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暴挙? 愚行? 適正価格をめぐる冒険-2

さてさて、暴挙予告の第二回。僕の想定価格を発表しちゃおう。

自作の価格=同程度のボリュームを持つハードカバー商業本価格÷2÷2

最初の÷2は、電子書籍とハードカバー書籍の価格差。(商業出版の電子版もこのくらいの値付けが妥当ではないか)
次の÷2は、個人出版であるが故の経費差額と考えている。働いているのは自分一人だからね。

ここで重要なのは、その内容に対しては妥協する気がない、ということ。強気と思うだろうか? 尊大な態度だと思うだろうか?

でもこれは、そういう次元とは異なる判断なのだ。前々回も書いたように、Amazonのストアではセルフ出版だろうが大手出版社だろうが、分け隔てなく並列で書籍が並ぶ。その中で、チープに見られたらそれで終わりなのだ。人の感覚は不思議なもので、安いものを欲しがるくせに、安いものには《しょせん安物》という目を向ける。
そこをなんとかしなければ、同じフィールドで対等の勝負はできない。僕はそう考えた。間違ってるよと大勢に言われそうだけど、僕はそう考えたんだ。

大長編作品の『孤独の王』を例に取ってみよう。同じ程度の長さの作品を、仮に『ハリーポッター・シリーズの長めの本』あたりに置いてみる(ページ数をきちんと比較してはいないけどね)。
後者の価格は4,000円くらいだろう。僕の記憶イメージを元に独断で決めると、3,800円。これの4分の1で、950円。これが、今考えている孤独の王の適正価格だ。高いだろうか? 強気すぎるだろうか?
(HPの価格を調べてみると、実際はもう少し高かったけど)

値上げ時期については、まだ決定していない。ちょっと準備をしようと思っているから、恐らくは9月頃になりそうだ。

今、僕のことを知っている、これを読んでいるあなたは、《幸運な初期カスタマー》ということになるかな……。450円で買える今のうちにポチッとしておくと、お得かもしれないですよ。(もちろん、無料キャンペーンもしませんしね!)
まあ急がなくても、そんなすぐに価格が変わっちゃうことはないけど。
え? そんな高いセルフ出版本、読む気はないですって?

これは失礼いたしました。

では!

暴挙? 愚行? 適正価格をめぐる冒険

アメリカの起業家界(?)にはこんな言葉がある。
価格を倍にしても売り上げが半分になることはない。自分の商品に付けている今の値札が本当は安過ぎると思っているとしたら、値上げするべきだ。商品をその価値より安くして売ってはいけない。あなたの信じる適正価格を付けるべきだ。

そして、もう一つ。

Full price or free.
商品の価値を貶めないために、決して値下げをすべきではない。サービスは、初期からあなたの価値を認めてくれた顧客のためにのみするべきだ。だから、発売からしばらくの間だけ無料にしたり、安く価格設定をするのはいい。でもその後は値引きなしの定価販売を続けるべきだ。初期からの忠実な顧客を裏切らないためにも、自分の商品の価値を貶めないためにも。

僕はこれを実践しようと考えている。

無料キャンペーンは新作の発売時だけ。後は適正価格のみで販売する。そして、その適正価格は僕なりの基準を考えて決めるつもりだ。

で、その基準とは?

それは次回のお楽しみにとっておこう!
(あれ、もったいつけ過ぎてるかしら?)

じゃ!

値上げのお知らせ:予告の予告

そうそう、丸木戸サキさんの値上げのお知らせを見て急に思い出した。僕も自作の値上げを予定しているのだ。理由は単純。Amazonに並んでいる自作と商業作品の差。

商業作品と自作品が並んでいると、(たとえ表紙で負けていなくても!)安っぽく見える。それは、価格のせいというのが大きい。とても大きい。

安売りなの? 安っぽいの?

そう思われてしまう危険が大きい。

商業作品でも、消費者の誰もが作家名や出版者名を知っているとは限らない。何も知らない消費者(がいるとすれば、その人)にとっては、判断基準は《タイトル》《表紙(帯含む、デザイン全体)》《価格》《商品紹介》だろう。

《価格》以外は頑張ればなんとかそれっぽいものになる。
でもなぜ、《価格》はなんとかならないのか?

