カテゴリー別アーカイブ: 僕を作ってきたもの

シリーズ打ち切り!

先週まで毎週火曜日に掲載してきた『僕を作ってきたものたち』というシリーズ。たった五回の掲載だったけど、編集部(そんなものはないです!)の方針により、打ち切りにあいなりました。

「過去のことはやめだ。未来に生きようじゃん!」
と、いうことですね。このシリーズはもう終わりです。

だってさ、僕がこうして過去の話をしたところで、何の肥やしにもならないでしょ。何者にもなれなかった《ただのおっさん──しかも、まだこれから何者かになろうとしてあがいているおっさん──の過去》が、何の参考になる? って思うと、もう何だかこっぱずかしいやら馬鹿らしいやらで……。
もちろん、何か突然面白い過去ネタを思いついたら書きますけどね〜。

何回か付き合ってくださった読者さん、ありがとうさまです。
さ、また新たなネタ探しの旅に出なくっちゃ、ですね!

では、また明晩!

僕を作ってきたものたち─005


ファンタジー好きとして、これは外せないよね。
そう、J.R.R.トールキンの『指輪物語』だ。
王道過ぎてぐうの音も出ないとはこのことだ。

僕はこれを、高校一年生の時に文庫本で読んだんだ。
(あ、もちろん、僕が最初に読んだ旧版はもうAmazonでは売られていないけどね)

ハリウッド映画になるずーーっと前(あはは、二十年以上前だよ……)で、周囲にファンタジーなんか読む人は誰もいなかった。本は、当時みんなの憧れの的だった美人の先輩が、なぜか僕にだけ貸してくれた。

初めて読んだ時は、とても陰鬱な印象だったなあ。面白かったんだけど、何よりも暗くてじめっとした辛くて長い旅程のイメージがとても強かった。でも、僕はこの本をきっかけに、ファンタジー作品を読むようになった。
大学に入って『妖精文庫』というシリーズを読み、A.ブラックウッドにはまったりした。
(いつ書かれた、どなたのページかも分からないけれど、妖精文庫の情報を書いたWEBページがあったのでこちらにリンクを貼りました)

そう、監修が荒俣宏さん、デザインが秋山道男さん、表紙絵はまりのるうにいさんという途轍もないラインナップだったのだなあ。その後、このシリーズを発刊した出版社はある事件をもとに倒産してしまい、他の出版社から続刊されたものもあるとか。
知らなかった──。

『孤独の王』を書いた時、当然のように意識の底には『指輪物語』があって、真似しないように、でも敢えてリスペクトというかオマージュというか、わざと指輪っぽい部分を作ったりしたものだった。
だけどよく考えると、この『妖精文庫』に収められていた数々の幻想作品もまた、大きな影を落としていたのだなあと、改めて思うのだ。

今どきの流行りものは今一つ分からないのですが、やっぱり『幻想文学』とか『ファンタジー』と言われると、もうなんというかそれだけで胸に迫るものがあるんだよなあ。

まあ、それだけなんだけど、ね。

ああ、また誰も面白くない文章を書いてしまったぁ──。

じゃ、また明晩!


(きゅるきゅるきゅる……)
(巻き戻しの音だな……)


そうそう、忘れちゃいけない。ファンタジーと言えば、エンデを外すことはできないな。
でも、それはまた、別のお話──。
今度ゆっくり、お話しましょ。


そうそうそうそう、
これも……忘れてもらっちゃ困るよねっ!


本書は、未知の古代文明ティオル王国の悲劇的な末路を辿る歴史書である。
ティオル王国民は独裁王による悪政にあえいでいた。美しき姫は父のよこしまな本性を知り、ついに袂を分かつ。
ティオル王国最後の数十年を辿る美しくも哀しい大冒険が、今、始まる!

(サイドバーにもあるのに、しつこくてごめんっ!)



辺境の地ワンガーでジュノレア姫らが知る意外な事実とは……?
ジュノレア姫一行がミーゼラの漁村へとたどりつき、異国へ渡る算段を整えようとする。一方、セニーロ少年はバローの森で達人ギャラーデの手ほどきを受け、弓人への道を歩み始める。
そしてついに……。



離ればなれになった主人公たちは再び出会う。ガエディオが、ギャラーデが、ジュノレア姫が、セニーロが、そしてローティが……。
愛、友情、憎しみ、戦い……、ティオル王国の姿と重なり合いながら、不思議な哀しい運命のねじれに誰もが翻弄されてゆくのだった。


と、いうことで、本当に今晩はここまで。

じゃ、また明晩っ!

