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『歌うシェパード』を書く01:古文書解読中

この物語を描きたくて、僕は小説を書き始めた

かもしれない物語、『歌うシェパード』について、しばらくの間不定期に進捗を書いていきたいと思う。

まずは、3冊の手帳に書き散らかされたメモをまとめていく作業だ。写真に撮って、画像をLibre OfficeのImpressに貼り付けて、分かる限りの解説を付け加えていく。

でも、やはり厳しいものがあるなあ……。

最もたくさんの情報を書き込んでいたと思われた手帳は、2006年のもの。
見開き2ページにびっしりと書かれていたが、その半分は地図だった。文字情報はあまり多くない。
しかも、誰かに見られると恥ずかしいからなのか、ほとんどがかなり省略された英文で書かれていた。
正直、今見ても自分が何を考えて書いたのかよく分からなかったりして。

あらすじも何も書かれていない。
そこそこ長い時代にわたって続く物語になるつもりなのだけれど、書かれているメモ書きはバラバラで、どの記述がどの時代のことなのかさっぱり解らない。
何といっても小説を一度も書いたことがなかったころのメモ書きなのだ。

正直、手書きのメモをテキストに起こしたところで、形になりそうな気がまるでしない。
試しに時間の経過に合わせてメモ書きを並べ替えてみたが、あまりに歯抜け過ぎてまるで話にならなかった。

どうして存在するのかも分からないメモがたくさんある。
当時は頭の中にある程度ストーリーがあったはずだ。
書いたと思い込んでいたエピソードが一文字も書かれておらず、イメージだけが残っている断片的なシーンがたくさんある。
まあ、それを文章として起こす力が当時の僕に備わっていたなら、きっと小説を書いていただろうけど……。

ひとつひとつ、わけの分からない部分や繋がりそうもないエピソードの種、それから理由のない描写たちを拾い集めている。
まだまだ何も見えてきてはいないけれど、このカラフルなイメージがやがて一つの大きな物語を紡ぎ出せるように、十年前の空想を思い出そうとしたり、新たなイメージを生み出したり、少しずつ少しずつだけれど、文字を書いて、並べ替えて、書き直して、という作業を行なっているのだ。

本当にまだ歩き出したばかりだけど、きっと良い作品になることを信じて、みなさんに「面白いっ!」と感じていただける物語になることを信じて、めげず止まらず書いていくのだ!
(もちろん、止まったっていいんだけどね)

つまらない独り言に付き合ってくださいましてありがとうございます。

また、進捗を書かせて頂きますね。

じゃ、また明晩!

味方を作る、参加者を作る

 


■今、いるところ


「読まれたい・見られたい・聴かれたい」
「見つけられたい!」
「いったん触れてもらえれば作品の良さを分かってもらえるはずなのに!」

これは、創作を行なっていて作品を発表しているのに、まだ認められていない、広がっていない誰もが思うことなのではないでしょうか。

ぼくもずっと、こんなことを思いながら自作の宣伝をしたり、創作仲間と話をしていました。
でも、周囲にいるのは自分と同じようなことをやっている人たちばかり。

何年も活動をしているとそれなりに周囲に知られ、それなりに作品が売れるようにもなります。
でも、それは「それなり」にすぎません。
年末が近づくにつれ、ことしも「大ブレイク」出来なかった(笑)という事実が、両肩にのしかかってくるのです。

やっぱり同業者ばかりと仲良くしていてもダメだよな。
そんな当たり前の事実が、改めて重みを持ってきます。

 


■「参加者を増やす」ってどういうことだろう


「巻き込む」と言ったほうが良いのかもしれません。今まで無関係だった他者を、参加者にする。そして、商品(もちろん、小説のことだけど、何に置き換えて読んでも構いません)を欲しくさせる。欲しくなってもらうということです。

先日、にしのあきひろさんのブログ記事を読んで、それを改めて強く感じました。
僕はテレビを見る習慣がないので、この方のことは新聞記事でしか存じ上げません。煙突の絵本を描いた人ということくらいしか知りません。
本業はコメディアンらしいということを知っている程度です。

