広告の広告の…の顛末

「淡波うざっ!」
電書ちゃんに叱られたのが嬉しい。
いや、まじで、まぞでなく。
真面目な話、僕の間違いをストレートに指摘してくれたのがとても嬉しい。
それは、電書ちゃんの「愛」だからね、あ、僕でなく個人作家全体への。

僕はそもそも、広告が嫌い。だから自作を広告するのも結構な葛藤とストレスの中で行なっている。広告しないと知られないから、何とか頑張っている。

僕は美大のグラフィックを出ている。回りはみんな、電通とか博報堂なんかに就職することを絶対の価値観に置いていた。そうでもなかったかもしれないけど、人付き合いの下手な僕にはそう思えた。僕は広告が大嫌いだった。
だって、自分で良いと思っていない商品を、まるでそれが「最高の逸品」であるかのように見せなきゃいけないんだよ。それが自己表現の一つだなんて、とても思えなかった。
十代の頃、《芸術とデザイン》について、青臭い議論を夜中までしたものだった。

そう、僕はとても青臭いやつだった。今でもそうだ。
僕は広告関連の授業は一切履修しなかったし、当然、広告代理店への就職活動なんて考えたこともなかった。(いや、就職活動自体しなかったんだけどね)

だから、WEB上に載る広告も嫌い。コマーシャルも嫌い。
日常的にテレビを全く見ないので、時々何かでテレビが点いていると、どうしてもコマーシャルに目が行ってしまう。物珍しいし、コマーシャルは人の注意を無理やり引きつけるテクニックに長けているからね。つい見入ってしまい、ちょっと自己嫌悪したりする。

優れた商品を紹介する優れた宣伝は、もちろん認めます。(偉そうな意味でなく)
アップルの一連の広告戦略は素晴らしいと思うし。(初期からの、ね)

ちょっとそれました。

誰もがそうであるように、WEBに掲載されているバナーは鬱陶しくて嫌いだし、アフィリエイトっていうんですか? 自分のWEBサイトに広告を載せているのも、実は好感を持てない。あ、作家がAmazonや楽天の広告を載せているのはアリだと思う。これは、反感を買わないし、それなりにリコメンドがはまることもある。
(自分で売り上げチェックなどのために作品の販売ページを頻繁に見るわけだけど、やたらと自分の作品がリコメンドされるのには苦笑する。もっと賢くなれよ、リコメンド・エンジンよ!)

世界的に見ると(あ、私見ですよ)、WEBサイトに広告を一切載せないというのが、今後の主流になると思っている。少なくとも企業でなく、個人経営のサイトでは。
そういうサイトは、優良な有料会員から定期購読費を取ったり、物販することで収支を成り立たせることになる。
広告が閲覧体験を阻害しているという考えは、多くのひとが言っているし、自分はバナー広告は絶対に載せないと言って実行している人もいる。(Sean Wes MacCabe氏、Ben Toalson氏、Andrew Price氏、、)
僕はその考えに大賛成で、これまで運営してきたいろいろな自分のサイトで、一度も広告を載せようと思ったことはない。

待てよ!
ここで皆さん声を合わせて、「淡波うざいっ!」

そう、矛盾してるよね、自分のサイトには載せないのに、自分の広告は出すなんてさ。
前々段落に書いたとおり、特定の興味を中心にして人が集まるサイトに、そのベクトルの広告が掲載されるのは、広告の正しい姿だと思う。そこまではうざくないんだ。

僕は、電書ちゃんの真意を分かっていなかった。電書ちゃんねるをスタートにして、他の外部サイトにも広告を掲載してもらうという近未来図を、理解していなかった。つまり、個人電子出版と無関係のサイトに、将来はでんでんアドネットの広告が配信されるであろうということだ。
そこでは、誰かの閲覧体験を阻害するという事象が必ず発生するんだな。もちろん、電書チャンネルだったらアニメがオッケーかというと、それも怪しい。やっぱり、閲覧体験を阻害されたと思う人が出てしまうのだろう。

今回の件、僕が全面的に間違っていた。
一つ言い訳するなら、「目立てばいい」「目立ったもん勝ち」なんてことは、全く考えていなかったんだ。ただ、自分らしいバナーってなんだろう、と考えた末のGIFアニメという結論だったんだ。

電書ちゃん、ありがとう。
僕は目を開かされた。
(それに結局は日刊電書チャンネルにアニメ広告を載せてくれましたね。)

(見本はこのページの頭に
ではこれで!

