【魔女と王様】連載お伽噺 第21話『お金なんかいくらだって』

みなさんこんばんは!

土曜日と水曜日は、お伽噺『とっても小さな九つの国』シリーズの第三部、『魔女と王様』の連載です。

今夜はその、第21話『お金なんかいくらだって』です。

お金のないことがおかみさんに知れてしまったニーダマですが、なにやら堂々としていますよ。
また、たいへんなことにならなければ良いのですが……。

さてさて、始まり〜!

第21話『お金なんかいくらだって』
『魔女と王様』第21話
(表紙の絵はまだダミーですよ……w)

いかがでしたか?

まあ、やっぱりまたたいへんなことになってしまいました……。
そしてそこへ現われた新しい人物。

いったい、どこの誰なんでしょうね!?

次回は第22話、『エリュー』です。

エリューって、なんなのでしょう?
気になりますね、次回が待ち遠しいですね〜!

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第21話『お金なんかいくらだって』


本連載は、基本的に毎週土曜日と水曜日に1話ずつ掲載します。


『とっても小さな九つの国』の既刊シリーズはこちら!
(どちらも未読でも、『魔女と王様』はお楽しみいただけます)


初の連載小説にしてほんわかしたお伽話『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』。
大変好評を戴いた物語はそのままに、新たに描き下ろしの挿し絵を加えた電子書籍版です。もちろん、Kindle Unlimited対応ですから、会員の方は無料で読めますよっ!




本作は、ほんわかとしたお伽噺『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の五年後のお話。著者ブログに連載されたものに加筆修正し、全話の扉に描き下ろしの挿し絵を加えました。挿し絵の数は上下巻合わせてなんと93点!

文章がうまくたって小説は書けない

まあ、当たり前のことですよね。
文章がへたでもいい小説を書く人がいるかもしれないし、という逆もあり。

いい小説とうまい小説は違うし、いい文章とうまい文章も大きく違う。
うまい文章といい小説は、もう天と地ほどに違う。

そんなことを考えていて、ちょっと思い出したことがあるんですよ。

それは、粘土による造形のこと。

その昔、高校生だった頃、僕は美術研究所(いわゆる受験予備校)に通っていました。そこで初めて粘土による彫塑の授業を受け、ちょっとしたショックを受けたのです。

最初の課題は、立方体を作ることでした。
僕をはじめとした、初めて油土を使って立方体を作ったメンツは、表面を平らにしようとして指でこすり、つるつるぬめぬめの立方体もどきを作りました。
もちろん、全て手作業で完璧な立方体なんて出来るわけがありません。
みな、作っているものは「もどき」なのです。
ただ、高校生の中に混じっていた浪人の先輩は、全然違いました。

彼はざっくり作った四角い塊の表面に定規を当てながら、小さく千切った粘土の粒を置いてゆきます。
時にはへらで大胆に削り取り、また粒を置いてゆきます。
僕らみたいに、撫でたりこすったりして整形してはいません。
それははじめ凸凹で、僕らの作っているものの方がずっと立方体というゴールに近いように見えました。

でもそれは、まるで段々ピントが合ってゆくように、かっちりした立方体になってゆきました。
僕らの作る立方体は、なんだかどうしても波打ったりバランスが悪かったりして、最後まで立方体もどきにしかなりませんでした。
そう、立方体という言葉の持つかっちりしたソリッドさを、僕らのなでくり回した油土はどうしても最後まで獲得することは出来なかったのです。

でも、先輩の作った立方体は違いました。
それはもう、どこからどう見ても立方体でした。
ところどころ穴が空いていたり、角が欠けたりしていました。でも、それは油土で作った立方体以外の何ものでもありませんでした。

それは、油土の質感すら超越していました。
なんと言ったらいいのか、そう、ブロンズの彫刻のような硬さと、重さを感じたのです。

僕らの作ったものはただの粘土の塊に過ぎません。
先輩の作ったものに感動を覚えると共に、自分たちが表面しか見ていなかったことに対してとても恥ずかしい思いが湧いてきたことを覚えています。

