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本末転倒でも継続は力になりうるか?

相変わらずの本末転倒ぶりを発揮するサイファイCGこと淡波亮作です。
今は次作のトレイラー制作にほとんどの時間を費やしている。おかげで書きかけの短編の数々がとんでもなく中途半端な状態で散らかりまくっているのだ。

ちょっと思い出すだけでも書きかけの短編は3本、童話が1本、本当は次作になるはずだった長編のプロットは忘れ去られたままになっているし……。
いつかも書いたように、無料キャンペーンで得られる効果に比べると、小説の予告編映像で得られる効果は本当にわずかだ。いや、効果がほんの僅かでもあるのかどうか、それすら疑わしい。百数十回しか再生されないような動画から、いったい誰が小説を買うためにリンクを踏んだりサーチしたりしてくれるのか? 考えれば考えるほど、僕はとてつもなく無駄な時間を過ごしているのではないかと疑いでいっぱいになってしまう。いやいや、疑いなんて言うレベルじゃない。実際に効果がないんだから。

それでも僕がこれを続けるのは、バカの一つ覚えなのか? そうは思いたくない。このブログ、更新していないときや誰かがシェアしてくれない日などは、検索で訪れてくれる方が多い。その検索キーワードの何割かはCGや映像関連の用語だったりする。僕の小説はそういった世界が好きなひとと親和性が高いのではないかと思っているので、もしも僕の映像を気に入ってくれた人が、もっと世界観を味わいたいと思ったとき、小説に手を伸ばしてくれるかも知れない。そんなふうに思っているんだ。もっと賢い方法はいくらでもあるのだろうけど、自らAmazonで読みたい本を探しているひとではない誰かの目に触れるためには、小説でない入り口があるべきなんじゃないかと、思っているわけで。《CGが好きな層=小説を読まない層》という等号は成り立たないし、特にSFが好きな層はCGを好む層と近いだろうとも思えるよね?

さて、昨日でCG制作を終えて編集に移ったつもりだったんだけど、実は今もバックグラウンドでCGのレンダリングを走らせている。だからMacBookのパームレストが熱くてしかたがない。
バックで走っているBlenderの画面をちらりと覗くと、エアチューブの中をミニバスが疾走している絵が、ちょっとずつ出来てきている。ヘッドライトにかかったモーション・ブラーが心地いいスピード感を出してくれている。
こんな風に書けば、CGが好きなひとは出来上がりの絵を見たくなっちゃうんじゃないかと、密かに期待してる。レンダリングの生の絵をここで見せるわけにはいかないから、それ以外の進行状況をちょっとGIFにしてみたものを載せてみたい。

文章を読みながら同じページにGIFアニメがあるとチラチラして読みにくいので、ここでちょっと改行を入れておきたい。

 

 

 

 

 

 

『奇想短編集 そののちの世界』トレイラーWIP
『奇想短編集 そののちの世界』トレイラーWIP

さあ、どうだろう?

少しだけ、そののちの世界に興味が出て来ていませんか?
短編それぞれの表紙を知っている方には、このCGのほとんどが表紙用に作ったものの再利用だと分かってしまうだろうけど、表紙とはちょっと違う部分が気になったりするかもしれないでしょう?
ね?

さて、与太話はこの辺で終わりにしようかな。

いつか、こんな本末転倒なような宣伝が、効果を現すときが来るかもしれない。そう思って、今夜も僕は無駄とも思える作業をし続けるんだ。

もうすぐ、もうすぐさ、と思いながら!

さあ、みなさんご一緒にー、
《継続は、力なりっ!》

すぐにスカウトしないと手遅れになるかも! ヤマダマコト作『山彦』を読み終えて

「諸君、カネだ! 大金が目の前で野ざらしになっているぞ」ヘリベマルヲ氏が人格OverDriveでそう書いたのにも大きく頷ける大傑作。それがヤマダマコト氏の第2作目、『山彦』だ。

僕は上中下の3冊とも有料で入手したけれど、この内容、ボリューム感で考えると非常にお得な買い物だったと断言できる。書店で買えば、三千円は下らない商品価値があるだろう。

度肝を抜かれるようなどんでん返しや突如として足元を掬われる大仕掛けはあまり用意されていないけれど(いるよ、とも言える)、物語のうねりそれ自体が圧倒的な熱量で膨らみ、押し寄せてくるのだ。凡ゆる不可思議な出来事をごく自然に納得させられる筆力が、それを可能たらしめている。

物語が進行するに従い、超常現象の数々が、ごく自然なリアリティを持って眼の前に提示される。読者は主人公の須見と同化し、それらの現象を《現実のものとして》信じざるを得ない状況になる。そこには超常現象を単なる小道具として用いた小説に見られるチープさは微塵もない。須見のジャーナリストとしての“自分”はそれを否定したいが、それを実際に目撃してしまった以上、疑いを挟む余地はない。他の人間にしてもそれは同じだ。一般人も警察官も、そして読者も、眼の前の現実を淡々と受け入れるしかない。

だが、それでこの小説が荒唐無稽なSFやファンタジーに変質することはない。良質なファンタジック・ミステリーとしての軸がしっかりと保たれている。世界にパラダイムシフトを起こすことはなく、超常現象やそれによる事件は世の中に《よくあるゴシップ》として消化されていく。その流れの作り方が秀逸で、あ、これならたしかに現実世界が一変するようなことにはならないなと、安心させてくれる。だが、そのしっかりとしたリアリティを保ち続けたままで、物語は非日常へと逆に激しく突き進んでいくのだ。

そして最終章、消化されていった非日常に、物語の傍観者でしかなかった主人公の須見が戦いを挑むことになる。その結末は記されないが、不安の中にワクワクする期待感を潜ませながら、物語は終焉を迎える。奇しくも、別の軸で物語を支えた警察官の橿原は、『自分は傍観者でしかなかったのだ』と感慨を抱えながら事件の終息を客観視していた。
一方で須見は、山彦と同じ視点を持つことによって、最終的には傍観者でいることを許されないのだ。ただの巻き込まれの構図とは異なる、ポジティブな須見の行動が、不思議と爽やかな感動を呼んだ。

