Category Archives: 自作について

ちょっと目新しい宣伝手法(手法自体は古典的……)

さて、Twitterを見てくださっている方にはもう見当が付いたかもしれません。

一昨日考案したGIFアニメによる試し読み自動めくりアニメーション。その作り方はもう少し時間を取れるときに解説させていただくとして、同じテクニックの活用方法をもう一つ考えました。

さっそく、こちらに貼ってみましょう。

孤独の王GIF広告
孤独の王GIF広告

 

いかがでしょうか?
これなら、Twitterなどのタイムラインに直接表示できるので、外部のどこへも飛ぶことなく、見て、読んでもらえそうではありませんか?
(Facebookでは動きませんでした。Google+はばっちり動きます!

今のところ、このやり方は(僕は)見たことがないので、目立てるかもしれませんよ。

もし気に入ったら、どんどん真似して作ってみてくださいね!

では、明日の『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』もよろしくッ!

いつかこの記事が、誰かの役に立ちますように!

【お知らせ】と、フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん 第八話

さてさて、昨夜間違えて二話分を公開してしまったので、急遽今日の分を追加で書くはめになってしまった間抜け全開の淡波でございます。

では、まずはお知らせを。

Twitter上で、「BiB/iが表示できない人はいますか?」 と質問した結果、複数の人からちゃんと表示されないというお答えをいただきました。せっかく見に来てくださったのに読めないのはたいへん申し訳ありませんので、PDF版を用意しました。
(これまでの全話をPDF化しましたよ! お待たせしました)

あ、ここから先は、Macじゃない人は読み飛ばしてくださいね〜。

昨夜の僕のパニックをTwitterで見てくださった方はご存知のことですが、そのPDF版を作ろうとしたとき、実は『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』のデータを第一、二話分だけ残して全部消してしまったのです。僕の使っているエディターHagoromoはとても素晴らしいアプリなのですが、突然クラッシュしたときに直前の状態で自動保存してくれる機能が仇となってしまいました。
第一、二話をPDFに書き出すため、それ以外を全て一時的に消去して……途端にクラッシュ。めったにクラッシュしないアプリなのですが、ファイルを再度開くとものの見事にデータが上書きされていました。青くなること丸一日。

ところがです!

この記事を書いている最中に、その自動保存を止める機能はないかといろいろHagoromoのメニューを調べていたら、見つけちゃったんです。
こんなの。

これがHagoromo内Time Machineとも言うべきバージョン管理機能だッ!
これがアプリ内Time Machineとも言うべきバージョン管理機能だッ!

 

これを選択すると……
なんと、これまでに保存したバージョンを全て辿れるのです。これ、初めはHagoromoの機能だと思っていたのですが、MacOSの機能なのですね。いやあ、おみそれしやした。さすがMacだわ。上書きしちゃってもずーっと辿れるなんて。
(いやいや、Macだけがすごいわけじゃないぞ。実はWindowsにも同じような機能はあるんでした……。最近のパソコンはすごい、というだけの何とも言えないオチですわ)

表示はまさにTime Machine !
表示はまさにTime Machine !

 

と、いうことでですね、データは完全復活、連載の危機にはストップが掛かったというわけです。いやあ〜、めでたしめでたし。

Hagoromoをお使いの皆さん、突然のクラッシュにビビる必要はありませんよ。困ったときは、MacOSのバージョン管理機能です!

はい。
では、そろそろ行きましょうか、『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』第八話、はじまりはじまり〜!
Amazon Kindle Storeでの発売のため、連載データの掲載は終了しました。こちらは第七話までの試し読みとなります。

『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』試し読み

楽しんでいただけましたでしょうか?

明晩もお待ちしていますね!

この記事がいつか、誰かの役に立ちますように!

という決まり文句の後にはコレ。

BiB/i表示に不具合があるかたは、こちらのPDF版をどうぞ!
『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』試し読み

新作は三つのバージョンを用意するかも?

