今週の一枚─003

さて、今週も、写真じゃなくて画像。しかもまた、自作の表紙の話でまことに恐縮でございまする……。

今日のテーマは、
《1枚で3度おいしい、表紙の使い方》

念のため、注意事項です。
新作『太陽の子孫』の盛大ネタバレ解説ですから!

では早速、画像を貼りましょうか。
最終版のものと、最初に作ったものの2枚です。

これは、最終版の表紙
これは、最終版の表紙。先週ここにアップしたものとも違ってたりしますね

こちらが、アルファ版の未公開表紙
こちらが、アルファ版の未公開表紙

最初に描いたイラストは、アルファ版を見ての通り、結構引きの絵でした。
(あれ? 今日はですます体だ。久し振り)

ついでにもう1枚。オリジナルのイラストをスキャンしただけのもの。
(顔がちょっと違うのはご愛嬌。人物の年齢を下げるために、レタッチ調整してます)

これがオリジナルの水彩イラスト。色も地味ですね。
これがオリジナルの水彩イラスト。色も地味ですね。

これ、物語のあるシーンを描いたものなんですが、女の子に翼があったり、木々の上には謎の格子状の構造があったりで、表紙にするとネタバレが心配になってきたんですよね。
で、最終的には女の子(あ、名前はつばめちゃんですよ)のバックグラウンドが分からないよう、アップにしたのです。

でも、せっかく描いたのにもったいないですよね。とスケベ心も働いて、考えました。
じゃあ、バレてもいいタイミングで部分的に使おう。つまり、トリミングして挿し絵にしちゃおう、って。

Ceiling

この天井の秘密が明らかになる部分で、この絵を挿し絵に。

Tsubame

つばめちゃんの翼の秘密が明らかになった段落の後に、この絵を。
という具合。

いろんな要素を盛り込んだ引きの絵を描いておくと、後でトリミングして挿し絵にできちゃうでしょ。
っていうお話でした。
(あ、つまんないか)

『太陽の子孫』には、この他にも描き下ろしのイラストを入れました。
どんな絵なのかは、読んでのお楽しみですよ。
ぜひ、宜しくお願いしますね〜!
(最後は宣伝か──ドドマ!)

詩(これは散文だな)/思い込みでいい


詩を書いているとき

自分が、
詩人になったような気がする
ことが、

たまあに、
ある

小説なんかを書いているとき

もう、
自分がいっぱしの小説家先生に
なったような気がする
ことが、

ときどき、
ある

とっきどき、
だよ

でも
書き終わったとき
そんな気持ちは
どこか見えないところに

ぜーんぶ
逃げていってしまうよ

たまに、
絵を描いているときは

ただ、
無心に描いている

絵描きになったような気は
したことがない

歌なんか歌ってるときは、
ただ、
一生懸命、
上手に歌わなくっちゃと、
何かに追われている

でも、
楽しまなくっちゃね、
好きなんだからって、
自分に言い聞かせてみたり

冷静に、
ここをこうやって直さなきゃって、
思ったりする

それでも、
好きで好きでしかたがなくて、
下手くそで泣きそうになっても、
やめることだけはできない

それでも、
いいよね?

怖いものを知ってると
自分の姿がよく見えてしまうんだ

見えないほうが
知らないほうが
らくちんなことだって多い

周りが見えないだけで、
そう思うだけで、

それでもいいと
思うことがあっても

それではだめだと
思うことがあっても

ときには

それでもいいと
思うことにしよう

──ね?


淡波ログに掲載した作品を中心に書き下ろし作品を加えた初の詩集『猫になりたい』。

乾いた心にするりと忍び込む、読みやすい詩編を多数収録しています。

ちょっと、離れるかも──

済まぬ、KDPeople。
──と始まる今日の記事。

水曜日は読書について語る日、と今年は決めてるんだけど、いきなりの宣言になってしまった。
KDP読書はしばらく休むかもしれない。

理由その1。
《愛読書のナショジオが、とうとう一年分以上溜まってしまった》
長いこと定期購読をしていて、いろんなアイデアの源泉にもなっている僕の相棒。ところが、もうずっと読まずに積ん読状態になっている。文字があまり大きくないので、電車でしか読む時間を作れない僕にとって、文字を拡大できない紙の雑誌は辛いものがあるんだよなあ。疲れている時は無理、とすぐ諦めてしまうので。
ということで、新刊ラッシュもようやく終わったし、ちょっとゆっくりナショジオを読もう!
と思ったわけ。

