Category Archives: インディーズ出版

新企画/ねえ、歌詞を書いてみません?

最近、音楽づいている淡波です。

切っ掛けはと言えば、やっぱりコレ。
王木亡一朗さんの詩、『欠伸なんかして』に曲をつけさせて頂いたことですね。
──本当はもともとタイトルはなくて、勝手に付けちゃったんですが……!

(低音がちゃんと出るヘッドフォンをして作っていたので、MacBookのスピーカーで聴くとベースが何にもないなあ。しょぼいなあ。と、今さらながらに気付きました。だてにスネアの音圧が高いのも耳に付きますね……。あと、歌を出し過ぎたか……。反省点がいっぱいある……)
→いずれ、直します……。

それから、白井市の非公認キャラ、『ジネンジャーのテーマVer.2』を作り、調子に乗って別冊SF群雛のために『The Quail』のPVを作ったのは記憶に新しいところですよね? よね??
ってゆうか、再生少な過ぎなんですけど……。

で、今回の企画です。

《淡波、インディーズ作家を歌う》
──どうでしょ、これ?

第一弾として、既にあらかた骨子が出来ている曲に、詞を募ろうかと思ってます。

またも夢ネタで恐縮ですが、こんな夢を見ました。

──僕はなぜか演歌の大御所歌手。
 リサイタルのセットリスト曲が終わり、アンコールの準備をしていた。
 僕は急にギターを手に取って、FM7のコードを鳴らす。
 今夜は意外な曲をやろうじゃないか。なぜだかそう思ったのだ。
 ネオアコ系の爽やか進行で、僕はアドリブ曲を歌い出した──

目が覚めた後、ずっとその曲を頭の中で鳴らしていた僕は、出勤の電車の中でざっくりと曲を打ち込みました。メロディーはバッキングを入力している間にほぼ忘れてしまい、もう一度作り直したんですけど、まあ、概ねこんなイメージでした。
それが、この曲。
イントロがちょい長めで、シンセピアノが歌メロです。

あ、おふざけじゃないですよ、大まじめです。

どなたか、この曲に詞を書いてみたい方、いらっしゃいませんか〜!?
応募者多数の場合、早い者勝ちではなく、選ばせていただくことになってしまいますが……。

こんな調子で月に一度くらい詞を募集して、年末あたりにアルバム化できたらいいなあ、と思っています。
次からは、曲が先でなく、頂いた詞に曲をつけるスタイルになりそうです。予定は未定ですが。
いつでもご応募可です。
読ませて頂いて、《ピーンと来たら、音楽が降りてきそうな感じがあれば》、即採用させて頂きます!

もしかしたら、曲がある程度揃ったらどこかで販売するという選択肢もアリかと思います。
もちろん、印税収入は山分けで(笑)。
──どうやって山分けしたらいいかは分からないんですけど。

あなたの詩や作品のプロモーションに使えるかも知れないですし、どうですか?

やりたい!
と思ったら、この記事へのコメントか、TwitterでDMをくださいね。
(コメントは僕が承認しない限り公開はされませんので、DMと同じように使えると思います。頂いたコメントは内容をコピーした上で消去しますから!)

そうそう、応募資格が一つだけ。
《インディーズ作家であること》
(プロでもオッケーです。そんな奇特な方はいないでしょうけど……)
 まだ出版実績がなくても構いません。ウェブ等で小説や詩などを公開している、(自称)作家さんが対象です。

では、宜しくお願いしますねっ!

ねえ、『えあ草紙』は凄いぞっ!

『えあ草紙ブックマークレット』がカクヨムに対応したということで、遅ればせながら僕もインストールしてみた。
インストールといっても、ブラウザのブックマークバーにリンクをドラッグするだけ。拍子抜けするくらい、とっても簡単なのだ。
(インストールはこちらから

カクヨムに昨日から掲載を始めた『ルルルとリリリ』の第一話を表示してみたところが、これ。

1.まず普通にカクヨムのサイト上で表示

普通のWEB表示。明朝体だし左右に余白があり、ちゃんとウィンドウサイズに伴ってリフローされるので、極端に読み辛くはない。
普通のWEB表示。明朝体だし左右に余白があり、ちゃんとウィンドウサイズに伴ってリフローされるので、極端に読み辛くはない。

2.「えあ草紙リーダー」のブックマークをクリック

最初に出るのがこの画面。慌てず、「えあ草紙で読む」をクリックする
最初に出るのがこの画面。慌てず、「えあ草紙で読む」をクリックする。

3.これがえあ草紙の表示。美しい。読みやすい、気が利いてる!