仏師は、木の中にいる仏様を彫刻刀で彫り出して差し上げるのだ。
よく言われることでよね。

たかが立方体でしたが、それはとてつもなく強烈な体験として残りました。

僕らの作ったもどきを見て、先生は笑いました。
「だめだよ、表面ばっかりなでくってちゃ。形を見て作んなきゃ」


小説を書いていて、同じような思いにとらわれることがあります。

ずっと文章を書いてきたので、それなりにまとまった読みやすい文章を書ける自信はあったりします。
でも、それは創作とは何の関係もないことなんですよね。

文章の中に物語が生まれるためには、表面をきれいにまとめる技術なんか助けになりません。
読者が信じてくれる物語を生み出すためには、その中にやがて生まれるはずの命が、きちんと見えていなければならないのでしょう。

こすったり、撫でたりしない。
削って、載せて、置いて、削って、押す。

そんなことを考えながら、鍛練を続けます。


今夜はこのへんで!

シンチョク─1030

ここ最近でいちばんのトピックは、何といっても新SF雑誌『オルタニア -現実以外-』の創刊ですよねー。
ということで、まずはこちらの話題から。

【オルタニア】
僕もいち編集部員として発刊ギリギリまで各種作業に参加して楽しく過ごさせていただきました。
ちょうど、本日Amazonでの販売も始まりました。いきなり有料本で1,000位台に突入です。なかなかのグッドスタートですね!

先日もちらっと書きましたが、このvol.2用の原稿も既に書いてあるんですよ。まだ推敲が途中なので完成まではほど遠いんですが。

それから、オルタニアのティーザー動画を3本作らせていただいていますが、vol.3に使っている曲のフルバージョンを作りたくて仕方がない最近なんですよね。
そんな時間がどこにあるのさ! と脳内ディレクターに怒られながら、なんか良い感じのポップチューンになりそうだもんと思わずにはいられなかったりして。

【ティプトン】
こちらで連載してきたSF叙事詩の『ティプトン』ですが、いよいよ今週で最終回を迎えます。
まあ、最終回らしい最終回でもなく、ただティプトンさんが現実と頭の中のギャップを淡々と書きつづったものですから、いつもの調子なのですが。
いったんは書き終わっていた作品ですが、やはり連載するにあたって見直していると、必ず修正の手が入ります。
何度も書き直したり削ったり足したりして、小説より直す余地って大きいかもしれないですね……。ケプラーズ本編のディティールを既に忘れている部分とかがあってティプトンさんの気持ちになりきれていなかった部分を直したり、事実関係を直したりとかもあって。

電子書籍化も予定していますが、きっとまたまとめる段階で直したくなるんでしょうね。もう、目に見えるようです。
だから、いつ発売かは不明な状態。
表紙絵はまた、ティオセノス号でいいかなあ……手抜き?

【CG画集】
今も絶賛レンダリング中で、この作業の裏でBlenderくんがウインウイン回ってます。

すでに完成済みのCGデータを再利用して、
「サイズを大きく」
「レンダリング品質を上げて」
静止画を作るだけだと思って始めた省エネ企画でしたが、やはりそうは問屋が卸しません(笑。

もともと小サイズ前提で、各シーンが動いてすぐに通り過ぎる予告編映像用に作ったCGは作りが甘いですし、そもそも当時のスキルが問題。
最初のPV『さよなら、ロボット』予告編を制作したのはもう3年も前ですから、まだまだ全然Blenderの制作ノウハウがなかったんですよね、当時はまだ仕事でもほとんど使っていませんでしたし。

で、マテリアルの設定を見直しはじめて、泥沼に突入です。
質感を見直すと今度は形状が気になって、ライティングが気になって……。全部が気になるスパイラルという。

なんとか『さよなら、ロボット』はレンダリングまで上がり、今は『孤独の王』のCGを修正中。
これが全部終わったら、いったんレンダリングまでの作業は終わりにして、コンポジットなどの画像調整に移ります。
まだ、何点になるかは不明ですが、『孤独の王』までの作品で最初のCG画集にしようかと思っています。

画像だけでなく、ちょっとしたメイキング的なものも載せようかと思っていますが、そちらの内容は未定……。

【魔女と王様】
こんな調子で挿し絵の進捗はゼロ。
前回の反省から、少しずつコツコツと挿し絵を書き進めようと思っていたのに、この体たらくです。
連載は現在全体の3分の1ほどですから、気持ちのどこかでは「まだ全然ヨユーだぜ」と思っているふしがあるんですが、そこがやばいですよね。
うーむ……。

しかし、楽しようとしてもろくなことがないよね、というのが今週の教訓!