エダカであるフミの変化、色々な意味での開眼も効果的だ。ふくよかな余韻は、フミの変化によるところが大きいだろう。(何しろフミがたいへんに魅力的だ。あとがきによれば、最初、この人物は男の子だったそうだ。女の子に変更したのは大成功だったろうと思う)

改めて、ヤマダマコト氏、ただものではない。この1作で小説家としての存在を確固たるものにすることは間違いがないだろう。ただし、商業出版関係者の目に留まれば、だが。

広橋さんのお名前をタイトルに入れなかったのは

今朝の記事『読むべきだ!』に、電書ちゃんからのこんな突っ込みがありました。

上にもあるようにTwitterでちょこっと説明しましたが、もっと大きな理由があります。
(あ、ちなみに、『読むべきだ!』は書評ではありませんよ。作品の内容にはほとんど言及していませんし、言うなれば、ファンレターですね)

僕がTwitter上で広橋悠さんの呟きに気付き始めた頃、何度か著者ページを見に行ったことがあります。そこで小説の説明を読んで、作品を読みたくなりました。いいえ、実は、そう思わなかったのです。今ではセルフ界隋一の広橋作品ファンを自認する僕が、結構長い間、その作品を読まずにいたのです。
その理由がこれです。

『妄想する子供たち』著書紹介より
『妄想する子供たち』著書紹介より

 

広橋さんの全ての作品紹介には、最後にこんな注意書きが入っているのです。
(広橋さん、ごめんなさい!!)

これをどう思うかは読んだ人しだいですし、ご本人とも過去に会話していて、やはり《読者さんとのミスマッチ》を防ぐためにどうしても入れたい、というお気持ちに変わりはありませんでした。とても誠実なお人柄が感じられますし、馬鹿正直なくらいフェアな方だなあと思います。まあ、それも僕が肩入れする理由の一つなのですが。
だって、誤解されやすい人って応援したくなるじゃないですか!

僕は何度も彼の作品が気になって、作品紹介ページに行く度、「あ、そうか、このネガティブ・メッセージを書いてる人だったか……」という残念な気持ちになって、手に取れなかったのですね。今思えば何とももったいないことをしていたものです。
何度も著書ページには行っていたので、ある時頭の中にポッと《アルフェラッツに溶ける夢》という言葉が浮かんだのです。そして、広橋さんの著者ページを訪れ、「あ、やっぱりこれだ」と気付きます。でも、やはり買いませんでした。でも、なぜでしょう、それからことある度に僕の脳みそは《アルフェラッツ》という言葉を呟き続けました。
最後は根負けです。ポチりました。そして、眼の前がぱっと開けました。これが僕の、広橋悠ワールドとの邂逅です。

さあ、もうお分かりですね。
きっと、去年の僕と同じように感じているひとが、たくさんいるのではないか。僕はそれを恐れたのです。もしあなたが広橋悠さんを《自信なさげなひと》《作品紹介に注意書きを入れちゃうネガティブなひと》と思い込んでいたら、僕の記事タイトルにお名前が入っている時点で敬遠してしまったかもしれません。
まあ、僕のような無名のセルフ作家ふぜいが絶賛したところで、それを鵜呑みにしてお金を払うひとがいるかどうかは分かりません。でも、あの記事を読んで、興味を持ってくれるかもしれません。検索してくれるかもしれません。そうしたらきっと、僕以外にも広橋作品を絶賛しているかたがいることに気付くでしょう。

これが、僕の狙いでした。

そして実は、もう一つ、裏の狙いがあります。
「ブログタイトルには固有名詞を入れるな、入れるとアクセスが減るぞ」という鉄板ルールが、かん吉さんの『人気ブログの作り方』で明らかにされていたのです。僕はこの本を読んで以来、できる限り万人に理解しやすい、一般性のあるタイトル付けを心がけています。

それまでは酷いものでした。自分の小説の題名やCGのこと、ソフトウェアの名称など、固有名詞を記事タイトルに入れていたことが結構多く、その方がいいんだと思っていたのです。でも、知らない固有名詞がタイトルになった記事なんて、興味の持ちようがありませんよね。
誰にも読んでもらえない記事を書くつもりもないので、そこは何とか努力して頭を捻っているわけです……。

 
さて、今夜はこの辺で……。

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

《6/5 追記:
 ここで突っ張っても仕方がないので、前回記事のタイトルは修正しました。何かのプラスになればそれでいいのだし、複数のひとに言われたことには重みがあるから》

帰納法と演繹法を一度に味わう?

釣りタイトルです。済みません。
帰納法と演繹法を一度に味わうことは出来ませんね。
でも、作者としてそれらを一冊の本に詰め込むということを企んでいます。

今、準備しているのが『奇想短編集 そののちの世界』の合冊版です。全10話構成で第10話が完結編になっていますが、これ、第10話を読まないと、実は全体が関連し合っていることが分からないようになっています。(実際、ストーリー上の関連はほぼ全くないといっても良いのですが)

それで、完結編を読むと、「これまでの話って、そういうことだったのか」と分かる仕掛けです。
第1話から順番に読むと、通常の演繹的な小説として楽しめます。

そこで考えました。第10話を頭に持ってきたらどうなるか?