彼がブログで言っていることに対して、
「そんなの当然だ。おれたちはずっとやってるぜ」
と思う人は多いかもしれない。でもね、ちょっと立ち止まってみませんか。
振り返ってみませんか。

「セルフ・パブリッシングの読み手=書き手だ」
よく、そう言われるのはご存知のことと思います。
だから、前述のブログ記事についても、似たようなものだと思い込んで斜め読みすることも出来ます。
でもね、それは大きく違うのです。

彼がやったことは、単に「絵本の描き手を自作に参加させる」ことではありません。

36人のスタッフを結集し、それぞれ得意分野を任せて自分は監督としてクオリティをコントロールする。
そこまでは、現在僕らがやっているセルパブ雑誌制作と大きな変わりはないでしょう。
確かに、「様々な絵本の描き手を自作に参加させた」ということです。

でも、そこから先は全く違いました。
彼は制作コストを回収するために、そして宣伝・販促に使うコストを得るために、クラウドファンディングという資金調達の仕組みを用いたわけです。一万人からコストを調達して、その一万人を「味方」に、「参加者」に、「当事者」に、してしまったわけです。

制作の過程をいろいろと公開して、資金を出した人が実際の制作に参加しているような気持ちにさせたようなのです。

自分が参加した作品は、買いたくなりますよね。
手元に置きたくなりますよね。
そして、他人に奨めたくなりますよね。

資金を出してもらった上で、お客さんにもなってもらえる。
これ、まさに目からウロコが落ちる考え方じゃないでしょうか。

僕らのオルタニアも、参加人数の数倍くらいは発売と同時に売れます。
(電子書籍は制作参加者の手元には無料で残せますから、その人数は除いて)

でも、そこから先が厳しいのですよね。
どんなに面白い小説が掲載されていても、評判が良くても、知らないものは買いようがありません。読みようがありませんもの。

ツイッターで宣伝ツイートをしても、それはチラ見されて流れていくだけ。
気がつかれずに、ただ流れ去って行くだけのケースの方が多いでしょう。
元から参加者の作品に興味があって、雑誌になったことでお得感が得られる人には、宣伝しなくても買ってもらえます。でも、興味がない人に興味を持ってもらうことって、本当に難しいものです。

 


■殻を破り、外に出よう


では、無名セルパブ作家の僕らに出来ることはなんでしょう?
クラウドファンディングで資金を調達して、紙本を作ることでしょうか?
知名度が致命的に足りない僕らに、お金を出す物好きがいるでしょうか?

きっと、お金を出してくれる人がいるとすれば同業者。作品を気に入ってくれている同業者くらいのものです。
セルパブ小説に、まだ純然たるファンはほぼ存在しないのですから。ゼロではないにしても。

自分の小説を気に入ってくれた人がいて、たまたまその人とSNSなどで会話するようになって、そうすると、実はその人も物書きだった。ということがあります。
だって、自分で小説を書いていない人が、他人のセルパブ小説に興味を持つことって本当に例外的な出来事なのですよ。
今のところ。

だから、「セルパブ界隈」と言われている小さな小さな世界で、僕らは自分の手足を喰らうイカのようなものです。
宣伝しても、それは、「世間の読書好きの一般人」には届きようがない。

彼ら、彼女らがこれから読みたい本を探す場所とは、繋がっていないのですから。

では、それはどこにあるのでしょう?

残念ながら、その明確な回答はまだありません。

多くの人がそれを模索して、なんとかして一般読者にセルパブ小説の面白さを知らしめるために活動しています。

商業本と遜色ない装丁で発刊されている『SF雑誌オルタニア』だって、そんな模索活動の一つです。
幸い、商業SF誌を読むような人々の一部に知ってもらえるような流れも少しだけ作れましたが、まだまだほんの入り口にすぎません。

「1円ライター・高級ライター」というライター界の流行語を生み出した〈コグチスミカ〉さんだって、そんな模索を行なっている一人でしょう。
セルパブ小説書きではなく、一般ライターの世界に殴り込みをかけたあの勇気が、「専業のプロではないけど、何とかして物書きでお金を稼いでいる私たち」の存在を、界隈の外へ知らせ、押し出したのです。

