Category Archives: つれづれなるままに

変な名前の効用

ある小説を読んでいて、突然、腑に落ちたんだ。腹に、ストンとね。

何のことかと言うと、小説に出てくる登場人物の名前。
メジャー、インディーズを問わず、小説には変な名前の登場人物が多い。僕は今までそういう名前に違和感を持っていた。
「どうしてこんな変な名前なの? 作者、ふざけてんのかなぁ」
「ちゃんとした名前くらい考えてよ」
「これ、コメディーなん?」
などど思っていた。

でも、ある時、いきなり理解したのだ。
(おせーよ、の声が聴こえる……)

「これ、読者がめっちゃ覚えやすいじゃん。登場人物の書き分けがスムーズじゃん」って。
僕が普段付けている普通の名前だと、同時に同性が三人以上登場したりするともう、カオスだ。
(あ、もちろんそれは力不足という根本的な問題もあるけど、ね)

《痩せてるのが鈴木、太ってるのが山田、意地悪そうなのが佐藤》なんて付けた日にゃあ、次に登場したシーンでは誰が誰だか分からなくなってしまう。よほどきちんと(しつこく)描写でもしておいて強い印象を残さないと、読者がついて来られないよね。

名前が変だと、描写されているイメージが強力に補完される。頭にこびりつく。
「臑噛竹子(すねかじり・たけこ)は、実はすごい美人なんだ」
「臑噛さんっ!」
なんて書いてあればもう、このヒロインのことを忘れることはないだろう。

「佐藤美和は、実はすごい美人なんだ」
と書いた後で、
田中陽子と鈴木芳美なんて出てきたら、
「あれ? 美人って書いてあったのは誰だっけ?」
ともなりかねない。

『吾輩は猫である』の苦沙弥先生なんていうのも、相当に変だよね。でも、それでパッと記憶に残る。ヤマアラシ、赤シャツ、なんかもそうだ。敢えてあだ名にすることで、人物の輪郭が際立つ。
いっぺんに厚みまで出せてしまうことすらある(かも?)。

まあ、《現実感がある》というのは大事なポイントなんだけど、特徴のある面白い名前ってのも、今後は考えていきたいよな。とじんわりした、最近の読書体験なのだった。

あ、もちろん、臑噛竹子は出しませんよ!

では、また明晩ッ!

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように──!

記号としての表現、生身の描写

約一ヶ月前に、乾布摩擦についてちょっと書いてみた。それは、その一ヶ月ほど前にTLで少々話題になっていたからだ。ある小説の登場人物に、乾布摩擦をさせるシーンを入れると面白いかどうか、みたいな話だった。
僕は自分が乾布摩擦をしているので、何か気の利いたコメントをしようと思ったのだけれど、残念ながらその小説をまだ読み終わっていなかったので、登場人物のイメージがよく分からなかった。で、そんな僕がコメントするのもなんだか失礼な感じがしたので、そのままになっていたんだ。でも、やっぱりなんか乾布摩擦のことを書きたくなって、ひと月前の記事を書いた。

誰かが、何か楽しげなコメントをしてくれるかな、なんて思ってさ。

でも、誰からもコメントはなかった。記事へのアクセス数はいつもと同じくらいだったし、誰にも読んで貰えなかったわけではないのに、である。

それはどうしてだったのか、自分なりに考えてみた。

あの時、Twitter上で話されていたのは、決して《本当の乾布摩擦》ではなかった。それは、乾布摩擦をやるひとのイメージについてだ。だから、乾布摩擦をやると身体が温まるとか、風邪を引かないよ、とか、そんなことはどうでもいいのだ。
それは、物語の登場人物の小道具としての、記号としての乾布摩擦だ。

小説を書いていると、そういうことが多分、いっぱいある。

言葉のイメージが小説の小道具として作用すればいいのだから、その事象を自分が詳しく知っている必要も、とりわけ興味がある必要もない。

が、
そうではない表現をしたいな、と思うこともある。

もちろん、小説に出てくることを全部実体験で書くなんて、純文学以外では無理だろう。
特にエンタメなんかを書いていたら、もう、出来事の大半は想像力を膨らませて書くしかないのだし……。
と、ぐるぐるぐるぐる──。

まあ、考え始めるときりがないんだけど、ね。

記号に血肉を与えるべく、生身の描写をすべく、いろいろと体験したり、読んだり、見たり、触ったり、知ったり、したいよね。
という、今夜の話でした。

では、また明晩!