どうですか、この表示の素晴らしさ!
どうですか、この表示の素晴らしさ!

紙の薄さを感じさせるインクの裏写り。ちゃんと実際の裏ページにある文章の裏返しになっている!

こちらの設定画面で細かな表示設定ができるのも気が利いてる!

本文をヒラギノ明朝、見出しを小塚ゴシックにしてみたところ。
本文をヒラギノ明朝、見出しを小塚ゴシックにしてみたところ。

インクの裏写り量まで設定できる、この細かな気配りはもう、マニアの域!
(だって、「前後の枚数の違いを影で表現」って、やり過ぎでしょ。言い意味でw)

基本的にはMacで読書することはないので、今までは使ったことがなかったんだ。でも、実際使ってみて、その良さに驚いた。これは、Kindleアプリなどの専用ビューアと肩を並べるかそれ以上じゃないか!
(「!」ばっかり!)

これ、Flashを用いているので、PCだけじゃなくAndroidにも対応してるそうですよ。つまり、iOS以外なら大抵何でもオッケーということ。

どうですか、皆様ぜひ!

じゃあまた、明晩!!

(この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!)

朝令暮改でいこう!

はい。言うことがコロコロ変わる淡波です。
カクヨムに出している『さよなら、ロボット』なんだけど、やっぱりジャンルを戻すことにしたのだ。
やっぱりこいつはSF。それ以外のものではないんだから。

というのも、カクヨムがオープンされ、ミステリーのページで色々な作品の紹介をざっと見ていて。すごい違和感に襲われたのだ。
僕の作品、まったくミステリーじゃないわ。ここに並んでいたって、読みたい人に全然届かないじゃないか……。ってね。
(まあ、こういう作品を読みたい人がいれば、だけど──)

そりゃあそうだった。たしかにミステリー風味はあるかも知れないけど、僕みたいにロクにミステリーを読んだこともないような物書きが書いたものが、ミステリージャンルの中に並んでいて馴染むはずがない。
検索にかかるためのタグを見ても、もう、SFとしか言いようがない。
で、迷わず登録ジャンルを変更。たった二日間のミステリー区分だったわけ──。

そしてもう一つ。

これはずっと以前から気になっていたこと。

物語は、主人公のジャーナリスト森池マサルが、取材から帰ってきたところから始まる。
それを迎えるのが介護兼ペットロボットのシードだ。ロボットらしい喋り方を表現しようとして、シードのセリフは仮名を全てカタカナにしている。これがもう、極端に読み辛いのだ。
セリフの流れも滑らかじゃないし、内容もこなれていない。小説を書き始めてまだ1年かそこらの頃に書いたものだから、まあそれも仕方がないかも知れないけど、当時から心のどこかで気になっていたのだ、ずっと!

カクヨムへの投稿をきっかけに、ちょっと第1話を読み直してみたら、その読み辛さに閉口した。
これじゃ、読み始めて投げ出す人続出じゃないか? と、正直思った。
実際、PVを見ても、第1話だけで離脱している人が多いかも知れない。まあ、まだ分からないけど──。

有料で売っていた頃は、有料だから読み進めないともったいないと思って読んでもらえていたかも知れない。だから、好意的なレビューだとか感想を目にして安心し切っていた。
昨年無料にしてから、あまり感想を聞くことがないのは、第1話のせいじゃないだろうか? と、思い当たったのだな。

無料だったら、読み始めてすぐに投げ出してももったいなくないからなあ……。

で、書き直す時間も気力もないと思いつつ、僕はカクヨムのサイトの編集画面から第1話をiPadのテキストエディタにコピペして、もう書き始めていた。どんどん削って、ちょびちょび書き直す。

さて、これを先へ進めるかは分からないけどね。

──悩みつつ、強烈に思ったこと──
【冒頭だけ変えたって、物語の本質は変わらない。
 逆に言うと、物語の本質を変えずに冒頭を修正することなんか、簡単なんじゃないのか!?】

まだ読み始めていないあなた。
もしかすると、もう二、三日待った方がいいかも知れませんよ……。

ってことで、じゃあまた明晩!

時代は《201円》か!?

はい、もうお分かりですね。
久々に楽天KOBOさんの話題です。
楽天KOBOで出版しているあなた、今すぐ価格を201円に改定しましょ!