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

批評ピラミッドというもの

画家で美術教育家のスタン・プロコペンコ氏(Proko.com主催)を招いたBlenderGuruのインタビュー。全体的にもとても参考になるいいインタビューだったのですが、《奮闘中の》表現者すべてに当てはまるいいことを言っていたので、ちょっと書いておきます。CGアーティストにも、小説家にも、音楽家にも、誰にでも当てはまることなので。
ただ、聞き返してはいないし、記憶もうろ覚えなので、その正確性はご勘弁を。
(二時間半以上もあるインタビューなので、さすがに一回しか聴けない)

では本題。
批評にはピラミッド構造がある。アーティストは批評に傷ついたり、酷いときはたった一言の批評で筆を折ることになったりする。でも、言った本人は何にも覚えていなかったり、極めて身勝手なのが批評。今の時代は、全人類が批評家の時代。無記名で、ペンネームで、単にフラストレーションの解消のような批評をする人もいる。

だから、大半の批評は無視していいんだ。

下の図を見てね。

批評って、こんな構造
批評って、こんな構造なんだって

ネガティブな批評で最も多いのは、作品ではなく、「こいつ、気にいんねー」というタイプ。日本ではあまりないかもしれないけど、人種や国籍、宗教の相違に根ざした、まさに根も葉もない批評。これが、ピラミッドの底辺。最も多く、最も意味がない。

作品と関係ない批評って、小説(Amazon Kindle Storeを例に取りますが)でもありますよね。やれダウンロードちゃんと出来ないとか、電子書籍だと読みづらいとか、無料だと思ったら有料じゃないか、とか。それでムッとしたひとが、内容をろくに読まないで一つ星レビューを付けたりする。作品がひどいって、取ってつけたように言ったりしてね。
Twitterやブログで言っていることが生意気だから懲らしめてやれ、なんてメンタリティーのレビューアーもいるらしいから、本当に、《素人による素人のための素人批評》は無法地帯。

次に多いのが、好みや偏った考えに立脚した批評。これも、ネガティブ・クリティックが多い。作品に込められた思想が自分と違うとか、作者の考え方は偏ってるとか、作品の質とは別の次元で、単に好みに合わないとか、ね。ちょっと実力が足りない部分を見つけたら、そこを執拗に責めたり。

プロでないアーティスト、作家が、お金を取ることへの抵抗も大きいようですね。
今までは無料で提供していた情報を、有料にした途端に寝返る人が多いよね、とインタビューアーのAndrewくんも嘆いてます。
「素晴らしい作品! 素晴らしいチュートリアル! 素晴らしいデータ!」とべた褒めしていたのに、マネタイズが始まると手の裏を返して極悪批評を始める情けない人たち。
(ネットで何でも手に入るからって、何でも無料だと思ったら大間違いなのに!)

でも、理由がどうあれ、ネガティブな攻撃を受けると、作者はとてつもなく傷つく。それで自分の人生における価値が決定づけられてしまったかのように、傷つく。だけどね、そんな批評なんて、小学校の時のいじめっ子と大差ないんだ。自分が何を言っているかすら、分かってない。
だから、そういう批評には耳を貸さなくていい。

そして、ピラミッドの一番上の領域にあるのが、客観的批評。これの特徴は、同じことを言うひとが複数いるんだって、インタビューでは言っていた。見るひとが見れば分かる。そういうことかな。下段・中段のどうでもいい批評は、自分で濾し分けられるようになろう。冷静に批評を見て、同じことを言っているひとがどこか他にもいたら、それは気にしてみよう。自分では分からない大事なことを、その批評はきっと教えてくれている。

だから、元気を出そう。表現者たちよ!
ネガティブな批評の根っこを掴んでしまえば、もう怖くなんかないんだから!

なお、この記事の内容は、淡波の独断・私見によるものです。Andrew PriceさんとStan Prokopenkoさんのお話を参考にしていますが、文責は淡波にあります。念のため。

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!
(なんか、いつもと雰囲気が違うなあ。この記事、批評しなくていいですよ。びくびく)

広告の広告の広告……無限ループか?

電書ちゃん主催の「でんでんアドネット」に広告を送りました。

『ケプラーズ5213』の宣伝です。飛び先のURLがケプラーズの作品ページなので、これが既に広告。そして送った広告の広告がこの記事だから、広告の広告の広告。うん、合ってる。まだるっこしい。
で、何でこんな記事を急に書いたかというと、まずその広告の内容がグレーゾーンに位置していそうだから。
もしかすると、電書ちゃんにリジェクトを喰らってしまうかもしれない。

あ、もちろん、R18とかではないです。変なページに飛ぶわけでもないですし。

その理由が、これ。

ケプラーズ5213の広告バナー
ケプラーズ5213の広告バナー

 

そう、GIFアニメですねー。淡波らしいでしょ?
(宇宙船「ティオセノス号」がカッコいい! という声が聞こえない?)

