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励ましの言葉に代えて

ずっと以前、セルフパブリッシングのノウハウ本を書こうと思ったことがあったんだ。
もっと、売れるようになったら出そうかな、なんて思って。
でも、なんだかそんな気持ちじゃいつの間にやらすっかりしぼんでしまった。

その本の最後に書こうとしていた文章を9ヶ月ぶりに読んでみたら、自分が少し励まされたんだ。

だからね、ちょっとだけ沈んでる表現者の皆さんが、もしかしてこんな文章を読んだら元気を出してもらえるかな、と思ったんだ。
ちょっと長いけど、良かったら読んでみて欲しいな。

「励ましの言葉に代えて」
──みんなに捧げるちょっとした本の最終章の言葉──

 あなたの作品は、前後左右どこにも陸地の見えない大海原に浮かんだ小さな小さな瓶です。その中は、とろけるように美味なジュースで満たされているかもしれません。難破して漂う遭難者を救う、生命の水が入っているかもしれません。でも、その瓶の中味は海面のわずか下に隠れています。そこに何が入っていても、その美味しさを、そしてその瓶に満たされたエネルギーを、知る人はいません。誰も。
 瓶の浮いているその場所を、知る人は誰もいません。あなただけです。
 あなたは瓶が沈まないように、波よけを立て、浮き輪を繋げなければならないでしょうし、人目につくように旗を立てなければなりません。武骨なロープでつないでは見栄えがしませんから、美しいリボンを用意することも必要です。瓶の内容を知ってもらうためには大きな横断幕を張り渡す必要があるでしょうし、そのための柱も必要です。時には花火や発煙筒や爆竹だって必要かもしれません。
 そうしながらも、飾りすぎで瓶の姿が見えなくなるリスクにも注意を払わなければなりません。花火を上げても、周囲を煙で満たしてはいけません。良い香りが漂うように、最新の注意を払い、美しい花火を上げるのです。
 あなたの瓶は、人知れずポツリと浮いています。瓶の中身を、レシピを磨き上げるのは最も大事なことですが、誰も知らない大海原にいくら浮かべていても、その輝きが誰かの心に届くことはありません。

 あなたの瓶が浮いている場所は、まだ地図には載っていません。時には目的地が分からないままに泳ぎだすことも必要ですし、そのどこかで立ち止まって別の瓶を浮かべることもまた必要です。そうしてただ必死に瓶を増やしているうちに、あなたの存在に気がつく人が一人だけ出てくるかもしれません。でも、その人はその発見を、誰にも話さないかもしれません。

 あなたは瓶の中身を生み出すシェフであって、あなたはあなたの味に絶対の自信を持っているのでしょう。でも、それだけではだめなのです。あなたはシェフであると同時に、ギャルソンであり、オーナーなのです。美味しいものを生み出す努力という投資は、それと同じくらいのエネルギーを注ぎ込んだ販促活動によって、初めて実を結ぶのです。
 嫌われることを恐れてはいけません。でも、信念にもとることを行なってもいけません。あなたはあなたの信じる価値観に従い、あなたの作品の価値を信じ、旗を立て、花火を上げ続けるのです。

 KDPにライバルはいません。皆、同じ土俵で同じ高みを目指しています。力いっぱい他人を蹴落としても得るものは何もなく、自分の魂を汚していたことに後で気が付くだけです。空しさに襲われるだけです。本が好き、読書が好き、活字が好き、タイピングが好き……。面白い作品を見つけ、高めあい、研鑽し、もっともっと優れた作品を書けるよう、書き続けるのです。

 それが、あなたの瓶を地図に載せるための第一歩になることを信じて、さあ、キラキラした瓶を、そこら中に思う存分浮かべ続けようじゃありませんか!

ではまたね!

“ぅ”って面白い!

