Category Archives: つれづれなるままに

で、結局《アレ》には送ったの?

と、その前に、言っとかなきゃならないことがあった。9月30日を最後に大幅値上げすると言っていた淡波有料本ですが、諸般の事情で数日延びてます!(本業が忙しくて時間が取れなかっただけですが……)

で、ストアの更新作業をするのは明日の昼頃になりそうだから、早くて10月3日の夕方くらいでしょうか、新価格になるのは。
10月から値上げしますよっていう告知をディジィーさんがブログで紹介してくださったりツイートしてくださったお蔭さまで、9月29日、30日の二日間は、今までにないほど売上げがあったんです──と、言っても一桁──が、10月に入ってからがくりと落ちて……(あれ、やっぱりこういう話をするときはですます調でないと違和感ある)。

まだ、もう少しの間は現状の価格ですからね、このページの右側に並んだ著作にもし気になった本があれば、無料本からちょこっと読んでみてはいかがでしょ。で、新価格になる前に有料本を読んでね、というお誘いだったりして。
(その日のうちに両方に手を伸ばしてね、という強引さも、時には必要なのだ)

では、次の話題、メインの話題に行きましょ。
《アレ》の結論はと言うと、もっちろん送ったのだ。星新一賞。
何とか3,200字あまりを削って書き終わった後、校正しながら読み直してたんだけど、文字数がいったん規定以下になると、それから先の修正はそれほど辛くないということが分かった。

これはちょっとした収穫だったかな。いつもは文字数を気にしないから、こういう制約も悪くない、ってね。
ちょっと書き足してはちょっと削る、の繰り返しで、徐々にバランスをもう一回整え直すことができたのだ。

まあ、美味しいところはかなり削ってしまったけど、それはそれ、そもそもあの文字数の短編に盛り込むには無理のあるエピソードなんだからと思って割り切ることにしたら、気が楽にもなったりして。

作品に自信の程は?
あ〜、ないない。全然ない。下読みは通るかな、せめて。というくらい。
そこそこ理系で、アイデアは悪くないとは思ってるけど、まあ、使い古されたネタだし、ちょこっとだけ視点が新しくて、ITっぽい概念を作ってみたりしたくらいかな。つまらなくはないと思うけど、《賞》って言うとね……。
うーん、普通に短編集に入れて、面白いとは思ってもらえそうかなというレベル。
「99円ならぜ〜んぜん損はないぜ、むしろすげーおトク!」って感じ。
読んでくれた人が面白がってくれたらいいなあと思いつつ。

とまあ、そんな感じです。
前回の記事を読んだ人は、当然出したでしょ、と思ったでしょうしね、わざわざブログで記事を立てるほどのことでもなかったなあ。

ところでところで、公募と関連してちょっと書いておきたいことが一つ出て来たんですよ。最近の公募って……、

はい。時間切れ。

では、続きは明日!

(ますます盛り上がる『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』もよろしくねッ!)

ところで公募の「あらすじ」ってのは、何のためにあるんだろう?

調べれば分かることかもしれないけど、そうすると記事を書くモチベーションが落ちてしまうのでね、まずは自分の思うところを書き連ねてみようと思う。

あらすじは、客観的な概要を短くかいつまんで書くものだよね。
だから、作家の個性はほとんど現れない(表れない?)のではないかと思っている。文体とか、さ。

僕の考えた用途は、以下の四つくらい。

・受賞後に、または途中経過発表で作品の紹介に利用する。
・応募者が自分で客観的に内容を把握し直せるよう、応募前に考えさせる。
・下読み、または審査に回す時、それぞれの方に合うような作品を抽出しやすいように。
下読み後の作品は、審査員全員が読むのでしょうか? 応募数にもよるだろうけど。
・下読みの、または審査の負担を軽減するため、あらすじだけを先に読む。
それでつまらなそうなら、本編は読まない。

四つも可能性が思いつけるなら、まあ必要なものなんじゃないかとも言えるけど、最初に思ったのは、やっぱり四番目のものだった。これ、もしそうだったら止めていただきたいものだ。

僕の書くものは決してはそうではないと思うけれど、それをやられちゃうとどうにもならんというタイプの作品があると思うんだ。素晴らしい文体、美しい描写、深い人物造形に哲学的な掘り下げ、など、あらすじの文章からは想像できない魅力ってのがたくさんあるよね。
でもそれを、応募作のあらすじに書くわけにはいかないもの。キャッチコピーじゃないんだからさ。

特に純文学系の作品などは、あらすじなんかじゃ絶対に分からないと思うし。
でしょ?