じゃ、また明晩!

【魔女と王様】連載お伽噺 第20話『うわさ話』

みなさんこんばんは!

週2回の連載を開始してからはや3ヶ月、ようやく第20話まできました。いま、全体の約3分の1くらいでしょうか。
出来る限り追いかけやすい、挫折しにくくするために分量はちょっとずつの掲載にしましたが、このペース、どうなのでしょうね?
ちょうどいい感じだと良いのですが──。

土曜日と水曜日は、お伽噺『とっても小さな九つの国』シリーズの第三部、『魔女と王様』の連載です。

今夜はその、第20話『うわさ話』です。

さてさて、誰がなんのうわさ話をしているのでしょう?
ニーダマは一文無しなのに、大丈夫なのでしょうか?

さあ、始まりですよ!

第20話『うわさ話』
『魔女と王様』第20話
(表紙の絵はまだダミーですよ……w)

いかがでしたか?

あれあれ、ニーダマは呑気ですねえ!
お金がないのにお酒を飲んでしまって、どうなっちゃうんでしょう?
それにしても気になるのは、うわさ話ですね。

何か、起こりそうですよ!

次回は第21話、『お金なんかいくらだって』です。
どんなお話なのでしょう。
待ち遠しいですね!

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第20話『うわさ話』


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また、リンゴに裏切られちゃったよ……

あ、リンゴと言ってもAppleじゃありません。本当のリンゴ。

先日、早生のふじリンゴを買ったのです。いかにも取れたてという感じで木箱に入って、美味しそうだったんですよ。初物っぽい雰囲気が出ていて。

食べた瞬間、いやあ、びっくりしましたね。これ、早生どころか去年のリンゴじゃん。って。カスカスで水分が乏しく、香りも味も抜けまくっていました。よく見ればヘタは枯れ切ってほこりっぽいし、とてもじゃないけど数週間とかいうレベルの古さではない。完全に騙されました。

もともとリンゴは長期保存がきく果物ですし、ほぼ一年中手に入りますよね。

まあ、何か事情があって保存されていたものなのか、単に売れ残りが大量にあったのか、それとももともとそうやって取っておいた昨シーズンのものを早生ものといって売るのが常套手段なのかは分かりませんが。ちょっと消費者をバカにしてるんじゃないでしょうか、ね。

食べても分からないと思っているのでしょうか?

(これだけの長期保存ものは特殊な冷蔵倉庫に入っているはずですから、単なる売れ残りではないんでしょう)

とても残念でしたが、そのリンゴくんたちは食べ切れず、さよならしてしまいました。

こんなネガティブな記事で済みません。だって果物大好きなんだもの。悲しかったんだもの……。

リベンジとして(いや、もとからの予定なんだけど)、妻が新鮮な紅玉できれいなリンゴジャムをたくさん作ってくれました。美味しいです。

今夜はここまで。

じゃ、また明晩!

叙事詩『ティプトン』連載第20回

“フリッジで眠る人間は皆平等であり、裕福であった者も貧しかった者も等しく守られなければならない。新天地には貨幣経済も土地所有も持ち込まぬのだから、そこに到着するまでの間に人と人をすべからく対等な関係に戻さねばならない”

『ケプラーズ5213』より


── 20 ──


貨幣価値とは何だ
バランス、だろうか

貨幣経済というものが
かつての母なる星にはあった

多数の貨幣を手にしたものは
富裕層と呼ばれ
そうでないものは貧困層と呼ばれ
世界は二つに分断されていた

貨幣は食べ物や着るものを手にするためのみならず
住む場所とすら交換することができたそうだ
本当に、そんなことが?

