KDPカテゴリ変更をお願いした

ヘリベマルヲさんの記事をきっかけに赤井五郎さんのこの記事『Kindle本のカテゴリ分類方法がわかりました!』を読んで、ハタと気付いた。

Kindle Storeの小説は、カテゴリ分類を変更できる!

赤井さんの記事によると、これはずっと以前にも忌川タツヤさんが指摘していたことなのだ。でも、僕ら新入りは全然知らなかった。Amazonのジャンル分けってひどいなあと思いながら、どうすることもできないと思い込んで放っておいたのだった。
赤井さんのように自ら問い合わせる姿勢はとても立派ですね! 本当に助かる。で、僕もカテゴリ変更をお願いする問い合わせフォームを送ろうと思って、ヘルプを辿ったんだ。

そうしたら、見つけた。
そもそも、お問い合わせ欄で《問い合わせ内容のカテゴリ選択》を追っていけば、《本のカテゴリの追加または変更》というのが出るんだ。

 

問い合わせ内容のカテゴリ選択
問い合わせ内容のカテゴリ選択

 

なんてえこった、ヘイ、オリーブ(昔のポパイのアニメで←誰も分からんね)!
そしてさらにご丁寧なことに、問い合わせフォームを開くと既に下記のことが書かれている。

以下の情報を入力してください。
本のタイトルと ASIN:
削除するカテゴリ(オプション):
新しいカテゴリ (Kindle 本カテゴリーを 2 つまで選択):
注: カテゴリ変更は、ステータスが「販売準備中」になってからご連絡ください。

 

ね、これって、Amazonさん自身が、カテゴリー分類がちゃんと著者の希望通りになってないと分かっているのだ。だから、ここまで親切にフォームが用意されている。
サポート体制は懇切丁寧だけど、システムがダメだということなのだろう。

僕は自作の全18点について、カテゴリ変更をお願いしたんだ。さ、これでちゃんとカテゴリー別のページに表示されるといいな。本当は問い合わせフォームにこう書こうと思ってこんな下書きをしていたんだけど、上述の内容が既にあったから、それは止めた。僕の気持ちだから、ここにペーストしておこうかな。

■下記の作品につきまして、Kindleストアにおけるカテゴリ分類が希望(管理ページの本棚において入力したもの)と異なっています。読者様の検索に少しでも役立てたく考えておりますため、誠にお手数ですが、再分類をしてくださいませんでしょうか。

 

例えば『壁色のパステル』なんて、最初は《フランス文学》だったんだよ。なんじゃいそれは? って思うでしょ。まあ、そのおかげで無料キャンペーン時にカテゴリ別一位になったりしたけど……。
その後、《文学・評論》になって。
どうも、大抵の《文学作品》ものは、自動分類では《文学・評論》で止まるみたいですね。その下にようやくサブカテゴリが出てくるのに。
そもそも本棚で選択するカテゴリのツリーとストア上で書かれるカテゴリのツリーがずれてるから、どうしようもないんだろうなあ。システムをなんとか修正してもらうためには、僕らコンテンツ提供者が声を上げ続けるしかないんだろう。

と、いうことで、読者さんが少しでも好みの本を探しだせるように、セルフ作家の皆さん、サポートさんにカテゴリ変更をじゃんじゃんお願いしましょう!

この記事が、すぐに誰かの役に立ちますように!

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だから「困難だ」って言ったんだぁ

拙著『プロテイン・パック』をネタにしてくれたのは嬉しいんだけど、あれ、誤解を与えるよなあ。筋肉系の男が出てくる話じゃないんですよ。(もちろん、まだ読んでないんでしょ?)←あ、わざとだってのは分かってますけど。
《動物性蛋白質を半固形化した冷蔵または冷凍食品》これが、プロテイン・パックの正体だ。でもその動物性蛋白質の正体は、物語を読んで知って欲しいな。

さて、本題。

『Pの刺激』の感想文に対する著者ご本人からの感想に対する再説明・弁明・言い訳だ(何とでも言って!)