現在執筆中のお伽話、『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』は童話版、絵本版、そして、もしかすると大人語翻訳版も作ろうかと思っています。

そもそも、童話の電子書籍って、読まれるのだろうか? という疑問点があったりするのです。
専用電子書籍端末を持っているのは大人だし、契約するのも購買するのももちろん大人ですよね。スマホで読むのも、まず大人がメインでしょう? 中学生以上なら自分のスマホを持っているかもしれませんが、やはり電子書籍ストアのアカウントを自分で持っているとは考え辛いです。
小学生のお子さんが電子書籍で童話を読むシチュエーションを考えると、家にあるタブレット端末に親が書籍データを入れておいて、それを子供さんが読む、というパターンでしょうか。

そう考えると、大人が読む童話という選択肢もありなのではないかと、考えたわけです。まあ、大人語翻訳版は一番あとになるかとは思いますが……。

今のところの予定はこんな感じで考えています。

【童話版】:淡波ログで毎日一話連載!
 いきなりすごい発表だ、自分ながら。概ね2〜3枚程度の分量で一話をまとめています。全体で45話、4万数千字程度。現時点で一応は全体を書き終えていますが(現在校正中)、少々ボリュームに変化はあるかもしれません。
 こちらで掲載後は、適宜作品ページに移していきます。ここだけだと読み辛くなりそうですし。連載終了後はAmazonなどで発売、という流れですね。

【絵本版】:連載終了の翌月あたりをターゲットに考えています
 とはいえ、まだ何もない状態。かなり遅れる可能性は相当あり、でしょうか。童話版の文章量をぐっと絞り、何とか絵本化したいと思っています。できなかったらご免なさい。。

【大人語翻訳版】:絵本版と同時進行できれば……
 ルビを全て省き、もう少し表現を大人っぽく、深めたいと思っています。大人が楽しめるようにシニカルな側面をちょいと強調したりして?
 うーん、これもまだアイデアレベルなのですが、ね。

童話版ですが、早ければ明日の夜、第一回目を掲載しようかと考えています。まだ決まっていないのが痛いですね。全ての漢字にルビを振っているので、その作業に思いのほか手間取っているのです……。

さて、もう一つ。
このプロジェクトもメディアミックス的な展開を考えています。主題歌(イメージソング)も大体頭の中では出来上がっていて、歌詞は完成済み。ちょっとお間抜けな雰囲気にして、子供たちが喜ぶものにしたいと思っています。
PVは絵本版の絵を使おうと思っていますが、果たしてそこまで作る時間を取れるのか? そこが一番問題だったりします。
物語の中に挿入歌もあるのですが、これも何らかの形で発表しようと思っています。SoundCloudと作品ページに載せる感じですかね。

一人でも毎回のお話を楽しみにしていてくれるひとがいるといいなあ……と思いつつ!

では、明晩の第一話をお楽しみに!

あれは最善の結末なのだった、が。

いろいろな読み方があっていい。読者の数だけ感想があっていい。小説も音楽も絵画も映画も舞台も詩も……。
でもね、一つだけ言っておきたい。

ああいった形で、結末をバラさないでくれ。

あの作品、『ケプラーズ5213』の結末は最初から決まっていたし、あれが僕の一番書きたいことだったのだ。非常に陳腐だし、ガキっぽい結末かもしれない。でも、僕はああやって文明が人類を裏切り(いや、人類のおごりが生物としての人類を裏切り)、どうにもならないところに落ちて行って、動物に還ることでしか救われないという姿を描きたかったのだ。
(ああ、これでもうケプラーズは読まれない……)

ケイトとソーの物語は、それを個人的なレベルで、ちょっと斜めの場所から描いている。
《生き残るために最適な解は何か》、二人はそれぞれ自分の頭で考えて決断した。そこには、その時の二人には、もはや恋愛感情なんてない。
表向き、僕は読者の期待をひどく裏切ったように見えるかもしれない。それはそれで、そこまでの二人の話の盛り上げ方が上手く行き過ぎたのかもしれない。でも、僕はあの結末を一直線に目指して書いていた。二人の恋も、そのためのものだ。《猿》の後、二人が、いや、ソーがどうなるのか、希望を残して終われればそれだけで最高の結末になると信じていた。ああやってソーがケイトの存在を思い出すことが、救いをもたらしてくれると信じていた。
いや、今でも信じている。