(電子書籍化にあたり、公開を終了しました。本連載記事における公開分は、全体のごく一部になっています。ご興味のある方は、電子書籍版をお買い求めくださいますと幸いです)


本連載は、原則として毎週木曜日に掲載します。

晩年の詩人ティプトンは、SF作品『ケプラーズ5213』にちょっとした脇役として登場しています。本当にちょっとした脇役ですが、案外存在感があって、作者のお気に入りキャラクターなのです……

地球を旅立って三千年後、人類は尊い犠牲を払いながらも、計画通りに492光年彼方の惑星ケプラー186fに到着した。
人類は惑星の各地に入植キャビンを送り込み、水と緑に溢れた美しい新天地に入植地を築きつつあった。
だが、人類の生息環境として申し分ないその惑星に、先住生物が存在しないはずはなかった。

 

【魔女と王様】連載お伽噺 第19話『お腹がすいた』

みなさんこんばんは!
お元気ですか?
(ニーダマ王子は元気がないようですが……)

さあ今夜も、『魔女と王様』最新話のお時間がやってまいりました。

土曜日と水曜日は、お伽噺『とっても小さな九つの国』シリーズの第三部、『魔女と王様』の連載です。
今夜はその、第19話『お腹がすいた』です。

ニーダマは雨の中に投げ出され、泥だらけになってしまいます。
雨に打たれ、体は泥だらけ。それにもう、お腹もぺこぺこです。

第19話『お腹がすいた』
『魔女と王様』第19話
(表紙の絵はまだダミーですよ……w)

いかがでしたか?

おいしそうですね〜。
おいしそうなお料理が出てくると、こちらまでお腹がすいてきてしまいます。
でも、本当はそんなことを言ってはいられないのですよね、ニーダマは大丈夫なのでしょうか??

次回は第20話、『うわさ話』です。
どんなお話なのでしょう。
待ち遠しいですね!

BiB/iの表示に不具合のある方用のPDFは、こちらです!
第19話『お腹がすいた』


本連載は、基本的に毎週土曜日と水曜日に1話ずつ掲載します。


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本作は、ほんわかとしたお伽噺『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』の五年後のお話。著者ブログに連載されたものに加筆修正し、全話の扉に描き下ろしの挿し絵を加えました。挿し絵の数は上下巻合わせてなんと93点!

おっとMakeHumanだってぼーっとしていたわけではなかった!

ぼーっとしていたのは僕の方ですね。
MakeHumanがとっくにアップデートされていたことに全然気付いていませんでした。
(だって、現在のバージョン1.1が出たのは今年の5月。もう半年近くも経っているじゃあありませんか!!)

僕の知らない間にすっごく進化していました。不勉強、いかんです。

さて、1.1のポイントを見ていきますよ。
(難しいところは省きます)

まず髪形。これ大事。

以前のバージョンには
・坊主頭
・アフロ風(小さくまとまったちりちりヘア)
・ロングヘア
くらいしかなかったと思いますが、現バージョンにはこれだけあります!

どん。

髪形は10種類。変なのもありますが(笑、これはかなり使えますね!

 

ちょっと残念なのは、古いバージョンで作ったモデルを読み込むと髪形が新しいバージョンのものに置き換わってしまうようなのです。
古いものはそのまま読めれば髪の毛のバリエーションが増えたのですが……。

Make Humanはバージョンごとにいろいろと大きく変わるソフトなので、過去のバージョンもとっておくといいかもしれません。
だって、数年前のバージョンでは変な宇宙人とかも作れたんですよ!

 

こちらは後から見たところ。

ロングヘアはとても長いので、少し引いて横から見たところも加えました。
ロングヘアはとても長いので、少し引いて横から見たところも加えました。

 

今バージョンの根本的なところでは、年齢の表現がとても進化しているようですね。
自分が前バージョンをよく見ていなかっただけかもしれませんが(笑。
設定上は1歳〜90歳までになっています。
まあ、それぞれ相当微調整しないといけない感じではありますが、微調整のパラメーターもすごい充実度ですからね、少しの根気さえあれば、かなり良い感じまで持っていけるのではないでしょうか。
年齢パラメーターだけでどのくらい変わるか、ちょっとやってみましょう。

1歳、5歳、10〜90歳は10刻み。10〜80歳は眉をつけています。
1歳、5歳、10〜90歳は10刻み。10〜80歳は眉をつけています。ちょっと小さくて見づらいですが、左下に年齢表示があります。年齢と共に身長も変化していますね。すごい!