先に結論に至るエピソードを読み、「果たしてこれは、どのように起こったのか?」という興味をかき立てられるようなストーリーになるでしょう。即ちコレ、帰納的な楽しみ。

用紙やインクの価格を考慮しなくて良い電子書籍(&セルフパブリッシング)なら、これが簡単にできるんですね。

完結編を第1話として頭に持ってきて、その次に元々の第1話である『夜啼く鳥』を配置。第9話の『希望の船』の後に、また完結編の『未来からの伝言』を置きます。

演繹的に読みたい方、つまり、完結編を読んで初めて、そのどんでん返しに驚きたい方は、『夜啼く鳥』から読んでくださいね。そして、とにかく何が起こったか知りたくて、それからじっくり中身を楽しみたい方は、文頭から読めば帰納的に楽しめる、というわけです。もちろん、最初から読んで、最後にもう一回完結編をざっと読む。という楽しみ方もあるでしょう。
あなたはどちらの楽しみ方をしたいですか?

さあ、ここで、合冊版の表紙を初公開です。実は、書籍のePubデータと表紙画像は、とっくに出来上がっているのです。でもまだ刊行できないでいるのは、ブック・トレイラーが制作中だからなのです。まあ、実際にブック・トレイラーで最初に僕の本に触れる人は相当な少数派だと思うのですが、それでも順番としては《予告編》による宣伝が先で、刊行はその後という流れにしたいのですよね……。

これが誰なのか、知りたくなりますね〜、完結編を先に読まずに我慢できますか!?
これが誰なのか、知りたくなりますね〜、完結編を先に読まずに我慢できますか!?

ご存知の方は一目で分かるとおり、合冊版の表紙は第10話完結編のものをベースにして、その主役を配したものです。さあ、彼女の妖しい魅力が吉と出るか、凶と出るか、キャラクターの作者としては気になるところです。

ブック・トレイラーの完成までは、まだ2〜3週間かかりそうです。各短編の価格は合計すると990円(高い!)になりますが、合冊版の価格は普通の長編一冊程度(淡波比)のリーズナブルなものになります。この記事を読んで『そののちの世界』に興味を持ってくださったあなた、どうか、合冊版の刊行をお待ちくださいね!

Amazon Kindle Store上の商品紹介で、各話の共通部分を再録しておきますね。

人類はいったいどこまで行ってしまうのか……?
どんなに奇想天外な未来でも、明日にも起こり得るのではないかと変に納得してしまうことの恐ろしさ。
科学と文明の過剰な発達がもたらすかもしれない様々な「そののちの世界」の出来事を、SFタッチで、ダークなタッチで、またはユーモラスに描いた短編集です。
すぐに読めて、でもずっとどこかに残ってしまう。ちょっと不思議でほろ苦い読書体験が、あなたを待っている!
最終話の完結編以外は各短編にストーリー上の関連はありませんので、どの回からでもお読みいただけます。

あ、ちなみに、短編をバラで何冊かお買い上げいただいてから合冊版を入手しても、全冊の価格よりずっとおトクだったりしますよー。
この各短編作品の表紙がズラリと並ぶ著者ページはこちらです!

それでは、お楽しみに!

セルフ作家のための表紙ワークショップ……的な。

(前置きが長いです。本題はかなり後に出てきますので、ご面倒な方はスキップしてくださいな)

2年半ほど前、KDPを利用してセルフパブリッシングを始めようと思った時、まずは参考にしようとAmazonで様々な自己出版書籍を見て回りました。そのとき、最初に気になったのは表紙のクオリティでした。ぱっと見て、その本を手に取ってみたいと思うより先に、まずは素人っぽさが目に付いてしまって、何とも言えない寂しさを感じたものです。

実はここだけの話、一冊目の本をリリースした2012年、僕は他のセルフ作家さんの作品には全く興味がありませんでした。というより、自分の小説を出すことだけにしか興味がなくて、ストアに並んでいるセルフ作家の作品を「読む」という発想がまるでなかったのです。いやあ、ひどいですねえ、それで自分の書いたものを「他人に買って欲しい」と思っていただなんて!

これを読んでくださっている方の中にも、セルフ作家の作品を未読の方がいらっしゃいますでしょうか?

それは、もったいない!

僕が初めて読んだセルフ作品は、澤俊之さんの『440Hz』でした。澤さんのセルフパブリッシング・ノウハウ本を先に読んでいて、その中に書いてあった『440Hz』の想定読者層が、あまりにも自分にぴったりとはまっていたからです。ノウハウ本を読んだだけで文章の上手い方だということは分かりましたから、初めてセルフ作家の小説を読むことに対する不安はありませんでした。

そして、そこで眼からウロコが落ちまくったのです。
これはすごい! もう、びっくりです。普通に書店に並んでいても全然おかしくないクオリティ。“ギター小説”という独特なジャンル、読者を引きつける滑らかな語り口に、スナップの効いた、でもストレートなストーリー。夢中で読んで、シリーズ物を読むようになりました。
そこから、色々なセルフ作家の方の本を読むようになり、それに伴って、Twitterなどで他の作家さんとの繋がりも出来ました。今では購入済みの商業作家の本をほっぽって、次々にセルフ作家さんの本を読んでいるほどです。
澤さんのお名前を出してしまったので、他にも僕の好きな方の名前をいくつか書いておきましょう。

・広橋悠さん:『妄想する子供たち』が最新作。はっきり言って大ファンです。「芥川賞レベル」と評していた方がいましたが、そう思えるほど文学的で美しい文体、表現力をお持ちだと思います。

・藤崎ほつまさん:『キミコロ』という青春推理小説が素晴らしく面白いです。KDPでは頻繁に話題になる作品の一つです。

・牛野小雪さん:今盛り上がっているは『ターンワールド』ですね。このブログでも感想を書かせて頂きました。

・新潟文楽工房 ヤマダマコトさん:最新作『山彦』中巻が発売になったばかり。この方の文章も、書店に並んでいて全く遜色のないものです。『山彦』はサンカという山の民族をテーマにした物語です。民俗学や文化の香り漂う文学作品ですが、エンタメ性も強く、わくわくドキドキが止まりません。

・王木亡一朗さん:『アワーミュージック』という短編集しかまだ読んでいませんが、端正で文学的な表現が素敵です。表紙のおしゃれさでも定評がありますね。

他にも面白いなあ、と思う作家さんはいますが、このくらいにしておきましょう。(僕が言及するまでもなく充分に有名な方々は省かせて頂いていますし、僕が知っているのはほんのごく一部。素敵な本を出されているセルフ作家さんは、それこそ何百人もいると思いますよ!)