広告の掲載ルールの中に画像形式とデータ容量はないので、一般的なWEB用の形式なら許されるだろう、という計算。当然、世間のバナー広告にはGIFアニメが溢れてますしね。
でも、問題は、ちょっとやり過ぎ感があるところ。最初に書き出したデータは約8秒のアニメーションで9MBあった。それをちょっとずつコマ落としして調整し、何とか3MBまで軽量化。ちょっとばかり動きの滑らかさが落ちましたが(色もね)、これならまあDL負荷にもならないだろうと。
でも、リジェクトされる可能性もあるなあ、と思ったので、Twitterに載せたんですね。
でもでも、TLがどんどん流れて、あっという間に埋もれてしまうのがTwitter。じゃあ、ブログに載せよう。と思ったら、今度はWordPressのアップロード容量制限にかかり(3MBジャストはNG)、再度軽量化。まあ、もっと重いデータを貼る技もあるんですが、今夜は無理。ということで、サイズを75%縮小して貼ったのが上のバナー。リンク先も同じページにしてみました。

もしこれがOKなら、皆さんもどうですか?
作るのも楽しいですし(自分だけか)、人目を引きますよねー。

ということで、今晩は広告の広告の広告でした。

また、役に立たん記事書いて!

読書前感想文という荒業

さて、読書感想文→読書中感想文、と来たら、当然次は読書前感想文ですね!
行きまっせー。

発売前に商品のプロモーションを行なうのは商売の基本ですが、インディー作家たる者、作品のプロモーションをどこまで商売として考えるのかは難しいところ。
宣伝宣伝せず、売らんかなという感じを与えないで、でもそれとなく作品をアピールしつつ、新しい読者を呼び込むために個性的なトピックもちりばめつつ。あぁ何て難しいんだろう!

で、その好例となっているなあと思ったのが、新潟文楽工房ヤマダ氏のこのブログ。ご本人はきっとプロモーションの積もりはなくて、身辺雑記としての新作進捗報告。きわめてプライベート感溢れる記事が、好感を呼びます。そして、一見関係のない記事から自作へと引っ張る滑らかな足場作りが効いています。

・まずはあれですね、値段付けに悩んでいるという記事が意外に面白い。分冊化という話で「これは大長編だな」感も演出。
その悩み方がまた合理的で、しかも「いい人」であることがバレバレ。
ここで、さりげなくサンカ小説という言葉が登場してます。(さりげなくてスルーしてました)

・通常記事としての読書レビューでもサンカ小説に触れ、「何、そのジャンル?」と興味をそそります。
(もちろん、僕は「山窩」という言葉自体が初耳で、ヤマダさんが当たり前のようにその言葉を使っていることに、「俺って無知? やばいの?」感を募らせるわけです)

ちゃんとタイムラインに沿ってブログを読んでいれば、最初のサンカ小説レビューで新作がサンカ小説であると分かるのですが、そこはほら、あっちを読んだらそっちを読んで、というのがブログ読みのお作法で。僕の場合はまず「サンカって何?」から入りましたから。

・で、記事を追っかけていくと、ヤマダ氏の新作がサンカ小説であるという記述にぶつかったわけです。
「あ、面白そう」と思わされてます。

・さらに、その雰囲気を表現するのに表紙画像を作っているという記事でビジュアルでも責めます。(あ、これはほぼTwitterでしたが、苦手な画像処理に一生懸命になっている姿に、僕なんぞもう……)

・そして、リリース告知記事と直後の無料キャンペーン記事。
「読もう」と思っていただけに、じゃ、無料キャンペーン開始前にポチってしまえ!
と、まんまと術中にはまってしまいました。(改訂後なのでご安心を)

今日は、なんのことはない電子書籍ショッピング記事でしたねえ。

僕はいつも新作発表の前には表紙画像について色々とブログに書いていましたが、肝心の小説の内容をロクに告知していなかったなあ、と反省しきり。
同ジャンルの本をレビューして、ジャンル自体に興味を持ってもらうというのも離れ業だなあと感心しました。
値付けもそう。一般的にはKDPで460円(三冊合わせてだけど)というのは《強気》と思われてしまいがちな金額。これを、ブログ読者が納得できるように、悩みながら書いているのがいいですね。しかも、僕の『孤独の王』より10円高いのに、なんだかお得にすら思えてしまう。
この感じ、後の人の参考になりそうですよね。(って思うでしょ?)

あ、最後に紹介しておきましょうね。新潟文楽工房ヤマダマコト氏の新作、『山彦』発売中ですよ!

 

(今回は何の役にも立たなかったかな……。「淡波、これでブログ読者を失う」とはならないことを祈って!)

電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−3

このシリーズも三回目を迎えました。項目立ても7つめとなります。さ、いよいよ少しずつ核心に迫っていきましょう。
今回のお題は【コンテンツ】。

7.入手性

《電子書籍》
・欲しいと思った本はすぐに読書端末から購入、読み始められる
→電子版がなければ、そもそも入手不可。待ってもだめ
→Amazonには電子化リクエストのボタンがあるが、これは「出版社に伝える」だけ。当然、電子化に向けた進捗も分からないし、どれだけの意味があるのかユーザーには全く見えない
→書店で欲しいと思った本の電子版があるとは限らない
→読書できる端末を持ち歩いていなければ、お金を持っていても買えない、読めない