あれが《不誠実なはぐらかし》に思えたとしたら、それは読み手に作者の意図が伝わらなかっただけだ。それはきっと、書き方が下手だったんだろう。あからさまな書き方はしたくなかったし、テーマは、静かに底に沈んでいればいいと思っている。僕は巧みな書き方ができないけど、あれはごく誠実に、愚直に、テーマを追求した物語なのだ。
そこにブレはないし、ごまかしや帳尻合わせは一切ない。大事な部分を軽んじたことなどない。読者をばかにするなんて、とんでもないことだ。

批評されるのは嬉しい。辛いこともあるけど、自分以外の人間が、「面白い」「つまらない」以外のことを言ってくれる機会など、そうそうあるものではないから。

だけど、だけどね、《盛り上げるだけ盛り上げておいて尻すぼみになった話》と思われてしまうのは心外なのだ。そう思われてしまったのだから感想としては事実なのだけれど。
まあ、言い訳だと思いたかったら思ってもいい。作者が作品の説明をするなんて、最低だと思う。

ああ、また掘っている。墓穴ってやつを。

どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。

(つづく)

美容院のBGMのようなものは……

それは美容師さんの好みで選ばれたものなのだろう。文句を言う筋合いのものでは全くない。でも、僕はあれが嫌いだ。我慢ならん、と、つい思ってしまう。
「明日」「道の途中」「信じて」「いつか」……
ああ、もうあとは忘れたよ。多分、「つばさを」もあったろう。

聴き飽きた王道ドラムフィル。感動進行。気持ち悪い裏声(あ、これは好みか……)。

《売れるため》に作られた使い捨ての甘いバラード音楽が、コンピレーション・アルバムなのか、有線なのか、延々と流れている。適当に歌詞を入れ替えても、誰もその違いが分からない。全体でなく、部分部分の言葉、耳障りの心地よさで作られた音楽だ。
ミュージシャンを入れ替えても分からないだろうし、たとえ歌い手を差し替えたとしても、ファン以外にはきっと違いが分からない。でもそう言い切ってしまうのは乱暴だし、失礼なことだ。彼ら、彼女らだって、仕事でやっているのだ。し、ご、と、で。
存在自体を否定するつもりはないし、それが好きなひとに文句を言うつもりもない。
それが成立してしまう世界があってもいい。

でもさ、1時間弱座りっぱなしで、逃げられない場所で、その音楽をかけないでくれよ。(「店員に換えるように頼めよ」って言わないで! これは僕だけの個人的な感想なのだから)
そう思いながら、これは小説にも言えることではないかと、ぼんやり考えていたのだった。小説を書いて発表している以上、値段を付けて販売している以上、誰だって読まれたい。売れたい。そう思っているはず。
だから、売れているものを全否定するのは虚しいだけだ。そこにも学ぶべきことは必ずあるのだし。

多分、小説の世界にも売れるためのセオリーってのがかっちりとあって、そうやって売り続けている売れっ子もいる。もちろん、そうやってセオリー通りに書いたってつまらなければダメだろうし、ただ面白いだけでもダメだろう。
宣伝費をドカンと投入して売れても、それはずっと続けられるものじゃない。二作続けてつまらなければ、どんなに面白いって言われてもそうそう読みたくなるものじゃないし。

僕はどうも天の邪鬼で、《王道の設定らしきものを使って正反対に突っ走る》とか、《売れすじっぽいプロットでめちゃくちゃに読者を裏切ったり》とか、そんな調子で書いてきた。
よく言われる、《どんな形であっても、主人公が成長しない物語は人の心に響かない》みたいな話には、つい反発して逆行してしまう。まあ、単にそういうものが上手く書けないってだけなのだろうけど、ね。
まあ何というか、この美容院の話だって、僕の天の邪鬼体質のせいで感じることなのだろう。

だから僕の作品は、「面白いけど、商業ベースにはのらないよね、だからこそセルフ・パブリッシングは面白いんだ」そんなふうに言われたりもする。面白いと言われるだけでも非常に嬉しいことだし、その言葉を糧に頑張れる。でも、やっぱり物足りなさも感じてしまう。