理由その2。
KDP(やインディーズ作家の本)には、本当に面白い小説がいっぱいある。エンタメ、推理、SF、ロマンス、味わい深い文学作品、ショートショート……なんでもある。
でも、それは自分の書いているものと、大きなレベルの差はないものが多い。
「これ、死んでも書けないよ!」とさじを投げたくなるような超名作は、そうそうお目にかかれるものではない。
(ないとは言わないけど)
一方、古今東西の名作に目を向ければ、もう、それこそ逆立ちしても全く太刀打ちできないレベルのものばかりだ。
もっともっと上を見なくてどうする? という思いが、特に最近強いんだ。
同じ面白い本を読むなら、やっぱり自分より百倍もいいもの、千倍も上手いものを、もっともっと読まないと、進歩できない気が、最近している。

新刊ラッシュみたいなことをやって、大量の文章を間断なく書いていると、自分の書いている文章に飽きたような感覚に囚われることがある。
──同じ言葉ばかりを使ってないか?
──新鮮な表現が足りないんじゃないか?
──手癖で書いてないか?
──と。

だからね、自分が足下にも全く及ばない作品を読む時間を、もっともっと取りたいんだ。

もちろん、読みたくてうずうずしてるインディーズ作家さんたちの本もKindleに溜まってるから、必ず読むけどね!

じゃ、また明晩!

僕を作ってきたものたち─001

また、新シリーズ。
年の初めにDavid Bowieが亡くなってから、ずっとBowieの曲ばかり聴いていた。

それで、いろいろとBowieが僕にくれたものや影響を受けたことを考えていた。

その昔『オディティ デビッド・ボウイ詩集』を買った時、初めてじっくり彼の書いた詩を読んで、打ちのめされた。
もう、《歌詞》なんてもんじゃない。
《詩》だ。そりゃそうだよね、『詩集』だもん。
彼の詩はよく哲学的、と言われる。んー、哲学的、カッコいい。若い若い頃の僕は、そんな歌詞を(しかも英語で!)書きたくて、七転八倒したものだった。
1984年の発売だから、32年も前の本だ。
(わ、10代だわ!)
そうか、その頃は、詩の雑誌『鳩よ!』も買ってたなあ──。

『オディティ』の中でも、題名を聞いただけでその詩的な響きにやられてしまう名曲『フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年』(確か詩集では、「〜野生の瞳をした少年」だったんじゃないかなと思うけど、今、本が手元にないので分からない……)のPVを、ここに貼っておこうかな。
ラジオでエアチェック(死語すぎる!)して、いつも聴いていた曲。
(歌詞をコピペするのはいろいろと問題があるようだし──だからといってYoutubeのリンクならいいのか、な? まあ、みんなやってるけど……)

実際のところ、歌詞の内容を何も覚えてはいないんだけど、何というかもう、景色が見えてくるでしょ?
ね。

Bowieに影響を受けた曲を、きっといっぱい作っていたと思う。
彼の詩は、自分以外、人間以外の何か別物になりきってストーリーを語るようなスタイルも多かった。ひょっとして、僕のSF観も、Bowieの影響を受けているのかもしれないな……。

そんな、第一回でした。
(続くの?)

じゃ、また!

残しておきたいツイート─003

先週、Twitterの設定画面から過去の全ツイートをまとめてダウンロード出来ることが分かったので、しばらくの間、本当に古いやつを収集してみようと思います。
2014年の6月に登録してから、なんと最初の3ヶ月間は0ツイート。もちろん、フォロワーさんもゼロで、登録してはみたけれど、何をどうしたら良いのか全く分からない状態だった。
とりあえず好きなアーティストなどをフォローしたんだけれど、そもそも@ツイートが何だか解らない。だからツイートの内容を読んでも、誰に何を言ってるのかが解らないし、この@マークがいっぱい並んでるのは何なんだ? みたいな、もう原始人だった。
もともとSNSを敵視してたからなあ。自分で始めようと思っても、どうにもならなかった。