作者の力量は、1ページ読めばそこそこ分かると言われてる。
であれば、作品をちゃんと読むかどうかを決めるのにあらすじは不要だ。最初の1ページを読めばいい。そこをおろそかにしてる応募作はないだろうし、審査員にとっても読む時間は変わらないだろうしね。

まあ、ちょっとした独り言、だけど。
だけど、ってね。

ではまた明日!
エビネルさん、盛り上がってるんだから)

ようやく1周年を迎えました!

皆さん、いつも本当にありがとうございます。
おかげさまでこの淡波ログは、1周年を迎えました。更新しても誰一人読む人がいないという超々低空飛行から始まり、何とか1年、少しずつ読者さまを増やすことが出来ました。本当にいつも来てくださる皆さんのおかげです。
(誰も祝ってはくれないので、自分でケーキを作っちゃいました!)

ここで、当初設定した目標と結果を、もう一度軽く振り返ってみましょうか。

【投稿記事の数】
目標:52本(週に必ず1本)→途中から上方修正し、100本(週に出来れば2本)
結果:206本(イエー!)

【アクセス数】
目標:10,000ビュー@年(当初は目標なしでした。一桁アクセスの日も多かったですし)
結果:10,171ビュー@年(イエー!)

そして、最大の目標である著書の読者数アップですが、
Amazonと楽天でのDL合計数で前後を比較してみましょう。

ブログ開設以前の合計:1,219冊(2013年 1月〜2014年9月の21カ月間で)
ブログ開設以降の合計:4,523冊(2014年10月〜2015年9月の12カ月間で)
ここに、現在連載中の『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』のビュー数(累計600〜700)を加えていいでしょうし、群雛8月号のDL数を加えることも出来ますよね。

そうすると4倍以上、です。(1カ月あたりのDL数で見ると、58冊@月→377冊@月で、約6.5倍ですね。)
これは、劇的に増加した、と言えるのではないでしょうか、ね?
もちろん、2014年の末に始めたTwitterの効果が大きいと思いますし、プライスマッチによる常時無料化の効果も大きいです。
だから、ブログの効果がどの程度かは分からないのですが。(日々アクセス数とDL数の相関関係も全く判りませんし)

それに人気セルフ作家さんに比べると、まだまだ全然少ないですよね〜。もっと面白い本をどんどん書かなきゃ!

次の目標は年間1万DLと言いたいところですが、それはちょっと無理でしょう。常時無料本のDLはじりじり落ちていますし、知名度がいきなりドカンと上がるなんてことはありそうもないですし。新刊本は今後ももちろん出しますが、今までのように1冊あたり2〜3回の無料キャンペーンを行なうのは止め、発売時のみにします。そうでないと、先にお金を出して読んでくれた方に失礼だと思うのです。

そうそう、アクセス数の目標は、やっぱり20,000ビュー行っちゃいましょう。これでも世間のブロガーの方からすれば、ゼロみたいな水準ですものね。投稿数はドーンと365本目標、毎日更新です!
(すでにシルバーウィークの予定が全く消化できず、危機的状況にあるのですが──)

本日もいつも通り、20時には『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の最新話を掲載しますので、そちらもお忘れなく。

今後ともどうぞ宜しくお願いしますですッ!

ではまた後ほど!

iPad miniとの微妙な因縁3

まさかの3回目。長過ぎず、さらっと読める記事を提供するというコンセプトの元に、一本を短めに……。
(既に説明がくどいな)

僕は仕事でちょっとしたARコンテンツ開発のようなことをしているのだけど、そのチェック用として突如脚光を浴びたのがiPad miniだった。
今はなき(アップルに買収された)メタイオ社の偉い方が、
「ARコンテンツのプレビュー用にはiPad miniが最適だ」とセミナーで仰ってたのも大きかった。

それまではiPadを使っていたのだけれど、何しろ重い。ARコンテンツを開発している間は、認識させる画像に端末のカメラをしょっちゅうかざしている必要がある。ずっと手に持っていなければならないわけで、とてもじゃないけど何時間もやっていられない。
じゃあ、iPad miniを導入しよう。と、ごく自然に話は決まった。