ヘリベさんだけでなくリアリティという言葉が引っ掛かってしまった部分も大きいようなので言い直すと、『構築されたその世界観を読者が受け止められるだけの説得力を持っているか』ということになるかな?
誤解を与えてしまったようなので書いておくと、『Pの刺激』には全体的にその《リアリティ》があるし、部分部分の描写にもそれがある。だけど1ヶ所だけリアリティを感じなかった大きなポイントがあったという話なのだ(後述)。
《感情移入》に問題があるとはまったく思っていないし、僕はちゃんと話中にどっぷり浸かって読んでいた。それは僕の言ったリアリティの問題ではないのだな。
きちんと解説し直すとすると、リアリティを感じなかった点、つまり僕がこの物語世界に説得されなかった点は、《Pによる幻想が現実を侵食し》というくだりだ。未読の人にとってのネタバレにならないように注意しながら書いたので、やはり曖昧な書き方になっていたようだ。
きちんと書いたようにも思うけど、誤解を与えたのだからしかたがない。

各種の物語に登場する《ほんものの魔術》や《超能力》や《現実を超えた天変地異》が説得力を持つためには、その世界観にその種が蒔かれていなければならない。僕は単に、その種を見過ごしてしまった読者だったのだ。昨夜のヘリベさんの記事を読む限り、それはちゃんと物語の世界に埋込まれていた。だから僕がそれを見逃してしまったに過ぎない。

郁夫の《力》は、その後のファンタジーを予感させる道具立てとして、充分に成立・機能していた。夢の中で他人の夢に侵入し、それを左右してしまう能力。それは、既に一線を越えたものだった。僕はそれをある種の精神世界の出来事として自分の中で片付けてしまっていたんだ。でも、よくよく考えれば分かる。この描写は読者に完全に違和感なく受け入れられるものだし、後半でそれが拡大していけば現実世界に影響を及ぼすこともきわめて自然に受け入れられるべき現象だったんだ。

分かるかな? 僕が唯一の欠点だと指摘してしまったポイントは、つまり欠点などではなかったということだ。
僕の感想文を読んでそこが欠点だと思ってしまった人がいたら、申し訳ない。ごめんなさい。謝ります。ヘリベさんにも頭深々と「ごめんなさい」だ。
僕は、自分の読解力不足を暴露したに過ぎないわけなんだ。だからあの作品に、《僕が》、《直すべき点として指摘できるもの》は、何もないんだ。
そもそもあれは《感想文》なのだし、《指摘》なんてそんな大それた、おこがましいことをする気は微塵もなかったのだし。

もう一度言おうかな。『Pの刺激』は傑作。ただし、受け入れ側には少々の読解力が必要。
以上。

ここからは私信のようなものになるかな(小説クラスタ以外の方、ごめんなさい)。


ヘリベさんは他人の言葉のネガティブ側面を拾い出して繋ぎ合わせ、ネガティブな結論として思い込んでしまいたい性向があるのかもしれませんね。(その拗ね方がカワイイとも言えるんですが、)そんな風に思わなくていいんです。
僕だってネガティブに捉えれば、ヘリベさんのお書きになった記事からこう思って落ち込むことになります。

「淡波亮作は作家のくせに一般読者と同じ浅い読み方しかできないし、読解力も低いようだ。構造を理解しようとしないくせに批評するなよ、泣き言言うくらいなら読まんでくれ」って。うわーっ。

あなたは多くの読者やセルフ作家から愛されているし、あなたの作品は尊敬を持って読まれている。(キモイと言わないで!)
それは間違いないんです。いいと思ったからこそ、僕はもっとヘリベさんの別の作品を読みたいと思ったし、「ダメ」と思った作者のものには、恐らく二度と手を伸ばしません。(自分の読書力を確認するためとか世間の評判に引っ張られてとかで、もう一度手に取ることもないとは言えませんけど)

