Category Archives: つれづれなるままに

傑作、駄作、無言、軸。

あなたの作品を見て、読んで、聴いて、味わって、
Aさんは傑作だと言う。
Bさんは駄作だと言う。
Cさんは黙っている。
Dさんは面白かったですよと言う。
ぼそりと言う。

あなたは、「やっぱりダメだったんだ」と言う。

誰の言っていることが本当か。
誰の言っていることも本当だけれど、誰の言っていることも客観的事実ではない。
では、客観的事実はどこに?
──それはどこにもない。

誰かは誰かの価値観に照らして判断しているだけで、それはあなたの価値観に照らして行われた判断とたいした違いはない。
それぞれの心が、それぞれの感じ方を持っていて、過去の自分の経験と価値観がものを言わせる。

であれば、
自信を持って、突き進め!
わたしの作品は素晴らしいのだから!
それで、いい?

いやいや、ちょっと立ち止まろう。

Aさんの主観的立場にはAさんの文化的バックグラウンドがあって、Bさんのそれも同じ。
人間の数だけ、心の数だけ、それはたくさんある。
あなたはどう?

文化的な共通項、共有観念、価値観、流行、芸術への視点。

客観的な、絶対的な評価軸はなくとも、技術を評価する軸は多々ある。
あなたがそれを受け入れなくとも、それが客観的な評価軸だと大多数の人が考える軸がある。

共通項はときに正義であり、悪であり、でも何かしらの答えを提示してくれる軸となる。
あなたがそれを受け入れないことで、あなたを突き放す軸がある。

相対的なものであるといっても、あなた自身の価値判断よりずっと客観的な軸がある。

何を知ればいいだろう?
何を考えればいいだろう?

それを考えることが、あなたの仕事だ。
もしもあなたが表現者であるなら。
あなたの表現を、誰かに評価されたいなら。
誰かというのはもちろん、自分自身も含んでのこと。
自分自身を評価するために、ぶれない軸を固めるために、柔らかで繊細な軸を持つために、ときに離れ、ときに突き抜けるほどに近づき、何を考えればいいのか考えることが、
あなたの仕事だ。


あなたは、わたし。
わたしは、あなた。


(考えることに疲れたら、ときには猫に憧れてみるのもいい)



淡波ログに掲載した作品を中心に書き下ろし作品を加えた初の詩集『猫になりたい』。
乾いた心にするりと忍び込む、読みやすい詩編を多数収録しています。

再放送も悪くない

最近はちっともテレビを見ない僕ですが、子供のころはいわゆるテレビっ子でした。
学校から家に帰ったらすぐにテレビを点けて、夕ご飯までテレビ。ご飯は急いで食べて、またテレビ。夕ご飯中にテレビを見てはいけないという家庭内ルールがあったのですが、どんなタイミングで食べていたのかはよく覚えていなかったりして。
子供用のアニメで見ていないものはないというくらいどっぷり浸かっていました。
(当時は毎日6時〜8時くらいまでずっとアニメ番組が放映されていたんです)

それでも、やはり裏番組やら兄弟事情で見られない番組があったりする。

そこで、再放送の出番ですよね。

同じ番組を何度も何度も再放送していたから、自分が本放送で見たのか再放送で見たのかの区別も曖昧でした。

ウルトラマンなんて、絶対本放送で見たと思い込んでいましたけれど、Wikiなどで最初の放映年を見ると、「こりゃ見てるわけねーわ」となるわけです。大人になるまで、それが再放送だと知らなかったわけです。

で、再放送。

このブログも、1回の記事はその時だけです。
もちろんスクロールしたりタグをクリックしたり、カテゴリー別に探せばいくらでも遡れますけれど、どんどん流れていってしまうことは明らか。
とは言っても、このブログの記事をここに再掲しても意味はありませんよね。ツイッターなどでリンクをつぶやくのはありかと思いますけど。

そこで考えました。

これまでに発信した情報の再放送って?