それでも少しずつ悩みながら考えながら、とにかく情報を発信しよう、と9月からつぶやくようになった。でも、1日1ツイートも出来なかったなあ。まあ、独り言だからね……。

はい。では、そろそろ本題に。
最初の残しておきたいツイートはこれ。

この、新聞記事を写真で撮ってその感想を呟くのは、その後、僕の一つのスタイルになっていくんだなあ。

これは、何も書いていないけどアレですね。Seanwes PodcastでSeanくんが言ってたことだ。

これは、自分の考えだな。

ふむ。

でしょ。

Nymphomaniacという映画の予告編映像を見て思いついたダジャレだ。

あ、これは大事。去年も寄付したよ!

そうそう、淡波ログへのアクセスも、始めたばかりのこの頃は一日3〜4人だった。初心忘るるべからず。

休むべきときは休む。という教訓かな。

例えば英文を書く場合、同じことをいうために同じ単語や言い回しを使っていると、「こいつ頭悪い」と思われがちらしい。一つのことを多様に表現できるのが、いい文章の条件の一つだって。
日本語で小説を書いていると、そういうやり方をした時に言われてしまう言葉があるよね。
《表記の揺れ》
これはね、難しいなあ。考え方として。
読者さんにとって、それが迷子になるような使い方でさえなければ、僕は表現を揺らしたい、本当は。

ずっと悩みつつ、修練していこうと、思う。

じゃ、また明晩!

いやあ、もう、ホントに懲りた!

去年に引き続き、今年も、というか年末からやりました。新刊ラッシュ。
去年は10冊連続だったけど、今年は5冊でちょっと控えめ。
ただ、文字数で言えば変わらなかったんだよなあ。一冊あたりが長くなったので。

正直、辛かった。かなり。
最初の2冊は順調だったけど。3冊目の『光を纏う女』の後半に入れた『瞳』から、ちょっとペースが狂ってきた。これは11月頃に書いたショートショートを短編として書き直したものなんだけど、思いのほか構成が難しくて、組立てに時間が掛かってしまった。
ちょっとビハインド気味だったけど、表紙を手抜きにすることで時間を浮かせて切り抜けた感じかな。
4冊目の『ガラスたちの永遠』。これも概ね順調に書けてたんだけど、年末に執筆時間がほとんど取れなかったことで、もう、ぎりぎり間に合った感じになった。表紙もアイデア一発でぱっと書いた手描きのイラストそのまま。あー恥ずかしい。
『ルルルとリリリ』の連載執筆も並行で進めてるしなあ。

で、昨日ぎりぎりのタイミングで出版した『太陽の子孫』が何しろ半端なく大変だった。もともと、100枚弱の中編を想定したストーリーだったんだけど、最初に書き終わったときに110枚。思ってたよりボリューミーだった。
それでもかなりジェットコースター的な展開で書いて、もう、肉付けなし、突っ走るだけ突っ走って、ガーッと読ませてズドンと終わるような感じにしてたんだよね。もう、余計な枝葉も一切なし。
(ど、どんな感じだよ、それ?)

書き終わって、いつものごとく妻に最初に読んで貰ったら……、もう、散々の評価。
まあ、アイデアとストーリーはいいけど、何しろ薄っぺら!
何しろ薄っぺら!
って。

エンタメに対して文学を求められてもなあ、という感覚もあるし、妻の好みは分かってるんだけどねえ。
やっぱりちょっと堪えた。ちょっと。
確かに最初のバージョンは、人間とか、心が全然書けていない。
いくらノンストップ・アクション的な物語でも、やっぱり薄っぺらいと言われるのは痛い。痛いッ!