ここでお名前をあげさせて頂いた作家さんの作品は、いずれも表紙が良いものばかりです。作品世界をイメージさせる表紙は、やはり無名作家の作品にとっては重要な要素だと、僕は思います。
(中には、「白地に文字のみ」という体裁でもヒット作があったりするようですが、作品が読まれるポイントは様々ですので、表紙が良ければ読まれる、という単純なものではありませんが)

さて、表紙の話に戻ります。

今でこそ、プロの方にお願いして素敵な表紙を作っているセルフ作家さんも多いですが、当時は《ワードで打った文字を四角で囲っただけ》《スナップ写真にとりあえず文字を乗っけてみた》レベルのものが多かったように思います。もちろん、それでもいいのですが、その場合、そこには一つの大事な要素が必要です。そう、デザインですね。
(澤さんの表紙はとてもシンプルなのものが多いですが、良いと思います。WEBのお仕事をなさっているだけあって、押さえるところはきちんと押さえたデザインになっていますね)

作家が自ら表紙を作るということは、デザインするということになります。美術やデザインの勉強をしたことがない方にとっては、頭の痛い作業なのではないかと思います。
僕は幸いデザインの専門教育を受けているので、グラフィックに関しては見る目があるつもりです。現役のグラフィックデザイナーではありませんが、アートディレクションが僕の商売の大部分なので。
(あ、自分の作ったモノに対してはちょっと評価が甘いかもしれません。そこは突っ込まないでくださいね。)

本来ならばこのブログで、少しずつ表紙デザインのノウハウを書いていこうと考えていました。でも、なかなかそれもままならず……。
たまたま、ある方の表紙画像にアドバイスさせて頂く機会があって(勝手に!)、少しだけお役に立てたかもしれないと思ったのです。それから、こんな方法もありかな、と思い付いてしまったのでした。(墓穴掘りまくりか?)
 

■ここで、ちょっと無謀なプランを立ててみました。

《先着10名様に表紙デザインの添削指導を行ってみよう》というものです。もちろん、お代は頂きませんし、見返りも求めません。セルフパブリッシング作品のクオリティアップが、セルフパブリッシング界の盛り上げに繋がると信じていますので。

見るポイントは、概ね下記の項目かなぁと思います。
・書体の選択、色、処理
・文字間、行間
・紙面全体でのレイアウトバランス
・画像の使い方、トリミング
・可読性と目立ち具合のバランス
我こそは、と思う方は、下記の要項をお読みの上、メールでご連絡くださいね。(10人なんてそうそう集まらない気がしますが……淡波じゃあなー、と思うひともいるでしょうし……)
 

【応募資格】

・セルフ作家であること、またはセルフパブリッシング準備中の非商業作家であること。
・対象は小説作品のみとします。実用書は含みませんので、ご注意ください。
・表紙はご自分で制作したものであること
・使用する写真や画像の著作権に利用上の問題が存在しないこと
→ご自分の作品、商業利用可能なパブリックドメインの画像、作者の許諾取得済み画像であること。もちろん、それがどういう経緯で作者さんの手元にあるのか、僕には分かりません。信頼だけがよりどころとなりますので、そこはご配慮ください。
・メールのほかに、Twitter、Google+などのアカウントを持ち、連絡が取れる手段が複数あること。
・淡波の赤字通りに表紙を作っても、売り上げが伸びる保証はまったくございません!
 そのことに同意してくださること。批判の材料にしないこと。
・自分としては、「そこそこ出来上がり」と思う表紙画像が既にあること。
 デザインできないので白紙とタイトルのみ、というものはNGとします。
 

【応募要項・必要な情報】

・作者名
・作品のタイトル
・作品の簡単な概要

・画像サイズ:1563×2500ピクセル、またはその50%程度に縮小したもの
(勝手ながらKDPの推奨サイズを基準とさせて頂きます)
 このサイズでないものは、その旨ご記入ください。
 画像をトリミングしている場合、全体の画像も合わせてご送付くださいますと、トリミングのバランスも添削できます。

・画像フォーマット:jpgまたはpng

・画像の容量:可能な限りメールで添付できるサイズ(10MB未満程度)にしてください。
 ご自分のサイトやFTPなど別の送付方法をお持ちの方は、容量に制限はありません。(常識と良識の範囲内で)

・送り先:awaあっとnewday-newlife.com
(あっとは@に置き換えてください。添削の戻しはメールへの返信で行ないます)
 

【添削の方法】

・表紙画像上に赤字を直接入れます。
・画像とは別途、その赤字の説明を書かせて頂きます。
・赤字の送付後、可能なら修正後の画像を再度ご送付ください。
 修正状態をチェックし、もっと良くなるポイントがあるかどうか検討します。

・表紙画像をご送付頂いてから、赤字の発送までには二週間程度掛かることがあると思われます。
 出版までのお時間に余裕を持って、ご送付くださいね。
 

【締め切り】

・特に締め切りは設けません。10名に達した時点で、このブログとTwitterでお知らせします。
 もしも応募数のカウントが間に合わなかった場合、締め切りのお知らせが遅れることもあるかと思います。その際はご容赦ください。

 
なお、もしも表紙画像に著作権上の問題が生じた際は、淡波亮作は一切の責任を持ちませんので、予めご了承ください。淡波亮作が行なうのは出来上がった表紙作品に対する添削のみで、画像に付随する一切の権限とは関わりがありません。

以上です。

それでは、奮ってご応募ください!