発信したい情報で、検索で辿り着いてもらえなさそうなものの代表は自作のアピール記事でしょう。CGのチュートリアルなどはどんどん検索してもらえますから。
でも、自作のアピール記事を再掲しても仕方がない(ツイートまとめではやってますがw)。

では、どうすれば自作に興味を持ってもらえるか?
再放送でテレビ番組を見るように、自分の作品に出逢ってもらえるか?

思いつきました。
(いや、前々からそんなことをやったらどうかとは何度か思っていたのですが)

発表済みの作品で、販売先との縛りがない作品をここで連載するという形はどうなんだろう、って。

どうやったら効果的か?
物語の途中で見つけたひとにとって、遡るモチベーションはあるのか?

そのあたりを考えながら、ちょっと計画を温めています。

どうなりますか、お楽しみに!
(既読作品が載っていても読む気は起きないのでしょうけれど、あくまでも初めてここに来た方に興味を持ってもらう作戦ですので……)

じゃ、また明晩!

世界デビューってなんだろ?

はい、ネタです。
知っているひとは耳にタコが出来ているし、知らないひとにとっては「なんだそれ?」という話題です。

ツイッターをやっている読者さんならご存知のコレです。
いま、固定ツイートとしてトップに表示させてますから……。

発売開始から1週間が経ちますが、売上げはいまだにゼロです。
はい、ゼロ。

Youtubeで無料で聴けますし、Soundcloudでも無料で、しかも高音質で聴けますから、購入するのはそのことを知らないひとだけなのでしょう。当然、それらを知らないひとはこの曲の存在すら、いえ、僕の存在自体を全く知りませんからね〜。

そりゃあ無理だ。

僕が曲の販売を委託登録したTunecoreというサービスは、各配信ストアに出すのがサービス内容であって、登録すれば宣伝してもらえるわけでもありません。毎日毎日かなりの数の曲がリリースされますから、その日はトップページに並んでも、翌日にはスクロール下へと消えてゆきます。

タイムラインを遡るようにしてスクロールし、やっと自分のアイコンを見つけた!
タイムラインを遡るようにしてスクロールし、やっと自分のアイコンを見つけた!

じねんじゃーのビジュアル頼みだったものが、ここではアーティストのアイコンが大きく出ているせいでジャケ写はとても小さな扱いです。

次に、各種ストアの中でiTunesストアを見てみました。もちろん、ちゃんと発売されています。
でもね、知っていて検索しない限り、決して見つけることは出来ませんよね、当然です……。

これ、何かと似ていますね。
そう、AmazonのKDPや各種電子書籍ストアと同じ感じです。

電子書籍のほうは、作家としてつながりを作ったり、自分で頑張って工夫をして宣伝していますから、新作を出せばある程度は読んでもらえます。買ってもらえます。
でも、いきなり完全に別ジャンルに進出するのは無理がありました。

知っているひとは既に聴いている。知らないひとには知られるすべがない。
これは、大きいです。

メジャーで出していた頃よりマーケットは広いのに(だって世界ですから!)、やはり音楽を売るのは難しいですね。
音楽ビジネスは壊滅したといわれて久しいですし……。

この曲がもし売れたら、どんどんリリースするか!
とも思っていましたが、【二兎を追う者一兎も得ず】ですわ。

そうそう、タイトルの【世界デビュー】ですが、そもそもKDPは世界マーケットが相手です。
僕の小説はそれほど国外では読まれていませんが、これまでにアメリカ、ドイツ、ブラジルなどなど数カ国で販売実績があります。
もちろん、無料キャンペーンなどでも時々DLしていただいています。

一発当ててやれ、という気持ちが時々むくむくと頭をもたげますが、やっぱり地道がいちばん(笑。

作家アワナミ、これからも頑張りますですよ!

じゃ、また明晩!!