感想記事のタイトルを《感想を書くことが困難な作品》としたのは、きっとあなたに誤解されるだろうな、と思ったこともあります。《批評する者は批評される》わけですし、それは予測していました。(無視されていたとしても拗ねませんよ!)
読んだ作品をべた褒めするだけが感想ではないですし、僕は自分の感想として、出来るだけフェアに書いてみたかった。それが少々ずれていたとしても、べた褒めだけして終わりにはしたくなかったのです。褒めたい部分は褒める。気になった部分は気になったと言う。それだけです。僕は一般読者のように読むし、僕の感想はいわゆる批評ではありませんしね。

牛野小雪さん推薦の『シュウ君と悪夢の怪物』の次には『ガラスの泡』を読みますよ!

(願わくば、無計画な『そののちの世界』に幻滅しませんように!)

では!

サポートさんに叱られてしまった件

Amazon KDPにて出版している自著4作を同時無料化し、無料化直後に《無料版》用の表紙への差し替えを行い、そのために書籍データを更新することになり……という経緯は一昨日書いたとおりです。

さて、その時にKDPサポートさんに問い合わせメッセージを送ったわけなのですが、不勉強に気付かされる予想外の返信が届きました。

いわく、

KDPサポートより抜粋
KDPサポートメールより抜粋

 

とのこと。そうか、ルールになっていたのだなあ。これはいけないことをしてしまった。でも、ちょっと待てよ、と思い至りました。無料版、しかも度々表紙を差し替えているKDP小説といえば『キミコロ』ですよね。たしか、表紙に無料版と入っていたはず!
そう思い、さっそくストアで確認してみました。

藤崎ほつま作『キミコロ』

 

おお、入っていますね、僕の名前が。あ、でなくて、《無料版》って。
まあ、文字は表紙画像の一部として(しかも斜めに)入っているので、これを機械的な手段で発見するのはほぼ不可能でしょう。だからといって、お世話になっているKDPサポートのかたにああ言われてしまったのは、やっぱり気になります。
表紙でことさら《無料》を強調しなくても、これだけで充分、読者には無料だと分かるよな、とも思いました。

価格表示を見りゃ、表紙より先に無料だと気付くよなあ
価格表示を見りゃ、表紙内の表示より先に無料だと気付くだろうさ

 

ね?
ここ、真っ先に見ますよね?

と、いうことで、藤崎さんには《無料版》と入れたままで頑張っていただきながら、僕は修正しちゃおうかなあと思いましたよ。
でもね、そうは言っても表紙の左上には、何かしらデザイン的な要素を入れるのにちょうどいいスペースがあります。ので、それを何にするか思い付くまで、差し替え作業が終わるまではこのままで許していただこうかな、と、勝手に思っているわけです。

だって、そんなに度々表紙を差し替えてたら、それこそプライスマッチ解除になってしまいそうじゃないですか!

 

《7/4(梨の日)追記:
 新規無料全4作の表紙を差し替え終わりました。あとはストアの更新を待つだけ。ただ、無料のままでいてくれるかが気になりますね……》

こんな感じです
一枚に合わせるとこんな感じです

《7/5(ナーゴと鳴く猫の日/淡波発案)追記:
 KDPサポートさんの素晴らしき神対応。昨夜寝る前にチェックしたところ、既に表紙が差し替わっていました。その間なんと3時間弱、しかも土曜日の夜なのに! 中の人に大感謝です》

あ、この本だけ、著者名がローマ字なんだよな。大分前に修正したんだけど、何度更新してもここは直らない。サポートさんにお願いしてみよう
あ、この本だけ、著者名がローマ字なんだよな。大分前に修正したんだけど、何度更新してもここは直らない。サポートさんにお願いしてみよう。