それから毎日のようにiPad miniをいじる日々が続いた。

一方プライベートでは、CPUがとても速くなって使いやすくなったiPod touch5を愛用していたわけだけど、またもちょっとした油断で、愛機が使い物にならないオールドマシンと化してしまった。

iOSのアップデートに対しては結構慎重になっていたつもりだった。より新しく重いOSが入れば、せっかくのCPUもすぐに時代遅れのものになってしまう。だから、iOS6を使い続けていた。それ以上は上げない気でいたから、iOS7もダウンロードしなかった。
そして、iOSは8になった。iOS6で動く僕のtouch5は快適快速だった。
しかし、愛用アプリのいくつかがiOS8対応になり、同時に6では起動しなくなってしまった。
「しまった!」と思ったときにはもう遅く、もうiOS8を入れる以外の選択肢はなくなっていた。いろいろと評判をサーチしてみた限り、iPod touch5とiOS8の組み合わせに問題はなさそうに感じられた。

そして、端末全体のバックアップを取ることもなく、僕はiPod touchをiOS8にアップデートした。駄目だったら工場出荷状態に戻すしかないのだから、データだけバックアップされていれば、iOS6に戻るだけなのだ。

悪夢が始まった……。

画面を縦横回転させると、反応するまでに10秒以上待つ──。
キーボードを変更すると、キー入力を受け付けるまでに10秒以上待つ──。
キー入力の途中で止まり、次の操作がしばらく出来なくなる──。
Facebookアプリはどうにもならない動作状況で、結局アプリを消すはめになった──。
作曲アプリの同時再生トラック数が激減。音飛びが頻発する──。
メールアプリを起動して、受信するまでに10秒以上待つ──。
メールを送ると、相手に着信するまでに10分以上掛かる──。
執筆に使っているPlain Text2が頻繁に、突然に落ちる。しかも、打った文字データが全て消える──。

まあ、よくぞこれで使っていられたなあという状況。
そしてこの夏、アップルから突然、iPod touch6が発売された。今回もサイズアップはなく、内部の高速化が行われた。
これはもう、決めるしかなかった。

さよなら、ロボット。じゃなくて、タッチ。

3代使い続けたtouchくんよ、残念ながらもう、さよならかも。と思いながら、ふともう一つの活路を思いついた。メインマシンをiPad miniに、iPodとしてtouchをダウングレードして使い続ければいいじゃないかって。出来ることは減るけど、小さくて軽い端末はやっぱり便利だろうと。

苦節3年、微妙な関係を続けながら、こうして僕の元にiPad mini4はやって来たのだ。
今はこの環境を手に入れて、本当にとても充実した毎日を送っている。

あれ?

もしかして、また続くかも……。
(因縁話はこれで終わりだけどね)

iPad miniとの微妙な因縁2

と、いうことで、昨日の続きを。

年が明けて2013年、僕はiPod touchの利用環境を改善させるため(というか、ネットワークを使い続けるため)、ついにモバイルWifiルーターを導入しようと決めていた。それまではNTTの月極め低価格Wifiスポットサービスがあって、それを利用していた。たしか350円@月で、主だった駅や商業スペースなどで使えるというもの。
当時はSNSもブログもやっていなかったし、帰るコールの代わりに、妻にメールを一本書ければそれで良かったのだ。

ときどき、Youtubeなどで見たい動画があったり(主にCGのチュートリアルだ)、家でDLし損ねてたりしたPodcastがあると、ちょこっと駅で繋いでDLしていた。とまあ、携帯電話を必要としない僕には、それで十分だったんだけど、あるとき、NTTが低価格Wifiスポットサービスを廃止すると発表したのだ。
この手のサービスは拡大するだろうと考えていた僕はとてもビックリしたのだけれど、まあ、世間的にはあのサービスを必要とする層はごくごく少数だったのだな、と納得もした。

そこで、娘がiPhoneを買うついでに、僕もWifiルーターを買おうとショップに赴いたのだ。

そして、驚きのサービスに出遇った。
新規でwifiルーターを契約するお客さんには、iPad miniのWifiモデルを2,000円で提供するというものだ。たった、、2,000円だ。でも、僕の心にはあの悲しい思い出がずーんと沈んでいた。何万円も払って買おうとしたiPad miniを開梱することもなく返品した朝の記憶。
コンビニのカウンターに段ボールを載せた記憶。
愚かな記念日。

「いえ、いらないです」
僕は、反射的に即答していた。店員さんは驚いていた。断る人はいないと言われた。たった2,000円がもったいないとは思わなかったけど、僕はまた反射的に答えていた。

「不要なんで」と。
「本当に良いんですか?」と繰り返す店員さん。
いいからもう訊かないでよ、と恨み目になりつつ(心の中で、ね)、
「ええ、必要ないから、いらないです」と丁寧に繰り返す僕。

後ろ髪を引かれるようにして、ショップを出た。子供たちからは勿体なかったんじゃないかと言われた。でも、なんだかどうしても駄目だった。
ここでこれを手に入れるわけにはいかないのだ!
と、意固地になっていた。
(そんな大きな問題じゃないけどね〜)

それから数ヶ月後、iPad miniは意外な形で僕の前に現われる。

次回に続く──。

電書ちゃんの10月20日を、僕も予想してみた!

