Category Archives: 読書

読んだよ:丸木戸サキ著『四月馬鹿』

しばらくセルパブ本は読めないと言った舌の根も乾かぬうちにどんどん読んでる淡波でございます。
(もちろん、「このセルパブがすごい!」の影響が大きいですね〜)

今回読んだのは丸木戸サキさんの『四月馬鹿』。
出版からそろそろ3年が経とうとしている本だけれど、変わらず評判は良いですね。僕もずっと気になっていた本の1冊だけど、テーマがずばりエロ、ということで、なかなか手が伸びづらかった作品。
丸木戸さんの筆力は昨年のホラーアンソロジー『春禍秋冬』で存じ上げていましたので、次はこれを読みたいなとずっと思ってはいたのですよね。

 
では、本題へ。

エロい、嫌らしい。でも、嫌らしさはない──矛盾?──。

ちょっと上品めな『蛇にピアス』と言えば遠くはない感じかもしれません?
いやいや全然違うかな──。
女性が書いているからか、男の視点ではないエロさが、男にとっては上品に感じるのか。
内容を言えばかなりエグいですし、AVよりもエッチかもしれない。でもよく考えると、直接的な行為自体の表現は抑えられているし、より心に来るエロさとでも言うべきなのかも……。

ストーリーをごくかいつまんで紹介すると、こんな感じかな。
────
画家、というより芸術家の彼と、四月が巡るごとに男を替えてしまうわたし。
彼は、俺は違うという。自信満々に。
恋人未満、恋人以上の情夫。いとなみ。揺れ。迷い。
ふとしたすれ違い。
そして1年が過ぎ、四月は巡る。
主人公は──?
────

描写が巧みで、一気に読ませます。だから短くてもったいない。情事以外の描写をもっと読みたいという気にさせる、読みやすくも彩りに溢れた文体です。
丸木戸さんの作品を読むのはまだ3作目だけど、もっともっと長い物語をじっくり読みたくなりました。

誤字脱字などは一箇所もなかった(気付かなかった)し、全体に完成度が高いなあと。巧い!って感じを強く受けました。
もちろん、重箱の隅をどうのこうのという類の完成度じゃなくて、キチンとした短編小説としての完成度ですよ!
これは、文芸誌に読み切りとして掲載されていても全く違和感はないのではないでしょうか。官能小説の特集に、ね。

寝る前の読書にオススメです。
寝られなくなっても責任は持てませんが!
なお、電車で読むのはオススメ出来ませんよ、念のため!

では、本日はここまで!



忘れでる子はいねーがー?

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ご存知(?)、明日は「このセルパブがすごい!」の投票締切日ですが──
僕は散々迷った挙句、5作を選んで投票を終えました。

この5作っていう数が微妙なんですよね〜。好きな本、作家さんをどんどん上げていくとすぐに10を超えちゃいますから……差をつけるのもなかなか困難ですしね。

しかも、自分がまだ読んだことのない面白い本が山ほどあるはずだと思うと、更に焦る焦る──。ここのところちょっと頑張って読もうともしてたんですけど、仕事も忙しくって体力に余裕がない状況でもあり……

それほどたくさんのセルパブ本を読んでいない僕が5冊を選ぶというのも本当に僭越な話なんですけど、そこはもう諦めていただいて、結局はこれまで読んだ中からセレクトさせていただくことにしました。
これは! という本が3冊はすぐに決まったんですが、難しかったです、あと2冊を絞り込むのは。

10冊だったらなあ〜と未だに思ってしまう気持ちもあり。
(だって、自分の本だって10冊の中になら選んでもらえる可能性が結構あるかもって思うじゃありませんか。そんな下心も出ちゃったりしてね?)