それは、今までのセルフ出版本の価格に対するイメージがある。商業出版の電子書籍でも、安いものは500円くらいから存在する。いつの間にか、それを超えるとヤバいんじゃないかという不文律が存在するような雰囲気になっていた。
気がする。
350円を超えると《強気価格》と揶揄されそうな雰囲気。実際僕は、これをものともせず、350円、450円という値付けをしてきた。でも、そんなんじゃあダメだ。商業作品の横に並んでいて、新刊が350円?

やっぱりこれは、自分で自分の作品を安っぽく見せてしまっているのではないか、そんな疑問が、日々大きくなっていったのだ。

僕はそれを超えようと思う。平気で大きく超えようと思う。

僕が考えている自作品に対する《適性価格》のレベルと具体的な数字、値上げ時期については、明日以降、この場でお知らせしようと考えている次第。

ではまた!

7月のKENPC:読まれている実感2(?)

7月のKENPC
7月のKENPC

 

いきなり冒頭にグラフを貼ったけど、これが先月のKENPC既読ページ数。
最初の10日間、ほぼゼロが続いていたところが痛ましい。淋しかったなあ、あの頃……。
念のため復習しておくと、これはKindleオーナーライブラリーの仕組みを使って読まれた本のページ数。最大で一日600ページ読まれたあたり、これは嬉しかった。まさに、読まれている実感が生まれたなぁ。

ではKindleオーナーライブラリーとは何かと言うと、
【KindleまたはFire端末を持っている】+【Amazonプライムに加入している】という条件を満たすAmazonカスタマーが、【月に1冊 無料で読書】できる仕組み。
僕はKindle Paperwhiteを持っているけど、プライムには加入していないので対象外だ。
作者側から言えば、【KDPで書籍を出版していて】+【他の書店では発売していない】+【KDPセレクトに登録している】書籍が対象だ。KDPセレクトに登録すると無料キャンペーンを行なえたり、上述のオーナーライブラリーで本を借りてもらえたりする、書籍の周知や収入を増やすためにも役立つ仕組み。

KENPCをもう一回復習すると、
Kindle Normalized Page Countの略。Kindleオーナーライブラリー(海外ではKindleアンリミテッドも込み) の既読ページ数を示したもので、KDPセレクトグローバル基金の分配対象となっている。

6月までは借りられた冊数を基準にカウントされ、基金からの分配があった。これはその本が読まれようが読まれまいが関係がなかったのだけれど、今月からは読まれたページ数に応じて分配金が入ることになった。
全世界でその一カ月に読まれたページ数で基金の総額を割るので、一カ月が終わってからでないと、1ページ当たりの分配金は弾き出せない。6月の段階では、約0.6円@ページという情報があったけど、今月はどうだろう……。

さて、僕の作品でKDPセレクトに登録しているのは三冊。
『孤独の王 合冊版』『ケプラーズ5213』『そののちの世界』だ。
上述のグラフだけど、残念なことにケプラーズは含まれていない。一番の自信作にして評判もそこそこいいのに、借りてくれる人がいないのだ。思うに、いかにもSFらしいハードっぽい表紙や、感情を排した冷たいタイトルが避けられているのかもしれない。難しそうなイメージがあるのかも。そこは出版前にもかなり悩んだのだけれど、どんなにタイトル候補を考えても、これ以上にこの作品を表わせるタイトルを思い付かなかったのだ。
ま、それはいいとして、ケプラーズに関しては、今後に期待かな。

で、KENPC。ちょっと引っ張り過ぎた。
『孤独の王 合冊版』のKENPC数(つまりページ数)は1,202ページ。既読ページ数は1,677ページ。
『そののちの世界』のKENPC数は679ページ。既読ページ数は1,459ページ。
つまり、孤独の王は先月約1.4冊読まれ、そののちの世界は約2.1冊読まれたということ。もちろんこれに有料版のものや過去の無料キャンペーンでDLされた数は入っていないから、オーナーライブラリーで借りられた分しか入っていないのだけど。まあ、この数倍以上は読まれているだろうと想像してみることにしようかな。
これが先月の、《読まれている実感》。

ということで、KENPC開始初月の既読数合計は、3,136ページ。これから毎月初旬にこの数字を記録していこうと思う。
(ちなみにこのブログ、更新を日曜日と水曜日に決めようかなと思っている。今はちょっと体調不良なので、今度の水曜日に更新できるか定かではないけれど……)

いつかこの記事が、誰かの役に立ちますように(?)

