小説を読みながら、あ、これは自分のことだ。これは自分に向けて書かれた小説なのだ。と思える瞬間があります。
何か、切ないような嬉しいような不思議な感覚になることがありますね。きっと、小説を通して過去の自分と対面することになって、その当時の感覚に対する思いがふっと出て来てしまうのでしょう。
(最近、自分の小説に同じ感想を言って頂いて有頂天になりましたが!)
今、読んでいるのが澤俊之さんの1978という小説。ギター小説というカテゴリーを新設した澤さんのデビュー作440Hzの続編にあたるものです。続編といっても、時間の経過としては440Hzより前、前日譚にあたる物語です。
まだ読み終わってはいませんので、レビューではありません。読書しながら、その時のリアルタイムな感想を書いてみるのも面白いかな、と思った次第で。
ということで、今回はとても個人的な読書中感想の記事になります。
この小説シリーズ、最初に知ったのは2 Years in KDPという、Amazonで電子書籍を販売するためのノウハウ本の中にあった紹介です。作者の澤俊之さんは、440Hzという小説を発表する際に明確なターゲットを決めていました。非常にニッチな客層に向けて書いているように思われましたが、自分はまさにそのターゲットにぴったり当てはまっていました。
ちょっとそのターゲットを引用してみましょう。
これを読んだ時、すでに僕は作者の術中にはまっていたのでした。だって、「これって俺じゃん!」と思わずにいられないターゲットでしたもの。実は、これにプラスしてギターを弾いたことがある、というターゲットが別の箇所で触れられていたのです。(ん? これは僕の思い込みなのか?)
よくよく考えると、30〜50代であれば、大抵の人は往年のロック楽曲に触れたことがあるはずですし、読書週間のある方も多いでしょう。可処分所得にしても、商品は300円未満の電子書籍ですから、まあ、値段だけで尻込みする大人はいないかな、とも思われ……。そう、ニッチなターゲットと思いきや、相当なボリューム層が存在するターゲットなのですよね、これって。
そして読んだ440Hzは、とても素敵な青春小説でした。青春時代をギターと共に過ごした中年男性(と、そういう男性と関わりのあった女性も?)には、必ず心にグッと来るものがあるのではないかと思います。文章力もありますし、各エピソードは短く、あくまでも読みやすい中に文学的な響きを持った、まさに《ギター小説》でした。
読み終わった途端、続編の1978を購入してしまったのは無理もありません(!)
さて、肝心の1978ですが、440Hzより意識的に柔らかいお話になっているかもしれません。特に、美味しいもののエピソードが多く、読んでいるとお腹が空いてくるのです。美味しいものの描写っていいですね。食事に対する興味って、古今東西、人間の営みの中で決して変わらないものですから。
440Hzの「あの事件」のことが別視点で詳しく書かれていますので、440Hzを読んで面白かった方には必読の書と言えるかも。
物語の中で頻繁に出てくるのが『紫の炎』『スモーク・オン・ザ・ウォーター』の2曲。カッコいいですねえ、聴きましたねえ、弾きましたねえ、ということで、ここにピンときた方も、一読の価値あり! ですよ。
小説とは関係ありませんが、僕が『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を知ったのは1979年のことでした。ちょっと不良っぽい友達から誘われて、ごく短い期間、その友達のバンドにヴォーカルとして入りました。でも、当時の僕はいわゆる天使の歌声(自分で言うな!)みたいなきれいきれいな声で、とてもこの曲を歌えるようなヴォーカリストではありませんでした。(中学生でしたから!)
一応曲は覚えたものの、全く練習もしないで文化祭の校内オーディションに臨み、とても恥ずかしい思いをした記憶があります。落ちるとか受かるではなく、ただ出演順を決めるためのオーディションでしたが。
でも結局、このバンドでステージに立つことはありませんでした。文化祭のためのクラス展示の係になってしまってとても忙しくなってしまったのと、やっぱり声が合わなくて、歌っていても辛いだけだったからです。僕が抜けることを言った時のバンドメンバーの悲しげな顔はしばらく忘れられませんでした。
そんな甘酸っぱい思い出が、1978を読んでいたら沸々と心の表層に浮き上がってきたのです。こんなことを思い出すとは思いもよりませんでした。あ、これも小説の持つ力の一つだな、心を動かす力の一つだな、という思いが、今日のこの記事を書かせたようです。
個人的な、つまらない記事に付き合ってくれてありがとうございます。(あ、前〜中半の内容は参考になることもありますよね!)
ではまた!