冊。一時は2冊が行方不明になっていて、執筆開始が危ぶまれましたが、昨年の大掃除でようやく発掘。書き始める目処がようやくつきました。3冊とは言っても、それぞれ1〜2ページずつに書き散らしただけのものです。プロット自体のボリュームは非常に少ないのです。
SF雑誌オルタニアの様々な作業と並行になり辛いところですが、これは何としても形にしたいと思っている作品です。
(時間がかかるかもしれませんよ!)

『完全包囲』(仮題)
絵師の禅之助さんとの勝手コラボ企画。彼の絵を見たときに得たインスピレーションを元にストーリーを書き始めたのは昨年の4月頃でした。書きかけのまま忙しさにかまけて後回しになってしまっていますが、今年こそは形にしたいと思っています。
出来れば、『魔女と王様』の次の連載にしたいのですが、ねえ。
無理かなあ……。

『天使が落ちてきたところ』
知っているひとは知っている。根木珠さん主宰のショートショート・アンソロジー『なんなの』(2017年1月1日、つまり本日発刊!)に掲載の童話です。なんとなく、絵本に向いている気がしているのですよね。
もしかしたら、絵本にするかもしれません。
もしかしたら、ですが、ね。
(ちなみに、今までの絵本計画はすべて頓挫していることを忘れてはいけません!)

『太陽の子孫』
もう一度だけ、表紙をリニューアルしようかと考えています。
タイトルも変更して、今度はCGで作ろうかと。ハリウッド映画的なストーリーなので、それっぽい表紙にしてみたいと思うのです。それっぽいタイトルを考えつければなあ……というのが現時点での悩み。


歌など

『じねんじゃーのテーマ』
とても短い曲なので、フルバージョンを計画中。2番の歌詞は既に出来ていて、じねんじゃーさんの了解も得ているのですよ。
あとは時間か──。

『オルタニア』
vol.3の発刊前を狙って、フルバージョンを計画中。大ざっぱな曲調は決まっているのですが、まだ形は何もありません。歌詞もなし。
さて、どうなりますことやら──。

歌は、あまり欲張らないでおきましょう。
このくらいで。


CGなど

『SF雑誌オルタニア vol.3 表紙』
オルタニアの表紙デザイナーは山田佳江さんです。当然、vol.3もその予定でした。そこへ僕が、無理やり頼み込んで描かせて頂くことになりました。
まじか?
頑張ります。
(でも、もしダメだったら山田さんに作って頂くかもしれないのは、相談済みですが!)

『CG Book 01』
これを完成させたいです。
させたいです。
頑張りますから……。

『Blender-99』
第1集をまとめたいと思っていますが、ブログ記事と電子書籍ではかなり違います。
語り口も、内容も、大幅に改訂しなければ電子書籍としては成立し得ないですよね。もちろん、ブログでは多用しているGIFアニメも使わないほうが良いでしょうし、データ量も抑えなければなりません。図解が増えるので、ページ数が嵩んでしまいそうなのも心配です。
ああ、だからパソコンのマニュアル本はぶ厚いのだなあと、大掃除をしながら妙に納得したりしました。
もちろん、このBlender-99シリーズは、〈読みやすい〉〈安い〉〈分かりやすい〉を全て実現するのが基本。
すぐには出せないかもしれませんが、ちょっとずつでも進めていこうと思います。

『雑誌なんか PV』
これはもう、やるやる詐欺みたいになってますねえ。昨年せっかく焦田丸さんに基本のデータをたくさんいただいたのに、作業がずっと滞っています。
なんとか時間を作って、やりますから、待っててください焦田さん……。


2017年1月1日現在、自分の頭にある計画はだいたいこんなところです。
まず計画性の乏しい僕のことですから、このうちどれだけ形になり、まったく計画になかったことをいくつ突然やり出すのかは分かったものではありません。

ただひとつ、思っていることがあります。
無理しない。頑張り過ぎない。身体を大事にする。

(去年はちょっと張り切り過ぎてぶっ倒れたりしてしまいましたから、まあ醜態を晒さない程度に頑張りますよ)

今年も、どうかお付き合いくださいませ。

では、また明晩!

2016年の活動を総括!

えー、もうアレですよね。
大晦日ともなれば、セルパブ界隈ではみなさん総括のブログやらツイートを終わらせた頃、読むほうも、もう読み飽きた頃かもしれませんねえ。
でも、今日も淡波はめげません。
はりきって総括していきますよ!