はっきり言って、自信ありです。
(もちろん、外れても知らんぷり前提ですがね)

ろすさんは何かプログラムを組んでいるらしい──
と来れば、もうこれしかないでしょう。

でんでんコンバーターのアプリ化。
名称はベタで《でんでんコンバーター2》。でんでんコンバーターXでもいいよ(笑)
では早速、予想機能を上げてみましょ。

・WEBアプリケーション
 HTML上で動作するから、当然、全OS対応。
・プレーンテキストを入力し、画面上で簡単マークアップ。
 縦書き、ルビ付き、圏点付き、文字サイズ制御あり(強調や段落タイトル用)
 →理想的にはプレーンテキストのマークアップじゃなくて、RTF入力出来ると凄いんだけど。
・EPUB3書き出しが標準だけど、そのまんま.mobi出力も出来る
・表紙や挿し絵も指定できる
・奥付ページは別のCSSを適用できる
・改ページ対応、目次自動生成

きっと、こういうすんごい理想的な変換環境が、今まさに生み出されようとしているのだ。と、勝手に想像してニヤついている。
(きっと、もっとすんごいのだろうな。僕の想像を遥かに超えて!)
あ、あくまでも僕個人の《想像》ですよ、誰かにプレッシャーを与えるつもりなんて、全然ありません。全然。

「あんたたち、もう上手くEPUB作れないとか言わせないわよ!」
「だから言ったじゃない、あたしのでんでんコンバーター2を使いなさいって!」

そうやって呟きまくる電書ちゃんの姿が想像できて楽しい。

あとね、こういうのがあってもいいな。

・ユーザー起因のepubエラーがたくさん検出されると、電書ちゃんに怒られる
・簡単な記述ルールミスがあると、電書ちゃんに怒られる
 (読点の連続とか、字下げの抜けとか、三点リーダーや「──」の表記ミスとか)

この時に怒りに出てくるぷんすか電書ちゃんが、ちょこまか動き回ったりするとうざい楽しいだろうなあ──

どうでしょうか、ね?

iPad miniとの微妙な因縁

ええ〜、遠視に続き、『微妙な』シリーズ第2弾(多分第3弾はないだろうけど)。

iPad mini 4を購入しましたよ!
僕はこの端末とは因縁があるのだ。まあ、「あ、そう」程度の話なんですが。

僕は長年iPod touchを愛用しているのだけど、いくつか不満があったのだ。まあ、端末の仕様だから文句を言う筋合いのものではなく、単に不満。
初代のiPad miniが発表される前、その新しい端末はiPadの小型版なのかiPod touchの大型版なのか、どっちなんだと噂になっていた。僕はiPod touchの大型版を欲していたのだけど、発表されたのは今までよりちょっとだけ大きいiPhone5と同じサイズのiPod touch5と微妙な大きさのiPad miniだったわけ。
まあたしかに大きくはなったけど、なった幅が微妙過ぎる……と。

iPod touchに対してそれまで思っていた残念ポイントはというと──

何しろ画面が小さい。(当たり前だけど)
細かく上げると、

1. 文章を書くとき、画面がキーボードと変換候補で埋まってしまう。アプリによっては入力された文章の表示が3行か4行しかなくて、前後関係をまったく把握できない。これは、文章書きにとってはとても大きなストレス。

2. 作曲アプリを使っていると、やはり編集画面が小さ過ぎて、とても疲れる。

3. お絵描きアプリにも画面が小さ過ぎて……。

4. スカルプトアプリにも画面が小さ過ぎて……。

てな感じかな。何しろ、小さいことの弊害が多いのだ。(特に僕の場合、遠視で──しつこい──UI等の字を大きく設定しているので、表示情報量が相対的に減ってしまう)
iPod touchはiPodのタッチパネル版などではなくて、やはり超小型のコンピューターだし、そういう使い勝手を想定したのがiOSでしょうと。
だから、iPod touchの画面が1.5倍くらいになるといいのになあ……と、ずっと思っていたのだ。で、発表されたiPad mini。どうしようかな、と悩んだけど、発売を待っている間に「これはいいんじゃないか?」という思いが大きくなり、ポチったのだった。
当時。
勢いで。