追悼:David Bowie

今日は別の記事を書きかけていたのだけれど、先ほど訃報を知った。
僕の愛するDavid Bowieが亡くなったのだ。別の記事なんか書いていられない。
死因は癌だったという。
1/8の新聞で見た記事が、前兆だったんだな。死期を知っていたんだな。来年、『大回顧展』をやるんだもの……。

思えば僕は、彼の比較的「恥ずかしい」と世間で言われているアルバムが好きだった。
最初に知ったのは『Let’s Dance』で、中でもChina Girlが一番好きだった。今でも時々口をついて出てくる。
(歌詞を暗記してはいないんだけどね)

その時点で、世間では、《ボウイは終わった》。という論調が多かった。
売れるためにポップロックな路線に走り、実際にバカ売れして、世界のロックスターになったボウイ。昔から彼を好きだった友人は、
「『Ashes to Ashes』でボウイは終わり。それ以降のボウイはボウイじゃない。まあ、Ashes to Ashesだって、ちょっと大衆に媚びてるけどな。やっぱりジギーだよ」
なんて、分かったようなことを言っていたものだ。
昔のアルバムで言えば『Space Oddity』は一番好きなアルバムの一つだけど、若い頃は、昔の曲にはあまり興味がなかったんだ。
確かに、『Ziggy Stardus』tはめちゃくちゃカッコいいし、エポック・メイキングだし、古くならないし、繊細だし、たまらなく美しい(何年か前にCDで再発売された時に買った。それまでは妻の持っていたアナログ盤を聴いてた。17歳の娘がBowieの曲で一番好きなのは『Andy Wahol』だって言うんだ、信じられる?)。

だけど、彼だってどんどん先に進みたいだろ?

当時、僕はそう思っていた。

『Let’s Dance』の次のアルバム『Tonight』も本当に大好きだった。表題曲の『Tonight』は、バスカーをしていたころの十八番で、もう何百回となく歌っていた。落ち込んだ時、悲しい時、淋しい時、どれだけこの歌が力になってくれたか知れない。
「今夜、すべては上手くいく」
そうやってひたすら言ってくれる曲──。

その次の『Never Let Me Down』は、初めて買ったCDだった(それまでは、ずっとエアチェックで聴いていた。なぜか、アナログ盤を買ったこともなかったんだ)。
このアルバムは本当に評判が悪くて、ヒット曲も『Day-In Day-Out』とせいぜい『Time will crawl』くらい。でもなぜか、今僕の頭の中では、このアルバムの『Beat of Your Drum』が延々と流れている。そんなに好きな曲でもないのにな。

ディスコグラフィーには出ていないけれど、映画のサントラも好きだった。
原爆の恐怖を描いたアニメーション『風が吹くとき』の表題曲、それから、後のファンタジー・ブームを先取りしたような『Labirynth』はほとんどの曲がボウイのものだった。テーマ曲の『Underground』が大好きで、このアルバムはミュージック・テープ(!)を買って、いつもウォークマンで聴いていた(オーストラリアにいたころで、音楽といえばミュージック・テープを買うしかなかったんだ)。結局後でCDを買い直して、今でも聴いてる。
映画も好きだったな。ジャレスという魔王の役でボウイが出ていたけれど、股間のもっこりばかりが話題になっていたっけ──もちろん、そんなことを話題にするのは日本だけだろうけど!──。

そして、『Black Tie White Noise』というとんでもない駄作(あ、もちろん持ってますけど)を出した何作か後、もう誰もがボウイは終わったと思っていた頃、衝撃的なスーパー・アルバムが出た(『Outside』もいいアルバムだけど、内容が確か、シリアルキラーを扱ったストーリーになっていた。とてもグロい写真が載っているライナーのせいで、どうしてもCDを買う気になれなかった。その次のアルバムは聴いてなかったけど……)。

