ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉をご存知だろうか?
一般にはあまり売れていないし知られてもいないのだけれど、音楽家の間では絶大な人気があったり、とても高く評価されたりしていて、インタビューなどでつい、好きだと言ってしまう存在。
でも、そうやって名前が挙がるのに一般のファンにはそれほど受けないという、存在。
これには2種類くらいあって、1つ目は圧倒的にテクニックが優れているケース。
ミュージシャンは高度な技術を身に着けるための苦労を骨身に染みて理解しているから、その努力に対する尊敬もあって惚れるんだろう。
2つ目は、言語化できない魅力を持っているケース。
特にテクニックが凄いわけではない。とりわけ歌が巧いわけでも、後世に残るような詩を書いているわけでもない。
でも、好きにならずにいられない。大売れするようなものじゃないと分かっていても、そのセンスに脱帽し、美しさに溺れずにはいられない。
あまり意識してはいなかったけど、僕は後者のタイプの音楽家になりたかったのかもしれない。技術が伴わないことの言い訳も含めて。
僕が大好きなThe Blue Nileというバンドは典型的なミュージシャンズ・ミュージシャンと言われる(ただし、Wikiにはそう書かれてはいない)。
あれで食べていけてるとは思えないけど、世界的に有名なバンドで、三十年にわたり高く評価されていて、という位置づけは間違いない。
この『The Dowontown Lights』はAnnie Lennoxもカバーしている名曲だ!
僕は、小説を──純文学ではない小説を──書く以上、一般に受け入れられて売れなきゃ意味がないと、ある面で思ってきた(反面、好きに書いてれば、それでいい。というのもあるのだけど)。
インディーズ作家の中で、気に入ってくれる方がいて、読んでくださって感想をくださる方がいて、でもツイッターのフォロワーさんのほとんどは同じクラスタの方で……。
どうもこれでは広がりがない。いかんのじゃないか、という思いもずっとあった。
──で、作家ズ作家。
例えばまあ、インディーズ作家だけでなく、広い意味で作家・創作家予備軍のクラスタから支持されれば、実は強力な味方を得たことになるんじゃないのか、と。
《どうせインディーズ作家の読者はインディーズ作家》などと自虐的に揶揄されるけれど、1万人(?)の創作家予備軍の何割かに支持されるとしたら、それはもう立派なファン層ではないのか、と、ね。
(まあ、何割か、というのはやっぱり無理だとは思うけど)
そういう広げ方も、決して間違いではないのかな、と、ふと思い至ったりした今日この頃。
もちろん、非創作クラスタに広げる努力を怠ってはならない、と自分に言い聞かせつつ。
じゃまた明晩!