 

これで90歳?
若過ぎない? と思いますよね〜。
実は、肌の色を選ぶ「マテリアル」設定で、肌の若さも選べます。

90
テクスチャをOld用に差し替えると、グッとそれっぽくなります。

 

ついでに、肌も各種見てみましょう。

形状を全く変えなくても、テクスチャだけでいかにイメージが変化するかよく分かります!
形状を全く変えなくても、テクスチャだけでいかにイメージが変化するかよく分かります!

 

それからそれから、まるでManuel Labみたいに、表情とポーズも選べるようになっていました。
いくつかやってみます。

posing
各表情はかなり大げさ。自分で微調整をかけないと、お笑いっぽくなってしまう危険性、大です。

 

Blenderの内部で作るならManuel Labが便利ですが、このMake Humanを使えばいろいろなCGソフトに簡単に持っていけます。書き出すボーンの種類によっては、細かい表情も全部あとでいじれますから、これは強力です。

・Blender内部で完結させ、プリセットのもので足りるならManuel Lab。しかもCyclesのマテリアルやライティング設定まであるのは高ポイントです。
 ・基本的なものを作って自由にいじりたいならMake Human。もちろん、服も着せられますし。

なんにつけ、人体モデル制作の選択肢が増えるのは良いことですよね。
なんだかもう、ゼロから自分で作る必要が全然ないような気さえしてしまいます。

じゃ、また追っかけます。

今夜はこのへんで!

残しておきたいツイート

こんばんは。
さて今晩はこんなツイートから。

1.

「墓穴」……しょっちゅう掘ってますね。そのたびに落ち込んだりもしますけど、まあそれも人生勉強ですから。

2.

最近、ここで言ってるブログ記事のアクセスが多いので。
これも貼っておいた方が、、と。
まあ、言葉は生きものですからねえ。

3.

てへ。
この作品、どうもあんまり人気がないイメージが自分の中であったんですが、まあそこそこ読まれてもいる。
ということにしておきましょう。

4.

最近ちょっと自信喪失気味なのでね、こうやって元気を注入するわけです。はい。

5.

それでも、「売れてない」とか言ってはいけないのだ。
「売れてるよ〜」と言うのも嘘になるけど。
まあ、全く売れていないよりは売れている。売れているものよりは売れていない。
売れ行きなんて、そんなもんだ。

6.

ネタバレの嵐が丘w
例えば過去の名作を読むとき、だいたいの人は少なくともあらすじを知っていたりしますよね。結末すら知っていて読むことだっていくらでもありますし。
それでも読まれて生き残る作品が、良い作品なのでしょうねえ。

7.

「今日のいい言葉」
だから私も書くことをやめない。

8.

「三日も経てば記憶に残るのは深手を負わせた傷だけ」
また、いい言葉を発掘。
これだからツイッターは面白い。

9.

!!!

10.

今夜は益田ミリさんの名言で締め!

じゃ、また明晩!

センスと技術

「グラフィックデザイナーはなぜミリ単位にこだわるのか?」

こんな質問に対して「なぜも何もない。当たり前のこと」と考えるようになるあたりが、センスを発揮できるための技術のベースラインではないかと思うのです。

いきなり偉そうなことを、とお思いでしょうか?

僕自身、偉そうなことをのたまえるような素晴らしいセンスの持ち主ではありませんし、本職のグラフィックデザイナーでもありません。それはもう、作ったものを見ればわかることなので深くは追いませんが。

でも、デザインを学び、多少は仕事にも生かしながら日々を送っていると、わかってくることがあります。

本当にセンスの良い人は道具を選ばない。でも、技術は仕上がりを左右する。そして道具もやっぱり仕上がりを左右する。
それは、時間の問題でもあるし、自分のこだわりにどこでケリをつけるかというポイントの幅や位置(ポイント=点だけど、その中には大きな揺れ幅がある)が、技術とツールによって簡単に影響されてしまうことがあります。

ひとことで言うと、技術があってツールを使いこなせれば、試行錯誤に掛かる時間が削減できるということ。そうすると、自分の施したデザインに対して完成度を追求する時間の余裕が生まれたりする。その完成度は、手作業でやっていた頃より高いような気もするし、逆に甘くなったような気もします。

最終的な判断をする局面では厳しくなったのかな? 最初のデザインを上げる段階では甘くなったのかな?