セルパブ本の情報を毎日つぶやいてくれているゆるキャラの〈ぶくにぇー〉だって、界隈の外に情報を届けようと努力しているに違いありません。彼(彼女?)が、ツイッターでの絡みにあまり応えてくれないのも、界隈の中に閉じこもることを避けて広い世間にセルパブ小説を届けようと考えているように思えてならないのです。

 


■僕自身のこと


実は、この淡波ログのサブタイトルは開設当初から「淡波亮作の作り方」です。
まったく無名の状態から、ブログ読者と一緒に淡波亮作という存在を創り上げていきたい。その過程をつぶさに見ていて欲しい。
という想いがこもっています。
まったく無名の僕がちょっとでも知られるようになれば、きっと初期からの読者さんは育ての親のような喜びを味わってくださると思うのですよね。
新しい作品が出たら、
「よしよし、そうか、よく頑張ったね。じゃあ、買ってやろうか」
と思ってくれるかもしれません。「かも」ですが。

そして、小説や文芸に無関係なことばかり記事にしているのも、界隈の外にいる普通の人たちに読んでもらいたいからです。
セルフ出版のノウハウなどばかりを書いていたら、セルフ出版に興味のない人がたまたまこのブログに立ち寄る可能性はゼロに近いでしょう。
その人たちが電子書籍を読むかどうか分かりません。本を読むかどうかも分かりません。
でも、Webで文章を読む習慣はあるかもしれません。それなら、電子書籍との親和性だって、ないことはないのです。きっと。

僕にはたまたま、プロのCG作家という別の顔があります。
元プロミュージシャンという顔もあります。

作家として興味を持ってもらうために、この二つは邪魔だと最初は考えていました。
「どうせ、いろいろやっている人は全て中途半端だ」
そう思われるのが恐かったからです。
でもね、そんなことはないのです。
CGは職業ですから、ガチです。半端な要素は一切ありません。
ミュージシャンは元職業ですから、これもガチです。まあ、売れなかったから撤退せざるを得なかったという意味では、半端者なんですが(笑。

小説は、職業以外でいちばん打ち込んでいるものです。
だからここにも、半端な要素が入る隙はないのです。
もちろん、小説のために映像を作ったりする時間を考えると、小説を書くこと以外には何もしていない人のペースには敵いませんが。

CGをテーマにした記事を書くのは、セルパブ小説界隈の外から一人でも多くの人を招き入れるため。
この淡波ログは、固定読者よりも検索流入読者のほうが多いのが特長のひとつです。まだまだビュー数は悲しいほど少ないですが、それでも、CGのことを調べたい人に役立ちそうな記事を増やすたびに、少しずつ訪問者も増えているように思います。
開設当初は訪問者ゼロ@日ということもありましたから、それを考えればものすごい進歩です。
それは、自分で狙って実現したことなのです(実現というほどではないけれど)。

そうやって来てくださった「いちげんさん」が、この場所で連載している小説に興味を持ってくださったり、固定読者になってくださったりすると最高なのですが……。

 


■今年も色々ありました


決して総括記事を書くつもりはなかったんですが、何となくそれっぽい感じになってしまいました。
小説関連の総括記事は、また書きますけれど。

何しろ、色々な雑誌や小説以外の電子書籍に参加させていただいたのがとても大きかった一年です。

これからも、少しでも多くの〈本好きな普通の人〉に届けるために奮闘し続けます。

これを読んでいるあなたも、一緒に頑張りましょうね!


それでは、また明晩!