・一旦電子化されれば、廃刊になることはほぼない。と思われる。
→データを提供しているプラットフォーム自体がなくなれば、そこに依存する全書籍は購入不可能に

《5/22 追記:
日本独立作家同盟の鷹野陵さんから、ご指摘が入りました。

鷹野さん、どうもありがとうございます!
商業出版の厳しさを垣間見た思いです。
具体的にどんなケースがあるのか教えてもらわなきゃ!》

・データのコピーは困難
→DRM保護のデータは言うまでもなく、保護されていないデータでも独自形式になっていることが多く、簡単にはコピーできない
→著作権のあるデータはコピーされないことが前提なので、デメリットにはならない
→形式、プラットフォームによるが、(法律で許容される)引用の難しいケースも

《紙本》
・書店にあれば、すぐに買える
→営業時間に、欲しい本の在庫がある書店に行ければ……
→携帯端末を何も持っていなくても、お金さえあれば買って読める

・行きつけの本屋さんを作れば、取り置き、取り寄せも融通がきく
→支払いの自由度もありますね。月末にまとめて払ったり
→新刊が出たことを知らなくても、好みの作家さんを覚えていてくれる本屋さんもあったり!
→カバーとか、キャンペーンのプレミアムなどのおまけを付けてくれることも
→雑談相手にもなったり!

・WEB上の書店で購入すれば、概ね翌日に配達される。コンビニや駅でも受け取れる
→Amazon Primeのように即日配達の仕組みもある

・電子化を待たなくても発売日に入手できる

・いずれ廃刊になる可能性が高い
→廃刊になっても書店に在庫があれば買える
→中古市場が成熟しているため、廃刊本でも手に入れられる可能性はある
(ただし、古本で価値のあるもの)

・図書館にある
→なければ購入リクエストも出せる
→高価な本も無料で読める

・コピーするという入手方法もある
→読みたいところだけ、コピーを取っておける
(図書館、友達、など:法律で許容される利用範囲にとどめましょう)

うむ。電子書籍が圧倒的に有利かと思って書き始めましたが、意外にそうでもないですね。功罪取り混ぜて、一刀両断には出来ない複雑さがありますし。

 

8-a.品質(ものとして)

《電子書籍》
・製本や製造に起因する乱丁、落丁はない
→制作者のミスは論外として!
→論外でも、制作者のミスに起因する乱丁、落丁を防ぐシステムはない。読者からの指摘を待つのみ

・他人の手垢が付いていたり、立ち読みにより傷むことがない
→ずっと読んでいても、自分要因の劣化もない。データは常に新品同様

・ディスプレイのドット抜けがあると読書体験を阻害
→それほどのドット抜けがあるという話は聞いたことがありませんが
(あ、これはHWですね、コンテンツではなかった……)

・どんなに長い本でも1台の端末に収まるし、端末の重さも変わらない
→当たり前だ
→辞書も内蔵されていたりするし!

《紙本》
・時に乱丁、落丁がある
→逆に希少本として価値が出ることも

・お菓子をこぼしたりして一旦汚れると、きれいな姿には戻らない
→図書館で借りた本にはありますね
→一方で、自分で汚した場所は、そこに思い出が宿りますね

・長い本ほど重くなる、大きくなる、字が小さくなる、冊数が増える
→700ページ超のハードカバーを持ち歩くのは大変!
→大辞典系も持ち歩きは無理!

好き嫌いもありますが、若干電子書籍が有利?
8-b.品質(中身)

《電子書籍》
・まさに玉石混交。商業作家とセルフ作家の作品が並列で
→商業作家と変わらないクオリティの小説がある一方で、小学生の作文レベルのものも置かれている
→最低限の審査システムがあった方が良いのではないか、との声も
(ex.KDPやKWLの担当者が、必ず1ページだけ読んで確認するとか……?)

・紙で出版できない長さのものもじゃんじゃん発行できる
→数十ページ程度の掌編小説でも1冊として出版できる
(前項と似てますが……)

・内容に対する審査が存在しないため、どんな内容の本でも出版可能(?)
→差別表現、著作権の侵害なども基本的にノーチェック?
→暴力や性描写の激しいものが(米国で)出版停止になったという話は聞いたことがありますが
(これは、表紙や紹介文から「危ないな」と思われたものを運営サイドがチェックしているのでしょうか?)

《5/22 追記:
こちらにもご指摘いただきました。

鷹野さん、ありがとうございます!
その通りでした。楽天で出版するとき、あとがきや著書紹介にAmazonへのリンクが貼ってあると、出版されないことがあるようですね(iBooksや他のストアは未経験なので分からないのですが)→この追記を書いた後に上に貼った鷹野さんの別のツイートに気付きました……。
僕の『孤独の王 分冊版』では、楽天とAmazonで発売中という表記にして、双方ともリンクを入れました。この場合は、問題なく出版されました。出版したい全プラットフォームへのリンクを並列で入れるのはどうなんでしょうか?
でもきっと、アップルの審査は通らないのだろうけど……》

・内容のメンテナンスが可能
→出版社が発売する電子書籍の場合は、やはりデータ修正〜出版に至るコストが無視できないほど大きいため、めったなことでは修正版が出ることはない
→個人が発売するものの場合は、間違いに気が付けばすぐに修正し再出版可能。内容のアップデートも可能。
(ここに大きな可能性がある!)