 
さて、この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

感想を書くことが困難な作品

ヘリベマルヲ作『Pの刺激』を読了した。一言で言えば、《溢れ出る奔放なイマジネーションの洪水》。
それに尽きる。(あくまでも個人的感想として)
舌を巻く描写のテクニックが随所に散りばめられ、その想像力の強さと広大さにはたじろぐほどだ。プロットも凝っているし、話の進め方も別レベルのうまさ。

「難解だ」「分かりにくい」そういう評価は、当て外れだろう。作者は、そう狙って書いているのだから。
僕も最初は戸惑った。
誰が言っているのか分からないセリフ。何のことを話しているのかが分からないセリフ。前後関係が分からない描写。それらは全て作者のテクニックの一部だ。だから3度読めば理解出来る。筆力がなくてあの表現になっているのではなく、それが溢れるほどあるからあの表現なのだ。
前置きなく、《そこにいる人たちの会話に突然割り込んだ読者》として、僕ら読者は作者の構築した世界に放り込まれる。僕らは世界を理解しようとして必死に追い縋る。でも、《世界を理解する》なんて幻想なのだ。僕らはまた放り出される。
夢中で読んだ。逃げられない。
ある意味、すごい才能だしすごいクオリティだ。メモりたくなるようなイマジネーションの宝庫だ。ボッシュだ。キリコだ。マグリットだ。
これは、作者本人が言うようなゴミなんかでは決してない。(もちろん、本当にそう思っているのではないことは、分かっているけど)

それでもなお、僕はこの作品の決着のつけ方には納得できなかったんだ。そう、それは個人の感じ方の自由だから、良し悪しではなく、僕がどうだった、というだけの話。

残念だけど、後半からの動きにはストーリー逃避を感じてしまった。作品の説明に《ダーク・ファンタジー》とあるのだから、「あり得ない!」という感想が成立しないのは承知の上だ。でもね、その作品の中での《世界の存在を信じ得るリアリティ》が、終盤のファンタジーに突入して急速に失われていくことには、どうしても頷けなかった。
夢が現実を侵食し始め……という流れにもっと説得力があったらなぁと感じてしまったあたりが、僕の読書力の限界だったのかもしれない。

常日頃、SFやファンタジー作品にとって最も大事なのはリアリティだと、僕は考えている(異論の方が多数派だろうけど:そうでなければインター○テラーがあれほど高い評価を得られるはずがない)。
読者が見たことのない世界を構築して提示するのだから、そこに放り出された読者が自然に呼吸できるリアリティがなければ、それを作品として成立させるのはとても困難だ。
この作品の9割以上では、それに成功していると思う。

でも、その放り出しかたには《世界を構築した神としての責任》という潔さがもう一つ感じられなかったのだ。これは勿論、僕個人の偏った感想だから、作者には一笑にふされるだろうし、それでいい。全て綿密に計算して練り上げたプロットなのだから、そこに読者が納得しようがしまいが、それは全て作者の掌の上で起こっている事象なのだ。

僕が納得できなかったのは単に、僕の頭が固いからなのだろう。そこに納得できる《柔らか頭》の持ち主にとって、『Pの刺激』は紛れも無い傑作だろう。いや、僕にとってもたぶん傑作なんだけど。
(『山彦』のスーパーパワーにも、『ターンワールド』の摩訶不思議な世界観にも、『妄想する子供たち』の妄想世界にも、僕は“踏み外さないリアリティ”を感じていた。だからものすごく固い頭ではないはずだけどね)

ここで僕が言いたいのは一つ。
この作品を最後まで読まないで批評してはいけない。どんな作品でもそうだけど、(文章力がそもそも欠落しているものは論外として)最後まで読まなければ作品の真価は分からない。
途中で挫折したひとは、どうか、そこで評価を下さないでほしいんだ。

そしてもう一つ。今、読み終わって1日経って、改めて思ったのは、《これはいい作品だった》という感慨なのだ。(この感想文もちょっと時間を掛け過ぎて脈絡が崩れている……)