工夫する。工夫しない。

工夫しろ、とか、考えろ、とか言うのは簡単で、自分が工夫するタイプの場合、自分自身はそれが普通だから不思議にも思わない。
でも、工夫しろと言われた側はどう工夫するのかが分からない。

言う側は、どう工夫すればいいのかまでは伝えられない。
よく考えれば言えるのかもしれないけれど、やっぱりそれでは意味がない。
それでは、言われた側は工夫したことになんかならない。
まるで本人のためにならないし、結局は指示待ちの「工夫しない」姿勢は変わらないからだ。

与えられた仕事を、自分の枠内で一生懸命やり切る。
ミスをしない。
余計なことに悩まない。
遠回りと知っていても、ただ、自分の知っている道をじっと見てゴールを目指す。
それも大事。とても大事。
でも、時にそれは膨大な無駄時間を生む。

工夫する人間にしても、それが間違いなく良い方向へ進むための工夫なのかは分からない。
身勝手な工夫が意味不明なこだわりを生んで、途方もなく無駄な仕事をしてしまうこともある。

──矛盾。

良い工夫と、悪い工夫?

ゴールを見て、想像して、自分の力を見て、よく考えて、道筋を立てて、順序よく。
無駄も善し。という気持ちも必要だし、試行錯誤こそがその先の道を生み出すものでもある。

しかしながら、仕事には納期があって、時間はお金を食いつぶす。
仕事でなくとも、一人の人間に与えられた時間はとてつもなく長いようでいて、でもやっぱり有限だ。
何かを行なうことの出来る時間を数字にしてみると、それが驚くほど短いことに恐怖する。
実は、仕事に費やせる時間なんかより、ずっとずっと少ないのだ。

工夫する方向が分からなければ、ハナから工夫しないで地道に遠回りをするほうが良いと考えてしまう相手に対しても、ノーと言うのは難しい。
とても、難しい。

工夫する。
工夫しない。

その溝は、考えることでしか埋められないのだ。
そして、何を考えるかは自分で考えるしかないのだ。
──よなあ。

なんてね。

じゃ、また明晩!

Magica Voxelがすごすぎる件

これはいつか書かなきゃと思っていたんだけど、伸ばし伸ばしにしている間にとんでもなくすごいバージョンアップがあった。

何も知らなかったひとに向けてざっくり書くと、Magica Voxelっていうのはボクセルベースの3Dモデリングツール。小さな立方体がベースになっていて、それを組み合わせる(足したり引いたり押したり削ったりする)ことでいわゆるマインクラフトみたいな世界を作れるツールなんです。

昔のシンプルなゲームみたいなキャラクターを作ったり、ブロックっぽい感じで造形するのに最適。プリセットでいろんな形が入っているので、3D苦手でもなんとなく面白い絵が作れちゃう。

こんな可愛いティラノがプリセットで!
こんな可愛いティラノがプリセットで!

これ、実はセルフパブリッシングの本の表紙なんかにも使えるよなあと秘かに思っていた。
レンダリング(画像として書き出す)の機能も以前からあったんだけど、あくまでもおまけっぽい感じで(にしてはきれいだったけど)。

それが、いつの間にか物理スカイっぽいものまでついていて、フォグ機能もついていて、なんと、アニメーション機能までついちゃった!
これはもう、れっきとした統合3Dソフトに進化した感じ。もちろん、巷にある統合ソフトとはまるっきり考え方も機能も違うし、まったく別世界だけど。

物理スカイ:
背景に空っぽい色を置くのではなく、物理的に空の色(太陽の位置や緯度経度、様々な物理特性)を計算して再現するもの。
まあ、このソフトの説明にはそこまで書いてないのでそうではないかもしれないけど、見た感じは物理スカイでレンダリングした絵になってる。じつに美しい。

これなんかもろに物理スカイでレンダリングしましたって感じだし
これなんかもろに物理スカイでレンダリングしましたって感じだし

 

いやあ、面白い。
こんなこと考える人がいるとは──!!

だって、こんなん出来るんですよ。

それからこんな絵も!
magica

そしてきわめつけがこれ!

magica2
物理スカイとフォグ効果による美しい空間表現!

こんな美しい絵を作れるだなんて、想像もしなかったなあ……。

で、これが無料なん!

ダウンロードはこちらから。

使い方のチュートリアルは、Daishiさんがこちらに書かれてます。日本語です。

気になった方は、是非どうぞ!!