 

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Open Officeで表紙を作ろう

セルフ作家の皆さん、表紙はどうやって作っていますか?
PhotoshopやIllustratorなどのプロ用ソフトを使っている方もいらっしゃるかと思いますが、やはりそれは少数派なのかなあとも思います。

“ワードでは思うようにデザインできないし、ペイントじゃなあ”

“MacのPagesやKeynoteならカッコよくデザイン出来そうだけど、電子書籍のサイズに合わせるのって難しそうだし、そもそもMacじゃないし”
とか。でしょうか?

僕はいつもPhotoshop(+Blender)なのですが、もっと誰でも簡単に出来る方法はないかと考えました。
そこで辿り着いたのが、フリーでオープンソースのソフトウエア、《Open Office》を使う方法です。
Open Office、ご存知でしょうか?

Windows、Mac、Linux、いずれのバージョンもあるオフィス統合スイートで、何といってもフリーです。Open Officeの中には《ワープロ》《表計算》《プレゼンテーション》《図形描画》《データベース》まで揃っています。この中の、《図形描画》をうまいこと使えないかという算段です。

基本的な使い方はMicrosoft Officeとほぼ同じですから、多くの方は(少なくとも会社員は?)使い慣れているのではないでしょうか。これも今回の選択理由の大きなもの。

ここで使い方をあれこれ書くより、一発でKindle用の表紙が作れるテンプレートを用意しました!

まずはこちらからダウンロードしてくださいね。

《6/1 追記:
早速つっこみが入りました。Open Officeは既に開発が中止されているので、Libre Officeを使えというもの。
残念ながら僕はLibre〜を使ったことがありません。Open Officeは毎日のように愛用していてるソフトなので、テンプレートを作ったり使い方の解説をする立場としては、こちらを選択しています。もし、Libre Officeに長けている方がいらしたら、Libre Office版を作ってくださいませんか? Open Officeもすぐに使えなくなるようなことはないと思いますが、Libre版を作った方はご一報くださいますと幸いです》
《6/2 追記:
忌川タツヤ氏から、Libre Officeで上記テンプレを読み込んでも概ね同じイメージで表示されるとのご報告がありました。どうもありがとうございます!》

テンプレートはこんな感じのものです。ダウンロードしたファイルを開くとOpen Officeが起動し(もちろん、インストールしてあれば、ですよ)、下のような画面になります。

表紙テンプレートの初期画面

 

実際の表紙の出来上がりイメージを貼ってみますね。こんな感じです。
ただし、パソコンは個々にインストールしているフォントが違いますので、(特にWindowsでは)このイメージ通りにならないケースが多いかと思います。そこは、見本を見ながら頑張って調整してみてくださいね。

こんな表紙が10分かからず完成! 画像サイズもKindle推奨サイズにピッタリです。
こんな表紙が10分かからず完成!
画像サイズもKindle推奨サイズにピッタリです。

 

パソコンの使い方、オフィスソフトの基本的な使い方はご存知の前提ですが、なるべく分かりやすく、テンプレートの使い方も書類内に記述しました。

こちらにも画像で貼っておきます。

説明その1
説明その1

 

説明その2
説明その2

 

テンプレート内の使い方には書いていませんが、文字間や行間の調整は以下の画面で行なえます。

A/Vのアイコンが文字間調整
A/Vのアイコンが文字間調整

 
簡単設定
簡単設定。行間は、この図内の一番下のアイコンをクリックしてくださいね。選択している文字に対する設定が出ます。

 

文字間、行間の大まかな調整は、これでオッケーです。細かく調整し出すと切りがないですし、本当は細かく調整しないといけないのですが、まあ、まずはこの辺りから挑戦してみましょうね。
このOpen Officeの図形描画で1文字1文字の間を微妙に調整するには、1文字ずつ文字ボックスを分離するしかありません。それはそれで大変な手間が掛かりますが、タイトルだけでもやってみてはいかがでしょうか?

もう一つ、背景写真調整のTipsを書いておきます。書籍の表紙は縦長、多くの写真は横長で撮影されていると思います。もし、写真をもっと右や左にずらしたいのに、写真の端が画面の端にぶつかってしまって動かない場合は、「トリミング」という技があります。
写真を右クリックし、「トリミング…」を選択します。
出てくる調整画面で、上下左右自由に削ることが出来ます。

画像のトリミング
画像のトリミング

それでは、是非ご利用くださいね!
(済みませんが、ご利用は自己責任で。。)

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「読書の友」ってのは……

「読書の友」ってのはまずかったかな、と反省。
作品ページ内、『ケプラーズ5213』の内容を少々更新しました。下記の通りです。

バナーを動きの少ないものに変更
→どうぞ、ご自由にご利用ください。リンク先はもちろんこちらで

・「読書の友」のコーナーを「設定資料」に変更
・上記に伴い、宇宙船の画像をずっと詳細なものに変更し、解説を追加

宇宙船の全体図も追加しました。これで、宇宙船ティオセノス号が、古今のSF作品に登場する宇宙船の中でも相当大きな宇宙船であることが分かりやすくなるかと思います。

実は、SF作品に登場する宇宙船のサイズを比較した画像があるのですが、その大型宇宙船カテゴリーのものと比較しても、ティオセノス号は最も大きいのですよ! 下の画像で最も大きいものが全長19kmだそうです。Star Warsに登場するものらしいです。では、ティオセノス号は??
(その比較画像サイトに行くと更に大きな「超大型」というカテゴリーもあります。そこには、さすがに信じ難い大きさのものが並んでいるのですがね)

大型宇宙船のサイズを比較した画像
大型宇宙船のサイズを比較した画像

(「サイズブログ/sf映画に登場する宇宙船のサイズ比較画像」より引用)

 

解説画像のサイズも少々縮小しました。本当は、画像は自動的にサイズ調整され、ブラウザのウィンドウがどんなサイズでも画像を閉じるための×印が画面右上に表示されるはずなのですが……