《紙本》
・書店売りの本は出版社の厳しい目を通して売り出される商品
(もちろん、自費出版本は除く)
→だからといって、どんな作品でも面白いとは限らない
→著名作家でもとんでもなく酷い本がある
(それでも売れてしまうのか!)

・有名作家のものは多大なコストを掛けて出版・宣伝を行なうため、優良誤認がはびこる
(そのコストを回収しなければならないので)
→売ってしまえばつまらなくても勝ち、という価値観が売る側にあるのか?
→これはどんな商品にでも当てはまることですが、ね

・差別表現、著作権侵害など、倫理的に許されないものは基本的に出版されない
→出版社側が意図して行なう場合もある

・内容のメンテナンスは困難
→「改訂○版」が出るのは、よほど売れている本で修正が必要になったか、内容が社会的に(会社的に)まずかったものに限られそう

さあ、どうでしょう?
これは皆さんが考えてみてください、ね。
すっかり長くなってしまいました。まだまだ話題は尽きませんが、今回のメリデメ合戦はこの程度にして、ちょっと考えをまとめてみます。
「これまでの記事とあんまり関係ないじゃん」というリアクションが聞こえてきそうですが、気にしないことにします。
あくまでもセルフ作家視点でのお話ですが、電子書籍を盛り上げたいのは出版社さんとも変わらないかな、という思いで、以下のまとめを書いてみましたよ。
そうでもないかな……。

【中間結論】

電子書籍は玉石混交。特にセルフ作品は「所詮素人の書いたもんでしょ」と思う人が多いのも事実。せっかくクオリティの高い本があっても、そこに消費者を注目させるのは本人の自助努力に委ねられています。
また、内容が素晴らしくても誤字脱字が多ければ、その素晴らしさもレベルダウンが必至。商業小説が遵守している“日本語の書き表し方の一般ルール”すら知らないで書かれている小説も多いでしょうし、「そんなもの不要だ。小説はもっと自由なんだ」との主張を頑なに守っているセルフ作家もいます。確かに言葉は生きていますし、時代につれてどんどん変化しています。でも、同時代を生きる読者に、無名作家が作品を問うのですから、まずは同じ基礎(地面)の上に立っていなければならないのではないかと僕は思います。

電子書籍全体のイメージアップのためにも、セルフ作品の品質の底上げが必要ではないかと思いますし、内容の推敲までは作家に任せるとしても、校正のレベルでは他者の目が欲しいものですね。

僕が思っている解決法の一つは、セルフ作家同士が発売直後に(理想的には発売前に)相互に作品を読んで、校正をし合うものです。それが運営側からシステムとして提供されるのが本当の姿ではないかと思うのですが……。出版社が校正マンを雇う経費を考えれば、遥かに小さな費用で構築できるのではないでしょうか?
実際に作業をするのは作家同士、運営側はシステムを提供するだけです。

電子書籍は作家に入る印税率が大きいことで注目されますが、運営側に入る印税も決して小さな割合ではありません。多くの世界で、原価は売価の3割程度と言われます。製造から販売までの経路が3段階あれば、各工程の原価は売価の1割程度でしょうか。
例えばAmazonKDPでは売価によって3割〜6割5分を運営側が得ているわけです。つまり、自ら製品を製造しているメーカーと同じ以上、または通常の販売店の売り上げを上回る利益率です。(必要経費はきっと小さいのでしょう……)
商品開発・積極的営業も不要で、作家自らどんどん作品を販売棚にのせてくれますしね。

そこで、サイト上にセルフ作家だけがアクセスできる発売前の書棚領域を確保し、そこから各人の端末にDLして校正するというのはどうでしょう。アクセスの履歴を残し、作家同士が自発的にやり取りして校正し合えば、運営側の負荷は僅かなものになりますよね?
技術的にはあまり具体的なアイデアではありませんが、現在のシステムを少しだけ拡張すれば、充分構築可能なのではないかと思います。(米国Amazonでは何だかそれに似た(?)システムがあるような、ないような……)

電子書籍について、というより、“電子書籍によるセルフ出版について”になってしまいましたね。
さて、まだ続きますよ。次回は【価格】【保存性・保管性】で火花を散らしてみましょう。

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

では!