まずは文芸方面から

【2016年に発売した単著】

2016/1/6
『ガラスたちの永遠』

2016/1/15
『太陽の子孫』

2016/7/7
『ルルルとリリリ 上』 〜とっても小さな九つの国〜
『ルルルとリリリ 下』 〜とっても小さな九つの国〜

2016/8/21
『乾いた四行のあいだ、湿った四行のあいだ、何でもない、何かが、』

2016/12/12
『希望の夜、絶望の朝』
(ティプトン・スティーブンス名義、淡波亮作訳)

短編1作、中編1作、長編童話1作、詩集2作。という結果です。
文字数はどんな感じでしょうか。
ガラス〜 18,254字
太陽〜 56,991字
ルル上〜 53,130字
ルル下〜 55,600字
乾いた〜 10,092字
希望の〜 14,100字
合計:208,167字

【2016年に参加した雑誌など】

2016/2/1
『別冊群雛 (GunSu) 2016年 02月発売号 ~ インディーズ作家と読者を繋げるマガジン ~』
ショートショート『声の主は?』を掲載。こちらはクェイル賞への応募作で、〈クェイル・ビックリ賞〉を受賞しました!!
さらにゲスト寄稿作品として短編『白く、白く、儚きモノよ』を掲載。フランケンシュタインの現代版大胆翻案という意欲作です。(フランケンシュタイン〜は後付けでしたが)

〈自分発〉ではなく、作家として誘っていただいた経験も初めてでした。この別冊群雛がなければ、オルタニアの創刊時にも自分の名前は出なかったのだろうなあと思うと、感慨深いです。

2016/2/29
『月刊群雛 (GunSu) 2016年 03月号 ~ インディーズ作家と読者を繋げるマガジン ~』
ショートショート『俺は宇宙人』を掲載

2016/10/27
『SF雑誌オルタニア vol.1 [現実以外]edited by Sukima-sha』
連作短編『痛みの見せる夢』を掲載

2016/12/15
『SF雑誌オルタニア vol.2 [Locked]edited by Yoshie Yamada』
痛みの見せる夢の第2幕、『繭子』を掲載

こちらの文字数は、
声の〜 2,740字
白き〜 10,709字
俺は〜 3,103字
痛み〜 10,642字
繭子〜 13,316字
合計:40,510字

総計で248,677字でした。
(数値は推計です)
でもね、実はそれだけじゃないのです。2016年は別のペンネームで全く異なる作品を書くようになった年でもありました。それぞれのブランド戦略があるので、これは完全機密ですが(笑)
別名儀で書いて発表したもの、しなかったものを合わせると、10万字強。総合計で約35万字。それなりの大長編がすっぽり入る文字数ですよね!
まあ、長編小説をリリース出来なかったのは残念ですが、執筆ペースとしては悪くないかなあと、思うことにします。

文字数にこだわるなんて全く意味はないのですがね。

『とっても小さな九つの国』シリーズの完結編である『魔女と王様』は現在も絶賛連載中ですし!

また、特に数えてはいないのですが、ちょこちょこAmazonでレビューを戴いたり、カクヨムでも★を戴いたりした年でもありました。こうして少しだけでも評価をいただけたりすると、本当に嬉しくて、次を行なう力になりますね。


次、音楽とか映像方面。

【2016年に発表した楽曲と映像】

サウンドクラウドに上げた曲は2曲だけでした。今年は少なかったですね。
王木亡一朗さんの詞に曲を付けて歌った『欠伸なんかして』と、じねんじゃーさんの詞に曲を付けて歌った『じねんじゃーのテーマ vol.2』です。じねんじゃーのテーマについては、発表直後に映像を付けてくださる方が現われたり、ご本人がイベントでの登場に使用してくださったりしました。特に今年の後半は新たに振り付けまで付いて、各種イベントで白井市のゆるキャラたちが大勢で踊ってくださるというたいへん嬉しい盛り上がりでした。

・Youtubeにアップした映像作品はこちら。

『The Quails』:別冊群雛のプロモーション用に制作。歌ってます。

『とろろ姫の歌』:じねんじゃーさんとのコラボ第2弾。
もちろん、CGも自作です。お気に入りの作品です。

『SF雑誌オルタニア PV第1弾』:最初のPV。ティーザーCMなので短いです。オルタニア公式チャンネルでの掲載です。

『SF雑誌オルタニア PV第2弾』:日本語ロゴ版です。こちらも超短いです。

『SF雑誌オルタニア PV第3弾』:こちらが本番PV。歌ってます!