僕を作ってきたものたち─004

『泉』ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1820〜1856)

The Spring Jean Auguste Dominique Ingres | Musée d’Orsay, Paris
The Spring Jean Auguste Dominique Ingres | Musée d’Orsay, Paris

高校生の頃、僕はこの絵に恋していたことがあった。
アングル展の車内吊り広告を盗んできて、部屋に飾っていた。

この絵はアングルがもうかなり歳を取ってから描いたものだったと記憶している。
だから、美しい少女を描いているけれど魅力に乏しいとか、温かみのない石のような肌だとか、言われることがある。

僕は、そうは思わなかったな。
この少女の不思議な表情を見ているだけで、幸せになれた。

その後クリムトやミュシャに恋する最初のきっかけが、この『泉』だったんじゃないかと思う。

こぼれ落ちる水、水仙も好きだ。
画面全体から溢れる透明感と清潔感は、作者が既に枯れていることの現われ?

まあ、でも枯れていたら高校生が恋しないよな。
(36年もかけて完成させた絵だったということも、ずっと忘れていたよ!)

何年か前、オルセーの近くに行く機会があった(つまりルーブル)。
ちょっと忙しくて、オルセーに足を伸ばすことは出来なかった。
この絵があることを知っていたら、きっと行っていたのになあ。

久し振りに目にしたけど、今見てもいいなあ。
表情が、目つきがね、ずっと見ていたくなるよね?

全然魅力を感じないって?
まあ、人それぞれだからね。
(魅力がないと書いた評論家は本当に魅力を感じなかったのだろうか??)

今、ふと気付いたんだけど、このページの(現在の)ヘッダを飾っている『太陽の子孫』のヒロイン、つばめちゃんの顔、ちょっと雰囲気が似ているかも知れないなあ。どことなく憂いを湛えた感じとか、髪形も髪の色も!
──え、似てない?

こりゃあ、失礼いたしました。

ではまた!

僕を作ってきたものたち─003

初めて買ったLPは、KISSの『ALIVE II』というライブ盤だった。
中学校一年の頃だったかな。

KISSとの出会いはラジオで掛かっていた『Rock And Roll All Night』だった。ポール・スタンレーでなく、ジーン・シモンズがリードボーカルを取っていた曲だ。僕はその曲をエアチェックして、来る日も来る日も聴いてた。
ちまたでは『Detroit Rock City』が大ヒットしていたけれど、僕はこっちのほうが好きだったな。

『Alive II』にはこの曲は入っていなくて、後日ALIVEも買った。お小遣いを頑張って貯めて。LP一枚で数ヶ月分のお小遣いだもん。

『Alive II』には好きな曲がいっぱいあって、でもなぜか、ピーター・クリスがボーカルの『Beth』とか、エース・フレーリー(当時の表記。フューレーと書いたアルバムもあった)の『Shock Me』や『Rocket Ride』(これはおまけのスタジオ録音曲)なんかがとても好きだった。
もちろん、針を落としたときの『Detroit Rock City』の興奮にはたいへんなものがあるけど。

その後好きになったQUEENといい、十代前半は洋楽といえばロックだったな。まあ、フォークかロックかカントリーしかなかったし、パンクはもっと後だし。
きっと、後にXTCを中心にした「ひねくれ系」やDepeche Mode(オールタイム・フェイバリット、ベストバンドの一つ!)に走る下地が、この頃からあったんだろう。KISSのメインストリーム系のヒット曲が好きだった友達は、ハードロック〜メタル好きへと成長していったからね〜。

今夜はそんな感じ。
どんな感じやねん?

(お伽噺を連載しているひとの書く記事じゃないな……)

いや、待て。

ジーン・シモンズはお伽噺好きなはずだ。何年か後に出たソロアルバムで、『星に願いを』をカバーしてたからね。
(この曲が『星に願いを』であることはずっと忘れていた。似たオリジナル曲だと思い込んでいた。僕もこの曲はカバーしたことがあるから、ここにも縁があったことになるなあ……)

そうそう、ジーン・シモンズは、『ウエストワールド』っていうマイクル・クライトン原作の映画と二本立てて公開されてたB級映画『未来警察』に主役級のマッド・サイエンティスト役で出ていた。素顔だった。おっさんだった。
今Wikiで調べたら、『未来警察』はマイクル・クライトン(Wikiではマイケル表記)が監督していたんだって。すごい繋がりだ!
そして、『ウエストワールド』はCGIを使った最初の映画なんだって!
この映画は面白かった。ユル・ブリンナー主演だし。
『ジュラシックパーク』の原点。恐竜の代わりにロボットがいるテーマパークが舞台で、閉鎖空間であるところ、ロボットの人工知能が狂って人間を襲うところなんか、まんま下敷きになっているような感じ。
これを中学校一年か二年の頃、厚木の映画館で観たんだよなあ……(どーでもいいっすね)。

マイクル・クライトンも大好きな作家の一人だし、かなり影響を受けていると思う作家だ。
いやあ、三つ子の魂百までじゃないけど、やっぱり子供のころの経験って何かしら残っているんだなあ。

しんみり──。

じゃ、また!

