■今、いるところ
「読まれたい・見られたい・聴かれたい」
「見つけられたい!」
「いったん触れてもらえれば作品の良さを分かってもらえるはずなのに!」
これは、創作を行なっていて作品を発表しているのに、まだ認められていない、広がっていない誰もが思うことなのではないでしょうか。
ぼくもずっと、こんなことを思いながら自作の宣伝をしたり、創作仲間と話をしていました。
でも、周囲にいるのは自分と同じようなことをやっている人たちばかり。
何年も活動をしているとそれなりに周囲に知られ、それなりに作品が売れるようにもなります。
でも、それは「それなり」にすぎません。
年末が近づくにつれ、ことしも「大ブレイク」出来なかった(笑)という事実が、両肩にのしかかってくるのです。
やっぱり同業者ばかりと仲良くしていてもダメだよな。
そんな当たり前の事実が、改めて重みを持ってきます。
■「参加者を増やす」ってどういうことだろう
「巻き込む」と言ったほうが良いのかもしれません。今まで無関係だった他者を、参加者にする。そして、商品(もちろん、小説のことだけど、何に置き換えて読んでも構いません)を欲しくさせる。欲しくなってもらうということです。
先日、にしのあきひろさんのブログ記事を読んで、それを改めて強く感じました。
僕はテレビを見る習慣がないので、この方のことは新聞記事でしか存じ上げません。煙突の絵本を描いた人ということくらいしか知りません。
本業はコメディアンらしいということを知っている程度です。
彼がブログで言っていることに対して、
「そんなの当然だ。おれたちはずっとやってるぜ」
と思う人は多いかもしれない。でもね、ちょっと立ち止まってみませんか。
振り返ってみませんか。
「セルフ・パブリッシングの読み手=書き手だ」
よく、そう言われるのはご存知のことと思います。
だから、前述のブログ記事についても、似たようなものだと思い込んで斜め読みすることも出来ます。
でもね、それは大きく違うのです。
彼がやったことは、単に「絵本の描き手を自作に参加させる」ことではありません。
36人のスタッフを結集し、それぞれ得意分野を任せて自分は監督としてクオリティをコントロールする。
そこまでは、現在僕らがやっているセルパブ雑誌制作と大きな変わりはないでしょう。
確かに、「様々な絵本の描き手を自作に参加させた」ということです。
でも、そこから先は全く違いました。
彼は制作コストを回収するために、そして宣伝・販促に使うコストを得るために、クラウドファンディングという資金調達の仕組みを用いたわけです。一万人からコストを調達して、その一万人を「味方」に、「参加者」に、「当事者」に、してしまったわけです。
制作の過程をいろいろと公開して、資金を出した人が実際の制作に参加しているような気持ちにさせたようなのです。
自分が参加した作品は、買いたくなりますよね。
手元に置きたくなりますよね。
そして、他人に奨めたくなりますよね。
資金を出してもらった上で、お客さんにもなってもらえる。
これ、まさに目からウロコが落ちる考え方じゃないでしょうか。
僕らのオルタニアも、参加人数の数倍くらいは発売と同時に売れます。
(電子書籍は制作参加者の手元には無料で残せますから、その人数は除いて)
でも、そこから先が厳しいのですよね。
どんなに面白い小説が掲載されていても、評判が良くても、知らないものは買いようがありません。読みようがありませんもの。
ツイッターで宣伝ツイートをしても、それはチラ見されて流れていくだけ。
気がつかれずに、ただ流れ去って行くだけのケースの方が多いでしょう。
元から参加者の作品に興味があって、雑誌になったことでお得感が得られる人には、宣伝しなくても買ってもらえます。でも、興味がない人に興味を持ってもらうことって、本当に難しいものです。
■殻を破り、外に出よう
では、無名セルパブ作家の僕らに出来ることはなんでしょう?
クラウドファンディングで資金を調達して、紙本を作ることでしょうか?
知名度が致命的に足りない僕らに、お金を出す物好きがいるでしょうか?
きっと、お金を出してくれる人がいるとすれば同業者。作品を気に入ってくれている同業者くらいのものです。
セルパブ小説に、まだ純然たるファンはほぼ存在しないのですから。ゼロではないにしても。
自分の小説を気に入ってくれた人がいて、たまたまその人とSNSなどで会話するようになって、そうすると、実はその人も物書きだった。ということがあります。
だって、自分で小説を書いていない人が、他人のセルパブ小説に興味を持つことって本当に例外的な出来事なのですよ。
今のところ。
だから、「セルパブ界隈」と言われている小さな小さな世界で、僕らは自分の手足を喰らうイカのようなものです。
宣伝しても、それは、「世間の読書好きの一般人」には届きようがない。
彼ら、彼女らがこれから読みたい本を探す場所とは、繋がっていないのですから。
では、それはどこにあるのでしょう?