僕の本も誰かの5冊の中に入れたらなあ〜と思いつつ、逆に、僕の5冊に入れられなかったけど、もっともっと好きな本はいっぱいあるんですよ!
と宣言しながら、今夜はこの辺で。

あ、いや、もう少し──

そうそう、皆さんはもう投票しました?
まだ間に合いますよ、きっと。
(ギリギリだと編集長の藤崎ほつまさんが大変になっちゃいそうですけど。まあ、僕がここで叫んだくらいで今から投票する人が増えるとも思わないですけど……。もし、藤崎さんやヘリベマルヲさんからの声がけはなかったけど、是非とも投票したいという人は、直接藤崎さんに聞いてみると良いかもです)

セルフパブリッシングの世界には、
面白い本、怖い本、楽しい本、悲しい本、ビックリする本、じっくり味わえる本、読むのを止められない本、ずっと読むのを中断しててもすーっと続きが入ってくる本、読んだこともない本、唖然とする本、ポンと手を叩きたくなる本、じーんとする本、嫉妬に狂う本、優しさに震える本、疲れを癒してくれる本、怒りが怒りを昇華してくれる本、本の外の世界を忘れさせてくれる本、大事な人を思い出させてくれる本……………………

そんな本がいーーーっぱい、あるんですからね!

そんなことで、みんなで読もうぜセルパブ本ッ!

じゃ、今夜はこれにて!

ラノベをちょっと読んでる

先日から、ひとの勧めで人気のあるラノベをちょっと読んでみている。
まあ、面白い部分もあるし、上手いなあとも思う。でも、良い悪い以前に小説を読んでいる感じがしないのだ。
これは、好みによるところがかなり大きいのだろうけれど。

「お前、きっと天才だよ。ってか、少なくともすげー才能ある」
僕がその作品の作者の友人だったら、そして、僕も作者も高校生くらいだったら、きっとこんなことを僕は言っただろう。
お世辞でなく。
でもそれは、それが小説作品として完成しているという前提ではなく、面白いけど小説じゃねえよな、ちゃんと書けば相当上手く書けるんじゃないの? という前提条件付きなのだ。

きっと、だから《ライト》ノベルと言われるんだろうな、と考えたりする。
小説と言い切るには何か物足りない。物語の進み方が《お約束》を前提にし過ぎている。
【Aと書けば、読者がそれは《あのA》だと分かっているような世界で閉じている感じ。たとえ一般のひとにとってのAが無数に存在しても】。
と言えば良いだろうか?

世界を構築する必要がない?
リアリティなんか必要がない?
別に悪く言いたいわけじゃない。僕のようなタイプは、やっぱりラノベには付いていけない。それだけだ。

それでもきっと、その作品は最後まで読むと思う。
食わず嫌いでなく、その味を知った上でなければ、距離を測ることも出来ないからね。

世の中に溢れている若者向けの本の多くは、こういう世界で描かれた作品なんだろう。
それを理解するだけでも、何か小さなものを得られるんじゃないかと思う。

僕はそういうものを書く気にはこれっぽっちもなれないし、もし書いても、決して売れるものにはならないだろう。言い訳だとか、逃げだとか、才能がないとかあるとか、そういうくだらないことではないんだ。
それは、音楽をやっていた頃、身にしみて分かっている。
楽しんで売れ線を受け入れられない人間が、無理に書いても売れ線のものなんか作れないのだ。
無理して自分の世界を壊すなら、売れ線ではない自分の世界を尖らせ、突き詰め、深め、自分のレベルを売れ線作品と同列になるまで押し上げるんだ。それが、自分の個性を愛するということなんじゃないか?

今日も少しだけ、考えている──。

自己出版の世界には、それを突き詰めることで生活の糧を得られるくらいの読者を得られる可能性が必ず潜んでいるのだと、まだ、信じているのだ。

じゃ、また明晩!

読んだよ/長谷川善哉著『月に泳ぐイルカ・こんぺいとうの星降る夜に』

ひょんなきっかけでこの方と音楽(特にNew Order)の話で盛り上がり、長谷川さんの人となりを少しだけ知りました。80年代のイギリス音楽が好物な人ってあんまり出会ったことがないので、とても嬉しい出来事でした。

でも、実はそれがきっかけで著作を読んだのではなく、1話目の『月に泳ぐイルカ』は、もっとずっと前に読んでいました。
長谷川さんは以前から淡波ログを時々読んでくださっていると仰っていたので、それも頭にあったし、長谷川さんの作品の評判は藤崎ほつまさんなどからも伺っていましたから。

『月に泳ぐイルカ』を読んで、「いいなあ、次の話も早く読みたいなあ」と思いながらもどんどん月日だけが流れて行ってしまった頃、偶然前述の盛り上がりがあって、俄然、《長谷川善哉さんを読みたいレベル》がグリリとアップしたというわけなんです。