文章がうまくたって小説は書けない

まあ、当たり前のことですよね。
文章がへたでもいい小説を書く人がいるかもしれないし、という逆もあり。

いい小説とうまい小説は違うし、いい文章とうまい文章も大きく違う。
うまい文章といい小説は、もう天と地ほどに違う。

そんなことを考えていて、ちょっと思い出したことがあるんですよ。

それは、粘土による造形のこと。

その昔、高校生だった頃、僕は美術研究所(いわゆる受験予備校)に通っていました。そこで初めて粘土による彫塑の授業を受け、ちょっとしたショックを受けたのです。

最初の課題は、立方体を作ることでした。
僕をはじめとした、初めて油土を使って立方体を作ったメンツは、表面を平らにしようとして指でこすり、つるつるぬめぬめの立方体もどきを作りました。
もちろん、全て手作業で完璧な立方体なんて出来るわけがありません。
みな、作っているものは「もどき」なのです。
ただ、高校生の中に混じっていた浪人の先輩は、全然違いました。

彼はざっくり作った四角い塊の表面に定規を当てながら、小さく千切った粘土の粒を置いてゆきます。
時にはへらで大胆に削り取り、また粒を置いてゆきます。
僕らみたいに、撫でたりこすったりして整形してはいません。
それははじめ凸凹で、僕らの作っているものの方がずっと立方体というゴールに近いように見えました。

でもそれは、まるで段々ピントが合ってゆくように、かっちりした立方体になってゆきました。
僕らの作る立方体は、なんだかどうしても波打ったりバランスが悪かったりして、最後まで立方体もどきにしかなりませんでした。
そう、立方体という言葉の持つかっちりしたソリッドさを、僕らのなでくり回した油土はどうしても最後まで獲得することは出来なかったのです。

でも、先輩の作った立方体は違いました。
それはもう、どこからどう見ても立方体でした。
ところどころ穴が空いていたり、角が欠けたりしていました。でも、それは油土で作った立方体以外の何ものでもありませんでした。

それは、油土の質感すら超越していました。
なんと言ったらいいのか、そう、ブロンズの彫刻のような硬さと、重さを感じたのです。

僕らの作ったものはただの粘土の塊に過ぎません。
先輩の作ったものに感動を覚えると共に、自分たちが表面しか見ていなかったことに対してとても恥ずかしい思いが湧いてきたことを覚えています。

仏師は、木の中にいる仏様を彫刻刀で彫り出して差し上げるのだ。
よく言われることでよね。

たかが立方体でしたが、それはとてつもなく強烈な体験として残りました。

僕らの作ったもどきを見て、先生は笑いました。
「だめだよ、表面ばっかりなでくってちゃ。形を見て作んなきゃ」


小説を書いていて、同じような思いにとらわれることがあります。

ずっと文章を書いてきたので、それなりにまとまった読みやすい文章を書ける自信はあったりします。
でも、それは創作とは何の関係もないことなんですよね。

文章の中に物語が生まれるためには、表面をきれいにまとめる技術なんか助けになりません。
読者が信じてくれる物語を生み出すためには、その中にやがて生まれるはずの命が、きちんと見えていなければならないのでしょう。

こすったり、撫でたりしない。
削って、載せて、置いて、削って、押す。

そんなことを考えながら、鍛練を続けます。


今夜はこのへんで!

シンチョク─1030

ここ最近でいちばんのトピックは、何といっても新SF雑誌『オルタニア -現実以外-』の創刊ですよねー。
ということで、まずはこちらの話題から。

【オルタニア】
僕もいち編集部員として発刊ギリギリまで各種作業に参加して楽しく過ごさせていただきました。
ちょうど、本日Amazonでの販売も始まりました。いきなり有料本で1,000位台に突入です。なかなかのグッドスタートですね!

先日もちらっと書きましたが、このvol.2用の原稿も既に書いてあるんですよ。まだ推敲が途中なので完成まではほど遠いんですが。

それから、オルタニアのティーザー動画を3本作らせていただいていますが、vol.3に使っている曲のフルバージョンを作りたくて仕方がない最近なんですよね。
そんな時間がどこにあるのさ! と脳内ディレクターに怒られながら、なんか良い感じのポップチューンになりそうだもんと思わずにはいられなかったりして。