残念ながら、その明確な回答はまだありません。
多くの人がそれを模索して、なんとかして一般読者にセルパブ小説の面白さを知らしめるために活動しています。
商業本と遜色ない装丁で発刊されている『SF雑誌オルタニア』だって、そんな模索活動の一つです。
幸い、商業SF誌を読むような人々の一部に知ってもらえるような流れも少しだけ作れましたが、まだまだほんの入り口にすぎません。
「1円ライター・高級ライター」というライター界の流行語を生み出した〈コグチスミカ〉さんだって、そんな模索を行なっている一人でしょう。
セルパブ小説書きではなく、一般ライターの世界に殴り込みをかけたあの勇気が、「専業のプロではないけど、何とかして物書きでお金を稼いでいる私たち」の存在を、界隈の外へ知らせ、押し出したのです。
セルパブ本の情報を毎日つぶやいてくれているゆるキャラの〈ぶくにぇー〉だって、界隈の外に情報を届けようと努力しているに違いありません。彼(彼女?)が、ツイッターでの絡みにあまり応えてくれないのも、界隈の中に閉じこもることを避けて広い世間にセルパブ小説を届けようと考えているように思えてならないのです。
■僕自身のこと
実は、この淡波ログのサブタイトルは開設当初から「淡波亮作の作り方」です。
まったく無名の状態から、ブログ読者と一緒に淡波亮作という存在を創り上げていきたい。その過程をつぶさに見ていて欲しい。
という想いがこもっています。
まったく無名の僕がちょっとでも知られるようになれば、きっと初期からの読者さんは育ての親のような喜びを味わってくださると思うのですよね。
新しい作品が出たら、
「よしよし、そうか、よく頑張ったね。じゃあ、買ってやろうか」
と思ってくれるかもしれません。「かも」ですが。
そして、小説や文芸に無関係なことばかり記事にしているのも、界隈の外にいる普通の人たちに読んでもらいたいからです。
セルフ出版のノウハウなどばかりを書いていたら、セルフ出版に興味のない人がたまたまこのブログに立ち寄る可能性はゼロに近いでしょう。
その人たちが電子書籍を読むかどうか分かりません。本を読むかどうかも分かりません。
でも、Webで文章を読む習慣はあるかもしれません。それなら、電子書籍との親和性だって、ないことはないのです。きっと。
僕にはたまたま、プロのCG作家という別の顔があります。
元プロミュージシャンという顔もあります。
作家として興味を持ってもらうために、この二つは邪魔だと最初は考えていました。
「どうせ、いろいろやっている人は全て中途半端だ」
そう思われるのが恐かったからです。
でもね、そんなことはないのです。
CGは職業ですから、ガチです。半端な要素は一切ありません。
ミュージシャンは元職業ですから、これもガチです。まあ、売れなかったから撤退せざるを得なかったという意味では、半端者なんですが(笑。
小説は、職業以外でいちばん打ち込んでいるものです。
だからここにも、半端な要素が入る隙はないのです。
もちろん、小説のために映像を作ったりする時間を考えると、小説を書くこと以外には何もしていない人のペースには敵いませんが。
CGをテーマにした記事を書くのは、セルパブ小説界隈の外から一人でも多くの人を招き入れるため。
この淡波ログは、固定読者よりも検索流入読者のほうが多いのが特長のひとつです。まだまだビュー数は悲しいほど少ないですが、それでも、CGのことを調べたい人に役立ちそうな記事を増やすたびに、少しずつ訪問者も増えているように思います。
開設当初は訪問者ゼロ@日ということもありましたから、それを考えればものすごい進歩です。
それは、自分で狙って実現したことなのです(実現というほどではないけれど)。
そうやって来てくださった「いちげんさん」が、この場所で連載している小説に興味を持ってくださったり、固定読者になってくださったりすると最高なのですが……。
■今年も色々ありました
決して総括記事を書くつもりはなかったんですが、何となくそれっぽい感じになってしまいました。
小説関連の総括記事は、また書きますけれど。
何しろ、色々な雑誌や小説以外の電子書籍に参加させていただいたのがとても大きかった一年です。
これからも、少しでも多くの〈本好きな普通の人〉に届けるために奮闘し続けます。
これを読んでいるあなたも、一緒に頑張りましょうね!
それでは、また明晩!