この「読書の友」コーナー、元々の意図としては、読書中に映像イメージを想像することが困難な場合や、画像を見ていただいた方がイメージが広がりやすいだろうと思ったものを載せていました。つまり、本の中にある挿絵のイメージです。

これをサイトに載せることによって、未購入の方にも少しは作品イメージを想像していただけるかと思っていました。しかし、これは全く意味がなかったというか、情報が足りなさ過ぎたのではないかと多いに反省しました。宇宙船のサムネール画像をクリックした際に出てくるものが、サムネールの見た目とあまり変わらなかったからです。
作品を読書中の方よりも、このブログを入り口にして作品ページを見てくださる方が遥かに多いのは事実。未読の方にも楽しんでいただけるものでなければダメだな、と思ったわけですね。

まだまだ購入導線を描けるまでにはいきませんが、少しずつ改善していこうかと思っています。

別の作品ページはまだ「読書の友」のままですが、いずれ近いうちに……。

もう一つ、「CGブレイクダウン」がComing Soonのままなのはご愛嬌。お赦しを!

電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−4

さて、気を取り直して第四回目(いったん最終回にしますよ)の今回は、「価格」「保管・保存性」について、電子書籍と紙の本のそれぞれを考えてみよう。でも、価格については考えれば考えるほど、調べれば調べるほど難しい問題。僕みたいな立場の人間が簡単に語れるような問題ではないな。結論なんて出せるわけもないし。
だから、ここはさらっと書かせてもらっちゃう。

9.価格

《電子書籍》

・ある程度自由に価格設定できる
→特に自己出版の本は、下限と上限の範囲内で好きな価格にできる。(時に、信じられないような強気価格に出会ったりもする)
→配信元の判断で、キャンペーンやセールなど、価格をある程度柔軟に変更できる。
→原価と売価のバランスだけではなく、紙の本を保護したい度合いなども加味した価格設定をしているように思われる。あまり安く設定してしまうと、紙の本が売れなくなってしまうというバランスも?

・基本的には古本や再流通がないため、販売者の決めた価格で消費者の手に渡る。
→KDPでも作者の意向と関係のないキャンペーンによる安売りがあったりするけど、安売りしたくない(=作品の価値を安く見せたくない)作者にとってはマイナスにも……。

・基本的には紙の本より安い
→そうでないものもある。
→製造にかかるコストを考えると、遥かに安くできるのではないかと考えがち。でも配布の想定量が桁違いに少ないから、そこは単純に比べられない。
電車の中を見回した時、文庫本や新書、ハードカバーを読んでいる人は毎日必ず見掛けるけど、KindleやKOBOを持っている人はめったに見掛けない。タブレットで読んでいる人も見るけど、絶対数は少ないかな。
→洋書では圧倒的に安いケースが多い。でも、翻訳の文庫本より洋書の電子書籍の方が高い場合もある。

・数多くの無料本が存在する
→古くは青空文庫プロジェクト・グーテンベルク。ネット上には著作権切れや作家が自主的に提供した書籍など、無償の本が大量に存在する。(WEB上の小説は別カテゴリーとして)

《紙本》
・書店での安売りは、基本的にない
→再販制度で守られ、新刊本が安売りされることは(今のところ)ない。
価格要因で売れ残った本を安く捌くことができないという弊害もある?
市場全体で見ると、返本するより売り切った方が良い場合もあるのではないか。
→「特価本市場」というものも存在するらしい。新古書として流れる「ゾッキ本」というやつ。
これは限りなく新刊に近い形のものが安売りされるが、あまり一般的とはいえないだろう。

・古本に関しては自由度が高い
→出版社にも著作権者にも1円も入らないから、「本の価格」とはまた別か。
しかし、電子書籍との比較で言えば、これは紙本の利点。

・図書館に配本されていれば無料で読める
→前回も書いたとおり。

 

いかがでしょう?

商業書籍における電子書籍の価格設定はまだ迷走しているようにも思えるし、だからこそ戦略的な値付けをした者がいきなり大ヒットを生み出すことがあったりする。逆に、紙の本と同じ価格の電子書籍でも、ちゃんと売れているケースもある。
要は、価格設定ではないんだな。電子で読みたい人はそっちで買うし、紙で読みたい人はそっちで買う。理由はそれぞれだし、電子書籍はかつて考えられたブレイクを迎えられないながらも、なんとか紙と共存している。という状況なのか。紙が、でなくて、電子が紙と。
電子書籍は安い。ってイメージがあるけど、それは一概には言えないと思う。個々の価格設定はケースバイケースだし、商業的に流通している本を、「所有欲を満たさなくて」いいなら、上述の図書館とか、紙の本の方がずっと多用な方法で読めるんだしね。(電子書籍を借りるってのもあるけど、読み終わらないうちにデータが消されちゃうこともある)
10.保管・保存性

《電子書籍》

・ひと昔前の神話として、電子書籍は永遠なんてのがあった
→冗談言っちゃいけない。電子データの永続性なんて、いまや誰も信じちゃいない。
コンピューターの世界では、たった20年前のデータでも全く読めないことが頻発するなんて常識だ。フォーマットの変化もあるし、OSの構造変化によって、データ自体を受け付けないことだってある。
汎用的なフォーマットだと信じられていたものでも、気が付くとどのソフトでも開けなくなっていた。なんてことも起こるしね。

・書棚データはクラウドにあるから、端末が壊れても買い替えても安心だ
→これも神話程度だ。一度購入した本でも、出版元の都合で読めなくなっちゃうこともある。だいたい、電子書籍のデータは購入者が所有権を持っていなかったりする。《読める権利を買う》ということらしい。
だから、そのデータの永続性なんて保証する必要もないらないし。
これはひどいな。
→プラットフォーム自体がなくなってしまう危険性も大きい。
つい最近も、一つ消えたし。

