《前向きなほうの(?)理由》
そうやって公開したそれらの詩は、ちゃんといつものアベレージ程度のビュー数を稼いでくれた。ちゃんと、一見さんを招き入れてくれていた。
しかも、これは《日々の何となく》を書いただけの記事じゃなく、これを気に入ってくれれば小説作品の購読にも繋がるかもしれない記事だ。
これは、ひょっとして一石二鳥なんじゃないか?
そう思ったとしても不思議はない。
そう、僕は気が付いた。
これは、作品だ、と。
《詩》といっても、多くは歌を書こうと思って途中まで書いた歌詞だったりして、《詩》を書こうと思って書いたものはあまりなかった。
だんだんそのストックも減ってくると、新しい記事を書く必要性が生じていた。
そうだ、じゃあ新しい詩を書こう。そう思った。どんなにまともな状態の思考ができないくたびれた脳味噌であっても、詩なら書ける。
詩は、頭で書くんじゃない。心で書くのだ。心さえ健全であれば、自分らしい詩が書ける。
寝ていなくたって、倒れそうだって、書ける。
そんな自信があった。
心の奥から染み出してくるいろんな感情を、言葉を、僕は吐き出し続けた。
書き直しも見直しもしない。溢れ出てきたものを書き留めるだけだ。ロジカルである必要も、起承転結を考える必要も、誰かに喜んでもらえるか、役に立つかを考える必要もなかった。
詩は、僕であり、作品であり、排泄物だ。
これまで、セルフ作家の方達が読んで役に立ちそうな記事を書こうと努めてきた。でも、それが本当に誰かの役に立つかどうかは分からないし、少なくとも自分の作品を《一般の読者に》広める役には立たなさそうだ(立っているのかもしれないけど)。
もっと、自分の作品を読んでもらいたい。
これが本音だ。当然だ。そしてそのための方法が、一つ増えたのかもしれないと思った。
《もう一つ》
このブログの読者は、半数以上は検索から来ている。固定読者は案外少ない。
しかも、その多くはCG関連、Mac関連、iOS関連の検索語だったりする。小説関連の検索語で来る人はまれだ。
(でも『山彦』で検索してくるひとが結構いるんだ!)
そんな人たちが僕の作品に眼を留める切っ掛けになるのは、やっぱりこの場所に載せた作品なのだと思う。それも、短くて読みやすい作品。
一つの答えが『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』だったわけだけど、《詩》というのが一つの選択肢としてあってもいいんじゃないかと、今は思う。
まあ、詩ってとてもニッチで、興味のない人が大半じゃあないかとは思うけどね。それでも、検索してきたサイトに変な詩が載ってて、それが短くて読みやすければ、ひょっとしたらちょっとだけ読んでくれるかもしれない。
これが、セルフ作家オンリー向けのノウハウ記事だったら、どうだろう?
今月のKENPCがどうだとか、さ。
もちろんそれも重要だし、やめるつもりも全然ない。少しでもセルフ作家さん(=仲間!)の役に立つ記事が提供できれば、それはとても嬉しいことだし。
でもね、少しだけ、自分の作品に眼を留めてもらうための小さな作品を、載せる機会を増やそうかな、なんて思ったりもする訳で。
今後も、詩や小品を載せていこう。と思う淡波でした。
じゃ、また!