どうもです。
では、今晩はエンデの名言からスタート。
(エンデばっかりだって? だって本当にいい言葉がたくさんあるんだもの!)
1.
精神的なものはすべて人間が作り出さなければ、創造的に作り出さなければ存在しません。ですが、存在するようになれば、それは実在するものとなるのです。それは、生成する理念と言えましょう。真実もまた、生成する理念であり、「存在するもの」ではありません。 『エンデの文明砂漠』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月5日
ね。
2.
デザイナー堀畑裕之さんの記事。
先日98歳で亡くなった日本ファッション界のゴッドマザー、小池千枝先生の忘れられない授業について。マチスの絵を見せて、「この絵を服にします」とチョキチョキ布を切って立体裁断。
(朝日新聞より) pic.twitter.com/Tn0n0JsXow— 淡波亮作@今晩完結ルルルとリリリ! (@RyoAwa) 2015年2月5日
うーん。創作のヒントや創造のタネは、どこにでもあるのだ。
それを感じ取れる心さえあれば。
3.
自分が美しいと思うどんなものからでもデザインしていいのだと彼女は教えてくれた。(!!)
(デザイナー堀畑裕之さん)— 淡波亮作@今晩完結ルルルとリリリ! (@RyoAwa) 2015年2月5日
自分が美しいと思うどんなものからでも物語を紡いでいいのだと、このツイートは教えてくれた(!!)
ってね。
4,
医学にとどまらず、すべてにおいて、現代では何でも、いますぐ、直接に効く対症療法を考える。しかし、その即効性というのが何を代償にしているのかということを考えない。もう、なんというか、あきれるほどお人好しなやり方です。 『三つの鏡』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月5日
エンデ、続きます。
5.
そんなに簡単に現実世界の問題から逃げてしまってはいけません。人間は知らないうちにやっぱり何か悪いことをします。それは人間生活の一部なんですから。悪事を自覚しつつ、悪事とともに生きなければなりません。 『三つの鏡』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月5日
6.
批判するつもりではありませんが、私は日本のファンタジー作家と呼ばれている人たちと、何人か知り合いました。その印象で言うと、ファンタジーというにはちょっと軽率で、ただの作り物、愉快な遊びにすぎないような事柄をファンタジーと言ってしまっている。 『三つの鏡』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月5日
「痛いっ!」と思った時のことを、忘れないようにしなきゃ。
7.
最近、「Notificationを切れ!」の意味が飲み込めた。
創作に没入すべき時は大事な友達からの通知も雑音でしかない。— 淡波亮作@今晩完結ルルルとリリリ! (@RyoAwa) 2015年2月5日
うん。
8.
次の短編の表紙のために作っている人形。初めてのリトポ!
SculptrisでモデリングしてBlenderでリトポというのを初めてちゃんとやってみました。せっかくなのでちょっと動かしてみたりして。#b3d pic.twitter.com/owUPWZMZ7G— 淡波亮作@今晩完結ルルルとリリリ! (@RyoAwa) 2015年2月6日
あ、済みません、意味はないです。
GIFを再生させると、ぎょろっと見られて怖いでしょ?
9.
私の考えでは、ファンタジーというものは現実から逃げるための手段ではなく、現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。 『身体の想像力』所収「ファンタジーと演劇的想像力」
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月6日
「現実に到達するためのほとんど唯一の手段」!
現実に到達するために、現実ではない世界を構築するのだ。
10.
「つくることができる」という考え方が、そうやって頭の中に叩き込まれてしまうと、僕らとしては、どんなものでも科学的に「つくる」ことができ、「つくら」なくてはならないと、信じて疑わなくなる。社会も、計画都市も、人間の行動様式も、みんなの幸福とか世界平和だって、そう考えられてしまう。
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2015年2月6日
今回は《エンデ名言スペシャル》みたいになっちゃいましたね〜。
それにしても沁みる言葉をたくさん残してくださいました。
エンデの作品を好きになっていて良かったなあと、しみじみ思います。
そんな風に思ってもらえる作家になりたいもの、です。
じゃ、また明晩っ!