表紙とタイトル:僕なりの考え

今回の記事ははちょっと変わった内容です。自分のことでなく、他の作家の方について、どうしても書かずにいられなかったので、ちょっとだけお付き合いください。生意気かもしれませんが、何とかして力になりたい! と強く思ってしまったのです。

発端は電書ちゃんのTwitterとブログ。

【みんなの悩み相談室】KDPで小説が売れない! 無料キャンペーンも惨敗で悩んでます

というものです。

作家の水瀬はるきさんが自作の無料キャンペーンを行なったところ、惨敗だった。これはどうしてなの? というお悩みです。そうです、このブログを読んでくださっている方は、思い当たる節がありますね。はい、前々作の短編『五感の嘘』の無料キャンペーンにおいて、僕も同じ経験をしたのです。ただし僕の場合はキャンペーン期間を最大の五日間に設定したため、途中で方向転換して危機を脱したというなんともスリリングな経験をしました。(くわしくはこちらをご参照。水瀬さんには是非とも読んで頂きたいな…→続編もあります

水瀬さんの今回の作品『ダブル・フーダニット』については、僕も認識はしていました。きれいな表紙だったし、ぱっと見で意味の取れないタイトルが気になって、帯をじっと読んで納得した記憶があります。でも、僕自身はあまりミステリーを読まないので、ダウンロードはしていませんでした。キャンペーン惨敗の遠因が、まずここにあるのではないかというのが、僕の考えです。

1.タイトル

推理小説を好きな方には既知の表現なのですね。ただ、推理小説は、誰が誰を(どうやって)殺したか、というのが重要なテーマですよね、それが読者にとってなのか、特定の登場人物にとってなのかは別として。ですから、《ダブル・フーダニット》という言葉は、ほぼ《推理小説(の1ジャンル)》と同義に思えます。
だからこのタイトルは、僕には《これは推理小説が二編入った本です》と言っているようにしか思えなかったのです。それを狙っているのかもしれませんが、表紙と帯の中に、同じ意味の言葉が四回も使われています。狭い面積で、これはもったいない。
読者を読む気にさせるには、ダウンロードしたくさせるには、端的に、どんなことが書かれているのかを「感じさせる、イメージさせる」タイトルが必須だと思います。有名作家でない限り。
推理小説好きな人にとっては、「そりゃ、推理小説なんだから、そうでしょ。で、どんな推理小説なの?」の「どんな」が欠如していると思わざるを得ないのではないでしょうか。例えば僕がSFを書く時、『トリプル・サイエンス・フィクション』というタイトルには決してしないのと同じで…。
また、推理小説を読まない人にとっては、何だか分からないカタカナのタイトル。帯を見ても、分かるのは推理小説だというだけ。大半の人はそこでリジェクトです。残念ながら、商品説明まで読みに来てはくれません。
僕自身は、「推理小説だから」というだけで読まないことはありませんが、具体的な内容が全く想像出来ない小説は、やはり手に取れません。(ダン・ブラウンは大好きです。推理小説というのか分かりませんが)
そういった意味で、『ダブル・フーダニット』いうのは残念なタイトルではないかと思うのです。
中の小説自体はイメージを想起させるしっかりとしたタイトルを持っているので、例えばそちらをメインにして《一つの表紙に二つのタイトル入り》としたほうが良かったのではないでしょうか。

2.絵柄

きれいです。が、こういった抽象画を用いた表紙には、小説の表紙としての主張がありません。内容のイメージがありません。表紙の絵柄は、タイトルと相乗効果で読者の期待を高めるために存在している。と僕は思います。ここで、「読みたい!」と読者の心臓をわしづかみにできるようなイメージ性が、特に推理小説には必要なのではないかと思うのです。これも、有名作家の場合には当てはまらないこともありますが。
電書ちゃんご指摘の「色」も要素としてはあると思いますが、完全に抽象的な絵柄は、いったん目に留まってもそのまま流されてしまう危険性が高いと思います。《壁の花》のようなものです。
それが芸術作品のレベルであれば別ですが、表紙は表紙、本来の作品は中身の小説ですから、そこまで求めるのは逆に意味がありませんし。

3.デザイン

タイポグラフィーの選択は本当に難しいものです。デザイン性と可読性、それにAmazonのページでサムネールサイズでも目立つこと。全てを両立させるには、本当はロゴデザインを0から起こさなければならないと思います。もちろん、そんなことができるセルフ作家さんはほとんどいないので、既存のものでどうにかしなければならないのですが。
タイトルを同じくらいの文字数で改行し、スクエアな組み方をしていますが、これ、実はすごく難しいんですよね。上下の行の幅をそろえるということは、逆に言うと文字毎のカーニング(文字間相互の詰め)を無視するということになります。よほど気を使ってデザインしないと、読みづらく、バランスの悪いものになります。この例では、残念ながらスクエア組みに成功しているとは言えません。このままのタイトルでいくなら、カーニングを美しく整理した上で、行間をもう少しあけ、行の左右配置もバランスを見ながら左・右・センターのどちらにそろえるべきかを検討すると良いと思います。(これは本当に僕の私見で、書店売りされている本でもあまり気を使わずにデザインされているものもあるので。お気を悪くされたらご免なさい。)

4.総論

きれいで、良くできた表紙なんです。きっと、中身のクオリティも高いだろうと思わせるものがあります。でも、それは僕が同じセルフ作家だから感じること。
残念ながら、この表紙には喚起させるイメージがない。
読みたい!と思わせる強引さがないと、何も予備知識のない、通りすがりの一見さんにダウンロードしてもらうのは難しいものです。何しろ、本は無料でも、本を読むには数十分から一時間はかかるのです。それだけの時間を投資しても《元が取れる時間の過ごし方を与えてくれる小説》。読者はそれを期待しているのですから。

応援のつもりで書きました。もし、上から目線的なものを感じ取ってしまわれたら、本当にご免なさい。僕は兼ねてから、KDPにアップされている小説群の表紙を少しでもクオリティアップさせて上げられたらな……と思い、時々このブログにもそんな記事を書いてきました。いずれは一冊の本にまとめようかな、とも思っているのですが、まずは眼の前でお困りのあなたのために、少しでも役に立てたらと。
出しゃばりで済みません……。

もし、少しでもお役に立てたら幸いです!

2 thoughts on “表紙とタイトル:僕なりの考え”

  1. 初めまして、記事を読ませていただきました。
    大変、参考になりました。ハードルは上がってしまいましたが…;
    タイトルについては自己分析でも思ったのですが、やはりそうなのですね。
    どちらか1つを表題作としてタイトルを決めようかとも思ったのですが、それだともう1方の存在が霞んでしまうし…と悩んだ末での選択だったのですが、結果的にそれが失敗でした。
    当初思っていた以上に大事になってしまった感はあるのですが、意見が聞けた事自体は良かったです。
    同じような新しい方が考えるきっかけとか、知らなかった情報の露出とかにも繋がれば良いなと思います。
    ありがとうございました。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *