写真を見ると、上手い下手やセンスの良い悪いではなく、どうやって世界を切り取ろうとしているのかが透けて見える気がする。
どういうことかと言うと、僕が思うのはこんなことだ。
・カメラで世界を覗くと、自分の視界のうちのほんの僅かしか写らない(普通のレンズの話)
・それなのに遠くのものを撮ろうとすると、自分の目に見えているものより遥かに小さくしか写らず、そのぶん周囲の余計なものが写ってしまう
・何故写真を撮るのか?
⇒多くのひとが思い浮かべる理由は、「見たものの美しさを固定したい、残したい、伝えたい」からだろう
・写真は、「自分が見ている、感じている」ように残したい
・そのためには、世界をファインダーで「切り取る」必要がある
・切り取りたくなくても切り取らざるを得ないから、そこにはおのずと、「自分の切り取りたい領域」を盛り込むことになる
(もちろん、何も考えずに撮るスナップは置いておくとして、だよ)
SNSには数え切れないくらいの写真がアップされていて、自分の友人や知りあいだけでもチェックし切れないくらいの数を日々アップしている(実際、仲のいい友達の写真だって数パーセントしか見てなかったりするし)。
その中で、明らかに作品を撮ろうとして撮って投稿している人は少数派だ。
でも、みんな、何かを伝えたくてシャッターを切っている。
だから、写真はいろいろあって面白い。
同じ風景や情景を撮影しても、みんなの「世界の見方」はそれぞれ異なっている。だから、上がってきた画像は、それぞれ何かが違う。
だけど、「そりゃ違うだろ」って思わされる写真が、ここ何年かとても多い。
インスタグラムなんかで、自分の美的センスを動員しなくても「それっぽい写真」になるフィルタ機能がたくさんある。それはそれで、きれいな写真になるからいいのだけど、いったん「それっぽい写真になるフィルタ(特に、○○風とかってタイトルのついているフィルタ)」を通してしまった写真は、撮った人の個性よりもそのフィルタの個性が強まってしまうことが多い。
だから、ぼくはそういったものを好きになれないな。
写真にフィルタをかけるのは、「記憶色を再現するため」であったり、「見たときの感覚を残すため」であったりして欲しい。
適当にパシャっと写真を撮っても、○○風フィルタをかければ作品ぽくなるけどさ、それは、あなたの撮った写真じゃないんじゃないの?
そう思ってしまう写真が世の中に溢れすぎていると、思いませんか──?
みなさんは、どう思います?
じゃ、また明晩!