【ティプトン】
こちらで連載してきたSF叙事詩の『ティプトン』ですが、いよいよ今週で最終回を迎えます。
まあ、最終回らしい最終回でもなく、ただティプトンさんが現実と頭の中のギャップを淡々と書きつづったものですから、いつもの調子なのですが。
いったんは書き終わっていた作品ですが、やはり連載するにあたって見直していると、必ず修正の手が入ります。
何度も書き直したり削ったり足したりして、小説より直す余地って大きいかもしれないですね……。ケプラーズ本編のディティールを既に忘れている部分とかがあってティプトンさんの気持ちになりきれていなかった部分を直したり、事実関係を直したりとかもあって。

電子書籍化も予定していますが、きっとまたまとめる段階で直したくなるんでしょうね。もう、目に見えるようです。
だから、いつ発売かは不明な状態。
表紙絵はまた、ティオセノス号でいいかなあ……手抜き?

【CG画集】
今も絶賛レンダリング中で、この作業の裏でBlenderくんがウインウイン回ってます。

すでに完成済みのCGデータを再利用して、
「サイズを大きく」
「レンダリング品質を上げて」
静止画を作るだけだと思って始めた省エネ企画でしたが、やはりそうは問屋が卸しません(笑。

もともと小サイズ前提で、各シーンが動いてすぐに通り過ぎる予告編映像用に作ったCGは作りが甘いですし、そもそも当時のスキルが問題。
最初のPV『さよなら、ロボット』予告編を制作したのはもう3年も前ですから、まだまだ全然Blenderの制作ノウハウがなかったんですよね、当時はまだ仕事でもほとんど使っていませんでしたし。

で、マテリアルの設定を見直しはじめて、泥沼に突入です。
質感を見直すと今度は形状が気になって、ライティングが気になって……。全部が気になるスパイラルという。

なんとか『さよなら、ロボット』はレンダリングまで上がり、今は『孤独の王』のCGを修正中。
これが全部終わったら、いったんレンダリングまでの作業は終わりにして、コンポジットなどの画像調整に移ります。
まだ、何点になるかは不明ですが、『孤独の王』までの作品で最初のCG画集にしようかと思っています。

画像だけでなく、ちょっとしたメイキング的なものも載せようかと思っていますが、そちらの内容は未定……。

【魔女と王様】
こんな調子で挿し絵の進捗はゼロ。
前回の反省から、少しずつコツコツと挿し絵を書き進めようと思っていたのに、この体たらくです。
連載は現在全体の3分の1ほどですから、気持ちのどこかでは「まだ全然ヨユーだぜ」と思っているふしがあるんですが、そこがやばいですよね。
うーむ……。

しかし、楽しようとしてもろくなことがないよね、というのが今週の教訓!

じゃ、また明晩!

また、リンゴに裏切られちゃったよ……

あ、リンゴと言ってもAppleじゃありません。本当のリンゴ。

先日、早生のふじリンゴを買ったのです。いかにも取れたてという感じで木箱に入って、美味しそうだったんですよ。初物っぽい雰囲気が出ていて。

食べた瞬間、いやあ、びっくりしましたね。これ、早生どころか去年のリンゴじゃん。って。カスカスで水分が乏しく、香りも味も抜けまくっていました。よく見ればヘタは枯れ切ってほこりっぽいし、とてもじゃないけど数週間とかいうレベルの古さではない。完全に騙されました。

もともとリンゴは長期保存がきく果物ですし、ほぼ一年中手に入りますよね。

まあ、何か事情があって保存されていたものなのか、単に売れ残りが大量にあったのか、それとももともとそうやって取っておいた昨シーズンのものを早生ものといって売るのが常套手段なのかは分かりませんが。ちょっと消費者をバカにしてるんじゃないでしょうか、ね。

食べても分からないと思っているのでしょうか?

(これだけの長期保存ものは特殊な冷蔵倉庫に入っているはずですから、単なる売れ残りではないんでしょう)

とても残念でしたが、そのリンゴくんたちは食べ切れず、さよならしてしまいました。

こんなネガティブな記事で済みません。だって果物大好きなんだもの。悲しかったんだもの……。

リベンジとして(いや、もとからの予定なんだけど)、妻が新鮮な紅玉できれいなリンゴジャムをたくさん作ってくれました。美味しいです。

今夜はここまで。

じゃ、また明晩!