ケプラーズ5213の作品ページを更新

今日はごく短い記事です。
ずうっと放っておいた『ケプラーズ5213』のCG ブレイクダウン映像 for ブックトレイラーがようやく完成しましたので、ケプラーズの作品ページにリンクを追加し、リンク画像も新規作成して差し替えました。
作品ページに行かなくても下記からどうぞ!

 

CG制作のWIP画像とレンダリングされた各要素を時間軸で並べたブレイクダウン映像はこちらです
CG制作のWIP画像とレンダリングされた各要素を時間軸で並べたブレイクダウン映像はこちらです

 

いつもどおり、CG制作とコンポジット(合成)はBlender、映像編集はMotionで行なっていますが、まだMotionの機能がよく分からず、実は大半の編集はBlenderの映像編集機能で行ないました。Motionでやったのは文字入れや最後の仕上げ程度になります。

では、ぜひご覧くださいませ〜!

 

『さよなら、ロボット』最新情報!

楽天KOBO電子書籍ストアにて、いよいよ『さよなら、ロボット』の無料配信が始まりました。kindle storeへのプライスマッチ申請がこれからなので、お急ぎの方(いないか?)はこちらからどうぞ!

『さよなら、ロボット』は、大人も子供も楽しめる空想科学小説です。
舞台は、謎の奇病「グラマン氏病」が蔓延する近未来。この不治の病によって、人類は存亡の危機にさらされようとしていました。
主人公の森池マサルはジャーナリストで、グラマン氏病に冒されている父ケンイチの命を救うため、この奇病の謎を追って世界を駆け巡ります。治療法が確立するまで冷凍睡眠によってその命を永らえさせられているケンイチですが、あるとき《財団》の医師によって、目を覚まされます。
取材旅行から帰ってきたマサルは自分より見掛けの若い父と再会します。が、そんなとき、介護兼ペットであるロボット、シードが突然姿を消します。
でも、姿を消したのはシードだけではなかったのです。数千万体にもおよぶ世界中のロボットたちが、突然大移動を始めたのでした。そして、誰も予想しなかった大事件が巻き起こります。
ロボットたちは、いったいどこへ?
マサルはグラマン氏病の謎を解くことは出来るのか?
そして、世界は……?

こんなお話、いかがでしょう?
(ストアにある小説の紹介文より上手く書けたかも!)

本当はこの機会に表紙も差し替えたいと思ったのだけど、そうするとせっかくのARコンテンツ(ここ参照!→作品ページ内なのでご安心を)が動かなくなってしまうので、今回は見送ることにしました。知ってる人は知っているジュナイオのサービスが12月15日で終了するので、それまでは同じ表紙で行こうかなと思っています。まあ、表紙の画像認識に悪影響を及ぼさない範囲で帯などの改変はしようかと思っていますが。
さて、ここでいきなり話題が変わりますが、ちょいと振り返っておきましょうか。

・まずはARって何?
スマホやタブレット(昔はPCにWEBカメラという組み合わせだった)、はたまたグラス型端末のカメラに写っている映像に、デジタルコンテンツを重ね合わせて表示し、《現実を拡張する》こと、ですね。
日本では最初に流行ったのが《セカイカメラ》に代表されるジオタグ型でした。今は画像認識から動画や3DCGを出すタイプが主流です。今どきは立体認識、環境認識などもありますし、塗り絵タイプなんてのも流行っていますね〜。

・ジュナイオって何?
ドイツのメタイオ社が展開していた世界的なARアプリとそのサービス。何しろ機能が豊富で、追随するものがないほどのすごいアプリでした(個々の機能では優れたものもあるけど、その開発性、機能追加のしやすさ、シナリオの自由度、オープンな開発環境など、最高のARと言っても過言ではなかったのです)。
そしてこの春、アップルがメタイオ社を買収したことによってジュナイオのサービスは終焉を迎え、世界中のAR開発者にものすごいショックを与えました。僕も仕事上、大変な思いをしました。これで食えなくなった開発者も大勢いると言います。
僕は個人的にもその開発者登録をしていて、『さよなら、ロボット』と『孤独の王』でそれぞれコンテンツを制作して公開しています。

・『さよなら、ロボット』のARコンテンツってどんなの?