何て唐突なタイトルなんでしょうね。今日は文学の書き表し方の自由と商業作品における表記の不自由さについて、考察してみましょう。
あ、いや、そんな立派な堅苦しいもんじゃなく、雑談程度なかるーい温度感で……。

まず、タイトルに持ってきた“ぅ”から。
ア行の音は、全て小さく打てますよね。
《ぁぃぅぇぉ》って。

例えばこんな表現。
“ギュイーン!” こう書くとまあ、普通ですよね。一つの標準的な表記かな。
何かの(小振りなタイプの)エンジンが唸る音とか、モーター音とか、追い抜く音とか、機械の電源が入ってフル回転する音とか……。いろいろな場面が思い浮かびます。

でもこれを、
“ギゥイィィンッ” と書いても良いわけです。
“ギュゥイィーン!” なんて書き方でもオッケーだし、
“ギュウイィンッ” でもイメージは伝わる。

似てるし、同じ音の表現としても使えるのだけれど、それぞれちょっとずつニュアンスが変わりますよね。
僕は結構このあたりに拘りがあって、その場面その場面で最も自分の頭に響いた音を、出来るだけそのまんまのイメージ書き留めたいなあと思っています。だから、上記の書き方だけではなく、CSSを駆使して1文字ずつ大きさを変化させたりもします。まあ、やり過ぎるとうるさいだけですが、あくまでも《イメージを伝えるため》です。

次。
“シャキーン” はどうでしょう?
“シァキイン” なんか、シャープな感じがしませんか?

次。
“でーん!”
“でぇーん!” 間抜け度倍増?
“でぇえん!” ちょっと対象年齢低そう?

どうでしょう?
漢字の書き表し方などにはルールがかなりありますが、こういった擬音表現には相当な自由があるんじゃないか。と、勝手に考えているだけなのですがね。
まあそもそも、商業出版における正しい日本語だって時代に伴って変化するのだし、カギ括弧閉じの前に句点を打たないという常識にしたって、当初僕には単なる経費節約にしか思えなかった。まあ、常識を守らないと常識を知らない人だと思われて損するだけなので、無名の僕はこうべを垂れるのみですがね。
(そうやって常識を守っている間に、すっかり自分でも自然な書き表し方に思えてきちゃいましたが!)

さて、お楽しみ頂けたでしょうか?

本日はこれまで!

この記事がいつか、誰かの役に立ちますように!

記号の謎:?!と!?。

クエスチョンマークとエクスクラメーション(びっくり)マークをくっつけたこの記号。皆さんはどちらを使うとしっくり来るでしょう?
《?!》と《!?》。

僕は絶対《!?》派。絶対! だった……。

まずは字面。どう考えても、クエスチョンマークの円弧側の空間とびっくりマークの涙棒(今、命名した)の閉じ感が落ち着く。
次に意味。小説の登場人物の感じ方を考えると、まずは《びっくり》があって、その後で《疑問が頭をもたげる》、というのが自然な流れではないかと思うのだな。どうでしょ?

ところが、だ!

文字変換候補で出てくるのは逆の《?!》だ。ん〜、落ち着かない。デザイン的にも意味的にも、どう考えても変。まあこの記号を頻繁に使う人がどのくらいいるのか分からないし、これまでに読んだ小説の中でその使い方に対して疑問を持ったことはなかったのだから、そんなことを気にするのは余程の変態なのだろう。
でもね、ず〜っとこの《?!》を見ていると、なんとなく慣れてしまい、これもいいかな? と思ってしまう瞬間がある。その後で《!?》を見ると、なんだかバランスが悪いような気もしてくる。慣れのマジック。いやいや、それでもやっぱり僕は《!?》派だ。

そもそも、いわゆる《日本語の書き表し方》の参考書では、「《?》や《!》は原則用いない」と記載されているんだから、それを組み合わせた記号なんて完全に想定の範囲外だ。
(あ、ちなみに僕の使っている『新しい国語表記ハンドブック』では、カギ括弧の終わりには必ず句点を入れること、となっている。これは教科書法則だな。これを守っていると、小説の世界では??と思われてしまうのだから、実に難しいものだ)

と、いうことで、今のところ僕の中ではこの書き方に関して正解はない。誰か、正解をご存知の方がいたら、こっそり教えて欲しいな、と思う今日この頃。

では!