じゃ、また明晩。

今週の一枚:ん? なんか見たことあるような……

C_whole_2500
○○さん

 

と、釣りタイトルにしてしまいましたが、まあ、見たことのある人はまずいないのかなぁとも思います。

実はコレ、ある方からデータをいただいてコラボ制作中の作品です(その方が制作途中のものを一回だけツイートしたみたいなので……)。
だいたいのモデリングと質感設定が済んだものを僕が再調整し、アニメーションを付けて、映像作品になる予定です。

最初にいただいた状態でも独特の雰囲気があってきれいな質感だったのですが、レンダリング時間があまりにかかってしまうため、僕の方でチューニングを兼ねて付け直し、結局かなり違うものになりました。これはこれで結構色気が出て面白いかなあと思いますが、どうでしょうね……。
(まあ、オリジナルを制作したご本人からは「良い」と行っていただけましたが)

それに、アニメーションを作るためにはレンダリング時間短縮のためのチューニングが必要なんですよ。これで最初の状態から10分の1くらいに短くなっていますから!

で、映像作品って、何のためのものかってのが、気になりますよね〜。何のためのものか。何かのためのものですよね、何かの……。
──さて、ヒント終わり。

この春、セルパブ界の話題をうっかり攫ったアレがね、また動いてるんですよ!
僕もこういう形ですが、参加させていただいてとても楽しいです。
(わ、分かりますよね……こ、ここまで言っちゃって……良かったのかな……)


おまけです。オリジナル状態の画像。
この、花のところに光が当たってるのがきれいなんですけど、時間短縮のために変えさせていただいちゃいました……
この、花のところに光が当たってるのがきれいなんですけど、時間短縮のために変えさせていただいちゃいました……(作者ご了解済み!)


はい、今日はここまで!

じゃね。

もったいない

CG記事は、あなたのために書いているんだ。
そう、たまたまこの文章を読んでしまった、あなたのために。
CGの記事を読みたかったわけじゃないのに、淡波亮作に何らかの興味を持ってくれたかもしれないあなた。
たまたま電子書籍のことをWEBで見ていて、ここに飛んで来てしまったあなたのために。

CGのことを書いた記事は、基本的にほとんどのPVが検索からの流入なんだ。
CGに関して何か特定のトピックを知りたかった人が、検索結果にかかったこのブログへ飛んでくださる。
それはそれでひとつの大事な目的だし、初めてこの場所を訪れる人がたくさんいてくれることは、とても嬉しい。

CGのことを知りたくて来てくださった人が、
 「あれ? この人って小説家なんだ」と思ってくれることを、
 「面白そうな作品かも」と思ってくれることを、
 いつもちょっとは期待してる。
 そんな魔法みたいなことはなかなか起こらないけど……。

でもね──、
僕が一生懸命になって初心者向けのCG記事を書くのは、そうでない人にも読んで欲しいからなんだ。
ちょっと、バランスが悪いかもしれない。
CGのことを誰にでもわかるように書くっていうのは本当に難しいし、基本操作を毎回書くわけにもいかない。ある操作の続きモノ記事を途中から読んでも、何のことかさっぱり分からないだろうし……。

CGにまったく縁のなかった人にとっては、どうにも入りづらいかもしれない。
それは確かにそう。
そうも思うけれど、

ほんの少しだけ我慢して頑張れば、もしかしたら今までに見えなかった世界がちょっとは見えるかもしれない。

そう思って書いてる。

3DCGを作ることがが日常の僕にとっては、絵が描けない(と思い込んでいる)人が、一生懸命に頑張って線を引いたり色を塗ったりしていることが、まだるっこしく感じられてしまうことがある。
もちろん、ずっと描いていれば、描けば描くほど上手くなるし、努力は蓄積されていく。だからこそ、絵は面白い。
アナログは面白い。デジタルで描く手描きの絵も含めてね。
上手くなくても、センスのある人が描いた絵はとっても好きだ。

でもね、僕はもう少しだけ、楽をしてそれなりの見栄えがする画像を作れる方法があるってことを、知って欲しいんだよね。

CGなんて、と思うこともしょっちゅうある。
CGなんて、所詮機械で作ったもの。自分の手で描いた絵とは、そこに込められた想いの質が全然違う。

だけどね……
《やり直しがいくらでもきく》、
《好きなアングルで作り直せる》、
《一旦形にすれば、いろいろとバリエーションを生み出せる》

 それこそがCGらしさ。
 CGの良さ。

CGを作ることが目的ではない人にこそ、CGの面白さ、便利さを知ってもらいたいんだよなあ……と思わずにはいられない。

今週も、そんなことを考えながらちまちまと、CGの記事を書いています。

へっへ。

じゃ、また明晩!