さて、作品です。1話目の方は読んでからちょっと時間が経ってしまったこともあり、具体的な話はあまり覚えていなかったりします(記憶力のなさを棚に上げ……)。でも作品の持つ空気がとても好きだと思ったこと、次を読みたいと思ったことは忘れません。何も紹介しないと興味を持ってももらえないかもしれないので大ざっぱに言うと、恋の話です。田舎から東京に出てきた主人公が恋をして、少しずつ大人に……という流れは二作に共通していますね。
内容を詳しく覚えていたところでネタバレになるので、いつも通り《雰囲気感想》で。

『こんぺいとうの星降る夜に』は、漫画家を目指して上京した恋人を追ってきた女の子の話。彼は現実の壁に阻まれて才能をすり減らしていき、彼の影響で絵を描くようになった彼女はやがて……という甘く切ない物語です。
(説明になってないか……)

全体に言えることは、上品で良い香りがする文章・作品だなあということ。それから瑞々しい。優しくて、柔らかい物語。ときに辛辣な現実を突きつけられるけど、全体を覆う空気は優しい。読んでいて気持ちが良く、安心できる。強烈な個性はないかもしれないけれど、これはとっても大切な美点なのではないかと思います。
ちょっと下世話でポップなところ、ありきたりに陥りそうなところを半捻りして。

あれ?
これはNew Orderの音楽と通じるものがあるんじゃないか?
と、思ったりしました。
好み、センス、性格、面白いですね。当たり前ですが、表現って、自分がボロッと出てしまうもの。
New Orderが果たして万人向けの音楽かどうかは判らないけれど、長谷川さんの作品を嫌いだって言い切る人は、少なくとも《自分自身が個性的な表現者》か《個性の強いものでないと認めたがらないタイプの人》以外にはあまりいないんじゃないかな、と思ったりしました。読みやすいということをネガティブに捉える人もいますけど、ポジティブに読みやすいです。

感想に、なったかなあ……

ポップさと切なさ、分かりやすいんだけど軽くもない。
なんか、この曲の雰囲気と似てません?
(サビの歌メロの美しさよ!)

じゃ、今日はこれまで!

読んだ:マクベス。そして、気付いた!

僕のような無名インディーズ作家ふぜいがマクベスを語るのは、ちょっと無理がありますよね(しかも、知性派ではなく感覚派だし)。
きっと、あらゆることが語り尽くされていると思いますし、この作品に影響を受けている作品のことも語り尽くされていると思うので、実際、書けることは何もなかったりするんですが──

僕なりに感じたことをちょっとだけ。

やはり、今に通じる普遍的な物語ですよね。《悲劇》であることは間違いないのでしょうけど、全体の構成としてはわりとお伽噺的な(教訓的な筋立ても含めて)構成だったのが面白かったです。

間違った手段で王位に上り詰めた邪悪な王。
王を翻弄する魔女たち。
善の蹂躙。
復讐。
戦。
王の破滅。

お伽噺的な構造の悲劇……
そうです。一度も読んだことがなかったのに、僕の書いた『孤独の王』は、マクベスの翻案にも思えるくらい、骨格が似ているのです。

《すべての物語は肉付けをはがしていくといくつかの骨組みに分類される。》
ということもありますが、
大好きな『指輪物語』の(考え方としての)舞台装置を(ファンタジーの古典として)あちこちから摘みながら、全く違うオリジナルな物語を紡いだはずだったのですが、その更に源流とも言えるシェークスピアを真似したようになっているという、興味深い発見があったのですね……。

《女の腹から産み落とされた者には滅ぼされない》
というマクベスと
《生きている男には滅ぼされない》(記憶は曖昧……)
という指輪物語。

兵士が頭に樹を括りつけ、森が攻めてくるさまを表わしたマクベスと、
実際に木々の精であるエントたちが戦いに集まる指輪物語。

こういった具体性のある共通項を持たないように気を付けながら、根本的には同じことだったという……。

すべての根本的なアイデアは出尽くしている。というのは簡単ですが、あまりステレオタイプにならないように頭を捻っていきたいものです。

もっともっと過去の優れた作品を読んで、勉強したいなあと今さらながらに思うこの頃でした。

じゃ、また明晩!