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あるセルフ作家さんへのラブレター

Twitterでたくさんのセルフ作家さんをフォローしています。(僕はあまりたくさんフォローしていない方だと思いますが)
作品を気に入った作家さんも何人かいて、「もっと読まれていい小説だ」「もっと知られていい作家さんだ」と常々思っています。僭越ながら勝手に校正のようなことをしたり……(ウザいと思われちゃうけど)

自己出版の人気を底上げし、そのクオリティを知らしめたりクオリティアップに僅かでも助けになろうとすることは、結局自分に返ってくるとの思いもありますから。

さて、今回の記事は、あるセルフ作家さんへのメッセージ。でも、それは一人宛てではなく、この記事を読んでくれた方に、「自分も当てはまるな」と思って頂ければいいなと思って書く記事です。だから、具体的に作品名や作家名は出しません。
(でも分かりますよ、きっと→これで分かるということは、その作品の知名度が大したものだ、ということですよね。ある意味裏山)
なぜ、これを書こうと思ったかというと、「あ、これをこうすればもう少し読まれるんじゃないか?」という気付きがあったからです。それがその作家さん個人だけに当てはまることなら、TwitterでDMを送れば済むのですが、よくよく考えると、これは他の方にも当てはまることかなと。

内容です。前置きが長くなりました。

あなたは自分の作品に略称を付けていますね。とても良いことだと思います。真似したいですが、まだそれに相応しい作品がないので。。
『壁色のパステル』→『カベパス』間抜けすぎ
『さよなら、ロボット』→『サヨロボ』間抜けすぎ
『孤独の王』→『コドオ』意味なし
『ケプラーズ5213』→『ケプ5』なんか吐きそうでしょ
『そののちの世界』→『ソノセカ』あ、これはOK? でも作品イメージにはそぐわないなあ。
(あ、ぜひ呼びたい、と思ったら、使ってみてくださいな)

で、その作品は略称で親しまれているし、ご自分でもそう呼んでいますね。僕は昨晩たまたま、Amazonでその略称を検索しました。結果、なんとその作品が検索結果に出てこないのです。これ、だめでしょ。せっかく浸透している愛称を、検索ワードに入れないと損ですって。
これが一つ目のメッセージ。是非、略称・愛称を検索ワードに登録してください!

第二点。
あなたのブログでは、よく自作について言及していますが、一つ大事なポイントが抜けていることに気が付きました。きっと、全てがそうではないと思いますが、最新の記事では抜けていました。(さあ、どなたかお気付きでしょうか?)
このブログでは、どなたかの作品に言及する時は必ず(抜けもありますが)その作品の販売ページや紹介先へのリンクを埋込みます。記事に数十件のアクセスがあれば、必ずそのリンクを踏んでくれる人がいるからです。
そして、《できる限り手動で外部リンクを埋込むこと》はWEB記事の基本ですよね。これが今どきのSEOの基本だとどこかで読みました。検索エンジンでヒットしやすくなるコツの一つですよね。

そうです、あなたのブログでは、せっかくの紹介にリンクが張られていませんでした。僕はあなたのAmazonページに飛ぶ時、「あ、あそこにリンクがありそう」と思ってブログを訪れ、そこで振られました。そして略称で検索し、振られました。もちろん、著者名で検索すれば一発なんですが、たまたまあなたの作品の表紙に魅かれ、略称に目を留めた人が販売ページに来てくれる確率が、確実に少しだけ下がってしまうのではないかと心配しているのです。

作品名にはすべてリンクを埋めましょう。きっと、踏んでくれる人がいますよ!

いかがでしょうか?

もし、少しでもお役に立てれば幸いです。

あなたの作品が、もっと多くの読者に届きますように!

では!

これは古典だ、傑作だ

牛野小雪さんの新作にして大作『ターンワールド』を読了しました。牛野さんらしく淡々と捩れていく世界にからめ捕られ、仕事で猛烈に疲れていても読むのを止めることが出来ませんでした。
読書中も気持ちは盛り上がり、その世界にどっぷりと浸かり、最後まで気を抜けない作品でした。

“が、”

ただ面白いというのではなく、これを読了した自分と、どう折り合いをつけたら良いのか悩む作品なのでした。作家仲間の新潟文楽工房ヤマダ氏も仰っていましたが、『ターンワールド』は読み手によって全く解釈の変わる作品だと思います。

一言で言えば、《自分(という思い込み)を捨てに行くロードムービー》のような小説です。僕も若い頃、バックパッカーをしていたことがあります。数ヶ月間、テントとギターを持ってヒッチハイクの旅をしたものです。泊まるところがなくて野宿し、野犬(僕の場合はディンゴ)の恐怖に怯えたことも、雨の中、心優しい牧場主に救われたこともありました。だから、主人公の旅が、とりわけリアルに迫ってきました。

でも、主人公が旅に出る先は、不思議に不思議さのないパラレル・ワールド。捩れた旅は、どんどん捩れていきます。
僕は自分のことを“感覚派”だと思っていますが、小説を書いていると、どんどん理詰めになっていきます。アイデアを膨らませたり普通に執筆する時は感覚の命ずるままに、登場人物の喋るままに話が進みます。でも、一旦物語の構成に意識がいくと、まるで理系の研究者のように、何もかも合理的につじつまが合っていないと気が済まなくなり、架空の時代考証やイメージ内のSF考証にやたらと時間をかけたりしてしまいます。きちんと納得の出来る世界を構築できるまでは、どうしても筆を進められなくなってしまったりします。

