「読書って勉強だろ」
「勉強なら他にいろいろなのものがあるし、本を読んだからといって必ずしも教養が深まるわけでもなく、無理して読む必要はないじゃない」
「読書は趣味でしょ」
「スポーツや楽器と同じで、好きでない人・得意でない人に強要しても仕方がないって」
そんな意見を読んだ。
本当に、誇張でも何でもなく、年に一冊も本を読まないどころか、これまでに一冊もちゃんと本を読んだことのないひとすら、今ではいるらしい。
「必要ではない」
そんな悲しい言葉が、当たり前のように語られている。
いま、読書の置かれている立場はかつてないほど厳しそうだ。
(かつてないとはいっても、誰でも気軽に読書できるようになったのだってせいぜい200年かそこらだろうけど←調べてません。突っ込まないで)
(電子書籍は売れているという統計もあると聞くし、電子コミックの販売は伸びているし、ネガティブな材料だけじゃないことも分かっているけれど、ね)
ぼくは考える。
読書は窓。
読書は世界。
読書は友達。
読書は体験。
読書ってやつぁ!
インターネットの検索結果より
ずっと広範で!
あるいは狭義で!
専門的で!
あるいは曖昧で!
偏向していなくて!
あるいは偏向していて!
掘り下げていて!
あるいはあるときは信じられないくらい上っ面で!
拡張された情報を!
与えてくれるものではないか!
インターネットで何かについて書かれたひとつの奥深いコンテンツをじっくりと読むのであれば、それは読書に近い、限りなくニアリーイコールな体験だろうけど。
読書は不要だと言い切るタイプの人は、きっとそれもしない。
検索して結果を得る。
──以上。
思索、熟考必要なし!
斜め読みイコール正義!
スピードイコール正義!
結果だけ得られればいいというインスタント思考では、脳が考えることを拒否してしまうように思うのは僕だけだろうか?
味わうこと。
咀嚼すること。
想像すること。
妄想をたくましくすること。
打ちのめされること。
猛烈に頭にくること。
とてつもなく羨ましいこと。
憧れてやまないこと。
優しい気持ちを取り戻せること。
小説は、世界そのものなのにな。
小説は、人間そのものなのにな。
本に恋する喜びを、
一人でも多く手に入れられる世界が、
ぼくらの望むいろいろな世界の中でも、
とても大事なもののように思うことは、
いけないことだろうか?
読書ってやつぁ、
読書ってやつぁ、
読書ってやつぁ!