残しておきたいというか、振り返って気になったもの、という感じか……。
今夜は、「なかなかいいこと言うじゃん、自分」
って感じのやつからスタート。
1.
時間がもったいないと思いつつ、猫と遊んで30分。いつの間にか笑顔になっている自分に気付く。
眉をしかめて眉間に皺を寄せるばかりじゃだめ。
こんな時間も大切だよな。— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月28日
でもないか……。
2.
音楽:音を楽しむ
文学:文を学ぶ
文楽:んー。— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月29日
文学:文を学ぶ
美術:美のすべ
文術:んー、なんか悪そう。— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月29日
ちょっとした思考実験。
音楽が音を楽しむものなら、文学も文を楽しむものでありたい。と思って文楽にしたら、「ぶんらく」になっちゃう。じゃ、美術と比べてみようと。
美のすべ(を追求する)のが美術なら、文のすべを追求するのは文術か? 何だか忍者みたいだな。しかも、悪者っぽいな、と、思った次第。
文学ってのは、やっぱりちょっと小難しいものなんかな?
ちなみに、新潟文楽工房ヤマダマコトさんのことは、当初(Twitterでフォローする前は)ずっと日本伝統文化関連の方だと思い込んでました。今ではお笑いネタのようですが。
3.
トールキンでファンタジーが成立したようなところもあるから「ファンタジーが逃避文学として批判された」という表現にはちょっとひっかかる。マクドナルドとか? ファンタジーがジャンル化したのっていつだっけ。日本でいわれる「ファンタジー」は英米ではファンタスティックリテラチャーの一部だし。
— 西崎憲 (@ken_nishizaki) 2015年1月28日
4.
『世界大百科事典』の「ファンタジーは一般に<逃避の文学>と批判されてきたが〜」の「一般に」は誰を指すのだろう。フランスの「逃避文学」については知らなかったけれど、いま言われている〈ファンタジー〉の発祥地はイギリスではないか。批判もイギリスで行われたのか。
— 西崎憲 (@ken_nishizaki) 2015年1月28日
「ファンタスティックリテラチャー」っていう言葉、素敵だと思いません?
ファンタジー文学ってほんと、ちょっと昔までは英国のものばっかりだったと思う。僕の好きなものも英国のものが多い。
5.
僕が学生の頃、ファンタジーは変わり者が読むものだった。僕は一人大学の図書館でマクドナルドやブラックウッドを読み耽り、その美しさに震えていたのだ。
周りの人は誰もトールキンだって知らなかった。やがて、はてしない物語が映画になって、何かが変わり始めたような気がする。気がする程度です。— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月29日
で、僕はこんなことを考えていたわけだな。
6.
@kotowa_ri 確かトールキンも、ファンタジーは現実を観る力を養う、と書いていたと思います。カエルとヒトは違う、という認識がなければ、「カエルの王様」という素晴らしいファンタジーは生まれ得ない、と。
— 飯島明子 (@a_iijimaa1) 2015年1月28日
7.
孤独の王には魔法使いのおじいさんが出てきます。でも、彼はほとんど何もできないんです。病を癒して祈ることくらい。ダンブルドアやガンダルフのイメージがダブるんだけど、スーパー老人ではなくて。長く生きてるし、物語の主人公の一人ですけどね。 pic.twitter.com/bDfmSrQmN8
— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月30日
いい話の後には、こういう自分ネタを挟みたくなる。よね?
8.
これは『孤独の王』に出てくる悪い王様。そう、孤独の王の一人です。
精いっぱい悪役に描こうとしましたけど、あまり悪い人に思えないよ、と言われます。
さて、どっちでしょう。読んでみてね。http://t.co/PuO80NuJ7t pic.twitter.com/B2xeogcQ5n— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月30日
ね?
(『孤独の王』はセール中だしさぁ……)
9.
『孤独の王』は実話仕立て。
作者は作者でなく<発掘された石板に描かれた物語を翻訳した学者>という前提、こんな訳注がたくさん入っています。
学術書みたいでしょ。
でも読み難くはないですよ。http://t.co/PuO80NuJ7t pic.twitter.com/IPy2gX5DZD— 淡波亮作@ルルルとリリリ好調連載中! (@RyoAwa) 2015年1月30日
こういうのを読んで、本編を読みたくなる人と、「いいや、こんなのなら」と思う人と、いるよなあ。
誰にでも面白いと思える小説なんてのは、幻想なわけで。
10.
紙媒体の原稿よりネット媒体の原稿のほうが実は手間と注意が要る。というのは校閲が入らずそのまま出てしまうことが多いから。その場合、誤字脱字レベルから事実レベルまで確認を自分一人でやらなくちゃいけなくて、完全な完パケにまで仕上げてから送る必要があるんだよね。
— 栗原裕一郎 (@y_kurihara) 2015年1月30日
最後はこういうためになるツイートで締めましょう。
すぐに修正できるのが電子書籍のいいところではあるけど、修正する前に入手してしまった読者に対するケアがすこぶる難しかったりもするわけで、やはり出版前にきちんとしておくことが大前提だよね。
じゃ、また明晩!