そのアルバムとは、『Earthling』。つまり、地球人、というタイトルだ。彼は英国の旗がでかでかとプリントされたコートを身に着け、自信満々にジャケットに収まっていた。売上げはよく知らないけれど、Rolling Stone誌で三つ星半のレビューが付いたのだからきっと評価も高かったのだろう。シングルカットの『Little Wonder』をはじめ、『Dead Man Walking』や『Telling Lies』などカッコいい曲がたくさん入っている。当時まだ三つか四つだった息子が、『Dead Man Walking』をかけるとノリノリで踊り出したことを思い出す。

2012年頃にデビッド・ボウイは引退した。という話がまことしやかに囁かれ、彼と親しいというジャーナリストのインタビューが新聞に載ったりした。そこでは、「彼はもう人前には出ないし、スタジオワークもやらない。そっとしておいて欲しい」というようなことが書かれていて、とても寂しい思いをしたものだ。

ところが、である。
そのほんの二、三ヶ月後に、突然ニュー・アルバムが発表されたんだ。『The Next Day』だね。引退したなんて噂を広めておいて、実はその間もレコーディングをしていたんだよね。しかも、ミュージシャンや音楽関係者ですら、彼がレコーディングをしていることは全く知らなかったという。
すごいな。やっぱり彼はやることが一枚上手だ。そう、しみじみと思った。
そういえば、クラウドファンディングが流行り出した頃、ミュージシャンとして真っ先に取り入れてあっという間に資金を調達したという話もあったっけ(記憶違い?)。

『The Next Day』。これは、なんと名作『Heroes』のジャケット写真をそのまま使って、しかも顔が完全に隠れるように白い四角が描かれ、そこにシンプルなタイトル文字だけが入っているという、過去の自分に挑戦するようなジャケットだった。
この前の数枚は今一つだったけど、このアルバムはDavid Bowieらしい、いいアルバムだった。

これで最後かも知れない、とも思ってしみじみと聴いていたけれど、まさか、また今年出るとは思わなかった。
『Blackstar』
本当に最後の作品、遺作になってしまったけど、さきほどAmazonで買いましたよ!

届くのは明後日くらいかな?
と思って改めて見たら、在庫切れになっている。再プレスがかかるまでお預けになりそう……。

楽しみに、じっくり聴こうと思います。

とりとめもない話になってしまった。書き続ければいくらでも書けそうだけど、ここらでお終いにしなきゃね。

── 合掌 ──

P.S 本当は過去、ボウイの曲をカバーしたものを2曲PVとして作ったことがあってそれを最後につけようかと思っていたんだ。でも、何だか自分のためにカバー曲を載せるのは嫌だな、と思った。
時間がなくて『Blackstar』以外は何のリンクも貼れなかったけど、どうか今夜は、あなたの好きなボウイの曲を聴いてください──。

たまに、考える

純文学=書かねばならない思い。
作家にとって《書かねばならない。書かねば生きられない。書かねば狂ってしまう》そんな思いを原動力にして文章に定着させたものが、純文学なのかな。

 つまり、内側に向いたエネルギー。

 と、ふと思った。

それ以外の文芸=読まれたい思い(?)
もちろん、小説や詩を書くひとは、それをやらないといられないからやっているんだろうと思う。
それでも、《認めてもらいたい。売れたい。これで喰いたい。泣かせたい。笑わせたい。感動を生みたい》そんな思いを原動力にして、自分の考えや、自分の考えに肉付けするための古今東西の先達の言葉を取り入れたりこね繰り回したりしながら形にしたもの。
とか。

 つまり、外側を向いたエネルギーなのかな。

 と、ふと思った。

ふと、思っただけですが、ね。

じゃ、また明晩!

作家の作家ってどうなんだろう?

ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉をご存知だろうか?