もともとは山田佳江さんの呟きで知ったこの効果。本当に効果てきめんです。楽天KOBOの余った200円クーポンを一番使いやすいのが201円だということなのですが、実は僕、楽天KOBOで買い物をしたことがなく、詳しいことは全然分からないのですが……。
何とも不実なユーザーです。済みません。

1月の後半に拙著『光を纏う女』を201円に改訂し、早速その月のうちに2冊売れました。それまではゼロだったのに!
これで驚いてはいけません。この記事を書いている時点で、もう売上げ冊数が2桁@月を超えています。収入は昨年1年間分を1ヶ月で超えてしまいました(振り込みは年1回ですが)。あ、去年はそんなに少なかったの? という突っ込みはなしです。本当、悲しいほど売れていませんでしたからね──。
これはもう、201円効果以外の何ものでもないでしょう。

もちろん、元が200円設定で1円しか変わりませんし、作品は面白いですよ、ね?
cover_S

丁度いい長さの作品を楽天で販売している皆さん、どうですか?
201円にしてみませんか?

じゃ、また明晩!

本は読まなきゃ分からない!

なぜ、こんなに単純で大切なことを、今までないがしろにしてきたんだろう?
ストアを訪れてくださったお客さんにワンクリックしてもらうことが、どんなに遠くて難しいことなのか分かっているのに。痛いほど分かっていたのにッ!

きっかけは、このツイート。

たしかに、僕もいろいろと工夫する中で、これに近いことはしていた。でも、考え方としては全然分かってなかった。どちらかというと、説明文や粗筋を考えるのが面倒だったから、話の冒頭を載せちゃったというネガティブなやり方。これではいかん。


で、まずは自分だけでもと思って、さっそくやってみたのが下のキャプチャ。

読みにくい!
読みにくい!


そう、その通り。
文字が画面の横幅いっぱいに広がってしまうから、読みにくいことこの上ない。
それでも、何も読めないよりはずっといいだろう。とは思う。
今のところ、Amazonで出させて頂いている本の中から4作、この方法で試し読みを掲載してみたのだ。

次に試し読みを載せる時は、適当なところで改行してみるかな?
それも、むしろ読みにくくなるだろうか?
難しい────。

少しでも売上げが伸びるかどうか、また報告しますよ。
もし、効果があるようなら、皆さんもどうかなあ?
(大勢でやって、それが当たり前になって、始めてこうかが出るものかも知れないけど)

最後にもう一つ貼っておこうかな。
僕は全著作でやるつもりだからねっ。

じゃ!

考えている。悩んでいる。

何のことかと言うと、今、ちまたで話題の《モチコミ》というサービスを利用するかどうか、だ。
もっと言うと、どう、利用するかということだ。

まず、簡単にサービスのことを紹介すると、こんなものだ。
(すべてWEBで公開されている情報)

・格安の自費出版サービス
・小説の最低出版額は32,000円
・コストを下げるために、BCCKSの仕組みを利用したオンデマンド印刷の紙本
・本は文庫本サイズ
・出版された本は、渋谷にある大盛堂書店の2Fにある「聖地書店」で販売される
・初版は20部で18冊が書店に並ぶ
・売上げ次第で10部ずつ重版される
・100部を超えると著者に印税が支払われる
・将来的には大盛堂書店以外の販路も想定している

僕が感じているメリットは────、

・偶然通りがかった書店のお客さんが目にする機会がある
・電子書籍に全く興味がない「本好き」な人に届くチャンスがある

この二つに尽きる。

モチコミのWEBには「1万部の売上げも不可能ではない」なんて書いてあるけれど、まあ、それは全く期待していない。もちろん、今後、何らかの形でモチコミが注目され、人目につく可能性も大いにあるだろう。

で、考えた。
僕の著作で、どれがこのサービスに向いているのか。
長過ぎず、短過ぎず、一般受けしそうな内容で、表紙にもインパクトがあるもの(ただし、表紙は編集部がデザイン、レイアウトする、ということになっているけど)。

候補はこの2作だ。


《天使は、実在した──!》これがウワサのリアルマジックSF最新作。映画的な展開を意識した、ノンストップアクションSF中編小説です。



地球を旅立って三千年後、人類は尊い犠牲を払いながらも、計画通りに492光年彼方の惑星ケプラー186fに到着した。
人類は惑星の各地に入植キャビンを送り込み、水と緑に溢れた美しい新天地に入植地を築きつつあった。
だが、人類の生息環境として申し分ないその惑星に、先住生物が存在しないはずはなかった。