『孤独の王』第一部は無料で読めます。この機会に、是非!

本書は、未知の古代文明ティオル王国の悲劇的な末路を辿る歴史書である。
ティオル王国民は独裁王による悪政にあえいでいた。美しき姫は父のよこしまな本性を知り、ついに袂を分かつ。
ティオル王国最後の数十年を辿る美しくも哀しい大冒険が、今、始まる!

読んでる:マクベス

今週の読書ネタは「マクベス」。
なんでかというと、こういうことでして……。

今回は「映画マクベス」の感想ではなく、原作を読みはじめて感じたことを。

これまで、シェークスピアの作品を本で読んだことはあまりなかった。「ロミオとジュリエット」くらいかな。文庫本で読んだのは。

小難しい言い回しと古びた言葉のオンパレードというイメージがつきまとうこと、そして戯曲であるということが、勝手に《読み難そう・難しそう》と思わせてしまうのだろう。

今回読んでみて(まだ読み終わっていないけど)、そのどれもが食わず嫌いに過ぎなかったということがよく分かったのだ。
ああ、もったいない。
むしろ、読みやすいくらいかもしれない、と思ったりする。
もちろん、回りくどい言い回しやレトリックの数々がすらすらと先に進むことを邪魔したりはするけれど、言ってみればほとんどがセリフ。戯曲だから地の文はないし、情景描写も登場人物の目から見たものと、「幕」の設定を伝える各シーン冒頭の1行か2行のみ。
心理描写が完全にそれぞれの人物のセリフとして書かれているので(当たり前だけど)、それも分かりやすいし。

僕の読んでいる文庫本は昭和44年発行のもの(妻が貸してくれた)。翻訳されたのは昭和36年らしい。
(文庫本の文字があまりにも小さいので、体力的にはとても読むのがつらい。もちろん、電車で読むのは完全にムリ。だから、まだ読み終わらないのですよね。短い本なのに──)
現代語訳だし日本の古典(原典)のような難解さはなく、思いのほか読みやすい。映像を見るように情景が浮かぶのは、正直新鮮な驚きですらあった。

そんな感じで、またひとつ、古典の魅力に目覚めつつある淡波です。
(遅い!)

食わず嫌いな方、いませんか?
今読んでいる本が終わったら、次の候補にどうでしょう、シェークスピアなんて……。

では、また明晩!

読んだよ:牛野小雪著『火星へ行こう、君の夢がそこにある』

牛野小雪さんは嘘つきだよ。
プロフィールを見てよ、書くのが牛のように遅いと言うのだから。
だってさ、待ってくださいよ。去年はしっかりした(?)長さの長編を3冊出しているし、そのうち1冊は大長編だ。今年だってつい先日新作を出したと思ったら、もう次の表紙を作っているという。
そろそろ、プロフィールに書いてある自己紹介を修正した方がいいんじゃないかと、真面目に嫉妬する自分がいる。

僕についてはたくさん出版してるイメージを持っている人もいるようだけど、そうでもない。大長編の執筆には3年掛かったし、去年から今年の年始にかけてサクサクと何冊も出せたのは、ブログの連載をまとめたり、短編だったりしたからだ。
ステディなペースで長い作品をきちんと出し続けている牛野さんと違い、僕の出版ペースはなんと気まぐれなことか。いかんいかん。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、どんどん出る、どんどん書けるということは、ファンにとってはとっても嬉しいことだ。
(ご自分では昨年あたり、ずいぶん書けない書けないと「書いて」いたけど、いやあ、むしろコンスタントに書いてますって!)

僕は牛野小雪さんの小説のファンだ。
どんどん書けることに嫉妬はするけど、小説には嫉妬しない。
だって、そもそも僕にはああいったタイプの文学作品は書けないもの。読んで、楽しんで、じわる。単純に、ファンでいられるのだ。

彼の小説は、文学だ。
と、僕は思っている。ときどき、夏目漱石の小説を読んでいるような気がすることがある。褒めすぎだろうか?