『A Song made with Blender』:CGソフトのBlenderで音楽を創っちゃおうという無理企画の成果です。

本数はそれなりに作りましたが、内容はあまり濃くないですねえ……。
(本業の方でも音楽作品がいくつか採用されたんですよ、実は)

雑誌『なんか』の動画は途中のままですし、積み残し感、アリです。
まあ、じっくりやります。『なんか2号』も発刊までもう少しかかるようですし。


【その他、CGとか】

Blenderの勉強会に初参加、そのためのポスター原画を2点提供させていただきました。
夏の出来事でした。

左のポスターは会場で希望者の方にプレゼントさせていただきました。右のものは今も我が家に貼ってあります!
左のポスターは会場で希望者の方にプレゼントさせていただきました。右のものは今も我が家に貼ってあります!

 

『太陽の子孫』の表紙をリニューアルしたのは記憶に新しいところですが、リニューアル効果はまったくなかったですね。

むしろ、手描きの表紙だった頃に海外で売れた分がなくなって、売上げはさっぱりです。
やはりタイトルが意味不明なのが大きいのだろうなと、今も改題の候補をいくつか考えています。

そうそう、制作中のCG Bookのことをすっかり忘れていました。

01_cap

こんな感じで鋭意制作中です。実際には制作中の画面やコンポジット・ノードのキャプチャなども盛り込んで、ちょっとだけCG制作の役に立つようにもしたいと思っています。古いものはレンダリングし直したり、マテリアルの設定をし直したりする必要もあって、なかなか先へ進みません。

デザインはAffinity Designerでやっているのですが、ページ物にするとPDF出力でエラーが出てしまい、ちょっと困っていたりします。今のところ、分割して書き出して後でページを合成する感じで考えていますが。

そして、忘れちゃいけないのがBlender-99シリーズですね。

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なかなか大変なものがありますけど、なんとか毎週継続し、昨日で第7回まで掲載しました。これからも頑張りますよ!


 

まあ、そんなこんなで2016年も創作に明け暮れた一年でした。きっと来年もそうなります。その次も……。

そろそろ、お時間のようですね。

ではみなさま、良いお年をお迎えくださいませ!

(また明晩!)

味方を作る、参加者を作る

 


■今、いるところ


「読まれたい・見られたい・聴かれたい」
「見つけられたい!」
「いったん触れてもらえれば作品の良さを分かってもらえるはずなのに!」

これは、創作を行なっていて作品を発表しているのに、まだ認められていない、広がっていない誰もが思うことなのではないでしょうか。

ぼくもずっと、こんなことを思いながら自作の宣伝をしたり、創作仲間と話をしていました。
でも、周囲にいるのは自分と同じようなことをやっている人たちばかり。

何年も活動をしているとそれなりに周囲に知られ、それなりに作品が売れるようにもなります。
でも、それは「それなり」にすぎません。
年末が近づくにつれ、ことしも「大ブレイク」出来なかった(笑)という事実が、両肩にのしかかってくるのです。

やっぱり同業者ばかりと仲良くしていてもダメだよな。
そんな当たり前の事実が、改めて重みを持ってきます。

 


■「参加者を増やす」ってどういうことだろう


「巻き込む」と言ったほうが良いのかもしれません。今まで無関係だった他者を、参加者にする。そして、商品(もちろん、小説のことだけど、何に置き換えて読んでも構いません)を欲しくさせる。欲しくなってもらうということです。

先日、にしのあきひろさんのブログ記事を読んで、それを改めて強く感じました。
僕はテレビを見る習慣がないので、この方のことは新聞記事でしか存じ上げません。煙突の絵本を描いた人ということくらいしか知りません。
本業はコメディアンらしいということを知っている程度です。

彼がブログで言っていることに対して、
「そんなの当然だ。おれたちはずっとやってるぜ」
と思う人は多いかもしれない。でもね、ちょっと立ち止まってみませんか。
振り返ってみませんか。

「セルフ・パブリッシングの読み手=書き手だ」
よく、そう言われるのはご存知のことと思います。
だから、前述のブログ記事についても、似たようなものだと思い込んで斜め読みすることも出来ます。
でもね、それは大きく違うのです。

彼がやったことは、単に「絵本の描き手を自作に参加させる」ことではありません。

36人のスタッフを結集し、それぞれ得意分野を任せて自分は監督としてクオリティをコントロールする。
そこまでは、現在僕らがやっているセルパブ雑誌制作と大きな変わりはないでしょう。
確かに、「様々な絵本の描き手を自作に参加させた」ということです。