それでもね、僕はやっぱりああいった《お約束系》のパッケージを作りたいとは思わない。そんなの自分らしくないじゃないかと思う。自分らしくない作品を作ったって、自分が作る意味がないじゃないかと思う。

とても面白い作品を、作りたいと思う。読者に喜んでもらいたいと思う。そしてあわよくば、感動を生みたいと思う。いつまでも心に残るものを生み出したいと思う。

それでも、そのための方法論には飛びつきたくない。七転八倒して生み出すことを、苦しいだなんて思わない。
こうやって相変わらず青臭いことをのたまいながら、それでも《自分にしか書けない、とてつもなく面白い作品》を書けないものかともがき、思案し、小さな物語や大きな物語を、飽きもせずに書き続けているのだ。

今日は、そんなことを考えた半日だった。

パラドックスの面白さ(?)

『孤独の王』を読んでくださったかたは、《はじめに》を読み終えて、いきなり「おやっ?」と思ったかもしれない。
それはどうして?

今夜の記事は未読の方のための記事なんだから、「読み終えて」とかじゃなくて、ちょっと詳しく書いておかなきゃ!

《はじめに》を書いた日付、つまり『孤独の王』を上梓したのは、2,029年佳日。つまり、この本が書かれたのは未来なのだ。そして、その文章を書いたのは古代ティオル王国の研究者である淡波亮作。今は小説家だけれど、この謎の古代王国への興味を切っ掛けとして、とうとう古代史の研究者になってしまったのだ。これが、『孤独の王』が実在の古代王国を舞台にした《史実》であることを裏付ける仕掛けだ。(これだけでもう、中二病と言われそうですがw)

今の時代、実はまだその発見が表ざたにはなっていないけど、本当に古代ティオル王国というのはあったのだ。だけど現時点では、淡波亮作本人すら、その事実を知りはしない。

その国がどこにあったかは分からないし、存在したのがいつの時代だったのかも定かではない。恐らく紀元前であることは間違いないのだけれど、今までに発掘された数少ない遺物からは、はっきりしたことは何も判断できなかったのだ。のちに『孤独の王』と名付けられたその古代史物語は、本来は石板に刻まれていたらしい。でも、それを発掘した最初の考古学者は、なぜだかそれを再び埋め戻してしまい、その所在は誰にも分からないままになってしまった。二百年ほど前に無名のままで世を去ったその考古学者が誰だったのか、何人だったのかも、もう誰にも分からない。ただ、彼(もしくは彼女)が石板から書き写したと伝えられる羊皮紙だけが、古代ティオル王国の存在を今に伝えているのだ。

日本の作家である淡波亮作は、古代ティオル語を学んで懸命に翻訳し、ようやく2,029年、それを世に出すことになった。それが、物語『孤独の王』になったわけ。ということは、読者はまだ書かれていない物語を読んでいることにもなり、僕もまだそれを書いていないわけで……。ぐるぐる。だから、この物語が史実ではないことを証明できる人は、今のところ誰もいないのだ。うん。

いつの間にかアトランティスやムーのような伝説となっていることを目して、いや、それ以上に現実的な歴史として語られるときが訪れることを目して、未来の誰かが巧妙に仕組み、現代にポンと投げ込んだ本当の歴史。それが『孤独の王』なのだ。(という設定。ふー。ややこしい。自分で書いていてわけが分からなくなってきた)

まあ、そんなことで、お盆休みのお供にどうでしょう?
一見、スタンダードなRPG風の設定で大冒険譚の顔をした児童文学ファンタジー作品だけど、何しろ実話だから、そんなに都合のいいお話にはなりっこない。魔法使いはろくな魔法を使えないし、主人公と目される少年はどんどん捩れて行くし、お姫さまと英雄の恋なんか……。だからこそ、少年少女に読んでもらいたいのだけれどね。

ダークでシニカルで救いのない物語だから、この猛暑を涼しく過ごせること請け合い!

今日は特別に、第一部第一章をまるごと試し読みできるePubを用意したよ!
『孤独の王 試し読み版』

 

『孤独の王 第一部:かけら』は常時無料で楽天KOBO電子書籍ストアとAmazon Kindle Storeで絶賛配布中ッ!

cover_分冊版_第一部s

『第二部 別離』『第三部 赤い影』はともに、お値打ち価格の225円で発売中。値上がりはもうすぐかも。

さあ、Amazonへ急げ!cover_分冊版_第二部scover_分冊版_第三部s

 

では、ぜひお楽しみくださいね!

