遠視と老眼の微妙な関係

いきなり唐突ですが、《遠視》と《老眼》って、どう違うのでしょう?
若い方にはそんなこと関係ないですよね。と思うでしょ?
No No, 違うんですよ。

僕が遠視用の眼鏡を掛けはじめたのは、三十代半ばの頃。仕事はまあそこそこハードで、パソコンを使う仕事の比率が増えてきた頃だった。日々、眼精疲労は蓄積していたし、なんだかディスプレイがよく見えないこともあったと思う。でも、それくらいではまだ何も気づいてはいなかった。

だけど、ある時急に、ディスプレイを見ていて耐え難い頭痛と吐き気に襲われたのだった。それは、ディスプレイの文字を見ようとするだけで僕を襲い続け、もう仕事どころではなくなってしまった。仕方なく、その日は早退したように記憶している。
ディスプレイだけでなく、本も読めなくなっていた。
明くる日、当然また仕事でパソコンを使わねばならなくなった。細かな文字を追っていると、ものの30分で前日と同じ症状が現われていた。休み休み仕事をなんとかこなし、そのあとで眼科に行ったのだと思う。

以前から、電車で本を読んでいると激しい吐き気に襲われることが頻繁にあった。特に、揺れの大きい電車、ちょっと暗めの電車では、もう駄目だった。少し本を読んでいるだけで、すぐに気持ちが悪くなった。ただ、疲れているのだと思っていたが、それだけではなかったのだ。

検査をしてくれたお医者さんが言った。
「眼鏡を作りましょうね」
「え?」

僕は何を言われているのか分からなかった。視力の良さには絶対の自信があったのだ。検査ではいつも2.0だったし、もしそれ以上小さな記号があっても、見えるのではないかとさえ思っていた。だから、眼鏡というものは僕の中で完全に異次元の物体。子供のころは目の悪いひとの《ものの見え方》というものがどうやっても想像できず、指を一本二本と示して近づけたり離したりしながら、「これ何本?」なんて実験していた。なんとまあ、失礼なガキんちょだったろう。

お医者さんが続けた。

「近くを見るための筋力が衰えてますから、眼鏡で矯正するほかありませんよ」
「なんか、病気とか、一時的なものじゃないんですか? 原因って……」
そう言い淀む僕に、お医者さんはズバリと言った。
「年齢のせいですよ」
「ね、年齢って、まだ三十五ですけど……?」
「もともと遠視系の人は、早いんです」
「早い?」
「ん〜、まあ老眼というのもアレですが、そういうことです」

そういう、こと、か……。
確かに、遠視系だから、もともと近くをはっきりと見るためにはそこそこの集中力が必要だった。検査によれば、乱視も入っているらしい。だから、筋力が衰えて補正能力が下がると、もう眼鏡で補ってやるしかないのだそうだ。
そして僕は、眼鏡を作った。遠視用の眼鏡だ。乱視も入っているし、その辺で売ってる老眼鏡では駄目なのだ。ちゃんとレンズのレシピ(カルテ?)を持って、眼鏡屋さんで作ってもらった。とても新鮮な体験だった。

遠視というものはつらい。遠視用の眼鏡はごく近くにしかピントが合わない(数十センチからせいぜい1メートルの範囲)から、眼鏡を掛けたまま立ち上がることも出来ないのだ。その眼鏡を掛けた状態で少しでも遠くを見ると、視界が歪み、ぐわんぐわんと世界が狂うのだ。その突然の眩暈といったら半端じゃない。始めのころは慣れず、それでよろめいたり、倒れそうになったりした。

さすがにだんだん慣れた僕は、眼鏡をしたままで《何も見ないで動く》というテクニックを身につけた。今でも度が進んで眼鏡を作り直すと、眼鏡屋さんからは必ずこう言われる。

「この眼鏡をしたままでは絶対に立ち上がらないでくださいね。眩暈で倒れちゃいますから」

そう、近くを見ている目の状態のままで立ち上がろうとすると、視界の酷い歪みで大変なことになる。だから、眼鏡の枠の外だけに意識を集中して────つまり、極端な上目遣いとかしながらレンズの向こうは見ないようにして────動き出すのだ。そのまま数歩程度なら歩ける。両手に物を持っていたり、眼鏡を外す手間が面倒なときはそうやって動く。

日常生活で眼鏡をしている時間はどのくらいだろう?
こうやってコンピューターの画面を見ている時は必須だし、iPodの画面を見るときももちろんそうだ。何しろ、眼鏡がないとディスプレイの文字は何も読めないからね。
そう、一つ良いことがある。良くないことか?

僕は何かお菓子とか調理済みの食品を買うとき、すぐ裏を見てしまっていた。それで買うかどうかの判断を働かせていた。添加物の量とか、変な材料を使っていないかとか、気になって仕方がないのだ。
これは、しなくなった。というより、出来なくなった。だって、ラベルを見たって何も読めないんだから、さ。
だから、歩きスマホもしない。見えないから。(いや、そもそもスマホもガラケーも持ってないけどね)

電車の中でTwitterなどやっていて、駅に着くと離脱してしまうのはこういうわけだ。歩いていると眼鏡は掛けられないから、文字が見えないのだ。
(昨日の夜、あまり霧が濃かったので、ちょっと写真を撮ってTwitterに投稿するという荒技に挑戦した。そもそも真っ暗で、歪む世界は少ない。だから、画面にピントを合わせたまま歩けば、眩暈もしない。危なすぎ!)

まあ、そんなことで、目のいい人ほど《アレ》が早いですよ、というつまらないお話でした。
2,300字も付き合わせてしまって、済みませんです。

このあと20時は、いつもの連載ですよ。
『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』、今日はどうなるのでしょうね?
(読んだことのない方はこちらへどうぞ。まとめ読みのページです)

では、のちほどまた!

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