そんな彼の初めてのセルパブ作品がSFだったということを、何かの拍子に思い出した。そういえば、未読だった。

『火星へ行こう、君の夢がそこにある』
という作品だ。ちょうどこの冬に話題になった映画との共通性もあって、気になっていた。牛野小雪さんが書くと、どんな話になるのだろう、と。
約3年前の作品だから、くだんの映画とはもちろん何の関わりもない。氏が原作を読んだ可能性も低いだろうと思う。「火星移住モノ」といえば、ジャンルの一つとも言えるだろうし。

SFといえばSFだった。
SFではないといえば、そうではなかった。

いつもの牛野文学が、そこにはあった。いまの作品につながる萌芽どころか、もう既に完成されていた。もちろん、編集が入らないことによる粗削りさは置いておく。脱字もあったし、てにをはのおかしなところや気になる重複表現もあった。だが、それが何だというのだろう(もちろん、直すべきだとは思っている)。

プロの作家が完璧な作品を上梓できるのは、作家と出版物の間にスタッフがいるからだ(もちろん、それを必要としない天才作家もいるけど、それは例外として)。そこに作品の完璧性(誤謬を追放すると言う意味での完璧性)を担保するシステムがあるからだ。セルパブ作家にはそれがない。
──もちろん、僕はある意味、そのシステムの一角を担いたいと密かに思ってはいるけどね。

今回は、「おかしいな」と思った箇所をほとんどメモらなかった。済まんです……。
でもね、それには理由がある。
夢中で読んだからだ。Kindleにハイライトを付けたりする手間も惜しかった。どんどん読みたかった。読むのを止めたくなかった。長い作品ではないといっても、一日で読み切るにはそれなりの量だ。2時間半超はかかったと思う。
その間、夢中でどきどきしながら、じわりながら、読み続けていた。中だるみも、肩透かしもなかった。

特別何も起こらないのがいい。
火星まで行っといて、私小説なのだ。取り立てて文学っぽく飾ろうともしていない。美文でもない。でも、読後感はと聞かれれば、文学作品を読んだ後の感慨と同じなのだった。これこそが牛野ワールドなのだな。

三人称で書かれているけれど、限りなく一人称に近い主人公視点の三人称。だから、主人公の知らないことは書かれていない。書かれていなくても違和感がない。SFにありがちなバックグラウンドの説明もほとんどない。火星開発公団のひとたちから聞いて鵜呑みにしたり勝手に解釈したことが書かれているだけだ。そこにまた、現実っぽさがある。
僕らは何もかも分かって生活しているわけではない。分からないことばっかりだ。

SFとしての考証はきちんとしていない部分があるだろうけど、それは主人公の頭の中で解決していればいい話として納得できる。主人公の知らない技術のこと、間違って覚えている技術のことは、それを作者が正す必要もないのだ。

ああ、こんなSFの書き方もあるんだなあと、氏独特の文章を読み終わって惚れ惚れした。

牛野小雪さんの小説には、裏切られたことがない。
今後もきっと、裏切られることはないだろう、な。
──と期待に目を輝かせて。
(プレッシャーをかけてはいませんよ)


読書/王木亡一朗著『Our Numbered Days』

理詰めなのか、理屈じゃないのか……。

王木亡一朗さんの「Our Numbered Days」を読了し、感慨に浸っていた。
(過去形)

と、いうことでまずはツイートを貼ったり。

うん。
あれなんだ。
僕はこういう、「理屈じゃないよね」という感想を持てる作品が好きなのかもしれないな。
自分自身はどちらかというと理屈っぽいお話を書いたりするから、それを超越した良さを持ち得る作品を書ける方(インディーズでいうと、この王木亡一朗さんや牛野小雪さん。広橋悠さんも近いかな)には憧れを感じるのだ。

逆にね、理屈で割り切りたくなるタイプの作品(=ストーリー)を読んでいると、どうしても自分の中での基準みたいなものと無意識に比較してしまうんだよなあ。見方が厳しく、時にはいじわるになる。

だから、「納得いかない!」みたいな感想になったりする。
(そうすると、誰にも感想を言わなかったりするわけで)

理屈じゃないよね、っていう作品を読んだ後は、もう純粋に読者として楽しんだ(または楽しめなかった)感想を持てるので、とてもシンプルにフラットな立場でいられて、気が楽なのだ。
でも、嫉妬したりもするんだけどね。
(ボォーッ!)