実を言うと、最近ほとんど書いていない_2

さて、昨日の続き。
ほとんど書いていないながらも書いているお話は──?

これまで書いてきたお話は、書くごとに結構振り幅が大きかったりする。
中年女性が主人公で身の回りのことしか出てこない《暖かい家族小説》の次は、近未来のジャーナリストが主役で《世界を舞台にしたSF》。その次が《実話仕立ての古代史ファンタジー》かと思ったら、次は《遠い未来のサバイバルSF》だったり。で、前作の『光を纏う女』が初の《ちょっとエロチックな大人向けサスペンス・ホラー小説》だもんだから、その対岸にある次作はというと……?

はい。
お分かりですね。
で、今書いてるのはこんなお伽話なわけ。

タイトルは、
『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』
ね、タイトルからして子供の絵本ぽい。

せっかくだから、書き出しをちょっとだけ紹介しちゃおうかな。
こんな感じ。

 フックフックの国に住んでいるエビネルさんはやせっちょで、お酒が大好き。トッカトッカの国に住んでいるカニエスさんは太っちょだけど、お酒はぜんぜん飲みません。いいえ、飲めないんです。だからなのか、やせっちょエビネルのお腹は出ていて、太っちょカニエスのお腹はぜーんぜん出ていないのです。

エビネルさんは洋服作り(テイラー)の見習いで、まいにちまいにち美しい生地にアイロンをかけて暮らしていました。お金持ちのご婦人がたと、店のご主人はいつも楽しそうにおしゃれの話をしていたけれど、お給金の少ないエビネルさんは、余った生地を上手に組み合わせて使い、自分でぬった服ばかりを着ていたのです。エビネルさんはいつもいつも、楽しそうに話すご婦人がたとご主人を見て、思っていたのです。僕もいつか自分のお店を持って、ご主人と呼ばれるようになるんだ、って。

そう、これは完全に子供向け(の顔をした)お伽話。一度書いてみたかったんだ、こういう懐かしい香りの漂うお伽話を。
例えば、『香水』のジュースキントが書いた『ゾマーさんのこと』や、フィリップ・K・ディックの『ニックとグリマング』のような、ね。

とは言え、気まぐれな僕のことだから、このまま進むかどうかも分からないのだけど。もちろん、淡波らしい毒はそこここに潜んでしまうと思うし──。

まあ、楽しみに待ってくれる人が、一人でもいてくれたらいいなって思いながら。

では!

実を言うと、最近ほとんど書いていない

最後に作品と言えるものを仕上げたのは群雛8月号の締め切りの時だったから、半月くらい前。その前はその『光を纏う女』の下敷きになった掌編で、2ヶ月くらい前? で、その前と言ったら『未来からの伝言』だから、もう4ヶ月以上も前だ。おっそろしい!

で、僕はスランプなのか、書けないのか、と自問するとね、全然そんなこともないんだけど……。
ただ、牛野小雪さんのスランプ分析によると、最初は《否認》だって言うし、自分の答えもあてにはならないかもしれない。
僕もこの記事を書こうと思っていた日に、ちょうどいいタイミングで牛野さんがスランプの記事を書いてくれたわけだけど、針とらさんもそんなこと呟いていたし、セルフ作家界ではスランプがブームなのかな、それを分析する自分自身を晒すことも含めてね……。
(「スランプと執筆は表裏一体なのさッ」という声も聞こえる)

僕はスランプじゃないよって、言い切っちゃおうかな。だってさ、僕はまだ、スランプに陥るほど小説を書いちゃいないんだ。書き始めてまだせいぜい5年くらいだし、ネタ切れになるほどいろいろ書いてないし、やってみたいことや書いてみたいことが山ほどある。書くことで、ちょっとずつ山か坂を登ってるような感じかな? これからの自分にはどんな小説が書けるのか、まだそれもぜーんぜん見えていない。