観てきた:映画『フィレンツェ,メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館』

ああ、またハズレを引いてしまったよ。楽しみにしてたのになあ。残念。ここまでひどいとは……。

まず3Dが意味不明すぎる。彫刻、建築はいい。ちゃんと効果が出てる。だからどうだという程の効果は感じないけど、まあ、立体だから、多少はその場で見るような迫力があった。特に建築は。

彫刻は微妙。カメラワークが悪くて、まだるっこしい。じっくり見せたいからじっくりカメラを動かしてるんだけど、見たいところは人それぞれだからね。うーむ、もっと工夫のしようがあるでしょ、と思わずにいられない。
(例えば、2画面に分割して、片側は全体像を常に見せ、もう片側で特徴のあるところのズームアップを順に見せるとか?)

圧倒的にダメなのが絵画作品。
全く意味のない3D化。
おいおい、そこをわざわざ立体にしてどうするの?
元の作品と全然違うじゃん。のオンパレード。

当然、《絵のすべての部分を完全に立体化してからそれに絵画をマッピングして、世界を再構築するような手間》は取られていない
何となく程度のレベルでZデプス(=奥行き情報)ぽいグレースケール画像を起こして、疑似的に立体にしている。曖昧なところや前後の逆転、切り抜くべきところで曖昧に誤魔化されていたりして、もう、手抜きの極致。

デッサン、ステンドグラス、果ては作者の肖像画まで擬似立体で見せられた日にゃあ、もう冗談としか思えない。
本当にまじめに作ってんのか?
単に「3Dにすると客が喜ぶだろう」くらいに思ってやってないか?

そこに追い討ちをかけるのが、無駄にうるさい音楽。全体的にはクラシカルな構成なんだけど、盛り上げるためなのか低音部には変なシンベが加えられて、もう安っぽいミステリーのよう。何しろうるさい。
美術館を再現するような映像なら、音楽なんかいらないんじゃないか?

さらにさらに、ダメダメポイントはまだまだ続く。

メディチ家の当主が案内役をしてるんだけど、無駄な芝居や裏話が多く、目を塞ぎたくなった。
(実際、3Dで見ていると目が疲れるので、この人のパートは半分くらい目をつむっていた。吹き替えだから、内容は分かるし)
おいおい、もっと作品を観賞させてくれよ〜。

それから、ウフィツィ美術館の元館長による解説がもう、押しつけがましすぎてあんまりだ。
いわく、美術を鑑賞するだけじゃだめだ。ちゃんと学んで、そこに込められた深い意味を理解しなければ、観たことにならないとかなんとか。
大きなお世話でしょ!

美術作品を生み出した人が、鑑賞者にそんなことを望んでいるとでも言うのかい?
作家は美しいものを生み出したくて作品を生み出しているんじゃないのか?
これは○○の象徴で、裏の意味はこう。それを知ることが一番大事で、それを知らなければ作品を見たことにならないなんてこと、作家が僕らに望んでいたとでも?
裏の意味って、「そういう理解もあるよね」、「そういう楽しみ方もあるよね」っていう程度なんじゃないのかな。
そもそも、後世の研究者なりが勝手に言ってることに過ぎないんだから……。

ああ……無駄無駄無駄。

美しい作品の数々を、その場にいるように鑑賞させてくれる映画だと期待して観に行った自分が馬鹿だった。
反省しますよ。
内容を事前に調べていたら、絶対観に行ってない。

