書き終わった後で、そう思うことはある。売っている以上、売れたいと思う。だから一生懸命宣伝もするし、少しでもいい表紙を作って作品の顔を飾ろうとしている。
だけど、ふと思った。
プロットなり物語の筋を考えている時、「これは売れるのか?」という視点を持ったことがあるか、と。
もっと言うと、売れるための要素をプロット段階で盛り込もうとしたことがあるのか、と。
残念ながらなのか、幸いになのか、それは一度もない。
それを考えている自分が面白がれるものであるのか、書くことに意義はあるのか、出来上がったときに納得できそうな内容なのか、世間に出してもいいような内容なのか、考えるのはそんなことだ。
世間で言う「売れた」という段階には程遠いわけだから、売れるという実体験を持たないのだから、そもそも自分のような素人は「売れるかどうか」という物差しを持ってはいない。物差しを持とうとしても想像のレベルでしかないわけだ。
世間で売れたものに対して、後付けで感想を言う程度が関の山だろう。
例えば「萌え要素」。
はっきり言って僕の書くものにそれは皆無だろう。
(もしかすると、記号的な意味では『太陽の子孫』には《羽っ子萌え》要素があるかもしれないが、実体は完全に《虚》だ。羽っ子好きが喜んでくれるような要素を盛り込むという努力をしてはいないのだから──)
まあ、それはそれ、自分の作品は自分の作品かな。
まずは、納得できる作品を書けるようになることだ。
今の力のままで「売れるような要素(しかもそれが何か分からない)」を盛り込んでも、自分を無くして迷走するだけだ。読者の心に届かない、上っ面だけヒット作の真似をしたようなものにしかならないだろう。
自分の書きたいことを書けるように、それを出来る限り面白く、美しく、楽しく読めるように、悩みながら読めるように、悲しみながら読めるように、怒りながら読めるように──つまり、読んでいるひとの心を動かせるように──書くことだ。
それがきちんと出来るようになって、より(感性が)広い範囲の人たちに届けられる発信源になれたら、「売れる」ことを意識した作品を産み出そうとすることが出来るのかもしれない。
今はまだ、力を付けるのみだ。
(いや、ずっとこのままかしらん?)
じゃっ!