以前僕は、芸術作品には2種類しかないと書いた。

“観賞し終わって、徐々に心の中での評価が落ちていく作品と、
観賞し終わって、更に評価が上がっていく作品です。”
と。

「納得できない」とか言っておいて不思議なのだけど、なぜだか自分の中で『Pの刺激』の評価は徐々に上がっている。納得できなかったことが自分の内部にあるのではないかと思うと、それは作品の評価ではなく自分の読み方の評価なのであって……でもそれは作品を読んだことで生まれた感想であって……メビウスの環状態。

そういった意味で、(どういった意味だ?)これは無料にすべきでない作品なのだと思っている。《届くべきでない読者に届いてしまう悲劇》を避けるためには、作品紹介を読んで対価を支払いたいと思った読者の手にだけ届くべきなのではないかと思っている。

これ、感想になっていたのかなあ……。

(了)

プライスマッチによる無料化のご報告。が……!?

同時に無料化した4冊
同時に無料化した4冊

いよいよプライスマッチによって4作が同時に無料化されました。
しかしこうやって表紙画像を並べると、節操ないですねえ。《ほっこり暖かい家族小説》の隣が《ちょいホラー寄りSF》だなんて、人間性を疑われそうです。

それはともあれ、無料化と同時に無料アピールの表紙に差し替えるためのデータを提出しました。それが上の画像なわけです。

と・こ・ろ・が、です。
データを提出するには管理ページに入って更新する必要がありますよね。
つまり、再度出版の手続きをすることになります。新しい表紙をアップロードして、「保存して継続」ボタンを押すと……、そうです。価格一覧が出るのです。当然ここに0円と入力することは許されないので、元々の金額を残したままで「保存して出版」ボタンを押すことになります。

そうすると、壁色のパステルは250円で再出版、各短編は99円で再出版。となってしまうわけです。不安ですねー、たった一晩で有料に戻ってしまったらどうしよう!
そこで、AmazonKDPサポートさんにメールを送りました。

プライスマッチによって無料化してくださった著作を無料本用表紙に差し替えましたが、更新時には有料の価格が入ってしまうので、どうか無料を継続してください。というような内容です。

さて、明日中には冒頭の表紙画像に差し替わっているでしょうから、その時に無料のままでいられるのか、すぐに結果は出ますね。
もしダメなら、またすぐにKDPサポートさんにお願いしなきゃ、です。

あ、もちろん、今から焦ってポチってくださってもいいのですよ!

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

KDPプロモ、この方法は有効なんじゃないかと思った。

手前みそですが、まずはこちらを見て頂きたいのです。

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そう、セルフ作家の広橋悠さんがご自身のブログに書いてくださった『壁色のパステル』レビューを、Amazon上の商品紹介に転載したのです。プロの本でよくありますよね、映画でも頻繁に見かけます。別の作家が一行か二行の感想を述べて、それが作品のキャッチコピーのようになっているアレ。
最近はこういったことを帯で語るのが流行りつつありますが、帯は帯。あまり大きく書けないですし、文字数も限られていますよね。

これまで何人かの方が自作の感想を書いてくださったのですが、とても素敵な紹介文になっていることが多く、これをもっと多くの読者さんに読んで頂けたらなあ、と思っていました。でもなかなか、それぞれのブログ記事やツイートに誘引することも難しいですし。
そこで思い付いたのが、Amazonのレビュー欄に載せたかったら《自分で紹介欄に載せてしまえ!》という荒技です。

発端は、広橋悠さんのこのtweet。

そして、このセルフ返信。

他の方々を含め、反応が次々と。アイデアが発展します。

このあたりで僕も参加です。

このやり取りでは、あくまでも自著のあとがきでレビューや解説を紹介するという話になっています。僕も本日発売の『そののちの世界』のあとがきに、ストーリー上の続編でもある『ケプラーズ5213』(書いたのはこちらが先)のヤマダマコト氏による紹介文を使わせて頂きました。これはこれで素敵なことなのですが、やはり本を入手してくださった方にしかこれは届かない。
そこで考えたのが冒頭の少々乱暴とも思える手法なのです。

でもこれ、ストア上で本を探している読者候補さんに、とてもアピールすると思いませんか?
僕だったら、こんな紹介文を読んだらもう、すぐポチッとしてしまいそうです!