でも、そこから先は全く違いました。
彼は制作コストを回収するために、そして宣伝・販促に使うコストを得るために、クラウドファンディングという資金調達の仕組みを用いたわけです。一万人からコストを調達して、その一万人を「味方」に、「参加者」に、「当事者」に、してしまったわけです。

制作の過程をいろいろと公開して、資金を出した人が実際の制作に参加しているような気持ちにさせたようなのです。

自分が参加した作品は、買いたくなりますよね。
手元に置きたくなりますよね。
そして、他人に奨めたくなりますよね。

資金を出してもらった上で、お客さんにもなってもらえる。
これ、まさに目からウロコが落ちる考え方じゃないでしょうか。

僕らのオルタニアも、参加人数の数倍くらいは発売と同時に売れます。
(電子書籍は制作参加者の手元には無料で残せますから、その人数は除いて)

でも、そこから先が厳しいのですよね。
どんなに面白い小説が掲載されていても、評判が良くても、知らないものは買いようがありません。読みようがありませんもの。

ツイッターで宣伝ツイートをしても、それはチラ見されて流れていくだけ。
気がつかれずに、ただ流れ去って行くだけのケースの方が多いでしょう。
元から参加者の作品に興味があって、雑誌になったことでお得感が得られる人には、宣伝しなくても買ってもらえます。でも、興味がない人に興味を持ってもらうことって、本当に難しいものです。

 


■殻を破り、外に出よう


では、無名セルパブ作家の僕らに出来ることはなんでしょう?
クラウドファンディングで資金を調達して、紙本を作ることでしょうか?
知名度が致命的に足りない僕らに、お金を出す物好きがいるでしょうか?

きっと、お金を出してくれる人がいるとすれば同業者。作品を気に入ってくれている同業者くらいのものです。
セルパブ小説に、まだ純然たるファンはほぼ存在しないのですから。ゼロではないにしても。

自分の小説を気に入ってくれた人がいて、たまたまその人とSNSなどで会話するようになって、そうすると、実はその人も物書きだった。ということがあります。
だって、自分で小説を書いていない人が、他人のセルパブ小説に興味を持つことって本当に例外的な出来事なのですよ。
今のところ。

だから、「セルパブ界隈」と言われている小さな小さな世界で、僕らは自分の手足を喰らうイカのようなものです。
宣伝しても、それは、「世間の読書好きの一般人」には届きようがない。

彼ら、彼女らがこれから読みたい本を探す場所とは、繋がっていないのですから。

では、それはどこにあるのでしょう?

残念ながら、その明確な回答はまだありません。

多くの人がそれを模索して、なんとかして一般読者にセルパブ小説の面白さを知らしめるために活動しています。

商業本と遜色ない装丁で発刊されている『SF雑誌オルタニア』だって、そんな模索活動の一つです。
幸い、商業SF誌を読むような人々の一部に知ってもらえるような流れも少しだけ作れましたが、まだまだほんの入り口にすぎません。

「1円ライター・高級ライター」というライター界の流行語を生み出した〈コグチスミカ〉さんだって、そんな模索を行なっている一人でしょう。
セルパブ小説書きではなく、一般ライターの世界に殴り込みをかけたあの勇気が、「専業のプロではないけど、何とかして物書きでお金を稼いでいる私たち」の存在を、界隈の外へ知らせ、押し出したのです。

セルパブ本の情報を毎日つぶやいてくれているゆるキャラの〈ぶくにぇー〉だって、界隈の外に情報を届けようと努力しているに違いありません。彼(彼女?)が、ツイッターでの絡みにあまり応えてくれないのも、界隈の中に閉じこもることを避けて広い世間にセルパブ小説を届けようと考えているように思えてならないのです。

 


■僕自身のこと


実は、この淡波ログのサブタイトルは開設当初から「淡波亮作の作り方」です。
まったく無名の状態から、ブログ読者と一緒に淡波亮作という存在を創り上げていきたい。その過程をつぶさに見ていて欲しい。
という想いがこもっています。
まったく無名の僕がちょっとでも知られるようになれば、きっと初期からの読者さんは育ての親のような喜びを味わってくださると思うのですよね。
新しい作品が出たら、
「よしよし、そうか、よく頑張ったね。じゃあ、買ってやろうか」
と思ってくれるかもしれません。「かも」ですが。