『太陽の子孫』は約58,000字。価格表によると、制作費は42,000円で、販売価格は900円〜1,000円。現在はAmazonで250円で売っている、140ページほどの中編小説だ。
『ケプラーズ5213』は約160,000字。制作費は62,000円で、販売価格は1,400円〜1,500円。現在はAmazonで550円で売っている、300ページほどの長編小説だ。

例えばハードカバーであれば、上記の販売価格でも抵抗はないだろう。新書サイズ程度でも、単行本ならまあ高すぎることはないだろうかな。
でもこれは文庫本で、しかもオンデマンド印刷だ。
しかも、さらにインディーズだ。

そこが、悩みの種だ。

制作費自体は、大した問題じゃない。これまでに得た印税を全部注ぎ込んでいくらか足せば、何とかなる。
しかし、1,500円の価格を付けたインディーズの文庫本を買う人がいるのだろうか?
通常なら一冊分のボリュームには少々足りない中編小説に900円払う人がいるだろうか?

そう思うと、そこでちょっと思考が止まるんだな……。

これがもし、自分で全てをコントロール可能な自費出版であれば、もっと安い価格に設定することもできるだろう。しかしこれは、パッケージサービスの一環で、そんな自由は与えられない。
当然だ。こんなに安い価格で紙の本を出版し、渋谷の一等地にある有名書店の一角を借りているのだ。出版した本が相当売れない限りは、出版社サイドにだって利益なんかない。
(世間的に言えば、62,000円っていうと社員の人件費の1〜1.5日分にしかならないんだからね!)

この価格は、「儲けにならないけど何とかやっていけるだろうぎりぎりのレベル」で弾き出したものだろう。だから、そこは納得するしかないのだ。

しかし────だ。

悩む。

先人の例を見ると、どうやらモチコミ経由で出版した本は、運営主体であるグレイプスさんのレーベルで、電子書籍としても売られるようだ。それはつまり、電子書籍としても価格決定の自由を失うことを意味するのだな。それはまあ、そうなんだろう。出版社を通して出すのだから、著者に勝手な行動は許されまい。
(じぇんじぇんさんの例では、『関東心霊庁除霊局/自走式人形お春改 関東心霊庁シリーズ』という著作が、Amazonでは1,210円で販売されている。ご自分で販売しているであろう別の著作は299円だったりする。ページ数もこちらの方が多かったりする)

うーん、悩む。

たくさん売れなくてもいいけど、全く誰も買わなかったら、それはそれで悲しいしね。
(しかもKDPセレクトは外れるし、電子書籍の値段も高くなってしまうだろうからなあ)

皆さん、どうですか?
興味ありますか?

僕はもう少し悩みますね。

じゃ!

最新作2連発!!

あ、煽りました。
最新作といっても小説ではありません。

一つはこれ。

スクリーンショット 2016-02-09 23.11.50

短編と掌編二作で参加させていただいた別冊SF群雛のプロモビデオです。元はと言えば、王木亡一朗さんの詩に曲を付けさせていただいた『欠伸なんかして』を作っている時に、何となく曲を付けたのが始まり。
ノリで歌詞を書いて、日曜日の朝にふと映像も付けちゃえと思いついて2〜3時間で仕上げました。歌録りは映像を作ってから夕方に、という突貫作業でした。


歌詞はこんな感じですよ〜。


Quails, quails go writing stories
Quails, quails go reading masterpieces
Quails, quails go writing plots and dialogues
Quails, quails
Quails, quails


 (一応、応援歌になってるつもり!)

で、上述の『欠伸なんかして』も同日の録音。
これはもう、詩を読んだ瞬間にサビのメロディーが浮かんでしまったので、王木さんに頼んで曲を作らせていただいた、という感じです。作っていてとても楽しかったですし、《詩に寄り添う》という経験が新鮮でした。
英語の詞に曲を付けたり、曲を先に作ったりすると、基本的になるべく字余りにならないようにするんですが、これはもう全然曲にすることを想定していない詩(当然!)。場所ごとに結構字余りや字足らずが出てしまい、最初はどうやっても二番以降が歌えず、苦労しました。

結局、無理やり詩をメロディーに当てはめるのは止め、場所ごとに少しずつメロディーを変えて洋楽っぽい作りにすることで、全体がまとまりました。
メロディーをそれぞれ変えることで言葉の持つイメージを大事にできて、むしろ面白かったなあ、と思います。

しかしまあ、こんなにも違うもんですかね、同じ日に同じ人間がやって(笑)。

Sound Cloud上の僕のページに載せています
Sound Cloud上の僕のページに載せています

お耳汚しにて失礼──
 では、また明晩!



