オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-1

タイトルも書き出しも内容も違うけど、これは昨日からの続きなのだ。


 

《オリジナルにこそ価値がある》
《人の真似なんて最低だ》
《自分だけのオリジナルを生み出せ》

僕は、そう言われて育った。
僕の親父は若いころ、ほんのいっときだけれど画家だった。胸を病み、長期入院して持て余した時間を使って、油絵を自己流で描き始めたらしい。
それがなぜかたいへんな評価を受けたらしい。
画廊に出した絵は全て売れた。アメリカの画商が買い付けに来た。当時、サラリーマンの給料よりずっと大きな額が、病み上がりの青年の懐にぽんと入ってきたらしい。

親父は、独学だということが誇りだった。専門教育を受けていないということが、自分のオリジナルを生み出す要素だと信じていた。
それが、基本などクソ喰らえという子育てに繋がったのだった。
(親父は子供ができてから、数年で絵を止めてしまったのだった。僕らが邪魔をするのが耐えられなかったらしい。そして、普通のサラリーマンになっていた)

若いころの僕は、いつも恐れていた。優れた作品に触れることは、影響を受けることだ。それは、オリジナルを失わせることだ、と。

基本がなければオリジナルなどない。そもそも、オリジナルなど幻想だ。《守破離》という素晴らしい言葉も知らなかった。
だけど僕は、若いころずっとオリジナル信仰という罠にはまり続けていた。

僕は音楽家を目指していた。でも練習は嫌いだった。オリジナルを生み出すことが全てだった。練習など不要だった。音楽鑑賞すら、余計なものだった。誰の真似もしたくなかった。僕はどんどん作品を生み出した。仲間のいなかった僕は、デモテープを作るためにいろんな楽器を演奏したけれど、演奏できるのはその時に作った自分の曲だけだった。自分で作ったフレーズを録音するためだけに練習し、終われば忘れてしまう。「何か弾いて」と言われて演奏できるレパートリーは皆無だった。
誰の影響も受けていないつもりだった。
もちろん、物心ついて以来膨大な音楽を耳にしていた。口ずさんでいた。テレビやラジオから垂れ流される歌謡曲やポップスにどっぷりと浸かっていた。でも、コピーやカバーはほとんどしなかった。それだけで、誰の真似もしていないと思い込めるおバカさんだった。コード進行の勉強をしたこともなかった。

若いころ、偶然にもそれがいい方向へ転んだ。僕の作る音楽は《どこか違う》と言われた。《どんな曲を作ってもオリジナルだ》と言われた。でも、基礎がなければテクニックの積み重ねもない。あるジャンルに最適な楽器の構成も、定番のリズムも、コードの展開方法も、何も知らなかった。ベースラインですら、感情の赴くままに書いていた。ベードラとのシンクですら意識していなかった。
常に一発勝負だった。
幸いにも小さなバンドコンテストで優勝したりした。前後して、ライブを見にきていたメジャーレーベルの人から誘いがかかり、僕はミュージシャンとして颯爽とデビューした。《天才》と持ち上げるひとがいた(たった一人ね)。
何冊かの雑誌に記事がのり、最高の気分だった。(内容は当たり障りのない、なんてこともない記事だった)

でも、たった数千枚の初回プレスが売れなかった。僕のことなど誰も知らないままだった。

【つづく】

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