それからね、駄目押しで編集がまずい。
意味のない(いや、深い意味を込めてるんでしょ、きっと)ロングショットの挟み込み。頻繁に行われるフェードアウトでは色相が破綻してるし、これじゃ素人じゃん……。
(あ、もちろん、これはお金を払った観客としての感想。別に、自分ならもっと上手いとか、そんなことは言ってないので念のため)

余計な部分なしで作品をきっちり丁寧に見せてくれる映画だったらどんなに良かったか……作品数もきっと倍は入れ込めただろうな。こんな無駄な演出を観客が喜ぶと思ってやってるんなら、客を馬鹿にしているにも程がある。

エンドロールの後でおまけについていた、登場作品の目録のような映像。あそこが一番良かった、と、妻も言ってました。

あ、一つだけ良かったこと。
前半の建築の見せ方や紹介の仕方はとても良かったかな。
アップにロングに空撮にCGに図面に、このあたりはかなり効果的だったし、これは現地で見るよりいろいろな側面を見る・感じることが出来た。

はあ……。

済みません……毒を吐きすぎたかな。
あんまりがっかりしたんで。
(一緒に行った家族も同じ感想だったので、念のため)

じゃ、お休み!

肌感覚と凡庸のバランスポイント

分かりやすさに重点を置いているのは、凡庸に陥りやすい罠なのか?
そう思うことがある。

個性。逸脱。突飛。
発想の飛翔。展開の拡大──。

難解な詩を好んで読んだことがある。
好んで?
いや、無理やりだ。
これっぽっちも解らない。
解らなくていい、感じるんだ。

残念残念無念無念。
解らないことは感じられないね。
凡庸の極み。
──それとも単に、頭の回転の鈍さか?

大事なのは肌感覚だ。
そう思っている。
視点だ。
作者の創造力と読者の経験が重なり合う瞬間に、何かがやってくる。
作者の創造力が読者の想像力を凌駕し、覆いかぶさった瞬間に、何かが得られる。

難解にはしたくない。
できない。
わかって欲しいもの。
言葉遊びをするつもりなんか毛頭ない。

ああ、分かってるさ。
難解な詩は、小説は、難解さが目的なのではない。
言葉をもてあそんでいるわけではない。
それが、その作者が追求し獲得したスタイルであり、表現方法だ。

明らかに凡庸な作品からは、美しさを感じ取ることが難しい。
明らかに非凡な作品からは、美しさの断片を感じ取ることくらいしかできない。
僕には。

美しいことは、ものは、言葉は、できごとは、限りなく存在する。
世界にも、心の中にも。
感じ取り、捕まえて、発酵させて、
叩きつける。
そっとそっと、丁寧に刻みつける。

今日も
どうにもならない凡庸さに陥る恐怖と闘いながら、
リアリティとか、肌感覚とか、
共感とか、常識的とか、
練り込みながら、悶えながら、
イマジネーションの虜になりながら、
イマジネーションの虜になりすぎないように振り返りながら、
一行一行、
一文字一文字、

魂を縫いつけてゆく。

いやいや、
そんな大業なもんじゃない。

考えすぎないように、
心の奥にいる誰だか知らない自分と対話を重ねながら、
ただ、ひたすらキーを打ってゆくのだ。

歌うように、歩くように、呼吸するように。


じゃ、また明晩!

WEBページでも字下げしようか?

先日たまたま、WEBページ(しかもWordpress上)に載せた小説の字下げが出来ないという相談を受けました。

ふだんKDPのような縦書き電子書籍ベースで活動していると、やっぱり小説の体裁は出来る限り紙の本に近いものにしたいと思いますよね。

僕も、Wordpressでこのブログを始めた時は、記事の文章も字下げしたいと思っていたし、特に小説だったら、やっぱり段落の始まりは字下げしないと落ち着かないものです。

でも、Wordpressで文章を書いていると、行頭に入れたスペースは勝手に削除されてしまうのですよね。書いている時はちゃんと字下げされて見えていても、保存する時にシステム側が勝手に削除してしまいます。

