つい、真に受けないで欲しいと言ってしまうのは、僕も同じだ。誰にでもそういうことはあると思う。今夜の記事は独り言で、日記。面白いとも思えないし、ここで引き返した方があなたのためかもしれない。
僕は思い付きと直感と勢いで動いている部分が脳の大半を占めているので、先のことを考えるのがとても苦手だ。それでこの歳まで生きてしまったので、今さら将来(?)のことなんて考えられない。本職は何だかんだ言ってもサラリーマンだから、流されていけば定年までそのまま行ってしまうかもしれないし、会社が潰れて途方に暮れてしまうかもしれない。
まあそれはいいとして、計画性がなくて、思い付いたことをすぐに表に出してしまうんだなあ。行動も。
今夜は、そんな時期じゃないのに振り返ってみました。これまでの無計画を反省しながら。(言葉遣いと表記の揺れはご勘弁を……)
Kindle(KDP)で小説を出したのは、割と古かったと書いたことがあるけど、ほんとうにあの頃は何にも考えていなかった。『壁色のパステル』を出した後、Kindleのストアも管理画面もほとんど見ていなかった。1年間で三回くらい無料キャンペーンをやってみたけど、全部で100冊も行かない状況。それがどういう水準なのか、まったく分からなかったし、はっきり言って興味もなかったんだな。小説を出した後、まあ、無料キャンペーンをやれば少しは読まれるんだということが分かって、それで満足していた。あ、もちろん、完全に満足していたわけではなくて、他にどうしたら自分の本を誰かに知ってもらえるのか、何も思い付かなかったんだな。
当時はあらゆるSNSが嫌いだったから、とても偏見があった。会ったこともないひとと会話するなんて、キモチワルイとしか思えなかったし、それを使って自著を宣伝することなんて、逆立ちしても思い付かなかった。
作品にはそれなりに自信はあったから、もしも誰かの目に付いたら、少しずつ読者が広がるんじゃないかと、薄ぼんやりと考えていただけ。
でも、当たり前のことだけど、僕の出した本は全く読まれなかった(1年で三冊しか売れなかった)。その事実は、少しはプロモーションを考えなきゃだめじゃないかという気にもさせた。
それで考えた作戦がまた世間の感覚とは大きくズレていたのが自分らしいと、今さらながら思うしかない。
僕は『壁色のパステル』を出す前からずっと、『孤独の王』を書いていた。でもいろんな理由があって、中々終わらせることが出来なかった。そうして時間が経っていく中で、あるときふとプロットを思い付いた『さよなら、ロボット』を急に書き始めた。だから最初の三冊は、互いに執筆が被っている。気が付いたら『孤独の王』より先に『さよなら、ロボット』を書き終わっていた。この物語には少しだけ自信があった。壁パスに比べればずっとエンタメ性があるし、スケールも大きくて映画っぽい盛り上がりもある。これは、ちゃんとプロモーションをすれば化けるのではないかと、じっと考えた。長編二冊を出すんだから、きちんと計画を立てて、人の目に付くようにしなければ、と。
そこで捻り出したプロモーションが、予告編映像だった。お得意のCGを使って作れば、話題性もあるんじゃないかと思った。音楽もオリジナルで作り起こしたし、映画の予告編風に作ってみた。僕は周囲が全く見えていなかったから、セルフパブリッシング界で初めての予告編映像だと思い込んでもいた。
予告編映像作りはとても大変だったけど、楽しかったしやり甲斐があった。出来上がった時の達成感も大きかった。
どこに載せようかと思った時にふと浮かんだのがニコニコ動画だった。【作ってみた】とタイトルに書けば、すぐに何万ビューもいくんじゃないかと夢を見ていた。それまで一度もニコニコを見たことがなかったし、何の研究もしていなかった。自分の動画を載せるために会員になったけど、いちいちログインするのが面倒で、載せてからもほとんど見に行かなかった。なんか動画の上に文字が流れるのも好きになれなかった。未だに自分の動画を見るにはどこへ行ったら良いのかもよく分からないままだ。この記事を書きながら久し振りに見てみたら、公開から1年半で90再生しかいっていない。これは、0と等しい。
生み出した後の自作には、全然興味がなくなってしまうんだな。これが一番悪いくせだな。それには少し気が付いていたんだけど、どうも改善するまでにはいかない。続いて書き終わった『孤独の王』でも予告編を作ったけど、こっちは62再生だ。(リンクは後になって載せたyoutube。ログイン不要だから)
