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読書/また、戻ってきた

ども。
レ・ミゼラブルの第一部を読み終えた淡波です。
うーむ。やはり名作は読んでおくにこしたことはないなあと、しんみり思い、反省し、嬉しい気持ちにもなっているところです。
前半で「これって無駄だろ」って思っていた記述が、やっぱりじわじわと効いてくるんですよね。

伏線というのではなく(伏線といえるものもあるけど)、どちらかというと人物描写の面で。もうとにかく、丹念に丹念に主要な登場人物の過去、生い立ち、暮らし、言動の描写が続いていました。
「この人はこういう人です」ということを説明としては書かずに、言動をじっくりじっくり長く描くことでシーン全体として描写している。だから、二度と登場しなくてストーリーとは無関係な人物のことも丁寧に描いていたりするのですね。そりゃあ、長くなるわけです。
ストーリー上重要なことも重要でないことも分け隔てなく、その人物の人となりを表現するために必要な要素は全部描写しましょう、とばかりに書かれてますから。
現代の小説が数行で済ましてしまえるようなことを、もう、延々と十ページ以上にも亙ってやっていて、それがストーリーとは直接関係なく、ブツッと終わってしまったり。そして、全然違うエピソードに進んで行くわけです。ずっとそれの繰り返しなんですけど、やっぱり読んでいると、登場人物の人となりが「生きた」ものとしてちゃんと自分の心の中にしまい込まれているんですねえ。

それが、ストーリーの本筋を味わう上で、じんわりと効いてきて。

まだまだ先は長いです。
学ぶことがいっぱいあります。

この作品に限らず、もっともっと読みたいな。
(つーか、物書きのくせに名作文学もロクに読んでなかったなんてね、あかんあかん……)

じゃ、また明晩!

ねえ、『えあ草紙』は凄いぞっ!

『えあ草紙ブックマークレット』がカクヨムに対応したということで、遅ればせながら僕もインストールしてみた。
インストールといっても、ブラウザのブックマークバーにリンクをドラッグするだけ。拍子抜けするくらい、とっても簡単なのだ。
(インストールはこちらから

カクヨムに昨日から掲載を始めた『ルルルとリリリ』の第一話を表示してみたところが、これ。

1.まず普通にカクヨムのサイト上で表示

普通のWEB表示。明朝体だし左右に余白があり、ちゃんとウィンドウサイズに伴ってリフローされるので、極端に読み辛くはない。
普通のWEB表示。明朝体だし左右に余白があり、ちゃんとウィンドウサイズに伴ってリフローされるので、極端に読み辛くはない。

2.「えあ草紙リーダー」のブックマークをクリック

最初に出るのがこの画面。慌てず、「えあ草紙で読む」をクリックする
最初に出るのがこの画面。慌てず、「えあ草紙で読む」をクリックする。

3.これがえあ草紙の表示。美しい。読みやすい、気が利いてる!

どうですか、この表示の素晴らしさ!
どうですか、この表示の素晴らしさ!

紙の薄さを感じさせるインクの裏写り。ちゃんと実際の裏ページにある文章の裏返しになっている!

こちらの設定画面で細かな表示設定ができるのも気が利いてる!

本文をヒラギノ明朝、見出しを小塚ゴシックにしてみたところ。
本文をヒラギノ明朝、見出しを小塚ゴシックにしてみたところ。

インクの裏写り量まで設定できる、この細かな気配りはもう、マニアの域!
(だって、「前後の枚数の違いを影で表現」って、やり過ぎでしょ。言い意味でw)

基本的にはMacで読書することはないので、今までは使ったことがなかったんだ。でも、実際使ってみて、その良さに驚いた。これは、Kindleアプリなどの専用ビューアと肩を並べるかそれ以上じゃないか!
(「!」ばっかり!)

これ、Flashを用いているので、PCだけじゃなくAndroidにも対応してるそうですよ。つまり、iOS以外なら大抵何でもオッケーということ。

どうですか、皆様ぜひ!

じゃあまた、明晩!!

(この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!)