2012年の秋だから、ちょうどKindleを買った直後で、同じくらいの大きさだろうというイメージがあったんだよね。
Kindleは、コートなどのポケットにぎりぎり入るサイズ。恐らく、iPad miniも入るんだろうと思い込んでいた。
たまたま仕事の関係で、アップルからiPad miniが届く前日にアップルストアの近くに行ったんだけど、「そうだ、iPad miniの現物をいったん見ておこうか」と思って入ったのだった。

iPad miniを手に持っての第一印象は、
「あれ? 大きい」
だった。

そして、店員さんにお願いしたのだ。
「済みません、これ、ポケットに入れてみていいですか?」と。
(何言ってんだ、この客、という顔を一瞬しつつ、優しく「どうぞ」と店員さん)

入らなかった。入らなかった!

ぎりぎりでもポケットに入れば、iPod touchと同じ使い勝手で画面の大きな理想端末が手に入る。そう思っていた淡波は、大きく裏切られたのだった。(考えが浅いですね〜)

そして、淡波の取った行動は?

家に帰り、アップルストアのアカウントにアクセスし、いきなり購入をキャンセル。しかし、もうキャンセル出来ない。そこで、返品手続きを。
翌日、届いた段ボールをそのままアップルに送り返してしまったのだった。

注文してから返品するまでの一週間はワクワクしていたけど、これでどんより。そして週末、最寄りのPCデポで、こちらも発売されたばかりのiPod touch5を購入したのだった。

だが、そこからがiPad miniとの因縁の始まりだった────。

次回へ続く
(これで終わんないじゃん)

淡波、やってはいけないミスを犯す(昨夜の大変な事態とは……?)

昨夜は何人かの方に、とても心配をお掛けしてしまいました。
何を隠そう、『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の関連フォルダを丸ごと全て消去してしまったという、大事件を起こしてしまったのです。
この連載もいったんは存続の危機に瀕してしまうという非常事態でしたが、仏滅さんのアドバイスによりデータ復旧ソフトを掛け、なんとか連載データを生き返らせることが出来ました。

もしこの先、同じことをしてしまうひとがいたら、《それでも何とかなる》ということを知っていただきたくて、ちょっとだけことの顛末を記しておきましょう。

発端:iPad mini4 を購入

・我が家のWifiネットワーク設定は、妻のiPhone3GSが繋がるようにレガシー設定になっている
・最近の機器は、Wifiを検知するとサクッと繋がるようになっているが、我が家ではそれはない
・繋げるためにはDNSの設定をしなければならない

つまり新規購入した機器は、設定をちゃんとしないとWifiに繋がらず、何もしなくても繋がることが前提の機器は初期設定が出来ないのです。
(iPad mini4については、今夜から別の短期連載が始まります……)

そこで、iTunesで設定オプションを用いるために、iPad mini4をMacに接続したのです。

事件1:iPad miniとiTunesが繋がらない

・iTunesのバージョンが古く、最新過ぎるiPad mini4は互換性がないといわれる
 (YosemiteのフラットデザインGUIがどうしても好きになれず、Mavericksを使い続けていたのです)
・iTunesをバージョンアップしなければならなくなる
・iTunesのバージョンを上げるためにはOSを上げる必要があると短絡的に考える
 →これが最初の間違い

事件2:バックアップの失敗

・OSを上げるなら、最低限のバックアップを取らなきゃと考える
・夜中なので、Mac丸ごとTimemachineは辛いよな、と考える
・じゃあ、大事なデータだけバックアップしようと考える
・エビネルさん関連の親フォルダを、丸々Dropboxにドラッグ
・クラウドへのコピーが開始された……
・容量オーバーでバックアップが中止される

そう、通常の小説用フォルダなら、データ容量は数十MBがいいところ。でもエビネルさんのフォルダには、音楽データがごっそり入っていたのです。DAW(Digital Audio Workstation)ソフトの曲データは、1曲分で2〜3GBになったりします。生録の全テイクが保存されてますからね。だから、あっという間にDropboxの容量が一杯になってしまったわけ。そこで有料版を購入するという選択肢もありましたが、まあ、通常はDropboxにバックアップを取ったりはしないので、「じゃあ止めるか」となったわけです。

事件3:決してやってはいけないミスを犯す

・バックアップに失敗したので、Dropbox内に持っていった『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の親フォルダを消去。
・作業中フォルダをゴミ箱に入れたからなのか、Dropboxの同期が上手く取れない
・ゴミ箱を空にした────!!