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

よし、何とかなった。しかし……

さんざん苦しまされた『そののちの世界』のePub編集ですが、ようやく終了してAmazonさんにデータを提出する直前まで来ました。
何がそんなに大変だったかというと、この短編集は途中から執筆環境を変更したことによって、生成するePUbの構造が全く異なったものになっていたからなのです。

以前の環境は:
執筆/iText Pro
変換/easy epub
これが、短編集の前半を執筆・変換した環境です。

現在の環境は:
執筆&変換/Hagoromo
これが、短編集の後半を執筆・変換した環境です。

あ、もちろん、移動中のテキスト打ちはiPod touchでPlainText2ですが。

Hagoromoは完成時と同じ縦書きで執筆しながらルビをふり、圏点をふり、相対的な文字サイズや行揃えなど、最終的なePubデータとほぼ同じ状態で書き進めることができます。これはとても素晴らしいことなのですが、一つ盲点がありました。
それぞれの物語は短編で、基本的にePub内の文書本体データは1ファイルのみでした。今回の合冊化では、当然のこととして各短編ごとに文書データ(xhtml)を分割する必要がありました。全ての文書を1ファイルにまとめてしまうと、Kindle端末のメモリーを圧迫してしまい、ページめくりがもたついたり表示がスムーズでなくなったりするのだそうです。
そこで、Hagoromoの機能を勉強し、章ごとにデータを分割するようにしました。Hagoromoにはアウトラインプロセッサの機能があり、章タイトルをアウトラインの親要素に指定すると、ePub書き出し時に改ページさせることが出来るのです。基本的にePub3では改ページ=別ファイルと考えられましたので、これで問題は解決、と思ったわけです。

ところが、これが違っていました。たしかにアウトライン機能を用いて書き出したePubは改ページされていました。でも、ファイルは分割されず、一つのままでした。実はこのHagoromoは、古いePubリーダーにも対応できるよう、旧形式互換のデータを吐き出すような仕組みになっているらしいのです。(まあ、技術的なことはよく分かりませんが……)
ePub2(もしくは古い仕様のePub3?)の中にはtoc.ncxというファイルがあって、これが端末上での改ページをコントロールしています。tocとはTable of Contents、つまり目次を制御するファイルということなのでしょう。これでコントロールされているため、文書ファイルを分割する必要がないのです。

前述のように執筆の前後半で環境を変えていたので、書き出されるePubも全く違うものになっていました。これを同じ構造に合わせない限り、一冊の本としてまとめることは出来ません。
書き出す環境が違えば、改ページだけでなく、cssの記述も全く違いますし、ファイル名のつき方も違います。一見同じようなePubファイルですが、中身をみると完全に異なったものです。
そこで、いったん書き出したePubファイルをバラバラに分解し、cssを全て書き直し、ファイル名を付け直し、圏点や縦中横の記述も書き直しました。

まあ、そう書いてしまえばそれだけなのですがね、何せ十作分、300ページを超える分量なので、修正を入れる度に何かしらエラーが発生します。それを直しているうちに不注意でデータを壊してしまったり、一括検索置換で間違った修正を入れてしまったり、いろいろなことがありました。

教訓:一冊の本は一種類の環境で書け。当然ですね。
それから、章で分ける必要のある本は、Hagoromoの書き出し機能を使うな。(アウトライン機能で分割すると、勝手にインデントが付いたりしますし)

こうして無事、『そののちの世界』の原稿はePubからmobiファイルに変換し、Amazonさんにアップできました。(刊行はまだですが)