読書/引き続き──

先週、読んでくださった方はお分かりかと思いますが──。
『レ・ミゼラブル』をまだ読んでいます。ようやく第一部の半分を超えたところですが、やはり名作、濃いです。濃過ぎます。

ただ、感じることがあります。
時代の荒波を乗り越えて生き残った名作といえど、やはり執筆した時代というくびきからは逃れられない。ということです。
執筆時より過去の物語なので、そのあたりの歴史描写などもなされているのですが、それを執筆時という《現代》と比較しています。そして、現代の人物や文化と比較したりしているわけです。
これはもう、仕方がない。その時代を知らなければ、作者が何を言わんとしているのかはなかなか理解できないですよね。
古めの名作文学を愉しむということは、歴史であったり文化に造詣があって、その上に成り立つのかも知れません。

僕は歴史が得意ではなかったですし、これからフランスやイギリスの歴史をちゃんと勉強するつもりも(あまり)ないので、とにかく目の前に提示された世界をじっくり味わうだけ、と思いながら読んでいます。

にしても、まあ、固有名詞の多いこと多いこと。今だったら、「余計な描写が多過ぎる!」と言われそうな、物語とはあまり関係のない人物のフルネーム(揃いも揃って長い!)、職業や官位が延々と書いてあったりします。これ、詳しいひとならそれだけで楽しめる内容なのかも知れませんが、知識ゼロの読者には辛いなあ。
でも、それを延々と読むことで、時代の空気なり、様々な登場人物の行動原理に納得できるのですよね。

まだまだまだまだ、先は長いです、この作品──。
こんな話ばかり書いていても仕方ないので、来週は別の読書の話題もしたいものですが……。

じゃ、また明晩!

読書/今読んでいる本

水曜日は読書の日。もとい、読書について書く日。にしてます。

さて、今週は読み終わった本が何もないです。本当はここでバーンと、あの本のことを書く流れなんでしょうけど、その前から読んでいる長い長い本があって、まだ読み始められない状態です。
もちろん、今はどこを見ても「あの本を読んだよ」という話が載っているので、敢えて時期を外そうかしら、というのもありますが……。

で、今読んでいるのはこれ。


これね、ちょっと注意が必要なんですよ。
「04」となっているのは、この前に三冊も別の本があるからなのですが、「01」が要注意です。
訳者の方が書いた『レ・ミゼラブル』の完全な粗筋が書いてあります。「この物語は、こんな内容です」なんて、書いてあります。
もちろん、大ざっぱな筋は誰でも知っているでしょうし、今さらネタバレだからどうのという性質の作品でもありません。文学ですし。
でもねえ、読み始めて、いきなり序文で結末まで書かれるのは、気持ちのいいものではないですよね。

ということで、まだ、第一部の四分の一ほどまでしか読んでいません。ようやくジャン・ヴァルジャンが出てきたところ。
文庫本にして千ページ以上ある作品なので、いったい、いつまでかかるやら……。

ま、そういうことで!
(来週も読み終わっていないのは間違いない……何を書こうかなあ……)

最近の読書

先日も宣言(そんな大げさなもんじゃない)したとおり、ここのところは主に商業本を読んでいる。名作だけじゃなくて、小説以外もね。

で、読んだ本はこちら。


・伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

これは素晴らしく目からウロコの落ちる本。
もう、数限りなくアンダーラインを引いて(Kindleで)、本がアンダーラインだらけになってしまった。直接的に創作へのヒントになるということもないけれど、《ものの見方》をがらりと変えさせてくれる本だった。

「目の見えない人」を可哀想な存在と考えるのではなく、モノを見る時に「目を使わない人」と捉えることが大事なのだ。だから逆に、可哀想という見方をしてしまうと、本来構築できるはずの人間関係を壊してしまうことにもなる……。

少しだけ、引用しておこうかな。

このような意味で「大事にする」のは、友達と友達の関係ではありません。からかったり、けしかけたり、ときには突き飛ばしたり、小学生の男子同士なら自然にやりあうようなことが、善意が壁になって成立しなくなってしまった。

手を差し伸べるのではなく、「うちはうち、よそはよそ」の距離感があるからこそ、「面白いねぇ!」という感想も生まれてきます。

たとえば赤は「りんご」「いちご」「トマト」「くちびる」が属していて「あたたかい気持ちになる色」、黄色は「バナナ」「踏切」「卵」が属していて「黒と組み合わせると警告を意味する色」といった具合です。  ただ面白いのは、私が聞いたその人は、どうしても「混色」が理解できないと言っていたことでした。

なんと、新鮮なモノの見方でしょう!