で、いったん先週末にmobiファイルまで作ったんだけど、もう一度肉付けをやり直して、描くべきところを描いていったんだな。これ、平日にやるのは辛かった。いったん終わらせているから、読み直すと「ここを書き込めばもっと話に膨らみと深みが出るよな」ということが結構あからさまに分かってくる。
それで、書けば書くほど別の部分の書き足らなさが気になって、目に付いて、ね。

平日のほとんどは会社の行き帰りに電車でiPad執筆するしかないので、とにかく思いついた断片をどんどんテキストファイルに落としていって、気がつくとdropboxの中は書きかけのファイルでいっぱいに。
これを夜中にhagoromoに移しながら整えて……。を繰り返している間に、もう週末。土曜日はいろいろと忙しくて、落ち着いて書き始めたのが夕方近くになってからで。
うーん、自分としてはかなり良くなったと思っているんだけど、どうなんだろう。
長くした分、「説明的だ」「冗長だ」「無駄な要素が多い」「ストーリーに関係ない不要な描写が」etc, etc…
と思われてしまう懸念も、あると言えばあるんだよなあ。

それにしても、いやあ、本当によく間に合ったなあ(間に合ってない!)。
と、いうことで、現段階ではめでたしめでたし、ということにさせておいてねッ!

結局、出版後にもいくつか内容を見直して、今日、第二版(とは明記しなかったけど)をAmazonさんに提出したんだ。

とにかくね、こんなほとんど自虐みたいな締切り設定はもう止めよう。とつくづく思った、今回の新刊ラッシュ、だった。
次作までは、ちょっと開くかも──。

これでようやく、『ルルルとリリリ』の執筆に戻れる──来週以降の連載がやばいのだ!

あー、ごめんなさい。
こんなロクでもない言い訳を読んで貰っちゃって……。

じゃあ、また明晩!

『ルルルとリリリ』第三十六〜三十九話!

こんばんは!
今週も、何とか間に合いましたよー!
(あなたをがっかりさせるようなことにならなくて、胸を撫で下ろしてます!)

今夜も、四話分ですよ。

ルルルとトオムさんが、魚について話をしていますね。
そしてそして、久し振りにある登場人物が出てきますよー。今回は、どんな役回りなのでしょうね?
きっと、意外なお話になりますよ!

では、どうぞお楽しみくださいねっ〜!

『ルルルとリリリ』第三十六〜三十九話
『ルルルとリリリ』第三十六〜三十九話

いかがでしたか?

では、また来週。1月23日をどうぞお楽しみに!

ええ、BiB/iの表示に不具合のある方用のPDFは、こちらですよ!
[第三十六〜三十九話]


『ルルルとリリリ』は、昨年12月6日に発売された『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の五年後のお話です。
もしも、未読のかたは──、
Amazonさんで好評発売中ですのでぜひこちらへ↓どうぞ!



初の連載小説にしてほんわかしたお伽噺『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』。
大変好評を戴いた物語はそのままに、新たに描き下ろしの挿し絵を加えた電子書籍版です。
《第一話から第七話までを収録したお試し読み版が、こちらの作品ページにございます。》

風に叫ぶ

背を凹ませ
肩に食い込む荷物は、
思いのほか
俺という存在を意識させる

手がかりなき
崖をよじ登るいま

額に降りかかる小石に
眼を開けることも叶わず

爪は割れ
半月に血がにじむ

こうべを垂れて見下ろせば
闇は、
限りなく広がっている

冷たい霧が
足下から押し寄せる

早く行けと、
俺を急かすのだ

ようやく辿り着いた場所は、
ほんのひと息つくことさえ許さない

内も外も闇に満たされ、
眼が開いているのかさえ
もう
分からないのだ

だが、
俺を拒むガラスの壁が
どこまでも続く絶壁の
冷たい光が

俺に告げる

お前は
眼を開けているが
何も
見てはいないのだと

俺は、
またしても登ることを拒まれ

ただ、
この開いているかどうかも判らない眼で
ガラスの壁を見つめる

壁は、
醜く痩せこけて
哀れに口角を下げる
己の姿を映すのみだ

遥か、
頭上を仰ぎ見る俺の閉じた眼は
青白い光に激しく痛む

俺が属してはいない何かが、
そこにある

決して
属することのできない何かが、
そこにはある

そこで誰かが
俺をあざ笑っているのだろう

横殴りに吹き付ける冷風が
俺のちっぽけな意識を奪おうと
ちっぽけな正気すら
奪おうとするのだ

固く閉じたまぶたに挟まれた
憐れな溝に
砂混じりの涙が滲む

それでも俺は
叫び続けるのだ

それでも俺は
登り続けるのだ
ほんの1センチすら進んでいないのに

忘れられない痛みを
忘れようともがきながら

俺は
叫び続けるのだ

この凍てつく風の中で

今週の一枚─002

今週は、新作『太陽の子孫』の表紙を初公開。
実はまだ仮タイトルなんだけど、どうもこのまま行きそうな予感。
時間の問題もあり、今回の手描きになりました。
でも、手描きは本当に修練の不足がそのまま出てしまうよね(不足というか、全くしていないw)。