実はコレ、昨晩ではなくて木曜日深夜の出来事でした。そのまま何の疑問も持たず、iTunesをアップデートしてiPad mini4を設定し、大喜びで床についた僕だったのです。(ちなみに、iTunesはYosemiteにしなくても最新版(?)に出来ました……)

事件4:事件は、二日遅れで発覚する

昨夜の『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』、第三十話ですが、例によって自分自身、どんなお話だったか思い出せず、皆さんからのTwitterのコメントなど見ながらここでもう一度読んだのです。
で、誤字を一字発見。これは直さなきゃ、と思い、エビネルさんフォルダを開ける、開ける、探す……。ん? フォルダがない!!


こうして、事件が発覚したのでした。

検索しても、あちこち探しても、エビネルさん関連のデータは全てが失われていました。前回のTimemachine日付を見ると、8月9日。物語の中盤までしか書いていない頃。もちろんデータはプレーンテキストで、ルビも何もない。
もう、絶望です。どこにもバックアップはなく、第三十一話のEPUBすらどこにも残っていない。
僕は、絶望の呟きをしたのでした。

お話はほぼ残っているとか書いてますが、とんでもない。お盆前ですものね、残っていたのはまあ半分がいいところでした……。

光明:そこで、救いの手が!

このぶっきらぼうな呟きがいいですね。仏滅さんが、データ復旧ソフトを紹介してくださったのです!(しかも無料で使えるバージョンがある!)
ちょっと考えれば、こういう復旧ソフトの存在を思い出せるはずなのですが、何しろひどくパニクっていて、頭の中は「もう駄目だ〜」で一杯になっていました。

即ダウンロードし、インストール。ファイル検索を開始しましたが、何も現われなかったのです。やっぱりSSDだからHDDと違って消したら終わりなのか? やっぱりもう駄目なのか、と諦めかけたとき、『ファイルが見つからないときはディープサーチを試してください』というような説明を見つけたのです。即開始。これは2時間弱くらい掛かりましたが、なんと160万ファイル以上が検索されました。

ここから目的のフォルダを探し出し(中々見つからず、苦労してしまいましたが)、無事、連載データや表紙画像データなど、復旧させることが出来たのです。
ただ、音楽のデータはやはり重過ぎて、無料バージョンでは復旧不能でした。
どうしようかな、買っちゃおうかな、とも思いましたが、消えたのはあくまでも中間データ。完成品はSoundCloudにアップ済みですし、無圧縮データがiTunesにも残っていますから、まあいいかな。と結論したのです。
ミックスのやり直しとか、ボーカルの録り直しはもう出来ませんが、まあ、それはそれでいいでしょう。どうしても必要になったら、また復旧させることが出来るでしょうしね!(全部唄い直してミックスし直すのとどっちがいいかな?)

教訓:Dropboxの特性を把握せよ!

一番の敗因は、Dropboxでバックアップを取るとき、Dropboxのフォルダに入れること=バックアップコピーを取ることと考えてしまったことです。
実際は、Dropboxフォルダはローカルにあって、そこにデータを移すと《移動される》わけです。その時点では、データは一つしか存在していない。それを、Dropboxの機能がクラウドにコピーしてくれるわけです。
だから、バックアップに失敗したら、同期を止めて、フォルダを元の階層に戻してやる。それだけ。それが鉄則。間違えてもDropboxフォルダからデータを削除してはいけません。そこはローカルのディスクだから!

ええ〜、いかがでしたでしょうか?
こんな凡ミス、普通はやらないですよね。しかも、まともなバックアップを取っていなかったという二重のミスですしね。データを消してしまうのは『そののちの世界』の大ポカで懲りたはずなのに、本当に懲りないなあと思いつつ……。

もし、少しでも参考になったら幸いです!

では、奈落の底から無事生還した『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』を宜しくお願いしますね!
20時になるのが待ち遠しいですね────!