ドドマ!

新しい略語を作ってみた。
「ドドマ」
誰か他の人が既に使っていないか調べようとググったら、出てきた。
「ドドマ:タンザニアの首都」
あ、地名だったのね。

で、ドドマ。
《堂々とマーケティング》で、ドドマ。どうかな?

ときどき、ツイッターやブログで、(ステマ)と但し書きされていたり、言い訳っぽく書いたりしている人がいる。ステルス・マーケティングというやつだ。マーケティングとは思わせないようにして、密かに商品を宣伝して買わせようとしたりすること、だったよね?

ステマという言葉は確かにWEB上で頻繁に見掛けるのだけれど、これはさ、広告代理店とか大企業などが、企業イメージ広告やメセナによって、ひどい場合は中立的な他者の振りをして、人助けや社会的に善いとされる行いを通して自企業や製品の良いイメージを消費者に刷り込むためにすることだと思うんだ。
(そこには、他人の振りをして消費者を騙すという行為があって、だからステマという言葉がネガティブなイメージを纏っているのだ)

だからね、僕らみたいな無名のインディーズ作家が、微妙な自己宣伝をステマと考えて萎縮したり、自虐的になる必要はないと思うんだよね。
創作者にとっては、WEBページにおける自己表現やSNSにおける自己存在自体がマーケティングなのだから。それがメインなんだから。

ちょっと前にいろいろな人が語っていた《コンテクスト》。自分の人となりを他人に知ってもらうための活動や、創作物の販促、広告、マーケティングはとても近しいものだと思うんだ。
いずれも、《自分の作品を愛してよ、知ってよ、自分のことも知ってよ》という気持ちの表現だから。

だからね、堂々とマーケティングして、自分のことを知ってもらおうよ、ドドマで行こうよ。
という、宣言でした。

もちろん、嫌味なものとか、しつこいものとか、見た人・読んだ人が嫌な気持ちになるものや、やり方はNGだけどね。
それから、Botとか、同じ内容の自動定期ツイートなんかにも、できれば頼りたくないよね。繰り返し言うことはとても大事だけど(マジック・オブ・セブン)、それは、自動的に繰り返すようにプログラムするのとは違う。
最低限、「あーあ、またこれかよ。同じだよ」と思われないひと工夫が必要だと思うんだ。同じ内容を表現するにしても、さ。

自分の言葉で、自分自身のことを、自分の作品を、語りたいもの、ね。

では、また明晩!

作家の作家ってどうなんだろう?

ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉をご存知だろうか?

一般にはあまり売れていないし知られてもいないのだけれど、音楽家の間では絶大な人気があったり、とても高く評価されたりしていて、インタビューなどでつい、好きだと言ってしまう存在。
でも、そうやって名前が挙がるのに一般のファンにはそれほど受けないという、存在。

これには2種類くらいあって、1つ目は圧倒的にテクニックが優れているケース。
ミュージシャンは高度な技術を身に着けるための苦労を骨身に染みて理解しているから、その努力に対する尊敬もあって惚れるんだろう。
2つ目は、言語化できない魅力を持っているケース。
特にテクニックが凄いわけではない。とりわけ歌が巧いわけでも、後世に残るような詩を書いているわけでもない。
でも、好きにならずにいられない。大売れするようなものじゃないと分かっていても、そのセンスに脱帽し、美しさに溺れずにはいられない。

あまり意識してはいなかったけど、僕は後者のタイプの音楽家になりたかったのかもしれない。技術が伴わないことの言い訳も含めて。

僕が大好きなThe Blue Nileというバンドは典型的なミュージシャンズ・ミュージシャンと言われる(ただし、Wikiにはそう書かれてはいない)。
あれで食べていけてるとは思えないけど、世界的に有名なバンドで、三十年にわたり高く評価されていて、という位置づけは間違いない。


この『The Dowontown Lights』はAnnie Lennoxもカバーしている名曲だ!

