あれは最善の結末なのだった、が。

いろいろな読み方があっていい。読者の数だけ感想があっていい。小説も音楽も絵画も映画も舞台も詩も……。
でもね、一つだけ言っておきたい。

ああいった形で、結末をバラさないでくれ。

あの作品、『ケプラーズ5213』の結末は最初から決まっていたし、あれが僕の一番書きたいことだったのだ。非常に陳腐だし、ガキっぽい結末かもしれない。でも、僕はああやって文明が人類を裏切り(いや、人類のおごりが生物としての人類を裏切り)、どうにもならないところに落ちて行って、動物に還ることでしか救われないという姿を描きたかったのだ。
(ああ、これでもうケプラーズは読まれない……)

ケイトとソーの物語は、それを個人的なレベルで、ちょっと斜めの場所から描いている。
《生き残るために最適な解は何か》、二人はそれぞれ自分の頭で考えて決断した。そこには、その時の二人には、もはや恋愛感情なんてない。
表向き、僕は読者の期待をひどく裏切ったように見えるかもしれない。それはそれで、そこまでの二人の話の盛り上げ方が上手く行き過ぎたのかもしれない。でも、僕はあの結末を一直線に目指して書いていた。二人の恋も、そのためのものだ。《猿》の後、二人が、いや、ソーがどうなるのか、希望を残して終われればそれだけで最高の結末になると信じていた。ああやってソーがケイトの存在を思い出すことが、救いをもたらしてくれると信じていた。
いや、今でも信じている。

あれが《不誠実なはぐらかし》に思えたとしたら、それは読み手に作者の意図が伝わらなかっただけだ。それはきっと、書き方が下手だったんだろう。あからさまな書き方はしたくなかったし、テーマは、静かに底に沈んでいればいいと思っている。僕は巧みな書き方ができないけど、あれはごく誠実に、愚直に、テーマを追求した物語なのだ。
そこにブレはないし、ごまかしや帳尻合わせは一切ない。大事な部分を軽んじたことなどない。読者をばかにするなんて、とんでもないことだ。

批評されるのは嬉しい。辛いこともあるけど、自分以外の人間が、「面白い」「つまらない」以外のことを言ってくれる機会など、そうそうあるものではないから。

だけど、だけどね、《盛り上げるだけ盛り上げておいて尻すぼみになった話》と思われてしまうのは心外なのだ。そう思われてしまったのだから感想としては事実なのだけれど。
まあ、言い訳だと思いたかったら思ってもいい。作者が作品の説明をするなんて、最低だと思う。

ああ、また掘っている。墓穴ってやつを。

どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。

(つづく)

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