・泉鏡花『高野聖』

幻想、恐怖、ファンタジーの日本における元祖のような作品だよね。未読でごめん、という感じ。


・レオ・トルストイ『イワンの馬鹿』

こちらも「今さらかい、読んでなかったんかい?」という感じだけど、大変面白かった。子供向けだけど、大人が読んでも充分に面白い。深い。しかし、文明批判とか社会批判ってのは作家にとって避けて通れない大きなテーマなんだよね。
(あ、もちろん、全然そうは思わない作家さんも多いけど)


・フィヨードル・ドストエフスキー『百姓マレイ』

とても短い作品。物語というよりスケッチのような、ふと思い出したことをさらりと語っているような作品。
とても、味わい深い。文学って、いいよね。と思ったりする。


・手塚治虫『フィルムは生きている』

もちろん、こちらは漫画。すっかり忘れていたけれど、やっぱりこの作品も子供の頃に読んでいた。でも、また買って読んで良かったな。創作の苦しみ、喜びがじんわりと染み込む。


・月狂四郎『わなび隊長の助言』

こちらはもちろんインディーズ。
ずっと前(一年くらい前?)に無料キャンペーンをやっていた時、DLしたくてできないうちに期間が終わってしまって諦めた作品(そんなことで諦めるなよ!)。
また無料キャンペーンをやってくださったので、読みました。面白かった。きっと、一年前に読んでいたらもっとずーっとためになったのだろうな。ここに書いてあることの多くは、僕もこの一年でいろいろな方から学ばせて頂いたことばかり。ちょっとだけ、成長したと思っておこうか──。


意外に、たくさん読んだかな。
(ナショジオが一冊も入っていないのはご愛嬌!)

では、また明晩!

読書した/フランケンシュタイン

メアリー・シェリー作『フランケンシュタイン』
誰かに聞かれる前に読んどかなきゃ、と思って読んだこの本。
──参った。

現在絶賛発売中の『別冊SF群雛』に書かせていただいた『白く、白く、儚きモノよ』の元ネタとも言えるこの物語。
読んでいないけど知っているような気がする小説の筆頭ではないだろうか?

知ってるような気がしてるけど読んでいないあなた、読むとびっくりしますよ!

何しろ、イメージとして持っていたものは、物語全体からしたらほんのサワリ程度。これを知らないでいちゃあ、本読みとしてもったいない。

もちろん、時代の荒波を乗り越えてずーっと生き残ってきた名作文学だから、風景や事象の描写は素晴らしいし、純文学のように心の動きをえんえんと書かれてもちっとも飽きたり飛ばしたくなったりしない。
これ、味わいの塊。

SF(世界初のSFという見方もあるとか)、ホラーとしても本当に良くできているし、科学的な視点で疑問に思われそうなところは事前に《秘密》ということにしてうまく逃げていたりもする──もちろん、現代の僕らから見ると、おかしなところはいっぱいあるけど、それは許せる範囲。文学作品なんだから。

伏線といい、全体の構造といい、もう全然太刀打ちできない。足下にも及ばない。
やっぱり残るものは違う。

まあ、僕の書いたのは短編だし、と自分を慰めても仕方ない。
粗筋程度に見えてしまう。
(そもそもレベルが違いすぎて比べることに意味なんかないけど!)

いや、まあ短編だし。
これから書く長編は違うぜ!
(まだいつから書くか分からないけど)

やりますよ、やりますよ〜。
もっともっと勉強して、いいものを書きますよ!

てな感じで、また明日!