そして、小説や文芸に無関係なことばかり記事にしているのも、界隈の外にいる普通の人たちに読んでもらいたいからです。
セルフ出版のノウハウなどばかりを書いていたら、セルフ出版に興味のない人がたまたまこのブログに立ち寄る可能性はゼロに近いでしょう。
その人たちが電子書籍を読むかどうか分かりません。本を読むかどうかも分かりません。
でも、Webで文章を読む習慣はあるかもしれません。それなら、電子書籍との親和性だって、ないことはないのです。きっと。

僕にはたまたま、プロのCG作家という別の顔があります。
元プロミュージシャンという顔もあります。

作家として興味を持ってもらうために、この二つは邪魔だと最初は考えていました。
「どうせ、いろいろやっている人は全て中途半端だ」
そう思われるのが恐かったからです。
でもね、そんなことはないのです。
CGは職業ですから、ガチです。半端な要素は一切ありません。
ミュージシャンは元職業ですから、これもガチです。まあ、売れなかったから撤退せざるを得なかったという意味では、半端者なんですが(笑。

小説は、職業以外でいちばん打ち込んでいるものです。
だからここにも、半端な要素が入る隙はないのです。
もちろん、小説のために映像を作ったりする時間を考えると、小説を書くこと以外には何もしていない人のペースには敵いませんが。

CGをテーマにした記事を書くのは、セルパブ小説界隈の外から一人でも多くの人を招き入れるため。
この淡波ログは、固定読者よりも検索流入読者のほうが多いのが特長のひとつです。まだまだビュー数は悲しいほど少ないですが、それでも、CGのことを調べたい人に役立ちそうな記事を増やすたびに、少しずつ訪問者も増えているように思います。
開設当初は訪問者ゼロ@日ということもありましたから、それを考えればものすごい進歩です。
それは、自分で狙って実現したことなのです(実現というほどではないけれど)。

そうやって来てくださった「いちげんさん」が、この場所で連載している小説に興味を持ってくださったり、固定読者になってくださったりすると最高なのですが……。

 


■今年も色々ありました


決して総括記事を書くつもりはなかったんですが、何となくそれっぽい感じになってしまいました。
小説関連の総括記事は、また書きますけれど。

何しろ、色々な雑誌や小説以外の電子書籍に参加させていただいたのがとても大きかった一年です。

これからも、少しでも多くの〈本好きな普通の人〉に届けるために奮闘し続けます。

これを読んでいるあなたも、一緒に頑張りましょうね!


それでは、また明晩!

工夫する。工夫しない。

工夫しろ、とか、考えろ、とか言うのは簡単で、自分が工夫するタイプの場合、自分自身はそれが普通だから不思議にも思わない。
でも、工夫しろと言われた側はどう工夫するのかが分からない。

言う側は、どう工夫すればいいのかまでは伝えられない。
よく考えれば言えるのかもしれないけれど、やっぱりそれでは意味がない。
それでは、言われた側は工夫したことになんかならない。
まるで本人のためにならないし、結局は指示待ちの「工夫しない」姿勢は変わらないからだ。

与えられた仕事を、自分の枠内で一生懸命やり切る。
ミスをしない。
余計なことに悩まない。
遠回りと知っていても、ただ、自分の知っている道をじっと見てゴールを目指す。
それも大事。とても大事。
でも、時にそれは膨大な無駄時間を生む。

工夫する人間にしても、それが間違いなく良い方向へ進むための工夫なのかは分からない。
身勝手な工夫が意味不明なこだわりを生んで、途方もなく無駄な仕事をしてしまうこともある。

──矛盾。

良い工夫と、悪い工夫?

ゴールを見て、想像して、自分の力を見て、よく考えて、道筋を立てて、順序よく。
無駄も善し。という気持ちも必要だし、試行錯誤こそがその先の道を生み出すものでもある。

しかしながら、仕事には納期があって、時間はお金を食いつぶす。
仕事でなくとも、一人の人間に与えられた時間はとてつもなく長いようでいて、でもやっぱり有限だ。
何かを行なうことの出来る時間を数字にしてみると、それが驚くほど短いことに恐怖する。
実は、仕事に費やせる時間なんかより、ずっとずっと少ないのだ。

工夫する方向が分からなければ、ハナから工夫しないで地道に遠回りをするほうが良いと考えてしまう相手に対しても、ノーと言うのは難しい。
とても、難しい。

工夫する。
工夫しない。

その溝は、考えることでしか埋められないのだ。
そして、何を考えるかは自分で考えるしかないのだ。
──よなあ。

なんてね。

じゃ、また明晩!