ジュースとソーダ

ずっと、《正しいジュース》しかジュースとは言えないと思っていた。

「ジュースは果汁を搾った飲み物という意味。だから、果汁100%のものだけをジュースって言うんだよ」
たしか、昔英語を習っていたオーストラリア人の先生からだったと思う。そう聞いたのだ。

なるほど、と思ったし、昔はそれが当たり前のことだったのだ。
果汁を搾ったものを飲む。それがジュースの起源なんだろうから。

それをずっと信じて、自分でも人にそう言っていた。
「30%果汁の飲料は、本当はジュースじゃないんだよ!」
とかってね。

この写真を見てびっくらした。
juice2

これはアメリカの情景。
最近ちょっと話題になった《ソーダ税》についての新聞記事にあった写真だ。
最初は、《ソーダ税》という訳語自体が誤訳なのかと思った。だが、そうではなかった。訳は正しい。《砂糖入りの炭酸飲料などに対する税》がソーダ税だ。
だからこれは本来、ジュースとは正反対の飲み物が対象のはずだ。
コーラとか、オレンジ香料ソーダ水とか、そういったものに課税せよという話だ。
理由も、《健康に悪いから》と書かれている。果汁を搾った100%ジュースが健康に悪いとは考えにくいぞ。

でもここには、はっきりとJuicesと書かれている。
アメリカではいまや、100%果汁でないものをジュースと言うことが普通になっている。
────ということなのだろうか?

こっちが新聞記事のほう。

(朝日新聞より)
(朝日新聞より)

まあ、こうやって言葉は変わっていくのだな……。
ううむ。

そして、
こういう飲料ばかりに親しんだアメリカの子供たちが、たまたま何かの拍子に100%ジュースを口にしたら、
「わ、なんだコレ! ジュースなのに酸っぱい!」
「なんか果物の味しかしない!」
とかって思うんだろうかな……。

時代は、変わるんだから、これはもうそういうものだと割り切るしかないんだろうか。

やんぬるかな……。

じゃ、また明晩!

シミュレーション趣味レーション

微妙な日本語英単語について書くのも3回目になりますね。
これ、書いていて結構面白いので、今後もシリーズでいきますよ。

初めて来た方が迷子にならないように、第何回とかは入れませんが、ね。

さてさて、今日のテーマはこれ。

Simulation

今どき、間違えて覚えている人はいませんよね?
──よね?

「シミュ」という語感が日本語にはないからだと思いますが、昔からこの言葉、シュミレーションと言う人が多かったですよね。
(そう書く人もまた、多かった)
やはり日本語としての言葉がたくさん存在する「シュ」のほうが言いやすいから、何となくそう覚えてしまったり発音したりしてしまうのでしょう。

英単語の綴りを見れば、もうこれがどうやっても「趣味レーション」とは発音できないことが分かるはず。

もしも間違ってた人、曖昧だった人、今回の記事で覚えましょうね。

Simul(サイマル)で、「同時」とか「一緒」という意味があります。
Simultaniously(サイマルテイニアスリー)と言えば、「同時に何かが起こる」ということです。
Simulationと綴りが似てますね。意味もそうです。

何かを模して何かをする。ということは、既に何かが存在していて、それを同時期に真似ようとして行なうことですものね。

「シミュ」か「シュミ」か悩んでしまった時は、言いやすさで「趣味」。
じゃないですよ!

サイマルと同じだから、シミュだ!

ね、これであなたも絶対忘れないはず。

じゃ、今日はそんなところで!