詳しい説明はこちら(画像をクリック)
詳しい説明はこちら(画像をクリック/冒頭のリンクと同じですが……)

 

ね、面白そうでしょう?(強引)
残念ながら、このジュナイオサービスはこの冬の初めで終わってしまうのだけど、日本でメタイオ社の代理店をしていたサイバネットさんから素敵なお知らせが届きました。ジュナイオ用に作られたARコンテンツの多くを移植できる独自サービスを始めるんですって!

これを個人向けにフリーで開放することは無さそうなので、やはり『さよなら、ロボット』のARコンテンツはいったん終了せざるを得ないんですけど、ちょっと将来に希望を残してくれた感じがします。それに、来年になればアップルがメタイオの技術を基にした、オープンで新しいARプラットフォームを始めてくれそうな予感も大きいですしね!

今日はちょっとITな感じで迫ってみました……。

では!

このタイミングで、もう一つ白状しておこう

KDP(Kindle Direct Publishing)本、つまりAmazonのKindle Storeで出版している個人作家の本として最長とも言われる僕の『孤独の王』ですが、ちょっとした記憶違いで間違った数字を発信していました。
いつだったか、うろ覚えの数字を元に、『孤独の王』は1,300枚ですよー。と、呟いた淡波。何人かの方に「それはスゲー」「それ、最長」みたいに言っていただき、すっかりその気になっていたのです。

あるとき、自分で作った『孤独の王』のブックトレイラーを見て、目が点になりました。《渾身の千二百枚》って書いてあるじゃないですか!

ほら、ね。
……ね。(クリックするとYoutubeで見られますよ〜!)

 

それで、再度原稿フォルダをチェック。書き終わったときに20字×20行でレイアウトし直して、ページ数を計算したメモがどこかに残っていたはず、って。
ホラ、これ。

スクリーンショット 2015-07-20 19.32.06

 

メモどころか、フォルダのタイトルに入っている……。しょっちゅう見てるはずなのにね。これ、《壁紙効果》ってやつですね。“あまりにも頻繁に目にしているものは、その意味が失われてしまい、壁紙の模様のように目に入っても脳に入らないものになってしまう”、というやつです。
名言ですね(あ、ググっても出て来ませんよ。これ、僕が今作った言葉ですからw)

と、いうわけで、『孤独の王』は正確に言うと1,232枚です。今日の記事の直接のきっかけはこちら。
昨晩、ヤマダマコトさんとのTwitterやりとりでこんな会話があったのです!

さすがです。Kindleで読んで、原稿用紙換算の枚数が分かるなんて、ちょっとびっくりですよね。ヤマダ氏にはとっくにバレていたということで、本日の告白タイムでした。

さあ、皆さん、もう一回繰り返しましょうね〜。

『孤独の王』は1,232枚!

 

つまらん記事で済まん!

作品の表紙:共通デザインがあると、とっても便利!

昨日の記事で新作小説を公開しようと思った時に、一瞬、脳ミソが固まった。BiB/iでEPUB(今回から全て大文字に統一。この表記が正しそうなのでね)を公開するってことは、表紙が必要じゃん、って。

そこで、お! と思い出す。淡波e文庫ブランドは統一フォーマットがあるし、今回はプレーンな感じで行っちゃえば、すぐできるかなぁと。

これが統一フォーマット。見覚え、あるよね〜?
(これだけだとどうにも淋しいけど)

これさえ入っていれば、淡波e文庫の作品だと一目で分かるのだ!
これさえ入っていれば、淡波e文庫の作品だと一目で分かるのだ!