一般にはあまり売れていないし知られてもいないのだけれど、音楽家の間では絶大な人気があったり、とても高く評価されたりしていて、インタビューなどでつい、好きだと言ってしまう存在。
でも、そうやって名前が挙がるのに一般のファンにはそれほど受けないという、存在。

これには2種類くらいあって、1つ目は圧倒的にテクニックが優れているケース。
ミュージシャンは高度な技術を身に着けるための苦労を骨身に染みて理解しているから、その努力に対する尊敬もあって惚れるんだろう。
2つ目は、言語化できない魅力を持っているケース。
特にテクニックが凄いわけではない。とりわけ歌が巧いわけでも、後世に残るような詩を書いているわけでもない。
でも、好きにならずにいられない。大売れするようなものじゃないと分かっていても、そのセンスに脱帽し、美しさに溺れずにはいられない。

あまり意識してはいなかったけど、僕は後者のタイプの音楽家になりたかったのかもしれない。技術が伴わないことの言い訳も含めて。

僕が大好きなThe Blue Nileというバンドは典型的なミュージシャンズ・ミュージシャンと言われる(ただし、Wikiにはそう書かれてはいない)。
あれで食べていけてるとは思えないけど、世界的に有名なバンドで、三十年にわたり高く評価されていて、という位置づけは間違いない。


この『The Dowontown Lights』はAnnie Lennoxもカバーしている名曲だ!

僕は、小説を──純文学ではない小説を──書く以上、一般に受け入れられて売れなきゃ意味がないと、ある面で思ってきた(反面、好きに書いてれば、それでいい。というのもあるのだけど)。

インディーズ作家の中で、気に入ってくれる方がいて、読んでくださって感想をくださる方がいて、でもツイッターのフォロワーさんのほとんどは同じクラスタの方で……。
どうもこれでは広がりがない。いかんのじゃないか、という思いもずっとあった。

──で、作家ズ作家。

例えばまあ、インディーズ作家だけでなく、広い意味で作家・創作家予備軍のクラスタから支持されれば、実は強力な味方を得たことになるんじゃないのか、と。
《どうせインディーズ作家の読者はインディーズ作家》などと自虐的に揶揄されるけれど、1万人(?)の創作家予備軍の何割かに支持されるとしたら、それはもう立派なファン層ではないのか、と、ね。
(まあ、何割か、というのはやっぱり無理だとは思うけど)

そういう広げ方も、決して間違いではないのかな、と、ふと思い至ったりした今日この頃。
もちろん、非創作クラスタに広げる努力を怠ってはならない、と自分に言い聞かせつつ。

じゃまた明晩!

さあ、ちょっとした試練が始まった。

『ルルルとリリリ』の毎日連載を週1連載に切り替えたことで、残りの6日間、記事を書く必要が生じたわけだ。

そもそもブログを毎日更新するのは、色んなひとが色んな場所から訪れてくれるのを促すため。それから、様々な記事をどんどん蓄積して、情報の価値を集積するためだ。
そして、電書クラスタ以外のひとにも、自分の存在を知ってもらう、あわよくば、作品に興味を持ってもらう。
────そんな目的があるわけだ。

連載小説は、そういった意味では全然自分のためになっていない。
《毎日更新して、しかも執筆の時間が削られず、連載が終われば電書として出版できる》
最初は、一石三丁の最高の手法だと思い込んでいた。もちろん、そんな幻想は現実によってすぐに砕かれたし、そもそも毎日連載なんて、(よほど好きでなけりゃ)なかなか来てなんか貰えない。という厳しい状況だ。

しかも、ストアに出す時には連載小説のほとんどは消してしまうし、途中から読み始めても面白くないから、蓄積ということにもならない。

────さて、やり直すか。

ちゃんと考えて、訪れてくださったひとが頷けるような内容の記事を書く。記事が残っていった時に、誰でもいい、誰か一人のためでもいい、何か役に立つ、または読んで良かったと思われるようなものを書く。
もう一度、そうやって始めなければならないのだ。
そうやって、ずっと続けて、来年の夏を迎えよう。

────改めて、そう覚悟を決めるのだ。

さてさて、どこまで続くことやら──!