さて、これが完了したら次は、後二冊の無料化作業です。そのうちの一冊『壁色のパステル』は、すでに有効なePubに編集済み。楽天KOBOへのアップもすぐに出来ました。

もう一冊残った『さよなら、ロボット』。これが問題でした。

この本は、通常のePubにはないmobi用の構造になっているのです。Amazonのヘルプを見ながら、手作業でmobi用のタグを埋込みながら作ったファイルなので、通常のePubとは互換性がないのでした。具体的な点を挙げると、この物語にはコンピューターに隠された過去のライフログ・ファイルを閲覧するシーンが多く出て来ます。その表現を、囲み罫を使って書いているのです。つまり、段落全体を罫線で囲った状態で表示させているのですね。
下記がそのキャプチャ。

囲み罫を多用している『さよなら、ロボット』
囲み罫を多用している『さよなら、ロボット』

 

これのePub版を考えなきゃ、というわけです。そもそも、『さよなら、ロボット』のePUbはiBooksで開いてもePub Checkを掛けてもものすごい数のエラーが出るので、相当な手術が必要かなあと思っています。Pタグ、Divタグのエラー以外に、Fontタグなんかも使ってるようですし。元は2013年に作ったファイルですからねえ……。

罫囲みをePubで再現する方法があるかどうかは分かりませんが、恐らくはインデントと斜体プラス引用符か何かでそれっぽく表現することになるのでしょうね。

いい方法をご存知の方がいましたら、教えてくださらないかなあ。なんて夢見ている淡波でした。

これから群雛用の原稿も書かなきゃならないし、『さよなら、ロボット』の無料化にはいろいろと越えなければならないハードルがあるようです。というお話でした。
無料になるのを待ってくださっている方、もう少し気長にお待ちくださいませ!

さて、この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!
(久し振りの決め文句だ)

歌うように書く

Twitterを読んでくださってる方には一度読んだものかもしれないけど、連投してしまったのでそれが流れ去っていかないうちにここに貼っておこうかと。
ヘリベマルヲさんが『ケプラーズ5213』の感想やアドバイスを書いてくださったので、それに対する返歌のような何かです。

最後に二つ、tweetを追加。

ではまた!

まだ、悩んでいる

朝令暮改、前言撤回は当たり前。それは恥ずかしいことではない。と自分に言い聞かせる。

先日の記事『帰納法と演繹法を一度に味わう?』に書いたとおり、今月末に刊行予定の『奇想短編集 そののちの世界』は、ふたとおりの読み方が出来る本として構成している。完結編を冒頭と巻末の二箇所に置いて、読者さんがどちらの楽しみ方も選べるようにという趣向だ。

さて、本当にそれで良かったのか?
実は最初から僕の頭の中にはもう一つの選択肢があった。

短編集と見せておいて、実は一冊の長編だったというやり方だ。昨今、プロの作品にはそういう作りのものが多いようで、無関係だと思って読み進めていたものがあるきっかけでグイグイと収束していくのがとても面白い。それを行うためには完結編をバラバラに分解し、各話の中にまぶしていく必要がある。まあ、言ってしまえば伏線を後から埋め直すような作業だ。技術的には難しいことではないし、ものすごく時間のかかる加工にもならないだろう。上手くやれば、僕の敬愛するブライアン・オールディスの書くような作品に仕立て上げることも可能かもしれない。
でも刊行予定日は確実にずれるだろうし、下手をすると月刊群雛用に書き下ろそうとしている短編にも影響が出てしまうだろう。
作品としても、種明かしを間に挟むことでつまらないものになってしまう恐れもある。いやいや、それを上手くはぐらかして面白く書くのが作家でしょ?
そんな声も既に脳内で渦巻いている。

ここらで一旦、とっくに出来上がっていた表紙を再録しておこうかな。以前の記事で初公開してから、なんと3週間も経っている。随分昔に作ったような気がしていたわけだ……。