遠視と老眼の微妙な関係

いきなり唐突ですが、《遠視》と《老眼》って、どう違うのでしょう?
若い方にはそんなこと関係ないですよね。と思うでしょ?
No No, 違うんですよ。

僕が遠視用の眼鏡を掛けはじめたのは、三十代半ばの頃。仕事はまあそこそこハードで、パソコンを使う仕事の比率が増えてきた頃だった。日々、眼精疲労は蓄積していたし、なんだかディスプレイがよく見えないこともあったと思う。でも、それくらいではまだ何も気づいてはいなかった。

だけど、ある時急に、ディスプレイを見ていて耐え難い頭痛と吐き気に襲われたのだった。それは、ディスプレイの文字を見ようとするだけで僕を襲い続け、もう仕事どころではなくなってしまった。仕方なく、その日は早退したように記憶している。
ディスプレイだけでなく、本も読めなくなっていた。
明くる日、当然また仕事でパソコンを使わねばならなくなった。細かな文字を追っていると、ものの30分で前日と同じ症状が現われていた。休み休み仕事をなんとかこなし、そのあとで眼科に行ったのだと思う。

以前から、電車で本を読んでいると激しい吐き気に襲われることが頻繁にあった。特に、揺れの大きい電車、ちょっと暗めの電車では、もう駄目だった。少し本を読んでいるだけで、すぐに気持ちが悪くなった。ただ、疲れているのだと思っていたが、それだけではなかったのだ。

検査をしてくれたお医者さんが言った。
「眼鏡を作りましょうね」
「え?」

僕は何を言われているのか分からなかった。視力の良さには絶対の自信があったのだ。検査ではいつも2.0だったし、もしそれ以上小さな記号があっても、見えるのではないかとさえ思っていた。だから、眼鏡というものは僕の中で完全に異次元の物体。子供のころは目の悪いひとの《ものの見え方》というものがどうやっても想像できず、指を一本二本と示して近づけたり離したりしながら、「これ何本?」なんて実験していた。なんとまあ、失礼なガキんちょだったろう。

お医者さんが続けた。

「近くを見るための筋力が衰えてますから、眼鏡で矯正するほかありませんよ」
「なんか、病気とか、一時的なものじゃないんですか? 原因って……」
そう言い淀む僕に、お医者さんはズバリと言った。
「年齢のせいですよ」
「ね、年齢って、まだ三十五ですけど……?」
「もともと遠視系の人は、早いんです」
「早い?」
「ん〜、まあ老眼というのもアレですが、そういうことです」

そういう、こと、か……。
確かに、遠視系だから、もともと近くをはっきりと見るためにはそこそこの集中力が必要だった。検査によれば、乱視も入っているらしい。だから、筋力が衰えて補正能力が下がると、もう眼鏡で補ってやるしかないのだそうだ。
そして僕は、眼鏡を作った。遠視用の眼鏡だ。乱視も入っているし、その辺で売ってる老眼鏡では駄目なのだ。ちゃんとレンズのレシピ(カルテ?)を持って、眼鏡屋さんで作ってもらった。とても新鮮な体験だった。

遠視というものはつらい。遠視用の眼鏡はごく近くにしかピントが合わない(数十センチからせいぜい1メートルの範囲)から、眼鏡を掛けたまま立ち上がることも出来ないのだ。その眼鏡を掛けた状態で少しでも遠くを見ると、視界が歪み、ぐわんぐわんと世界が狂うのだ。その突然の眩暈といったら半端じゃない。始めのころは慣れず、それでよろめいたり、倒れそうになったりした。

さすがにだんだん慣れた僕は、眼鏡をしたままで《何も見ないで動く》というテクニックを身につけた。今でも度が進んで眼鏡を作り直すと、眼鏡屋さんからは必ずこう言われる。

「この眼鏡をしたままでは絶対に立ち上がらないでくださいね。眩暈で倒れちゃいますから」

そう、近くを見ている目の状態のままで立ち上がろうとすると、視界の酷い歪みで大変なことになる。だから、眼鏡の枠の外だけに意識を集中して────つまり、極端な上目遣いとかしながらレンズの向こうは見ないようにして────動き出すのだ。そのまま数歩程度なら歩ける。両手に物を持っていたり、眼鏡を外す手間が面倒なときはそうやって動く。

日常生活で眼鏡をしている時間はどのくらいだろう?
こうやってコンピューターの画面を見ている時は必須だし、iPodの画面を見るときももちろんそうだ。何しろ、眼鏡がないとディスプレイの文字は何も読めないからね。
そう、一つ良いことがある。良くないことか?