この『Our Numbered Days』という作品、自分の青春時代にとても近い物語が展開されていたというのもあるのだけれど、それを超えた「これは自分のこと!」と感じられる《こころの描写》を備えた文学作品だと思う。
バンドや音楽のことをちょっぴり詳しく書いているし、バンド用語なんかが飛び交ってるから「よくわかんね〜」という向きもあろうかと思うけど、それはそれ、小粋な小道具として読み飛ばしてしまえばいいわけで。
横文字の洋楽タイトルが毎回のサブタイトルに付いているので、洋楽に馴染みのない方には親近感が湧かないのだろうけど、アレはどちらかというと王木さんの思い入れがタイトルに出ているだけで、それと内容とは全然関係ないとも言えるし、ね(笑)。

《夢に破れた男が現実と向き合えるようになる物語》
と言っちゃえばあまりにシンプルで陳腐に感じられるかもしれないけど、事象よりも心を丹念に追っているところが、この作品の魅力を輝かせているんだろうな、と。

横書きで読むのは辛かったけど(マジで)、現在、電子書籍化の準備中だそう。

是非、就寝前のお供にお薦めしますよ。

Note版はこちら
カクヨム版はこちら
(いずれも、電子書籍版が発売される頃に残っているかどうかはわかりませんから、お早めに!)

では!

読んでない/ダン・ブラウン著『Diabolus』

たまたま先日ダン・ブラウンの『インフェルノ』の広告を見て思い出した。
ダン・ブラウンは好きな作家の一人だ。売り方としては《ちょっと難しげ》なイメージを押し出してるし、芸術や科学のうんちくが結構盛り込まれているので小難しいイメージを持たれがちだけど、僕は思いっ切りエンタメ系の作家だと思う。
手に汗握るジェットコースター的な展開、いわゆるアンストッパブル(=読み始めると止まんね〜!)とか、アンプッダウンナブル(読んでると本を置けね〜!)とか、もう、ハリウッド映画のよう。だから映画にしやすいのだろうけど。
SF風味のミステリーだったり、理詰めでどんどん進んでいってガラリとひっくり返したり……、もしかして自作と通じる部分があるのかも、ってところも、好きな要因の一つだったりするかな?
(あはは、世界的なベストセラー作家と無名のインディ作家を比べてどうするのさっ!)

感覚としてはマイクル・クライトンとシドニー・シェルダンの間くらいか。そこそこ下世話で読みやすく、知的な味付けもあるから「くだらない」というレッテルを貼られ難いところはマイクル・クライトン寄りか。
近作はちょっとしつこいと言うか濃いというか、『ダ・ヴィンチ・コード』にあった《ちょっと儚げな美しさ》みたいなものがなくなってるのが少々淋しいかなあ。

で、記事タイトルの『Diabolus』。
これ、よほどのダン・ブラウン好きでも知らないと思われる作品名だと思う。実はこれ、『Digital Fortress(邦訳タイトルはパズル・パレス)』のドイツ語版タイトルなのだ。
ダン・ブラウンの作品を読み始めた頃、発売される端からAmazonで購入していた(と言っても数冊しかないが)のだけれど、あるとき全く聞いたこともないタイトルの本をAmazonで見つけたのだ。
「わ、いつの間にか新作が出てる!」
と思った情報砂漠の僕は即ポチ。
事前情報を仕入れないで読む方が好きなタイプなので、作品紹介も全く読まずに作者名とタイトルだけで買ったわけで──。

家に届いたペーパーバックを開いて、びっくり。
「わ、英語じゃない! 読めないじゃん」
そこでAmazonの商品ページに戻り、ちゃんと《German Edition ドイツ語版》と書いてあることに気がついたのだった。
わー、バカだ。バカ過ぎる。
(そもそも、新作だったらハードカバーのはずでしょ!)