・もし、データが1文字でも壊れたら、その書籍データはおしまい
→そんなことがあり得るかどうか分からないけど、データってそういうもの。電子書籍端末を狙ったウィルスが作られれば、全ての本がダメになることもあるだろう。クラウドにまともなデータがあっても、DLした瞬間に読めなくなるウィルスとか、簡単に作れそうだ。(あ、もちろん僕にはそんな難しいことは出来ませんよ)
何しろ、タグが1文字壊れれば開けなくなっちゃうんだから。

・濡れてもいい端末もある
→KOBOにはお風呂で読める端末があるらしい。これはメリットか。

《紙本》
・ちょっとした不注意でページが破れてしまうことがある
→それでも、紙の本は読める。なくしてしまわない限りはね。もし破れたページをなくしてしまったとしても、他のページは全部読める。だから、ちょっと破けたくらいで紙の本の価値はあまり損なわれない。

・ずっと本棚に入れておくと陽射しで灼けたり、埃が積もる
→ちょっとクシャミを我慢すれば、その程度の経年劣化は問題にならない。今どきの本は中性紙だし、少なくとも自分が生きている間に読めないほど劣化してしまうことはないだろうし。

・汚れる、傷む、燃える
→火事にあったら、それはまずアウト。床上浸水で泥だらけになったら、アウトのケースもあれば、復活できるケースもあるかな。

 

ちょっと前から流行っているデジタル・アーカイブ。電子化すれば、文化財級の書籍もずっと後の世に残すことが出来る。彫刻や美術品もそうだ。でも、電子データの永続性を証明できた人はいない(と思うんだ)。
コンピューターはどんどん形を変えるし、読めなくなる昔のデータは増える一方だ。

そうではない、どんどん変化しても問題のない汎用的な形式にすればいい?

それも、まやかしに近いのではないかと、僕は思う。汎用的なデータは固有の機能を保ち難い。電子書籍だって、ePub形式が素晴らしいのは、現在のWEBの技術と極めて近しい構造だからではないかと思う。柔軟で、汎用的で。
でも汎用的なフォーマットにすることで、捨てざるを得ない機能はたくさんある。
だから、例えば昔の書籍をそのままの状態で全て保存したいと考えたなら、採用する形式はePubではない。形、色、質感も含めて保存するなら、きっとスキャン画像を元に立体化したCGデータになるのだろう。とんでもなく重いデータになるし、そもそも完全に復刻可能なデータなんて作ることは不可能だ。今のところ、臭いや触りごこちまで含めて完全な書籍そのものの情報をデジタルデータに閉じこめることは不可能だからね。CGの専門家が言うんだから、間違いない。(ということにさせておいて欲しいな。ここでは)

何とかそれなりに深い書籍情報をデジタルに閉じこめたとして、そんなデータが百年後の世界で通用すると思う?

きっと、元にした現物が残っている間に、デジタル・アーカイブのデータは使い物にならなくなるだろう。そのデータが使い続けられるように、技術革新を続ければいいのだと考えるかもしれない。でも、そうすると過去の古びた資産を切り捨てることが出来なくて、とんでもなく冗長なシステムが積み上がっていくことになる。今後もHTMLやCSSのバージョンはどんどん上がっていくだろうし、下位互換はある程度保たれるだろう。でも、ずっと下位互換を保つということはない。
例えばHTML1.0で作られたデータをモダンなブラウザで表示すると、やっぱり当時とは見栄えが変わっているはずだ。変わらないものもあるだろうけど、当時の技術をぎりぎりまで使い倒して作ったデータなんかは、どうしようもない。
現在、既にテーブルをレイアウトに使うことは非推奨とされているし、当時あれほどもてはやされた、テーブル・レイアウトでデザインされたページは、崩れてしまうことがある。やがては、ぐちゃぐちゃにしか表示されない時代も来るだろう。

少々ずれ始めたかな。
そろそろ、結論めいたものを書いておきたい。
(僕には何も決められないし、そもそも判断すら出来ないのだけど。それを前提に、個人的な、私的な意見として、ごく簡潔にまとめてみたい)

・電子書籍は便利だけど、まだ紙の本には全然かなわない。
・電子書籍のメリットがデメリットに勝つケースでは、活用が進む。これまでのように。
・将来的にも電子書籍が紙の本を駆逐するとは考えられない。少なくとも僕らが生きている間には。
・電子データだって、紙の本だって、永遠に保管なんてできない。それは複製されて、内容が残されていく。固定されたものとしてではなく、コンテンツという情報がかたちを変えて残されていくのだろう。

だから、電子書籍と紙とはどちらが優れていて、どちらが残るという議論は不毛なんだろう。
(そんな結論、何年も前からとっくに出ていたよ、って言わないで。僕は自分の考えをまとめたかっただけなんだ)

僕はこの先もKindleを持ち歩くだろう。じっくり家で読みたいものは紙の本でも読むし、その場で買いたい方を買うだろう。書店に行って本を見るのも好きだし、松丸本舗がなくなったときはとても寂しかった。

セルフ作家の本は電子書籍じゃなきゃ読めないケースが大半だし、Kindleがなかったら、僕はきっと小説を世に出すことが出来なかっただろう。
それがなくても、書くことだけはあっただろうと思う。とても若い頃から、僕はきっと本を書くという予感がずっとあった。でも、機が熟していなかった。僕はバリバリの作家志望ではないけど、電子書籍が出るずーっと前からちょこちょこと文章は書いていた。でも、本を書いたとしても、それが出版社に認められて世に出るかと言うと、それは決してなかったはずだ。
処女作がいきなり認められるような突出した才能はない。何冊も書いてきて、だんだん人に読んでと言えるようなものが書けるようになったんだから。

電子書籍には感謝している。好きだ。でも紙の本も同じように好きだ。
それでいいじゃないか。

まだまだダメな電子書籍だけど、ずっと付き合って行こう。
縁あってこれを読んでくださったあなたは、きっと電子書籍を読んだことのあるひとなのだと思うから、あなたもずっと、付き合ってくださいね。
(電子書籍に触れたことのないひと、スマホやタブレットで、一度も本を読んだことのないひとも、たくさんいるんだよなあ。e-Ink端末以外は目がとても疲れるから、あまり勧められないんだけどね)

さて、この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

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広告の広告の広告……無限ループか?