『ターンワールド』を読んでいて、この手のワナに何度もはまりそうになりました。この作者はこの世界をどうやって構築しているのだろうか、このエピソードの裏には何が潜んでいるのだろう、この不思議な世界の成り立ちはどうなっているのだろう、と。実は、自分の中では牛野さんの提示するこの世界は“こういう事情で出来上がった世界である”と半ば想定しながら読んでいました。SF作家の悪い癖です。(あ、もし僕がSF作家なら、ですが)

ところが、物語は理詰めの解決を見ることなく、どんどん、どんどん、ひたすら先へと進みます。伏線だと思っていたあれこれが、次々に裏切られていきます。あれよあれよという間に物語の終盤が迫り、そして、意外な結末を迎えるのですが、その結末は僕にとって、本来は受け入れ難いタイプのもののはずでした。

しかし、読後感は極めて良いものでした。充実して、感動とすら言える強い感情がじんじんと沸き立ちました。

僕は、芸術作品には2種類しかないと思っています。

観賞し終わって、徐々に心の中での評価が落ちていく作品と、
観賞し終わって、更に評価が上がっていく作品です。

『ターンワールド』は、間違いなく後者の作品です。これは、古典だ。文学だ。そして、傑作です。僕はそう思います。セルフ作家と商業作家という垣根は、もう存在しないのかもしれません。

いえ、最初から存在しないのでしょう。

読者にとっては、ね。

電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−2

真面目なような不真面目なようなこのシリーズ。
第二回の今日は、【操作系】について考えてみました。数字は前回からの連番です。
4.ページめくり

《電子書籍》
・指一本でめくれる、戻れる
→満員電車で立っている時などは大きなメリット
→タップ位置の微妙なずれで、進みたいのに戻ってしまうことがある
→端末を持つ手が少し触れただけで、ページがめくられたりUIが表示されてしまう

《紙本》
・(ほぼ)両手でないとめくれない
→これはデメリットでしょうね。片手でめくれても、めくったページを上手く収められませんし

・電子書籍のようなめくり間違いはない
→ただし、手が乾燥していたりすると、何ページもいっぺんにめくれてしまったり、逆に手が滑ってめくれないこともありますよね

・本を持つ手がずれてしまうと、ページがバラバラとめくれてしまうことがある

さあ、いかがでしょう?
どっちもどっち、勝ち負け無し。でしょうか。
5.読書姿勢

《電子書籍》
・片手持ちが基本
→おおむね、一方の手が自由になる

・テーブル置きも可
→勝手に開いてしまおうとするページを押さえる必要もなし

・寝転がって頭の上でも読める
→ライトがディスプレイを照らしてくれる端末では、書面が暗くなることもない

・重めの端末(iPadなどのカラー系タブレット)では片手持ちはキツイ

《紙本》
・両手持ちが基本
→片手でも読めるが、めくる時は両手。バッグなど持ったままは辛い
→片手で持っていると、ページを押さえる親指が疲れてぷるぷる震えてくる

・テーブル置きはちょっと辛い
→ハードカバーのどっしりした本ならOKだが、文庫本を置いて読むには文鎮が必須。だが、そうすれば良い、か。
→逆に、重い本はずっと手で持っているのも厳しいが

・寝転がって頭の上でも読める
→明るい場所ならOK。ちょっと暗めの場所では、書面が暗くて辛い

これは、片手で読める電子書籍にやや分がありそう。
6.メンテナンス性

《電子書籍》
・充電が必要
→小説の読書に限って言えば、eインク系の端末なら電池は数週間持つ
→カラー系のタブレットなどでは、ほぼ毎日の充電が必要

・画面や筐体が汚れる
→特に夏など、ゴム引き系のKindleは汗でじっとりする
→eインク系端末の画面はマット処理してあるものが多いためあまり汚れないが、タブレットはちょっと触っただけで手の油脂が付き、汚れっぽくなる

・OSのアップデートが行われると、機能追加の反面、動作速度がのろくなる
→思いもよらない使いづらさが急に生じる!

・カバーやケースが必要な場合が多い(淡波のKindleはカバーなしですが……)
→しかも、意外とカバーが高い
→端末が古くなると、合うカバーが手に入らないことも

・壊れる
→まだ、自分の周囲では「電子書籍端末が壊れた」という話は聞きませんが……

《紙本》
・充電は不要
→生涯にわたり、いかなるエネルギーも不要

・ツルツルのカバーのままだと汗ばむこともある
→書店で無料で付けてくれる紙カバーで充分汚れや汗を防げる

・読んでいるのは常に新しい画面(紙)
→めくる度に新たな紙!

・新しい本を読む時は必ず新しい端末(本)!
→OSのアップデートもないから、ずっと安心!