じゃ、また明晩。

みなさん、あけましておめでとうございます。

みなさん、あけましておめでとうございます。
旧年中は本当にお世話になってばかりで、まことにまことにありがとうございました。


と、いうことで、実はいきなり平常運転に戻る積りだった淡波ログですが、やはりセオリー通り(笑)、新年の抱負といいますか、本年の予定を書くことに変更します。
(既に予約公開設定していた本日の記事は、別の日に回して──)

■本年の予定

・1月 6日:『ガラスたちの永遠』発売。既に予約販売開始していますので、ご存知の方も多いかな、と。

・1月16日:『太陽の子孫』(タイトル仮)発売予定。五十枚程度の短編です。これ、ちょっと滞っていて、まだ半分も書けていません。ん〜、どうなるかなあ。タイトルは、書き終わってから再考します。書き終わってからタイトルを考えた方が良い、と、たしか偉い先生が仰ってましたし。
・2月 2日:『別冊群雛』SS大賞(クェイル賞)に応募中。昨年はSFショートショートで3連敗したからなあ、まあ、結果を見てのお楽しみ。ということで。

・『ルルルとリリリ』は恐らく七十話くらいになるのではないかと思われます。まだ、分かりません。三月後半まで続きそうです。かなり未整理で、どんどん先へと進めてしまったため、電書で出す前に全体を見直すことになりそうです。
・『とっても小さいな九つの国』の第三部『やさしい北の魔女とわがままな南の王様』については、『ルルルとリリリ』の連載終了後、一〜二ヶ月ほど休んでから連載開始しようかな、と思っています。こちらは完結編ではなく過去のお話で、ことの発端を描くものになります。童話にしてはちょっと大人っぽい内容で、長さは短めになります。

・例のアレでダメだったショートショートについて、手を入れて今年中に出そうかと思っています。もともと文字数が規定より相当溢れていて、かなり無理やり摘んでしまったものなので、描写不足、説明不足は否めず、そこをきちんと書き直してみようかな、と。

・その後、すっかり暖かくなった頃から、長編を書き始めようかと思っています。これは小説を書き始める前からアイデアを書き留めていたもので、自分がそれを小説化できるとは思っていませんでした。かなりの筆力を求められそうなので、書き始めるのを先延ばしにしていたのです。じゃあ、充分な筆力がついたのかというとそんなことは全然なくて、このままだと書かずじまいになりそうなので……。
(発売はきっと、再来年くらいになるのでしょう)

・以前からもともと予定していた短編が何作かあったのですが、昨年は“急に思いついて書き出した”『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』のシリーズにエネルギーの大半を取られてしまったので、これは夏以降、気力があれば、という感じ。

・『ケプラーズ5213』の脇役の一人、ティプトンという老人を主役にしたスピンオフ企画があり、ちょっとだけ書き始めています。この登場人物に興味を持ってくれた方は誰もいないかもしれませんが──。
こちらは小説の形態ではなく、叙事詩集になります。ちょっとした冒険。


うまくいけば、短編〜中編を六冊ほどリリースできるかどうか、というところでしょうか。

昨年のようなハイペースを続けると、活動量に反比例して脳の回転が鈍り、眼の健康が脅かされることが身にしみました。今後は無理せずマイペースで、コンスタントにいこうかと思います。
休む時は休んで、ね。

本年もまた、どうぞ宜しくお願い申し上げます!

2015年の活動総括をさらっと

えー、20時公開のルルリリ・スペシャルでエナジーを使い果たした淡波です。
さらりと行きましょう。

■2015年の刊行作品一覧!
《新作のみ》

・1月 5日発売 『奇想短編集 そののちの世界2 完全なテロメア』
・1月15日発売 『奇想短編集 そののちの世界3 可愛くてしかたがない!』
・1月25日発売 『奇想短編集 そののちの世界4 フローラ』
・2月 5日発売 『奇想短編集 そののちの世界5 プロテイン・パック』
・2月15日発売 『奇想短編集 そののちの世界6 段ボール箱の中の人形』
・2月25日発売 『奇想短編集 そののちの世界7 サタンと呼ばれた男』
・3月 5日発売 『奇想短編集 そののちの世界8 五感の嘘』
・3月15日発売 『奇想短編集 そののちの世界9 希望の船』
・3月25日発売 『奇想短編集 そののちの世界10 未来からの伝言』
・12月 6日発売 『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』
・12月16日発売 『猫になりたい』
・12月26日発売 『光を纏う女』

新刊を十二冊出したんですねえ。我ながらよくやった!
(まあ、短編が多いので文章量としては『孤独の王』一冊にも満たないんですが、ね!)