電書ちゃん主催の「でんでんアドネット」に広告を送りました。

『ケプラーズ5213』の宣伝です。飛び先のURLがケプラーズの作品ページなので、これが既に広告。そして送った広告の広告がこの記事だから、広告の広告の広告。うん、合ってる。まだるっこしい。
で、何でこんな記事を急に書いたかというと、まずその広告の内容がグレーゾーンに位置していそうだから。
もしかすると、電書ちゃんにリジェクトを喰らってしまうかもしれない。

あ、もちろん、R18とかではないです。変なページに飛ぶわけでもないですし。

その理由が、これ。

ケプラーズ5213の広告バナー
ケプラーズ5213の広告バナー

 

そう、GIFアニメですねー。淡波らしいでしょ?
(宇宙船「ティオセノス号」がカッコいい! という声が聞こえない?)

広告の掲載ルールの中に画像形式とデータ容量はないので、一般的なWEB用の形式なら許されるだろう、という計算。当然、世間のバナー広告にはGIFアニメが溢れてますしね。
でも、問題は、ちょっとやり過ぎ感があるところ。最初に書き出したデータは約8秒のアニメーションで9MBあった。それをちょっとずつコマ落としして調整し、何とか3MBまで軽量化。ちょっとばかり動きの滑らかさが落ちましたが(色もね)、これならまあDL負荷にもならないだろうと。
でも、リジェクトされる可能性もあるなあ、と思ったので、Twitterに載せたんですね。
でもでも、TLがどんどん流れて、あっという間に埋もれてしまうのがTwitter。じゃあ、ブログに載せよう。と思ったら、今度はWordPressのアップロード容量制限にかかり(3MBジャストはNG)、再度軽量化。まあ、もっと重いデータを貼る技もあるんですが、今夜は無理。ということで、サイズを75%縮小して貼ったのが上のバナー。リンク先も同じページにしてみました。

もしこれがOKなら、皆さんもどうですか?
作るのも楽しいですし(自分だけか)、人目を引きますよねー。

ということで、今晩は広告の広告の広告でした。

また、役に立たん記事書いて!

読書前感想文という荒業

さて、読書感想文→読書中感想文、と来たら、当然次は読書前感想文ですね!
行きまっせー。

発売前に商品のプロモーションを行なうのは商売の基本ですが、インディー作家たる者、作品のプロモーションをどこまで商売として考えるのかは難しいところ。
宣伝宣伝せず、売らんかなという感じを与えないで、でもそれとなく作品をアピールしつつ、新しい読者を呼び込むために個性的なトピックもちりばめつつ。あぁ何て難しいんだろう!

で、その好例となっているなあと思ったのが、新潟文楽工房ヤマダ氏のこのブログ。ご本人はきっとプロモーションの積もりはなくて、身辺雑記としての新作進捗報告。きわめてプライベート感溢れる記事が、好感を呼びます。そして、一見関係のない記事から自作へと引っ張る滑らかな足場作りが効いています。

・まずはあれですね、値段付けに悩んでいるという記事が意外に面白い。分冊化という話で「これは大長編だな」感も演出。
その悩み方がまた合理的で、しかも「いい人」であることがバレバレ。
ここで、さりげなくサンカ小説という言葉が登場してます。(さりげなくてスルーしてました)

・通常記事としての読書レビューでもサンカ小説に触れ、「何、そのジャンル?」と興味をそそります。
(もちろん、僕は「山窩」という言葉自体が初耳で、ヤマダさんが当たり前のようにその言葉を使っていることに、「俺って無知? やばいの?」感を募らせるわけです)

ちゃんとタイムラインに沿ってブログを読んでいれば、最初のサンカ小説レビューで新作がサンカ小説であると分かるのですが、そこはほら、あっちを読んだらそっちを読んで、というのがブログ読みのお作法で。僕の場合はまず「サンカって何?」から入りましたから。

・で、記事を追っかけていくと、ヤマダ氏の新作がサンカ小説であるという記述にぶつかったわけです。
「あ、面白そう」と思わされてます。

・さらに、その雰囲気を表現するのに表紙画像を作っているという記事でビジュアルでも責めます。(あ、これはほぼTwitterでしたが、苦手な画像処理に一生懸命になっている姿に、僕なんぞもう……)

・そして、リリース告知記事と直後の無料キャンペーン記事。
「読もう」と思っていただけに、じゃ、無料キャンペーン開始前にポチってしまえ!
と、まんまと術中にはまってしまいました。(改訂後なのでご安心を)

今日は、なんのことはない電子書籍ショッピング記事でしたねえ。

僕はいつも新作発表の前には表紙画像について色々とブログに書いていましたが、肝心の小説の内容をロクに告知していなかったなあ、と反省しきり。
同ジャンルの本をレビューして、ジャンル自体に興味を持ってもらうというのも離れ業だなあと感心しました。
値付けもそう。一般的にはKDPで460円(三冊合わせてだけど)というのは《強気》と思われてしまいがちな金額。これを、ブログ読者が納得できるように、悩みながら書いているのがいいですね。しかも、僕の『孤独の王』より10円高いのに、なんだかお得にすら思えてしまう。
この感じ、後の人の参考になりそうですよね。(って思うでしょ?)

あ、最後に紹介しておきましょうね。新潟文楽工房ヤマダマコト氏の新作、『山彦』発売中ですよ!

 

(今回は何の役にも立たなかったかな……。「淡波、これでブログ読者を失う」とはならないことを祈って!)