内緒だよ

今、読んでいる本は昔々の名作。
だけど、何を読んでいるのかはまだ内緒(別にそんなこと、誰も知りたくはないだろうけど、ね)

今度の新作をいつものように妻に読んで貰ったら、その元ネタ(と言われるであろう昔々の名作)を、妻が読み始めた。
すごく良かった、と言われた。
そして、僕の新作はいつものように、「薄っぺらい」と言われることになった。

僕も、読んでみた。
(正確には、読んでいる。結構長い小説で、これを書いている時点ではまだ読み終わっていないので)

いやあ、参った。
正直、そんなに深い話だとは思っていなかった。でも、さすがに風雪に耐えて生き残る作品は違う。
僕のその新作はあくまでも短編で、もともと深みなんか追求はしていないのだけれど、それでも打ちのめされた。
僕の書いたものが粗筋に見えてしまった。

あ、ここで捕捉しておくと、その物語は僕の新作の元ネタではないのだ。書いたときには、話を考えたときには、その元ネタのことは何も思い出さなかったし、読んだこともなかった。その本を読んだことのない世間一般のひとが抱いている大ざっぱなイメージしかなかったんだよね。だから、ある意味大枠は似ているけど、全く違う話だ。
(って、わけ分かんないですね、これじゃw)

僕は、短編では「読みやすさ」や「分かりやすさ」を追求している。でも、もちろんその中に美しさや、裏に隠れた深いものを感じさせたい。と思っているけどね。サクッと読めて面白く、不思議と何かが後に残るようなもの、を目指しているわけで。

でも、それだけじゃなく、もう少し、高みを目指したくなってきた。
求めすぎない程度に、でも、浅いとか薄いとか思われない程度に、もう少し丁寧なものを積み重ねていきたいな、と思う。

まあ、《世界の名作》と次作を比べてもね、というのはあるんだけど。

精進精進!

じゃ、また明晩!

ちょっと、離れるかも──

済まぬ、KDPeople。
──と始まる今日の記事。

水曜日は読書について語る日、と今年は決めてるんだけど、いきなりの宣言になってしまった。
KDP読書はしばらく休むかもしれない。

理由その1。
《愛読書のナショジオが、とうとう一年分以上溜まってしまった》
長いこと定期購読をしていて、いろんなアイデアの源泉にもなっている僕の相棒。ところが、もうずっと読まずに積ん読状態になっている。文字があまり大きくないので、電車でしか読む時間を作れない僕にとって、文字を拡大できない紙の雑誌は辛いものがあるんだよなあ。疲れている時は無理、とすぐ諦めてしまうので。
ということで、新刊ラッシュもようやく終わったし、ちょっとゆっくりナショジオを読もう!
と思ったわけ。

理由その2。
KDP(やインディーズ作家の本)には、本当に面白い小説がいっぱいある。エンタメ、推理、SF、ロマンス、味わい深い文学作品、ショートショート……なんでもある。
でも、それは自分の書いているものと、大きなレベルの差はないものが多い。
「これ、死んでも書けないよ!」とさじを投げたくなるような超名作は、そうそうお目にかかれるものではない。
(ないとは言わないけど)
一方、古今東西の名作に目を向ければ、もう、それこそ逆立ちしても全く太刀打ちできないレベルのものばかりだ。
もっともっと上を見なくてどうする? という思いが、特に最近強いんだ。
同じ面白い本を読むなら、やっぱり自分より百倍もいいもの、千倍も上手いものを、もっともっと読まないと、進歩できない気が、最近している。

新刊ラッシュみたいなことをやって、大量の文章を間断なく書いていると、自分の書いている文章に飽きたような感覚に囚われることがある。
──同じ言葉ばかりを使ってないか?
──新鮮な表現が足りないんじゃないか?
──手癖で書いてないか?
──と。

だからね、自分が足下にも全く及ばない作品を読む時間を、もっともっと取りたいんだ。

もちろん、読みたくてうずうずしてるインディーズ作家さんたちの本もKindleに溜まってるから、必ず読むけどね!