これが誰なのか、知りたくなりますね〜、完結編を先に読まずに我慢できますか!?
彼女は一応、お話の中では美人ということになっているのですよ

こういう時、プロの作家は編集さんと相談するのだろうなあと空想してみる。セルフ作家は孤独なのだ。自分の中にバーチャル編集さんを産み出してみる。だがその新人物は、読まれるためのノウハウを何も持っていないわけで、悩みを増幅する人物が増えるだけなのだ。そうして悩みはグルグルと無限軌道を描き続ける。

個人が出す電子書籍なのだから、コストの問題はない。まずは予定通り刊行し、後日長編版を再構成する手もなくはない。内容にガッツリ手を入れて、納得できるまで練り込むのも面白そうだ。
そうやって、悩みは膨張してグルグル、グルグル、グルグル、グルグルと、留まることなく回り続けるのだろう。

でも、いつまで?

久々に、自分に締め切りを与えてみる

月刊群雛にとうとう参加申し込みをしました。4月に日本独立作家同盟一般会員になり、先月、参加のお誘いがありましたが、どうしても『そののちの世界』のブックトレイラーで頭がいっぱいで、新作を書ける気がしなかったのです。一昨日ようやっとブックトレイラーをアップし、気持ちが少しさっぱりしたちょうど良いタイミングで8月号参加のお誘いがありました。

日本独立作家同盟の会員には必ずお誘いが来るのですね。早い者勝ちということなので、前回のようにうずうずぐだぐだしていると枠が埋まってしまうと思い、即、申し込みました。電車の中で小さい画面がよく見えないままに参加ボタンを押してしまったので、レギュレーションや申し込み方法もきちんと読めないままでかっちょ悪いコメント書き込みになってしまいました。

それは、まあ、いいとして、今回は大人っぽい小説を書こうと思っています。実はもう半分までは書けていて、その長さで一旦お終いにしようと思っていた掌編の続きを、書き終わった途端に思い付いてしまい、そのため発表せずにいた作品なのです。
牛野小雪さんのブログをお読みになっている方は、『クレイジー・シスター』という掌編をご存知でしょうか?
(そこにリンクを貼ろうと思ったのですが、該当の記事を見つけられませんでした……)
《6/24追記:僕の記憶違いで、これはKDPで活躍する個人作家さんを応援するサイトである「電書猫」に別筆名で掲載されたものでした。まあ、ご本人からリンクを教えて頂いたので、本人バレは問題なさそう。その小説はこちらですよ!》

 

牛野さんのこのtweetがきっかけとなって、ちょっと会話が弾んでいました。

この後にも二人の会話は延々と続いたのですが、その夜、牛野さんは『クレイジー・シスター』を一晩で書き、ちょうど同じ夜に僕も『光を纏う女』という掌編を書きました。で、ちょこっと見せ合って、何日か後に牛野さんはブログで公開したのです。で、僕の方もこのブログに載せる積りだったのですが、前述のように続きを思いついてしまい、書き終わったものがとんでもなく《途中》に思えてしまったんです。
それで、続きを書くために一旦、お蔵入りと相成りました。いつ書いて、いつ発表するかはその時点で僕の頭から消えてしまったのですが、群雛からのお誘いを機に、「よし、これをちゃんと書こう!」と思ったわけです。

『そののちの世界』を書いたとき、10日に1作という締切りを設けて100日間それを続けたのですが、その後、ブックトレイラーのこともあり、結局それと同じくらいの期間、ほとんどまともに小説を書いていませんでした。
ここで一念発起、群雛の締切りまではまだ日がありますが、『そののちの世界』の合冊版を仕上げてから書き始めるので、きっと正味10日くらいなのだろうなあと思いながら、来週辺りからギヤを上げていこうと考えている今夜の淡波です。

(以上。つまらない記事で、済まん!)

淡波亮作の作り方