 

これは、『さよなら、ロボット』での試行錯誤が元になって、『孤独の王』でのフォーマット化に結実したもの。以降、僕の全小説作品は、基本的にこれを用いている。
(『光を纏う女』の掌編版で自作オープンオフィステンプレを活用したことは内緒。未発表だし)

この統一フォーマットをベースに、出来るだけシンプルに構成してみようと考えたわけ。何しろもう夜中だったし、寝なきゃいけないしで。そうしてデザインを考え始めたのだ。この新作はテーマが《波》だから、文庫のイメージエレメントである波線を利用すれば早いだろう。そう思うのは当然の流れだよね。

で、これが完成した表紙。

初のWEB限定公開作品『波』(昨日の記事から)

 

ちょっとした画像処理テクニックを使っているけど、作業時間としては10分程度だったかな。統一フォーマットがあって、そのためのテンプレを用意してあれば、とっても簡単にバリエーションを作れるという好例になったか。

ここで使った簡単な画像処理のテクニックについても、追ってチュートリアルを書いてみようかと思っている。(リクエストがあれば……)

それと、知ってる人は知っている、例のオープンオフィステンプレだけど、使い方次第でバリエーションが作れるようになっている。ただ、自分で考えて加工する必要もあるので、ちょっと難しい部分もあったかもしれないな。今後、ワンタッチでいろいろ作れるテンプレ集を考えてみようか、とも思った今夜の淡波。

さて、この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

読後感の解説?:フクチカズアキ著『Hotel New Alabama』を読んで。

いつもどおり、はじめに断っておきたいのだけれど、これはいわゆる書評やレビューではないんだな。実は、今回はさらに一歩先に行ってしまう掟破りを強行するから、もう感想ですらない。

じゃあ何だっていうと、こういうことになる。

《フクチカズアキ著『Hotel New Alabama』を読んだ僕がずっと感じていた世界を使って、小品にまとめてみた》

だったら二次創作? っていうとそういうものでもない。
じゃあ何?

小説の世界観の中で僕は作者にもてあそばれ、自由自在に転がされていたんだけど、その心地よさの中で、ずっと僕の頭を支配していたヴィジョンがあったのだ。それはなぜか、小説の内容とはまるで関係のないもので、そこに出てくる世界も小説の提示してくれた不思議な世界とは大きく異なるものだった。異なるというより、何の関連性もないものだったのだけど、物語を味わうこととはまた別の次元で、僕の心はある風景の中に放り込まれていた。それはとても独特で不思議な体験だったので、そのイメージ自体を書き残してみようと思った。
だからこれは、『Hotel New Alabama』とは一見何の関わりもないし、感想にもなっていないのだ。でも、この物語を読まなければ、僕の中にこの世界が生まれることは決してなかった。だから、これはやっぱり、僕にとっての『Hotel New Alabama』の読後感なんだな。

さて、本題は縦書きで、BiB/iによるePubで味わってもらいたい。僕とフクチカズアキ氏の共作を読むような感じでね。
(フクチさん、勝手なことを言って済みません!)
 

『波』
 

あ、ちなみに、僕が普段書いている物語はこんなに曖昧模糊としたものではなく、どちらかというとシンプルで読みやすいものになってるんだけどね……。


 

さて最後に少しだけ、『Hotel New Alabama』の内容にちゃんと触れておかなきゃね!

そこは、《消滅》したい者が訪れる場所、ホテル・ニュー・アラバマ。そこを訪れた者は、存在が元からなかったことになってしまうという。主人公はその謎を解明するためにその場所にやってきた、はずだった。彼女を迎えるホテルは、どんな要望にも応えてくれる。そこで働くのは同じ顔の男たち。そして出遭う、それぞれに秘密を抱える宿泊客たち。
謎がどんどん深まる中、殺人が起こり、主人公は強制的に交替させられる。エピソードはプツリと切れる。

本の最後の1%まで、秘密は解き明かされない。結末や仕掛けをあれこれ想像して読むほうが面白いのか、僕のようにただただされるがままになって読むほうが面白いのか、それは、この本をこれから手に取るあなたが、自由に決めて欲しいな。