その頃は、ようやくFacebookを始めていたけど、これがまたズレまくりだった。本名だし、友達は《昔の》友達ばかりだったから、僕が小説を書いているなんて大きな声では言えなかった。今も仲の良い数人にだけ言うようなありさまだった。元々友達はほとんどいないし、まあ、何のために始めたのかも全然分からなかった。昔の友達が元気で暮らしていることを知って、それが嬉しかったくらいだ。
何がきっかけだったのかは忘れてしまったけど、何とか現状を打開しようとTwitterも始めた。でもフォロワーはリアルの友達が三人だけ。フォローも数人だった。何を呟いても誰も見てくれない日々が過ぎていった。フォローをしたりリツイートをすることで少しずつ広げていくんだってことも、考えつかなかった。「何も変わんない」そう思って諦めていた。でも、KDPを、Amazonというプラットフォームを妄信していた。ずっと置いておけば、いつかは誰かの目に触れるに違いないと、それだけにすがっていた。それこそ、何年か後になって急に読まれ始めることだってあるかもしれないって。
あるとき、フォロワーが何百人もいる息子に怒られた。
「どんどんフォローしなきゃ、フォロワーなんて増えるわけないじゃん」と。それでも僕はまだバカみたいなことにこだわっていた。フォローってのは、心からフォローしたい人だけをするもんだ。その人の言動をずっと追いかけたいのでなければ、フォローなんて意味がない。そう思っていた。だから、僕がフォローしていたのは、友達の他には尊敬するミュージシャンとか、CG界の有名人とかアーティスト、起業家、そんなのばっかりだった。同じセルフ作家をフォローするなんてこと、まだ思い付く土壌がなかった。
『ケプラーズ5213』を書き終わった僕は、自信に満ち溢れていた。これは絶対面白い、絶対読まれる本になる、って。だって、ハリウッドとかSFの嫌いなうちのかみさんまでもが、「これは面白い」と太鼓判を押してくれたんだから。だから、これまでとは違うレベルでちゃんとしたプロモーションをしなきゃならない。本気でようやく考えるようになった。そこで読んだのが、澤俊之さんの『440days in KDP』だった。何て遅いんだ!
これが今からちょうど5ヶ月前のこと。
読んで、猛烈に後悔した。今まで自分は何をやっていたんだろうと思った。澤さんと同じ頃に最初の本を刊行したのに、かたやノウハウ本まで出していて、かたやまったく読まれない状態に慣れてしまっていて。
まずはTwitterをちゃんとやろうと思った。TLを追うのは僕の目にはとても辛いけど(どんどんスクロールして気になるtweetを探すのは、本当に10分で具合が悪くなるほど、肉体的に辛いんだ。遠視と乱視のせいでね)、今度は人並みのことをやってみようと思った。
そうそう、それでいいんだって、と息子にも笑われた。
それから頑張ってフォローして、コミュニケーションを取れるように頑張った。
今、とても楽しい。つぶやくことも、つぶやかれることも、失態を晒して叱られてしまうことも。自分の至らなさに電車の中で赤くなったり青くなったり、一度や二度ではないけど、とても、大きな幸せを貰っている。僕は少し前までは完全に存在すらしていなかったんだから。今でも、たまに僕の名前を書いてくれる人がいると自分の目を疑ってしまう。嬉しくて、飛び上がりそうになる。(それは大げさ。飛び上がるのは頬の筋肉だ)
意識が高くて腰が低くて、優しくて、面白くて、才能に溢れる作家さんが山ほどいる。セルフパブリッシングによる小説がこれほどまでに豊かな読書体験を与えてくれるだなんて、半年前の僕には全く想像が付かなかった。どっかの誰かがいつか言っていた「素人の小説なんて、8割はクソだ」って言葉を真に受けていた。正直、書店で売っている本より面白い本だってたくさんあることに、疑いはない。本当にレベルの高いものがたくさんある。
僕は、読んで、書いて、あの偏見を変えていきたい。いや、もうそんな偏見はどこにもないのかもしれないけど。
ずいぶんツラツラと長いこと書いてしまった。ここまで読んでくださった人には心からお礼をしたいです。そしてごめんなさい、こんな理屈にもなってない、恥ずかしい文章に最後までつきあわせてしまって。
この埋め合わせは、面白い小説でしますから。お許しくださいな。
もし、僕と同じようにKDPで出しただけで立ち止まってしまっている人がいたら、この文章を読んで少しだけでも勇気づけられたらいいな、と思いながら。
(残念ながら、そういう段階では素人作家のブログなんか読まないんだけど……)
それでは、皆さんおやすみなさい。