じゃ、また明晩!

読んだよ〜!:牛野小雪著『長い寄り道』

肩透かしを食らって許せない小説と許せる小説がある。
ストーリーが解決する以上に、そこまでの旅を味わい、楽しみ、慈しむことのできるもの。
もしかすると、それを文学というのかもしれないな。

オチはない。もやもやは何も解決しない。想像に対する答えは何も与えられない。そして突然、両手で力いっぱい突き放される。
はい、ここでおしまい。

ズシリと残ってしまう。胸のざわつきが放って置かれてしまう。
作者の企みどおりにね。

それが、牛野作品の魅力であり、すごいところなんだよな。
どんなに肩透かしを食らっても、愛さずにいられない。
それが、この作品集の中の三作。
『マーモンドの花』『マリッジブルー』『妻と猫との思い出』だ。

そして短編集の最後に収められた『ベンツを燃やせ』。
これにはびっくりした。
これまで僕が知っている牛野作品にはない爽快さと明快さがある。どきどきしながら、わくわくしながら、それでもどこかで肩透かしを喰らうことを期待しながら読んでいた。
オチはきっと、計画が微妙に頓挫して、それが良いとも悪いとも描かれず、ただもんもんとして終わるのだろうなと思いながら、読んでいた。だって、タイトルがベンツを燃やせなんだから、それでベンツが燃えちゃったら、まんま過ぎるじゃん、意外さがないじゃん、と思っていた。

──ところが……、
わーっ、違った!!!

こんな爽快で豪快な──もちろん、そのまた後に牛野作品らしい余韻があるのだけれど──、牛野作品、知らなかった。最初からオチをバラしてるのにこんなに面白く読めるものが書けるなんて、やはり牛野小雪はただ者ではない……。
(燃えて終わるのは竹薮の柩とも被るけど)

いやあ、もっと読みたい。
と思いつつ、まだ積ん読に長編があったことを思い出した……。
ハイ、読みますですよ!

じゃ、また明晩!

読んだよ/折羽ル子著『円盤対猫』

読んだよ/折羽ル子著『円盤対猫』

独特な語り口に才気を感じる。
あの、漫画のはちゃめちゃな世界がそのまま小説になっている。

無駄にしつこい描写や細かな設定(しかも本筋と無関係と思わせておいて、やっぱり生きている。念のため)、これでもかというふざけた固有名詞──。
これ、好きなひとにはめちゃくちゃアピールすると思う。
好き嫌いは別れるかな。
惜しむらくは、故意なのかミスなのか分からない言葉や文字が多いこと。明らかな変換ミスのようなものなのに、作者が故意に忍び込ませたのではないかと、それによる難解さを狙っているのではないかと思うと、指摘もできないし……。
(ご本人もどこかで「実験的」と仰ってましたし)

やはり面白かったのは表題作の『円盤対猫』。大枠ではちゃんとストーリーがあって(笑)、オチも付いているので。
僕の好みで言っちゃうと、もう少し整理して読みやすくしたら、もっと幅広い読者にアピールできるんじゃないのかな、と。
と思ったけど、そんなに幅広い読者を想定してはいないのだろうな、とも。
《好きなひとだけ好きになってよ!》オーラをびしばし感じる。

でもなあ、ん〜、惜しい。と、つい思ってしまう。
(いや、私見なので)

とても情報量が多く、文章に勢いのある方なので、短めの作品(『円盤対猫』のようなストーリー性があって)が向いているような気もするけど、それは僕がそういうものを読みたいというだけであって、ご本人の書きたいものとは違うだろうし──。
ごく短い言葉遊びのような作品もいい味出してるわけだし……

何か一捻りで大化けするような気がするんだがなあ。
もちろん、僕には正解は分からないけれど……。

では!


《あとがき》

と、上のリンクを埋込むために折羽ル子さんのAmazon著者ページを見たら、びっくり、21作(表紙イラストご担当も合わせて)も出してらっしゃるんですね〜!
こりゃ、別の小説も読んでみなきゃ、と反省する淡波でした。
oriha