僕は、小説を──純文学ではない小説を──書く以上、一般に受け入れられて売れなきゃ意味がないと、ある面で思ってきた(反面、好きに書いてれば、それでいい。というのもあるのだけど)。

インディーズ作家の中で、気に入ってくれる方がいて、読んでくださって感想をくださる方がいて、でもツイッターのフォロワーさんのほとんどは同じクラスタの方で……。
どうもこれでは広がりがない。いかんのじゃないか、という思いもずっとあった。

──で、作家ズ作家。

例えばまあ、インディーズ作家だけでなく、広い意味で作家・創作家予備軍のクラスタから支持されれば、実は強力な味方を得たことになるんじゃないのか、と。
《どうせインディーズ作家の読者はインディーズ作家》などと自虐的に揶揄されるけれど、1万人(?)の創作家予備軍の何割かに支持されるとしたら、それはもう立派なファン層ではないのか、と、ね。
(まあ、何割か、というのはやっぱり無理だとは思うけど)

そういう広げ方も、決して間違いではないのかな、と、ふと思い至ったりした今日この頃。
もちろん、非創作クラスタに広げる努力を怠ってはならない、と自分に言い聞かせつつ。

じゃまた明晩!

読んだよ!/ヤマダマコト著『ピーカブー』

本作は、スティーヴン・キングの『Different Seasons (邦題:恐怖の四季)』へのオマージュ? とも思える、春夏秋冬をテーマにした四つの短編を二冊に分けて出版される企画の一冊目です。

アンディ・ディフレーン(『Rita Hayworth and the Shawshank Redemption(邦題:『刑務所のリタ・ヘイワース』→映画では『ショーシャンクの空に』)』の主人公の名前)なんて言葉がポンと出てくる当たり、ヤマダさん、しっかり意識してますよね。
にしても、本家の邦題が気にくわないなあ、と思っているのは僕だけではないでしょう。特に映画。

Different Seasonsは、キングが大長編を書いた後でちょっと息抜きとして書いた中編ということです。別にホラー小説を意識したわけではないと思うのですよね。特にリタ・ヘイワースとスタンド・バイ・ミーは全然ホラーじゃないし。出版社とか配給会社のあざとさを感じないわけにはいきませんよね──。
なぜ、『それぞれの四季』じゃダメなんだ、と思っちゃいます。ずっと風情があるのに。
特に、『ショーシャンクの空に』ってタイトルはもう、ふざけてんのか! としか思えません。あんなに素晴らしい映画なのに、このタイトルの「感動しろよ」加減が許せないのは僕だけではないでしょう(あ、僕だけ?)。
《刑務所にリタ・ヘイワース(往年のセクシー大女優)》という組み合わせが肝なのに! と、映画のタイトルを初めて聞いた時には思ったものです。

この四作の中で三作が映画になっていますが(って、凄過ぎますよね)、誰でも知っている『スタンド・バイ・ミー』は、本当は『The Body』というタイトル。邦題も映画も……。
三番目に映画になった『Apt Pupil』は、直訳だと『賢い生徒』。で、邦題は『ゴールデンボーイ』もう、わけ分かりません。
唯一映画になっていない『Breathing Method』に到っては、直訳だと『呼吸法』ですが、邦題は『ニューヨークの奇譚倶楽部』ですからね。まあ、内容からすると解りますし、呼吸法、じゃあ日本語小説のタイトルとしてどうかとは思いますが。

あ、脱線し過ぎました。

今回読んだのは、ヤマダマコトさんの『ピーカブー』。四季テーマのうちの秋冬編にあたるそうです。
読んでいるうちにびっくりしました。
まあ、僕以外にびっくりする人はいない事情なんですが、一作目の『アサギマダラ』は輪廻を扱った話です。そう、ちょうどこれを読み始めた時、僕も『瞳』という輪廻を扱った短編(最新作の『光を纏う女』とカップリング)を書いている途中だったんです。
(だから、ヤマダさん、読んで!)
全体の構造もどことなく近しいものがあって、面白い偶然だなあと思ってました。

で、『アサギマダラ』、どうなのよ?
う〜ん、良かったです。本当にとても良かったです。
よく言われますが、《谷が深いほど山は高くなる》の好例ですね。

アサギマダラの過去の話はかなり読んでいて辛いものがありました。でも、それがあってこそ最後にずーんと感動が押し寄せるのですよね……。僕にはこういう激しいリアルな表現をする覚悟が未だにありません(あ、あのくらい普通でしょ、ですって? そこは、読んでのお楽しみ、ということで)。

このくらい短い物語でも心にずしんと響くものが書けるって、凄いですね。さすがヤマダさんです。
僕はどうしても対象を突き放したような書き方になりがちなので、二人称でああいった迫られ方をすると、もう「参った!」と言うしかありません……。

二作目の『変人たちのクリスマス』
これ、ひたすら洒落てます。アイデア自体は目新しいものではないのだけれど、巧いです。
とてもオリジナルなものに感じさせてくれる筆力に脱帽です。

春夏編も、とても楽しみですね。

では、また明晩!