惜しむらくは、誤字脱字をもう少し減らしたい。
(いや、決して多いわけではなく、多分僕がそういう部分に目の行きやすい体質なだけなんだと思う)
内容は本当にとても良いと思う。面白くて気が抜けなくて、上手いなあ〜と。

多くの方に読んでもらいたいなあと思う本が、僕の本棚にまた一冊、増えたのだ。

推敲・校閲・校正。知らなかったことがいっぱいある。

もう一つ白状しよう。

僕は最近まで、推敲、校閲、校正の違いをよく分かっていなかったのだ。だから、Kindleで校正なんて記事も書いてしまった。(ずーっと前の記事だけど)
正しくはKindleで校閲なんだな。この違いがくっきり分からないあなたは、先月までの僕と同じさ!
推敲という言葉も、実はずっと使ったことがなかった。やりとりのある作家さんが推敲という言葉を使っているのを見て、その語感がカッコいいな、と思って使い始めたほどだから。
僕の中では、文章を直すことは全部ひっくるめて校正だと思っていたんだ。痛い事実だ。
(盗用にならないよう今回改めて辞書は引いていないので、間違いがあったらそっと指摘してくれると嬉しいな)

推敲:作品を制作する行程で、ストーリーの矛盾や齟齬を拾い上げて修正したり、完成度を上げるための行為。文法や用語用法の使い方はこっちにも含めていいかな。

校閲:作者としてはいったん完成形になった作品、つまりエンドマークを打った作品の誤字脱字やいろいろな間違いを修正するために行うもの。文法的な間違いや用語用法などの誤用チェックもメインはここではないかな。

校正:これは、校閲を行なって赤字を入れた原稿と、修正結果の出力などを突き合わせて、修正漏れがないか、間違った修正を行ってはいないかを確認する行為だ。

混同されてしまいがちなこの三者だけど、全く違うのだった。

《7/16追記:辞書的な意味をもう少し補足すると、校閲は「しらべ見ること。他の人の文書・原稿などに目をとおして正誤・適否を確かめる」となっている。校正は、「文字の誤りをくらべ正すこと」というのが第一の意味だ。(いずれも広辞苑より(第三版だけど))
解釈によって二つの言葉には重なる領域があるし、文字面は校正、意味は校閲。と、取れなくもない。いずれにせよ、その言葉をずっと使っている業界などでは、そこでの慣習・常識・理解があるだろうし、それを間違っているというのも間違いだろうな。僕はただ、自分が使っていた言葉のズレ感に驚いたんだな。それで、その思いを書き留めた程度のことだと、考えてくれたらいいな》

クライアントのために画像や映像を作る仕事をしている関係で、校正という言葉は日常的に使う。色校正とか、文字校とか。以前制作ディレクター(なんて曖昧な職業名だろう!)をやっていた頃も、やはり《校正》に親しんでいた。親しみたいものではないけどね。
クライアントの書いた赤字があって、それが正しく修正反映されているかどうかを見るのが校正なわけだ。そういった意味では、自分の側や中に正解があるクライアント自身は、校正でなく校閲という言葉を使うのが正しいのかもしれない。
僕がADとして画像に書き加える赤字も、本来は校閲と言うべきなのかな。どうもしっくりこないけどね。

まあ、そんなこんなで、電子書籍セルフ出版における制作工程で、校正という言葉を使う機会はあまり多くはないのかもしれない。
以前は僕も必ず紙に出力して赤字を入れていたけど、最近は短編が多かったこともあってKindle校閲しかしていなかった。
でも、大長編を書くときはやっぱり、紙に出してボールペンで赤字を入れるスタイルが一番良いようにも思うかな、自分の場合。
家族に読んでもらうにしても、紙の方が嫌がられないしね……。

さて、創作の上では何の役にも立たないネタだけど、皆さん、《言葉》が大好物だと思うので、ちょっとでも楽しんでいただけたらいいなぁと。(ニヤリとするひとが10人くらいはいてくれるんじゃないかと密かに思っている……)

校閲校正の段階でコピー用紙を1パック使い切った(もちろん両面使って)、『孤独の王』は、Amazon Kindle Store で絶賛発売中!

(見ると読みたくなるブックトレイラーを貼ってみた)

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!