《ふたり》の珍客

hototogisu1

久し振りにちょっと天気が良くなって、庭に出た。
見慣れないエキゾチックな花が、庭の片隅に咲いていた。

雑草取りをしていると、
「もしかしたらこれは、きれいな花が咲く植物なのではないか?」
そう、思うことがある。

園芸植物には、野草にはない自己主張を感じることがある。

そうやって時おり、
自己主張を感じた見知らぬ植物を抜かないで、その行く末を見守ることがある。

でも大抵それは僕の思い違いで、美しい偶然がやって来ることなどそうそうない。

今年の夏は天気の悪い日が多くて、そうでない時は堪らなく暑くて、
どちらでもない時は忙しかったりして、庭の世話はなおざりになりがちだった。

そして見つけたこの珍客。
ちゃんと雑草取りをしていたら、ひょっとして抜いてしまったかもしれない。

美しい偶然は、そうしてやって来る。

早速パシャパシャと写真を撮る。
大きな花ではないから、愛用の接写レンズを使ってアップにする。
肉眼では感じられなかった色気が、写真から溢れてくる。

山野草のたぐい、蘭の一種かな?
そう思ってネットを検索。ヒットしない。
検索することしばし、蘭ではなくユリの一種だった。

タイワンホトトギスという名前で、山野草ではなく園芸種。
ホトトギス自体は日本に自生しているが、これは園芸植物がこぼれ種で出てきたのだろう。
ん?
ユリって球根植物だよな……。

花が咲くのだから、種もできるかもしれないと思いつつ、それ以上は調べない。
何となく、それはそれでいい。
何かの偶然が重なって、我が家にやって来た珍客。

球根が残れば、きっと来年も咲くだろう。
僕の庭がまた、少しだけ賑やかになった。

hototogisu2

そしてこれが、もうひとりの珍客。

まあ、蜂なんてちっとも珍しくないけどね。
僕が写真を撮っている時にたまたま花に飛んできてくれて、
気前よく写真に納まってくれた。

可愛らしい、かっこいい、珍客。

じゃ、また明晩!

外来語って難しいよね……

クリックすると検索結果に飛ぶので、日本語と英語の発音も聴いてみてね!
クリックすると検索結果に飛ぶので、日本語と英語の発音も聴いてみてね!

……っとまあ、こんな画像で始まった本日の記事なんだけど、最近たまたま、仕事でもプライベートでも、この言葉を続いて使う・聞く、機会があったんだ。

Teaseという言葉がもとで、これは「いじめる」「ちょっかい出す」「じらす」というような意味。発音としては、「ティーズ」で、真ん中は長音。アクセントは「ティー」にあるから、雰囲気としては結構伸ばす感じになる。

Teaserという言葉があまり日本で知られていなかった頃から、たまたま僕はこの言葉を知っていて、「ティーザー」とカタカナ化していた。以前は、ティーザーと言っている人も多かったんじゃないかと思う。
ところが、それがだんだん一般化してくると、言いやすいように短く変化していったみたいなのだよね。

今、仕事場で飛び交っている言葉は「ティザー」。
「ティザー・サイト」とか、「ティザー広告」のような熟語にするには、確かに真ん中を伸ばさない方が言いやすそうだ。
だけどもうきっと誰も、Teaseの語感のイメージを持っていたりはしていない。
僕としては、ティーザーという言葉の持つ「もったいぶってチラ見せする」イメージが好きなんだけどなあ……。

もしかしたらそのうち、ティーザーという言い方は「間違い」ということになっちゃうんだろう。
間違いじゃないにしても、
「何気取ってんの、こいつ」
「何? 外人気取り?」
みたいな顔をされるのが目に見えている。
(いや、もちろん、巻き舌はしないよ。しないから!)

今のところまだ、WEBの検索結果では真ん中を伸ばす「ティーザー」が優勢のようにも見えるけどね。

これは、「ティーザー」でなく、「ティザー」で検索した結果。
これは、「ティーザー」でなく、「ティザー」で検索した結果。

あなたはどっち?

そんなこと、どっちでもいい?

じゃ、また明晩!


今日の紹介は、この本かな。
(直接関係ないけど……)

主人公佐山哲夫は、就職内定後にM&Aで世界的な工業食品コングロマリットに買収された陽山食品工業に就職した。
俺は知ってるんだ。本当に旨いものなどもう、──少なくとも外食産業や一般に流通している食材を見る限り──どこを探したって見つからないってことを。
ある小さな事件をきっかけに、佐山は自らの目に見えていた世界が、本当の世界ではなかったことに気付き始める。