12月の三冊はいずれも新着一位(それぞれのジャンルで)獲得しました。スクリーンショット 2015-12-30 19.44.27

スクリーンショット 2015-12-30 19.46.40

光を纏う女新着

お読みくださった、DLしてくださった皆様のおかげです。
いつも、本当にありがとうございます!
《継続する勇気》をもらって、淡波は走り続けますよッ!

《既刊の別バージョン》
・4月25日発売 『孤独の王 第一部: かけら』
・4月25日発売 『孤独の王 第二部: 別離』
・4月25日発売 『孤独の王 第三部: 赤い影』
・6月28日発売 『奇想短編集 そののちの世界』

■2015年にリリースしたビデオ

『奇想短編集 そののちの世界』予告編
『ケプラーズ5213』CGブレイクダウン for ブックトレイラー

あ、これだけですね。少ないですね……。
『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』のPVは結局作り掛けのまま年越しになってしましましたが、まあそのうちに……。

■2015年にリリースした楽曲

『エビネルさんとカニエスさんのテーマ』
『ホーヤレ節』
『リリリ』のテーマ曲
『大蛇の歌』
『黒牙山の戦い』

予定では、サントラは10曲になる予定だったんですが、ねえ……。『ルルルとリリリ』も同じシリーズなので、今後も継続、ということで!

■その他

・多店舗展開としては、昨年末参加した楽天さんに加えて、BWインディーズにやっと参加しました。ちょうど、一年経ってましたね。来年はもっと頑張って販路を開拓しなきゃ!
・8月には群雛に初参加。来年もやりますよ!
・G+に参加。
・インディーズ作家さんに初めてお会いしました:楠樹暖さん、E-fon veeさんのお二人。
・いくつか、賞に応募しました。マイナーなものばかりです。ショートショートの賞で二本落ちた他はまだ結果が出ていませんが……。


ショートショートでもワンアイデア&最低限の表現だけで突っ走ると、まだまだ自分の実力では面白くできないということがよく分かりました。
(「面白そう、だけど」という評価を戴いたのは、そういうことなのだなあ)

まあ、こんな感じですね。

それから──
・10,000ツイート突破!
 (ほぼ、この一年間で、ですから、ちょっとつぶやき過ぎですね──)
・これまでの表紙イラストはほぼCGばかりでしたが、後半は久々の手描きもやってみました。CGを作るようなストレスはないし、「レンダ待ち」もないし、来年は手描き中心で行こうかなあと考えているところです。まあ、分かりませんが、ね。

■DL数の伸びを簡単に比較(有料・無料込み)

2013年:二桁DL(全く無宣伝、SNSも開始前……)
2014年:前年比840%の伸び
2015年:前年比340%の伸び
(楽天さんは400DL弱。BWインディーズは初日のみで13DLという滑り出し! まだ無料本だけですが、ね)

■まとめ

書きたいことがどんどん増えて、「さらりと」ではなくなってしまいましたね……。

今年はかなり頑張ったんじゃあないかと、自分では思ってます。収入としてはまだまだまだまだこれからですが。
年始早々も刊行ラッシュは続きますし。来年もぶっ飛ばして行こうか、と思いましたが、ちょっとお疲れ気味。
来年は無理せずマイペースで行こうかなあ──。
やはり、短編をどんどん出したり連載小説を書いたりしていると、長編を書く時間が全然取れませんね……。これからはもう少しペース配分を考えて、長編もしっかり書くようにしたいなあと思います。
(嗚呼、まとまらないまとめ!)

では、来年も宜しくお願いします!