僕が書いていない原因は単に、小説以外にやってることが多過ぎて、小説を書く時間が取れないことなのだ。それも間抜けだけど、それが小説を売るためにやってることとなれば、もっと間抜けなものだ。まあ、ようやっと小説以外のことで時間を取られるものがひととおり片づいた気もするので、そろそろかな、と思っていた矢先……。

本業が……!
これを言うと言い訳くさくなっちゃって超カッコ悪いんだけど、今はなんとか睡眠時間を確保して、身体を保たせるだけでせいいっぱいなんだなぁ。情けないことに。
あとひと月以上は本業超繁忙が続くので、カタツムリのごとくゆっくり書いている今のお話が少しでも進んだら、淡波えらいじゃん、やってんじゃん、って思ってくれないかな……と思う今日の淡波。

やれやれ、なんちゅう記事だろう。

その、執筆中作品については……

続く!

暴挙? 愚行? 適正価格をめぐる冒険-2

さてさて、暴挙予告の第二回。僕の想定価格を発表しちゃおう。

自作の価格=同程度のボリュームを持つハードカバー商業本価格÷2÷2

最初の÷2は、電子書籍とハードカバー書籍の価格差。(商業出版の電子版もこのくらいの値付けが妥当ではないか)
次の÷2は、個人出版であるが故の経費差額と考えている。働いているのは自分一人だからね。

ここで重要なのは、その内容に対しては妥協する気がない、ということ。強気と思うだろうか? 尊大な態度だと思うだろうか?

でもこれは、そういう次元とは異なる判断なのだ。前々回も書いたように、Amazonのストアではセルフ出版だろうが大手出版社だろうが、分け隔てなく並列で書籍が並ぶ。その中で、チープに見られたらそれで終わりなのだ。人の感覚は不思議なもので、安いものを欲しがるくせに、安いものには《しょせん安物》という目を向ける。
そこをなんとかしなければ、同じフィールドで対等の勝負はできない。僕はそう考えた。間違ってるよと大勢に言われそうだけど、僕はそう考えたんだ。

大長編作品の『孤独の王』を例に取ってみよう。同じ程度の長さの作品を、仮に『ハリーポッター・シリーズの長めの本』あたりに置いてみる(ページ数をきちんと比較してはいないけどね)。
後者の価格は4,000円くらいだろう。僕の記憶イメージを元に独断で決めると、3,800円。これの4分の1で、950円。これが、今考えている孤独の王の適正価格だ。高いだろうか? 強気すぎるだろうか?
(HPの価格を調べてみると、実際はもう少し高かったけど)

値上げ時期については、まだ決定していない。ちょっと準備をしようと思っているから、恐らくは9月頃になりそうだ。

今、僕のことを知っている、これを読んでいるあなたは、《幸運な初期カスタマー》ということになるかな……。450円で買える今のうちにポチッとしておくと、お得かもしれないですよ。(もちろん、無料キャンペーンもしませんしね!)
まあ急がなくても、そんなすぐに価格が変わっちゃうことはないけど。
え? そんな高いセルフ出版本、読む気はないですって?

これは失礼いたしました。

では!

暴挙? 愚行? 適正価格をめぐる冒険

アメリカの起業家界(?)にはこんな言葉がある。
価格を倍にしても売り上げが半分になることはない。自分の商品に付けている今の値札が本当は安過ぎると思っているとしたら、値上げするべきだ。商品をその価値より安くして売ってはいけない。あなたの信じる適正価格を付けるべきだ。

そして、もう一つ。

Full price or free.
商品の価値を貶めないために、決して値下げをすべきではない。サービスは、初期からあなたの価値を認めてくれた顧客のためにのみするべきだ。だから、発売からしばらくの間だけ無料にしたり、安く価格設定をするのはいい。でもその後は値引きなしの定価販売を続けるべきだ。初期からの忠実な顧客を裏切らないためにも、自分の商品の価値を貶めないためにも。

僕はこれを実践しようと考えている。

無料キャンペーンは新作の発売時だけ。後は適正価格のみで販売する。そして、その適正価格は僕なりの基準を考えて決めるつもりだ。

で、その基準とは?

それは次回のお楽しみにとっておこう!
(あれ、もったいつけ過ぎてるかしら?)

じゃ!