極端に言えば、僕が学生の頃はパソコンもなかったし、デザインの全ては手作業でした。
クロッキー帳に鉛筆で何度も何度もアイデアスケッチを描いて、少しずつ理想形を探してゆく作業をどこまで詰められるかが、凡人の僕らに与えられたテーマであり宿命でした。そして、「これだ」と思ってから色を入れる。その時にはもう迷いはなくなっていて、ひたすら筆を動かし続ける。

今は、違います。

いきなり色面を置ける。完璧に真っ直ぐな線で構成された色面を自由自在に変形出来るし、アイデアを瞬時に画面上に落とせます。アイデアがなくたって、何となく画面を埋めることもかんたんです。バランスが悪ければいくらでも調整が効くし、それこそ紙上で行なう作業の何百倍も効率的にデザインを詰められます。

ただそこで勘違いしたくないのは、ツールが描きだしてくれた完璧な図形は完璧なデザインではないということ。

ぱっと見の完成された雰囲気に騙されてはいけないのです。

正解はいくつもあるけれど、どれでも正解なわけではない。ちゃんとした正解は、やっぱりある(いくつも)。

デジタルですべての要素がきちんと配置されていると、それだけでバランスよく見えてしまうことがあって、僕たちの感覚はついそれに騙されてしまいそうになります。

でもね、それは勘違い。そのデザインが何を目指して始められたものなのか、何を意図してその色を選んだのか、何のためにその形があるのか、もう一度立ち返らなければそこに潜む問題は見えてこないのでしょう。

形に落とす前によく考える。ぱっと見にカッコいいふうのものを作ってしまう前に、自分がどうしたいのかもっともっと悩む。そんなことが必要なのかもしれません。

完全アナログの時代、一度塗ってしまった色はもう戻せませんでした。ガッシュを上塗りして修正しても汚くなるばかりで、結局は一からやり直すほかなかったり。だから、僕らは息を止めて──誇張とか比喩ではなく本当にぐっと息を止めて──、白い紙の上に絵の具を置いていったのです。

アナログ時代と現在のデザイン行為の違い。そんなことを考えていたら思い出したことでした。

考え抜いて、決めて、一気に迷いなく描き切る。

そんなふうにデザイン出来たらいいんですけれど、ね。

デザインという行為にとって、今は今で、いい時代です。もちろん時間あってのことですが、ミリ単位の迷いを完璧になるまで調整出来るのだし、絵の具も紙も無駄になりません(いや、でも実は電気代のほうが高いのかもしれませんよ)。文字のスペーシングを調整するときなんて、ミリでも粗過ぎる。コンマ何ミリがデザインの善し悪しを分けてしまいますし。

そう、冒頭で書いた技術というのは、実は手先の技術やデザインソフトを操る技術の話ではありません。

・美しいバランスとは何だろう?

・この色がこのくらいの面積で置かれるなら、あの色はどのくらいの面積にするべきか?

・この色がこのくらいの彩度なら、あの色はどのくらいの彩度であるべきか?

・この形がこのくらいの強さなら、主張なら、あの形はどのくらいの強さにするべきだろう?

・この密度で「主たる要素」が配置されるなら、どこにどのくらいの「空間」を、「抜き」を用意するべきだろう?

僕はデザインの先生ではないので、あまりはっきりとしたことは言えません。でも、こういう基本的な技術を身につけた上にこそ、自分ならではのセンスというものが輝くんじゃないのかな。

そう、思うのです。

ちょっととりとめのない感じになってしまいましたが……。こだわって、考え抜いて、迷い抜いて、いいデザインを創りたいものですね!

では、今晩はこのへんで。

また、明晩!

淡波亮作の作り方