究極の(?)乾布摩擦とは。

ひと月ほど前だっただろうか、ツイッターのTLで話題になっていたことがある。でも今年は暖冬だから、まだ例年のアレを始めていなかった。だから今ひとつ話題に入れなくて、ね。
そう、実を言うとこの僕、もう20年近くずっと行っているヘビー乾布摩擦ァーなのだ。

きっかけは、妻のお父様。乾布摩擦をすると風邪ひかないんだよね、という何気ない言葉だった。
多分、その時すぐには始めなかったと思う。なんかね、本気にしてなかったっていうのもあるし、そういうことを鵜呑みにするのもどうかな、なんて思っちゃったわけで。

当時、僕はだいたい毎年一回は風邪をひいていた。子供の頃に喘息があって、今でも気管が丈夫でない僕は、一旦風邪をひくととても長引いてしまうし、何しろ喘息性の咳が苦しくて、夜も眠れなくなってしまう。
あれは本当に辛いものだ。

NHKの健康番組でもやってたよ、という妻の話を根拠に、次の年あたりから僕も始めたんだ。
最初は木綿のタオルで、よくあるイメージのやり方。つまり、上半身裸になって、背中を中心に斜め左右に擦る。ってヤツ。
それを5分くらいかな、タオルをお腹側に回したり、脇の下に当てたりしながら。
で、これが結構暖まるんだよね。一説によると、皮膚の表面温度が3度くらい上がって、その効果は数時間持続するとか。

身体は確かに暖まるんだけど、それと同時に皮膚がヒリヒリするようになった。もともとあまりお肌が丈夫でない僕は、背中を赤くしながら続けていた。

タオルも古くなってくるとだんだんゴワゴワしてくるし、余計皮膚が痛くなる(柔らかくするために加工された細かい毛の繊維が抜けてきて、ザ・木綿って感じになっちゃうよね)。

ある時、脱ぎ捨てたパジャマで擦ってみた。これが案外良いのだった。
(あ、ここ、想像しないとこでっせ)

そんなことを何年か続けていたら、ふと気がついたんだ。
あれ? 今年、風邪ひいてないぞ。しかも、去年もひかなかったんじゃない? って。

そうなんだ、乾布摩擦って効果あるんだぁ、と嬉しくなった。

でも真冬になってくると、布団から出てパジャマを脱いで、というのが億劫になる。だって寒いじゃん。

そこで僕は考えた。
体温を保つためなら、冷える前にやりゃあ良いじゃん。と。

布団の中でパジャマを脱ぎ、そのまま寝転がって乾布摩擦。
変な人。
でも、効果はちゃんとある。

それから数年、ついに編み出した究極の乾布摩擦はこうだ。

何も使わない。手でやる乾布摩擦。

これ、肌に一番優しいし、手も暖まる。
脇の下と二の腕が一番効くらしいと聞いて、その辺りを中心に。時間は1分足らずだ。こんなに簡単な健康法、他にないでしょ?

今では、本当に全然風邪をひかない。前回がいつだったか、全く思い出せないくらい。医者にはかかってないし、薬を飲んだ覚えもない。風邪で会社を休んだのなんて、もう覚えていないくらい昔だ。

最後に一つご注意を。
これは僕の勝手な健康法で、勝手な解釈。風邪をひかなくなった要因は、他にもあるかもしれない。
────バカになったとか?

ただ、歳は取るし、仕事はキツイし食事も不規則。運動はしないし、健康に悪いことばっかりしてるのに、風邪をひかない。というのは事実としてあるわけで。

まあ、そんなことで、真似して効果がなくても責任は取れないので、そこんとこよろしくです。

ではまた明晩!

300本記念特別記事/ついに《Mars Bar》到着!