僕は何かお菓子とか調理済みの食品を買うとき、すぐ裏を見てしまっていた。それで買うかどうかの判断を働かせていた。添加物の量とか、変な材料を使っていないかとか、気になって仕方がないのだ。
これは、しなくなった。というより、出来なくなった。だって、ラベルを見たって何も読めないんだから、さ。
だから、歩きスマホもしない。見えないから。(いや、そもそもスマホもガラケーも持ってないけどね)

電車の中でTwitterなどやっていて、駅に着くと離脱してしまうのはこういうわけだ。歩いていると眼鏡は掛けられないから、文字が見えないのだ。
(昨日の夜、あまり霧が濃かったので、ちょっと写真を撮ってTwitterに投稿するという荒技に挑戦した。そもそも真っ暗で、歪む世界は少ない。だから、画面にピントを合わせたまま歩けば、眩暈もしない。危なすぎ!)

まあ、そんなことで、目のいい人ほど《アレ》が早いですよ、というつまらないお話でした。
2,300字も付き合わせてしまって、済みませんです。

このあと20時は、いつもの連載ですよ。
『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』、今日はどうなるのでしょうね?
(読んだことのない方はこちらへどうぞ。まとめ読みのページです)

では、のちほどまた!

イヤフォン雑感/SURE SE112

騙し騙し壊れたイヤフォンを使うのがいい加減ツラかったので、とうとうまた購入。今回は初のSURE製品。SUREと言えば、バンド経験者なら使ったことのない人はいない、マイクのメーカーさん。ヘッドフォンはもちろんオーディオ全般に定評がある老舗ですね。
SUREのイヤフォンと言えばSURE掛けというくらい、独特な掛け方も定着してますが、初めてそれにもチャレンジ。

昨夜届いて、一応気休め程度にエイジングらしきものを7時間ほど。さ、ここで耳がピクッと動いた方、いますよね。エイジングと言えば賛否両論。効果があるという科学的根拠も、意味がないという科学的根拠もなかったはず。
以前は効果があるか分からないなりに100時間ほど鳴らしたりしてたけど、今回は早くまともなものを使いたかったので、一晩だけ。
いきなり使い始めた方が、次第に音がこなれていくのを感じるかもしれないな、とも思いつつ。

まずは歩きながら耳に掛ける。
ケーブルがしっかり太くてちょっと硬め。SURE掛けって結構ムズカシイ。耳からスルッと外れつつ、なんとか固定。いったん固定すれば、硬めなだけにとても安定する。期待通り、タッチノイズはなく、いい感じ。
音は……あれ? 低音がない。高音もない。イヤ、そんなはずないだろ、SUREなんだから、と思い、グリグリと耳穴にイヤーパッドを押し込む。あ、やっぱり装着が悪かった。突然中低音が出てきた。

が、何しろベースが軽い。ベードラが寂しい。高音の抜けもないなあ。たしかにヴォーカルはクッキリ出てるし聴きやすい。定位もかなりはっきりしてる。
僕はドンシャリを求めてはいないし、ダンス系やヒップホップ系も聴かない。にしてもこの寂しさは何だ?
ハイハットがほとんど埋もれてるような……。
ふと思いついてiOSのイコライザーを各種試す。どれもしっくりこない。
どのプリセットに設定しても、よりバランスが悪くなるだけだ。

で、まんまの音に戻す。
ん? なんかこれ、落ち着かね?
と、改めて思った。いや、悪くないんじゃないの?
一言でいうと、疲れなさそうな音。BGMとして流すにはちょうど良いかもしれない。
ベースラインを追ったりサウンドのバランスを調整するのは無理っぽいからモニタリングにはちょっと使えないけど、ぼーっと聴くにはグーかも。

特筆すべきは、その遮音性。これはクリプシュの数万円の製品にも迫るかな、うん。
ホームに立っていて、電車が近づいてくることに気づく距離が確実に縮まった。これがノイズキャンセリングのものだと、全く気づかずに目の前に電車が現れたりするわけだけど、まあそこまで求めなくてもいいかな。

試しにベートーベンなど聴いてみる。うむ、まあ電車の中でもそこそこ静かな部分が聴こえる。
すごく良い、ということは全然ないんだけど、贅沢言わなきゃこれは、壊れるまで付き合えるかな。
アップルの高い方のアレよりはずっといいし、頑丈そうなのも魅力だな。

ということで、こんなの聴いて書きました。

・”Stairwells”, “Elements” By Kina Grannis
・”Everybody loves a happy ending” By Tears for Fears
・Depeche Mode のいろいろ
・ベートーベンの交響曲第1番 By ベルリンフィル(カラヤン)
・”Seanwes podcast” By Sean McCbe & Ben Toalson

メチャクチャな選曲だなぁ。最後のは音楽じゃないけどね。
(音楽好きな人に何じゃこりゃと言われること間違いなし……)

では、連載中の『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』も、宜しくお願いしますね!