でも、そこでくじけたら淡波じゃない。

ちょうどその頃、僕は仕事でドイツの会社とちょいちょいやり取りがあって、挨拶程度でもドイツ語が出来たらいいなあ、と思っていたのだ。

この偶然も何かの必然さ!
そう思った僕は、突如としてドイツ語の勉強を始めていた。

愛用のiPod touchにドイツ語学習アプリをたっぷり入れて、文法の入門書を買って、コツコツと勉強したのだ。
3ヶ月後、何となく初歩的なルールっぽいものが飲みこめた気がしたので、大胆にも『Diabolos』を読んでみた。辞書を引きながら、ゆっくりゆっくり一文ずつ。
「お、意外といける」──1ヶ月ほどかけて、1章分を読んだ。
(ほんの数ページだよw)

これ、頑張って一冊読み切れば、かなり力が付くんじゃないの? と思ったのもつかの間。何だかんだと忙しくなって、いつの間にやら本もどこかへ仕舞い込み、アプリも全く開かなくなった。
でも、今さら英語版で買うのももったいないし、いつかドイツ語でもう一回挑戦しようかなあなどと思いながら、やがてドイツの会社との縁もなくなり……未だに読んでいなかったりするのだ。

まあ、そんなことでね、彼のデビュー作である『Digital Fortress(パズル・パレス)』だけ、まだ読んでないんだよなあ。新作の噂も聞かないし、やっぱり英語版を買っちゃおうかな。

なんてぼんやり考えていたりする今日この頃。
(いや、山のような積ん読の消化が先だろっ!)

と、いうことで、今日の自作紹介は『そののちの世界7 サタンと呼ばれた男』にしよう。
ダン・ブラウンの『インフェルノ』の冒頭には、ちょっとおどろおどろしい感じの映像作品が描写されているんだけど、『サタンと呼ばれた男』の冒頭シーンに置いた映像は、この雰囲気へのオマージュ的なものだったりする。内容は全然違うんだけど、映像の醸し出す空気感って言うのかな。両方読んだ方なら何となく分かるような──いや、自分でそう思って書いただけ、なのかもしれないけど、ね……。



世界的な株価の暴落を一つのきっかけに、株式市場で”サタン”と呼ばれた男、貝塚剛は、そのあり余る資産を更に拡大させようとしていた。

貝塚の秘書になって三年目を迎えた牧村は、エスカレートする彼の欲望の引き起こす異常な争いに巻き込まれ、翻弄されていく……。


ということで、また明晩!

鑑賞したよ:折羽ル子さん『画集魔獣ケモノノ村』

《緻密》、というのとはまた違う《過剰な》描き込みと共存する、それとは相反する筈の《力の抜き具合》が同居した画集だ。
これ、個性の塊にして、流行りの《キモカワ》とは次元の異なるなんとも言えない迫力を宿している。
言うなれば、不条理性か。絵の底に流れる諦めと孤独と、攻撃性とユーモア。
勢いなのか、巧妙に構築されたものなのか、ただ、力に任せて描いたというものとは異なる統一感と一貫したストーリー性が漂っている。
──これはもう、世界。

何箇所かに挟まれている線画のスケッチを見ると、達者な技術の持ち主であることがよく分かって、つい頷く。

過剰に線が描き込まれたメカに潜むエロティシズム(いや、潜んでいるというより、マンマか……?)。
明らさまに残虐かと思えば、本当は可愛く描きたかったのか? とも思われるようなピンクのハートがミスリードをも誘う。

もし、自分が編集者だったら、この個性を台無しにしてしまうかも知れないな、と思った。
「この個性を大事にしながら、もっと一般性のある表現ができたら無敵じゃない?」
そんな悪魔の囁きが、ページを閉じた僕の脳裏に去来していた。

一般性と個性は、ある種の創作家にとって完全に正反対のベクトルを持つ価値観だろう。小説家、漫画家でもある折羽ル子さんの場合、画集以外における文字の情報量もハンパじゃない。それが個性でもあり、アクでもあり、波長の合う人を惹きつけるフェロモンなのだ。

そんな作品群中で、最も一般性を持ち得る、いや、一般性を持たなくても鑑賞者を惹きつけることのできるのが、この画集という媒体なのではないか、と感じた。

毒を薄めれば個性が薄まる。しかし、例えばイラストレーターとして商業的に成功するには、広告としてサブ要素(脇役)に甘んじられるくらいの薄さもまた、必要だろう。
でも作家性という武器を武器のままで持ち続けるには、逆に濃さの維持こそが必須だ。だったらそれには、やっぱりアートとしてのあり方なのだろうなぁ。と、とりとめもなく考えた。

いろいろなことを考えさせてくれた画集だった。

百聞は一見に如かず。
プライスマッチで無料になってるからね、一家に一冊、どうでしょう