どうやっても一昔二昔前の少女漫画の出来損ないのようになってしまう──
どうやっても一昔二昔前の少女漫画の出来損ないのようになってしまう──

月狂四郎さんのブログにもあったし、BWインディーズで周囲を見ても、女の子がいる表紙ばっかりだ。まあ、だからというわけでもないんだけど、今回は女の子にチャレンジ。

でもまあ、この絵じゃあ、ジャケ買いは望めないなあ。
妻に言われちゃったんだよ、
「小説を読み終わった小学生が描いたみたい」って。
そりゃあひどいだろ、とも思うけど、現実は厳しい。まあ、余裕があればまた描き直したいとも思いつつ、描き直しても同じじゃないの? とも思ったりする。

手描きの良さもあるよね。
パース感とか、実は、狂ってるくらいの方が僕は好き。なんていうのかな、がちがちに全てが整っていると、広がりを感じないよね。一見ヘタクソそうに見える絵本の絵とか、小さい子供用の本の挿し絵とかね、整っていないことがとてもいい味になる。
完璧なパースを出そうと思えば下絵を3DCGにしちゃえば簡単だし、でもそうはしたくなかったんだ。
あ、もちろん、この絵はダメよ。味がないし、ぎすぎすしている。線がきれいじゃないしね、バランスも悪い。
じゃあ、何でそんなのを販売用の本の表紙にするの? って、それは訊かない百年の約束。

うーん、本当はもう少し骨太っぽいSF調の表紙にしても良かったんだけど、お話にはもちろん美少女が出てくるし、柔らかめの話だし、この場所の絵を描きたかったんだよね。
(あ、全然美少女に見えないって? いいの。心の目で見て!)

そして、この表紙絵にはちょっとした秘密があります。
お話を読み進めると、あれ? っと思って見返して、おお〜っと思うような感じにした積り。

もちろん、発売時には無料キャンペーンをやりますので、お楽しみに!

読んだよ〜!:牛野小雪著『長い寄り道』

肩透かしを食らって許せない小説と許せる小説がある。
ストーリーが解決する以上に、そこまでの旅を味わい、楽しみ、慈しむことのできるもの。
もしかすると、それを文学というのかもしれないな。

オチはない。もやもやは何も解決しない。想像に対する答えは何も与えられない。そして突然、両手で力いっぱい突き放される。
はい、ここでおしまい。

ズシリと残ってしまう。胸のざわつきが放って置かれてしまう。
作者の企みどおりにね。

それが、牛野作品の魅力であり、すごいところなんだよな。
どんなに肩透かしを食らっても、愛さずにいられない。
それが、この作品集の中の三作。
『マーモンドの花』『マリッジブルー』『妻と猫との思い出』だ。

そして短編集の最後に収められた『ベンツを燃やせ』。
これにはびっくりした。
これまで僕が知っている牛野作品にはない爽快さと明快さがある。どきどきしながら、わくわくしながら、それでもどこかで肩透かしを喰らうことを期待しながら読んでいた。
オチはきっと、計画が微妙に頓挫して、それが良いとも悪いとも描かれず、ただもんもんとして終わるのだろうなと思いながら、読んでいた。だって、タイトルがベンツを燃やせなんだから、それでベンツが燃えちゃったら、まんま過ぎるじゃん、意外さがないじゃん、と思っていた。

──ところが……、
わーっ、違った!!!

こんな爽快で豪快な──もちろん、そのまた後に牛野作品らしい余韻があるのだけれど──、牛野作品、知らなかった。最初からオチをバラしてるのにこんなに面白く読めるものが書けるなんて、やはり牛野小雪はただ者ではない……。
(燃えて終わるのは竹薮の柩とも被るけど)

いやあ、もっと読みたい。
と思いつつ、まだ積ん読に長編があったことを思い出した……。
ハイ、読みますですよ!

じゃ、また明晩!

淡波亮作の作り方