その時僕はいくつかの方法を試してみたのですが、Wordpress上に元から用意されている書式設定では、字下げをすることはできませんでした。

Wordpressの書式設定ボタン
WordPressの書式設定ボタン

この中に《インデントを追加》という機能があるのですが、これは見ての通り、段落全体を右に下げるものです。
(まさに、この段落がそうです)。

はい、もう皆さんは気がついてくださいましたね。そうです。今回の記事は段落の始めにちゃんと字下げされていますよね(よね? 自信なさげに……)。

これは、Wordpressの《css編集》機能でちょっとだけ書式をカスタマイズして実現しました。どうしてこれを思いついたかって? 答えを言えば簡単です。電子書籍のフォーマットはepub。そして、epubの中には《xhtml》というファイルが格納されています。これ、WEBページを作成するHTMLを拡張したものですから、中身はほとんど一緒なのです。epubの書式もWEBページと同様にcssを用いていますので、「これを流用したら、もしかして出来ちゃうんじゃなかろうか?」と思ってやってみたら、バッチリ出来たというわけなのです。

管理画面内、こちらのメニューから開きます
管理画面内、こちらのメニューから開きます

 

《CSSスタイルエディター》内で記述するのはこれだけ
《CSSスタイルエディター》内で記述するのはこれだけ

 

そして本文は、このようにPタグを指定して、記載します。

スクリーンショット 2016-07-23 20.30.23

この方法、別にWordpressに限ったことではありません。WEBページはHTMLとcssで作るのが基本ですから(あくまでも基本ですが)、いろいろなところで使える簡単なテクニックかと思います。

ただしこの方法は、あくまでもPタグで区切る。つまり、段落を変更する必要があります。そうすると、字下げをした時には必ず空行が一行出来てしまいますので、短い文章で頻繁に字下げしたいような場合には、残念ながら向かないでしょう。

もし、ブログやご自分のWEBサイトなどで字下げをしたくなったら、試してみてはいかがでしょうか?

では、本日はこれまで!

この記事がいつか、誰かの役に立ちますように!

ヘタウマとウマヘタのあいだに

○○をどうした方がいい。っていうことじゃないんだけど。
ただ、難しいよなあと思った。
誰もが目指しているところに向かって歩いているんだけど、その道筋はいろいろある。

ではまず、表題について自分なりにちょいと定義してみる。

1.技術的にはヘタだけど、センスがあって雰囲気が出ている。なんか良いよな、と思うのが、ヘタウマ。

2.技術的には上手いけど、センスがなくて面白みも雰囲気もない。つまんないなあ、と思うのが、ウマヘタ。

3.技術的に優れ、センスも良い。雰囲気と個性も備えていて、コレは良い! と思わずにいられないのが、ウマウマ。

4.ヘタだし、センスもないよな。どんなに頑張ったってダメなんじゃないの? と思ってしまうのが、ヘタヘタ。

──お伽噺風に、図示してみる。

その旅は、どこへ向かう?
その旅は、どこへ向かう?

 

ヘタウマなひとは、自分にセンスがあることに気がつかないことがままある。

ウマヘタなひとは、自分にセンスがないことに気がつかないことがままある。

ヘタウマなひとは、うまくなりたいと思うことがある。巧くなればもっとずっとうまくいくと、思いたい。
そのままの方が良いかもしれない可能性には、なかなか気づくことができない。

ウマウマなひとは、ただ、好きで続けていたらそうなったのかもしれない。他人の目から見てどんなに努力しているように見えても、
「楽しいからやってるだけだよ」って、
たくまず、力まずに言えるのかもしれない。

ウマヘタなひとは、努力の方向がずれているのかもって、気がつけないのかもしれない。

ヘタヘタなひとは、学ぶことを忘れているのかもしれない。自分を知るには他人を知るのが近道なのかもしれないとは、思わないのかもしれない。

ヘタウマなひとは、罠に落ちやすいのかもしれない。
──巧くなりさえすれば、という罠。


さあ、今のあなたは、今のわたしはどこにいるだろう?
そして、どこへ向かって行こうとしているのだろう?

まず、それを知ることから始めてみよう──か……。
(結論も、アドバイスも何もないけれど)

じゃ、本日のざれ言はここまで!