せっかくの300本記念なのに、今夜はこんな話!
(いや、さっき初めて気がついたんだ。そのまま通り過ぎるのも忍びないので、一応、300回記念ということにしてみただけなわけで……)

思い起こせばもう、出会いは30年近く前だ。ワーキング・ホリデーでオーストラリアに住んでいた頃の僕は、チョコバーの虜だった。

Mars Bar、Snickers、Bounty、Picnicなどなど、当時オーストラリアではチョコバーがとてもとてもポピュラーなお菓子だったのだ(かなり盛んにTVコマーシャルも流れていたし)。
今ではすっかりどこにでも売っているSnickersだけど、当時は日本になかった。こういった外国製のチョコバーで手に入るものといえば、Milkywayだけだったんだよね。あれも悪くはないけど、あのふわっとした軽さがちょいと物足りない。

で、Mars Barだ。
知ってる人は知っている、世界的なチョコバーメジャーだ。キング・オブ・チョコバーと言ってもいい。スニッカーズのニセモンなんて言ってたあなた、認識が甘いっすよ。
嘘だと思ったら、試しに「mars bar」でググってみて! 結果を画像にすると、凄いことになるから……。
(ちなみにWikiで調べると、Mars Barは1932年、Frank C.Mars氏が、彼の父親が作っていたMilkeywayを参考にして生み出したそうだ。Snickersは1930年生まれだって。Wikiでチョコバーの歴史を読んでみると面白いな。互いに似通っていて、国によってちょっとずつ違っていて、違う商品同士なのに似た味だったり、同じ商品なのに全然違ったり、それで名前を変えたり……)

キャラメルとソフトチョコヌガーの奏でる濃厚なハーモニーが、しつこ過ぎず、重過ぎず、絶妙なバランスで、食する者の舌を至福のひとときへと誘う。
(って、グルメ記事かよw)

近所のやまや(注:明太子じゃないよ、輸入食品を扱っている酒屋チェーン。念のため)で、以前は時折入荷していたから、見つけるたびに喜び勇んで買っていた。それがここ数年、全く置かなくなってしまったんだな。
もう、食べたくて食べたくてさ、ネットでも結構探してみたけど、なにせ個人輸入系は送料が半端ない。で、諦めてたんだけど、ついこの間、ダメ元で再度Amazonで検索してみた。

そしたら、あったんだ。しかも、英国直送なのに送料無料で!
Amazonさんさ、前に散々サーチしてたんだからさぁ、取り扱うようになってたんならリコメンドしてくれよ、なんて心の声が呟いてたりして。普段はリコメンド大嫌いなくせにね。

もちろん、即ポチ。英国から直送だから、配送には2週間ほどかかるとのこと。もうワクワクしながら待ってた。たかがチョコバーにね〜。

到着。なんと、チョコキャラメルウエハースバーがおまけで付いてる。クリスマス・プレゼントってことらしいけど。粋な計らいにしばし感涙。

袋売り専用のちょっぴり小さいバー。ボリューム感がちょうどいい。
袋売り専用のちょっぴり小さいバー。ボリューム感がちょうどいい。

さて、開封してかぶりつく。

──しばし沈黙──

xxんまいっ!
んまい、んまい、んまいぃい!

ってことで、写真撮る暇もなかった。

で、こんな写真をどうぞ。
(パッケージのアップだけど)

ほら、見ただけで涎出るでしょ?
ほら、見ただけで涎出るでしょ?

更に、グッドなポイントを発見。

原材料にはフェアトレードのココアを使ってるし、人工着色料も香料も保存料も未使用で、ベジタリアンにもお奨めだって──
原材料にはフェアトレードのココアを使ってるし、人工着色料も香料も保存料も未使用で、ベジタリアンにもお奨めだって──

願わくばAmazonさん、どうか、Picnicも扱って下さいッ!
三大チョコバー(淡波選)の中で、一番好きだったのは、実はPicnicだったんだよー。誰も知らないだろうけどさ。

ああ、食べたい。
(ま、今食べると美味しくなかったりするかもしれないけどな……)
→と思って検索したら、扱ってた。でも、これCadburyだったんだなぁ。そうか、うーん。ちょっと考える。
Cadburyって、基本のチョコの味が今一つなんだよな。きっと、今食べたら夢が壊れるだけだな。でも、写真見ると美味そうだな。
ピーナッツとレーズンがなぁ……ハーモニーがなぁ……。
んー。Mars Bar買ったばっかりだし、今は我慢するよ。

と、まあ相変わらずな僕です。

じゃ、また!

これからも宜しくお願いします!!