・カバーは最初から無料で付いている
→しかも書店で更に付けてくれる!
→お気に入りの革や布のカバーは10年以上も持つ!

・壊れる
→壊れた頃にはとっくに読み終わっている。しかも、書籍は百年経っても再製本して蘇らせることができる!

ん〜、圧倒的に紙本の勝利!
さあ、二回目はいかがだったでしょうか??
紙本優勢、か。

まだまだ、続きますよ!
次回も請うご期待!

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電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−1

日本独立作家同盟の鷹野凌さんをはじめ、本日Twitterで少々話題になっていた「電子書籍のどこがいいか」的なネタ。これまでに恐らくたくさんの人が同じことを書いているのではないかと思いますが、僕なりに、改めて考えてみました。紙の本との比較をしてみましょう。
(電子書籍は主にハードウエア《Kindle》を想定したものです。「電子書籍」という呼び方自体も賛否両論あるようですが……)

では、第一回の本日は、まず【表示系】から

1.字の大きさ

《電子書籍》
・拡大できる
→遠視(あくまでも「遠視」)でも読みやすい
→字を大きくするとページをどんどんめくるのが快感だったりもする

《紙本》
・拡大できない
→不用意に紙面をこすっても邪魔なUIが出ない
→ページが固定されているので、読んだ量、残りの量が分かりやすい

そう、「できる」「できない」いずれもメリットでした。

 

2.紙面の明るさ(電子はライト有り限定で)

《電子書籍》
・明るくできる
→暗いところでも読める

《紙本》
・明るくできない
→暗いところでは読めないので、目に優しい

はい、こちらも両者それぞれメリットですね。

 

3-a.表示能力(固定表示)

《電子書籍》
・解像度は決して高くはない
→文字に多少のジャギーを感じることがある

《紙本》
・解像度は非常に高い
→とてもきれいで読みやすい

紙本に分がありそうです。
よく、印刷に近い解像度、という触れ込みのディスプレイがありますが、それは事実ではありません。一般的に写真やイラストなどの画像は350〜400dpiが印刷適性解像度です。それなら、たしかにRetinaディスプレイは印刷同等ですね。画像を見る限り、300dpi前後あれば人間の目でドットを感じることはまずありません。が、この解像度はラスターデータの基準です。
ディスプレイ上の文字は白黒二値のデータで再現されることが多く、特にeインクの端末ではアンチエイリアス処理も期待できません。そのため、画像と同じ解像度で表示した場合、ドットは感じられなくとも、どことなくぼやけた印象になったり、角度の浅い曲線のエッジがジャギーになったりします。
一方、印刷における文字データは三次曲線で表現されるベクターデータですので、紙面上に印刷される文字の解像度は、(印刷前工程におけるRIP処理機の性能などにもよりますが)2,000dpi以上になるでしょう。これが、印刷の文字が非常に滑らかできれいな理由です。

 

3-b.表示能力(固定表示:書体)

《電子書籍》
・変更できる
→美しく読みやすいことが重要なので、変更できること自体はメリットにはならない

《紙本》
・変更できない
→ブックデザイナーが考え抜いて選んだ、美しく読みやすい書体。
その本の内容にも合っている

紙本の勝ち!

 

3-c.表示能力(固定表示:書式)

《電子書籍》 続きを読む 電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−1

ラノベではない、児童文学としてのファンタジー小説

『キミコロ』の作家、藤崎ほつまさんから、『孤独の王』読了のお知らせとたっぷりの感想が届きました!
今流行りのラノベではなく、読者層が少ない古風な正統派長編ファンタジーを敢えて世に出した僕の冒険を、きっちり受け止めて下さいました。
ツイッターのTLに埋もれてしまうと寂しいので、こちらに時系列で引用させていただきます。

光栄です。まさに狙った世界観なのですから。 (この世界観を使い回してラノベを書いてくださる人が出て来たりすると凄いんですが…「そりゃねえよ」と聞こえた)

そう、実話仕立てということで、ぎりぎりのファンタジー要素に留めています。読者が、「これ、本当に本当の話だったりして?」と思ってくれるのは無理としても、この世界として存立しうるリアリティを感じて欲しいので!

読み終わった人の心のどこかにずっと残ること、これ、最大の目標です。指標にするとか、そんな大げさなものではありませんが、《この世界はどうやって作られているのか》を考える入り口なり小さなヒントになれば嬉しいのです。

褒め言葉だけでなく、きちんと批評も書いてくださっているのが本当にありがたいです。フェアで客観的なツイートを寄せてくださって、本当にどうもありがとうございます!

Amazonさんへのリンクは藤崎さんが張ってくださっていますが、上のリンクは有料の合冊版です。分冊版の『第1部:かけら』は常時無料で読めますよ。
KindleやKindleアプリの方はこちらからどうぞ
楽天KOBOやKOBOアプリの方はこちらから!

こちらも楽しみですねー!

では、これにて!

淡波亮作の作り方