オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-3

僕は自分自信を救うために、一枚のアルバムを作った。やがてそれは、少しだけファンを生んでくれた。僕の好きだった叔母(故人・作詞家)が、周囲のひとにちょこちょこと紹介してくれていたのだ。
あるひとが、「毎日聴いています。大ファンです」と言ってくださった。
僕はまた、歌をやっていこうと思った。でも、環境がそれを許容しなかった。仕事は忙しくなる一方で、声を出す時間が捻り出せなかった。歌はスポーツのようなもので、週に2回はきちんと声を出さないと出なくなる。元々音程の悪かった僕は、ひどい下手くそになり下がっていった。楽器の演奏力ときたら、初心者中学生レベルになっていた。

次のアルバムを出すまでには、10年が必要だった。みっともなくあがきながらも、このままでは終われないと思っていた。録音のための練習に2年、実際の録音には3年以上かかった。テクニック的にはひどいものだったけれど、どうにかして1枚のアルバムが仕上がった。自分の手で、これを絶対に売る。と決めていた。ドメインを取って、WEBサイトを立ち上げた。プロモーションビデオを作って、youtubeに上げた。
でも、僕の宣伝リテラシーはそこ止まりだった。もちろん、SNSもやっていなかった。

当然のごとく、2枚目の個人アルバムは1枚も売れなかった。1枚も、だ。
ずっと僕を応援してくれていた叔母はすでになくなっていたし、今度のアルバムはどう考えても前述のファンの方の好みには合わないものだった。
サイトのペイパルボタンは、決してクリックされることがなかった。でも、懲りずにプロモーションビデオを作り続けた。ビデオのビュー数は二ケタ止まりで、なんのプロモーションにもならなかったのに。
試聴した友人からは、「メジャーの頃よりずっといい」と言ってもらえたその2枚のアルバムは、無料化して、今もひっそりとネットの海に沈んでいる。DL数もアクセス数も把握していないけれど、まあ、相変わらず誰にも聴かれてはいないだろう。

一方で、僕は小説を書くようになっていた。子供のころから活字が大好きだったし、詩はずっと書いていた。僕の書く詩は物語仕立てのものが多く、それが小説という形を取ることにも違和感はなかった。
僕の小説は、小説家を目指している人が書くものと少し違うのではないかと思っている。基礎もテクニックもない。ちょっとした文章を書く仕事もしていたけれど、それは整合性の取れたきちんとした文章を書く訓練になっただけだった。文芸を書くための勉強はしたことがない。
若いころの僕はアウトプットが全てで、インプットする時間を惜しみまくっていた。それが必要だとも思っていなかった。僕の読書体験は乏しい。小学生の頃はそれなりの読書家だったけれど、自分で何かを表現することを覚えて以来、読書量はかなり減っていった。

さらに、音楽家を目指していたころは、とにかく英語で歌いたかった。だから英語の勉強がてら、本はできるだけ英語のものを読むようにしていた。これにはとても時間がかかる。ひと月で1〜2冊読むのが精いっぱいだ。そんな読書を二十数年も続けていた。だから、読書の絶対量はかなり少ない。60〜70冊くらいは読んだのではないかと思うけれど、別に英語ぺらぺらにはならなかったし、相変わらず文法間違いだらけの英語詞しか書けない。日本語で書かれた本は、きっと年に1冊くらいしか読んでいなかった。もしかしたら、文体を形成する上で良い影響があったかもしれないけれど、ね。
(以前ネットで見た石田衣良さんの小説家セミナーによれば、小説家志望者は年に千冊、特定のジャンルの本を読むべきだという。そのくらい読まないと、あるジャンルのパターン全てを頭に入れ、自分のものにできないというのだった。何ともまあ、ハードルを上げられてしまったものだ)

40歳を過ぎたころだったか、いかに自分の価値観が偏っていたか、ずれていたか、創作者にあるまじき態度だったのかが、じわじわと染み込んできていた。守破離という言葉がリアリティを持って理解できたのも、ようやっとその頃だ。遅過ぎる。あまりにも遅過ぎる。
でもね、まだまだ僕はいくらでも何かを創り続けられる。生み出し続けられる。だから、遅過ぎてもいいんだ。人生、まだまだ先は長いのだ。

今、僕の中にはむかしのようなオリジナル信仰は全くない。先人の残したものを少しでも味わい、吸収したいと思っている。身に付けるなんておこがましいことも言わない。

だけどこんな僕にも一つだけ、手に入れた大きなものがある。
僕はこの十数年にわたって、クライアントのためのビジュアル表現を仕事にしている。だから、創作物を届ける先、小説でいえば読み手のことを常に意識できていると思っている。自分の表現は最低限に抑え、クライアントの求めるものをひたすらに創り続けているからこそ得られた視点なのではないかと、少しだけ思っている。少しだけ、だけど。
読みやすいこと、理解しやすいこと、伝わること。でも、それだけでは終わらないこと。自分の書きたいこととのバランスに、いつでも注意を払いながら、ね。

そうやって今日も、淡波は何かを創り続けているわけなのだった。

三日間にもわたる、取るに足りない長い記事を読んでくださって、本当にありがとうございます!

おっと、ここでもう一つ(ジョブズ風に)。
最新のプロジェクトである『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』は、この週末、いよいよその一端が明らかになる予定だ。請うご期待! ということで……。

今後とも、宜しくお願いしますねッ(≧∇≦)//

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