Twitter、そしてこのブログを始めたのは、《読者に価値を提供する》。それが目的だった。Twitterを始めたばかりの頃、とにかく価値ある呟きだけをしようと思っていた。だから、1日1ツイートするのが精いっぱいだった。なんだか、金言集みたいな、良い言葉集みたいな、そんなものじゃなきゃ《作家のツイート》として意味がないんじゃないか、と思い込んでいた。そして、そんな言葉たちが潜在読者を生み、タイムリーな宣伝が著書の売上げに結びつくのだ、と思っていた。
まあ、全くの間違いということではないけれどね、それは著名人とか、既にフォロワーさんがたくさんいる人とかね、そういう場合に喜ばれる類いのものだ。
誰も知らん無名の素人作家が、
「ね、これってためになるでしょ?」
的な呟きをしても誰も興味がないのは当たり前だし、そもそも、誰の目にも止まらないのだった。
以前、ここにも書いたけれど、誰もフォロワーがいないまま《価値のありそうなことを頑張って呟く》というスタイルをしばらく続けていた僕の呟きは、読者を増やすこともフォロワーを生み出すこともなかった。
その後、著名人や憧れのひとではなく、《同じ志を持つひとびと》をフォローするようになって、Twitterとの付き合い方ががらりと変わった。呟きも、本当にただの呟きが多くなった。もちろん、誰かのためになれるようなものを呟きたいな、という気持ちも、自分の作家としてのブランドを確立するための呟きをしなきゃ、という気持ちも変わらずにあったけど、もっと地に足のついた外の世界との付き合い方こそが《コンテクスト》なのだ、ということも学んだ。
毎朝、「おはよー、おはよー」と呟いている人がいた。
セルフ作家の広橋悠さんだ。そのツイートを目にし始めた頃、とても違和感があった。でも、広橋さんの作品に触れ、Twitter上でいろいろと話をさせていただくようになって、その呟きが、とても嬉しいものに変わっていった。朝、「おはよー、おはよー」を目にするだけで元気づけられた。
「推敲中!」
「執筆中!」
そんな呟きがとても身近になっていた。
Twitterを覗くのがとても楽しくなって、大勢の方と仲良くさせてもらうようになった。(決して多くはないけれど、友達がほとんどいなかった僕にとっては、とても大勢に思えるんだ)
バカだじゃれやおやじギャグ、どうでもいい下らない呟きをするようになって、でもそれで、多くの方たちの優しさや楽しさに触れることができた。
セルフ作家さんの本を読むようにもなって、本当に数えきれないほどの素晴らしい無名の小説があることを知った。
楽しい時間が、時間を忘れさせ、目的を忘れさせていた。
もう、当初の目的は意味がなかったと割り切っても良かった。
でも、ある時、ふと思ったんだ。
この呟き、たまたま僕の小説を読んでくれた読者さんが初めて見たら、どう思うのかな? と。
もちろん、《作家 淡波亮作》として《これはあかんだろ》というラインはあるし、最低限それは守ってきた。でも、《セルフ・ブランディング》と考えたとき、どう考えてもマイナスにしかならない呟きが、タイムラインを埋めていることもある。
後悔先に立たず。
ダメなところや恥ずかしいところ、おバカなところも含めて自分なんだから、それはそれでいいんだけど──。
実際、おバカな呟きを繰り返す○○さんや△△さんの作品が素晴らしいことを僕は知っているし、おバカな中にも知性や優しさが感じられたりするのだから、それはそれでいいのだ。悪いことじゃないのだ。
そんなことを思いながら、少しでも意味があって、誰かが楽しんでくれて、僕の小説に興味がわくような呟きを、していきたいよな、なんて思ったりするのだ。
そもそも人間は、矛盾を抱えた生き物なんだから。
反省しながら、後悔しながら、そして楽しみながら、こうやって先へ、先へと進んでいくのだ。
少しずつ。半歩ずつ。
ね。
これからも宜しくお願いします!
この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!