広告の広告の…の顛末

「淡波うざっ!」
電書ちゃんに叱られたのが嬉しい。
いや、まじで、まぞでなく。
真面目な話、僕の間違いをストレートに指摘してくれたのがとても嬉しい。
それは、電書ちゃんの「愛」だからね、あ、僕でなく個人作家全体への。

僕はそもそも、広告が嫌い。だから自作を広告するのも結構な葛藤とストレスの中で行なっている。広告しないと知られないから、何とか頑張っている。

僕は美大のグラフィックを出ている。回りはみんな、電通とか博報堂なんかに就職することを絶対の価値観に置いていた。そうでもなかったかもしれないけど、人付き合いの下手な僕にはそう思えた。僕は広告が大嫌いだった。
だって、自分で良いと思っていない商品を、まるでそれが「最高の逸品」であるかのように見せなきゃいけないんだよ。それが自己表現の一つだなんて、とても思えなかった。
十代の頃、《芸術とデザイン》について、青臭い議論を夜中までしたものだった。

そう、僕はとても青臭いやつだった。今でもそうだ。
僕は広告関連の授業は一切履修しなかったし、当然、広告代理店への就職活動なんて考えたこともなかった。(いや、就職活動自体しなかったんだけどね)

だから、WEB上に載る広告も嫌い。コマーシャルも嫌い。
日常的にテレビを全く見ないので、時々何かでテレビが点いていると、どうしてもコマーシャルに目が行ってしまう。物珍しいし、コマーシャルは人の注意を無理やり引きつけるテクニックに長けているからね。つい見入ってしまい、ちょっと自己嫌悪したりする。

優れた商品を紹介する優れた宣伝は、もちろん認めます。(偉そうな意味でなく)
アップルの一連の広告戦略は素晴らしいと思うし。(初期からの、ね)

ちょっとそれました。

誰もがそうであるように、WEBに掲載されているバナーは鬱陶しくて嫌いだし、アフィリエイトっていうんですか? 自分のWEBサイトに広告を載せているのも、実は好感を持てない。あ、作家がAmazonや楽天の広告を載せているのはアリだと思う。これは、反感を買わないし、それなりにリコメンドがはまることもある。
(自分で売り上げチェックなどのために作品の販売ページを頻繁に見るわけだけど、やたらと自分の作品がリコメンドされるのには苦笑する。もっと賢くなれよ、リコメンド・エンジンよ!)

世界的に見ると(あ、私見ですよ)、WEBサイトに広告を一切載せないというのが、今後の主流になると思っている。少なくとも企業でなく、個人経営のサイトでは。
そういうサイトは、優良な有料会員から定期購読費を取ったり、物販することで収支を成り立たせることになる。
広告が閲覧体験を阻害しているという考えは、多くのひとが言っているし、自分はバナー広告は絶対に載せないと言って実行している人もいる。(Sean Wes MacCabe氏、Ben Toalson氏、Andrew Price氏、、)
僕はその考えに大賛成で、これまで運営してきたいろいろな自分のサイトで、一度も広告を載せようと思ったことはない。

待てよ!
ここで皆さん声を合わせて、「淡波うざいっ!」

そう、矛盾してるよね、自分のサイトには載せないのに、自分の広告は出すなんてさ。
前々段落に書いたとおり、特定の興味を中心にして人が集まるサイトに、そのベクトルの広告が掲載されるのは、広告の正しい姿だと思う。そこまではうざくないんだ。

僕は、電書ちゃんの真意を分かっていなかった。電書ちゃんねるをスタートにして、他の外部サイトにも広告を掲載してもらうという近未来図を、理解していなかった。つまり、個人電子出版と無関係のサイトに、将来はでんでんアドネットの広告が配信されるであろうということだ。
そこでは、誰かの閲覧体験を阻害するという事象が必ず発生するんだな。もちろん、電書チャンネルだったらアニメがオッケーかというと、それも怪しい。やっぱり、閲覧体験を阻害されたと思う人が出てしまうのだろう。

今回の件、僕が全面的に間違っていた。
一つ言い訳するなら、「目立てばいい」「目立ったもん勝ち」なんてことは、全く考えていなかったんだ。ただ、自分らしいバナーってなんだろう、と考えた末のGIFアニメという結論だったんだ。

電書ちゃん、ありがとう。
僕は目を開かされた。
(それに結局は日刊電書チャンネルにアニメ広告を載せてくれましたね。)

(見本はこのページの頭に
ではこれで!

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

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