僕を作ってきたものたち─002

と、いうことで、このシリーズの二回目は美術編(?)です。

はい、ドン!

(一応、下書きから歓声(=完成)まで30分という制限をかけることで、ヘタクソなことの言い訳をしようという試み!)
(本当は本物の絵を入れようと思ったんだけど、やっぱり著作権上まずい? なんて思って、自分の落書きにしました。一応、下書きから歓声まで30分という制限をかけることで、ヘタクソなことの言い訳をしようという試み!)

長い言い訳キャプションを入れましたが(笑──

なんでこれが美術編かって言うと、実はこれで絵を描くことに目覚めたんですよね、僕。
小学生の頃、突如として沸き起こったスーパーカーブーム。そしてこの『サーキットの狼』の爆発的な大流行。

僕は毎日毎日この漫画の模写をしてました。それも、ロータス・ヨーロッパを中心とした車ばっかり!
人物はほとんど描いたことがなかったなあ。

ロータスにフェラーリ・ディーノ、ポルシェ・カレラなどなど、世界のスーパーカーをいっつも描いていました。きっと、ロータス・ヨーロッパなら今でも何も見なくても描けるだろうと思って描いたのが上の絵。あっはっは。何十年ぶりかで描いたけど、だいたいのデザインはちゃんと覚えてますね〜(ヘタクソなのは言いっこなしで! なんだこいつ、これでホントに美大出身なのか? ってのも言いっこなしで!)。
その頃は父親にカメラを借りて車の写真を撮ったりもしましたね。東京のあちこちのカーディーラーを、雑誌を見ながら一日かけて回ったりして。小学生が外車のカーディーラーに行って写真を撮るなんて、今では考えられないかもですよね。

で、それと前後して、モーターマガジンを買うようになり、これもまた世界の名車の写真を絵に描いてばかりいました。
イラストを投稿したこともあったけど、載りませんでしたね〜。小学生だから有利なんじゃないかと思ったりもしたんですが(笑

漫画は引き続き読んでいて、松本零士さんにはまり、メカやなんかを真似して描くようになり、女性の絵もこの頃から描きはじめました。でも、あまり描かなかったですね。未だに女性の絵は今一つ得意ではないし……。
(もちろん、手塚治虫さんも大好きだったし、石ノ森章太郎さん、高橋葉介さん、聖悠紀さん(超人ロック!)、それから少女漫画もかなり読みましたね〜。高野文子さんに出会うのはもっと、ずっと後ですw)

まあそんなわけで、『サーキットの狼』に出会っていなかったら、絵を描くようにはならなかったのかも?
なんて思ったりします。

僕を作ってくれた、『サーキットの狼』とスーパーカーブームに感謝!

いやあ、またアホ話で済みませんっ!

じゃまた明晩!

僕を作ってきたものたち─001

また、新シリーズ。
年の初めにDavid Bowieが亡くなってから、ずっとBowieの曲ばかり聴いていた。

それで、いろいろとBowieが僕にくれたものや影響を受けたことを考えていた。

その昔『オディティ デビッド・ボウイ詩集』を買った時、初めてじっくり彼の書いた詩を読んで、打ちのめされた。
もう、《歌詞》なんてもんじゃない。
《詩》だ。そりゃそうだよね、『詩集』だもん。
彼の詩はよく哲学的、と言われる。んー、哲学的、カッコいい。若い若い頃の僕は、そんな歌詞を(しかも英語で!)書きたくて、七転八倒したものだった。
1984年の発売だから、32年も前の本だ。
(わ、10代だわ!)
そうか、その頃は、詩の雑誌『鳩よ!』も買ってたなあ──。

『オディティ』の中でも、題名を聞いただけでその詩的な響きにやられてしまう名曲『フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年』(確か詩集では、「〜野生の瞳をした少年」だったんじゃないかなと思うけど、今、本が手元にないので分からない……)のPVを、ここに貼っておこうかな。
ラジオでエアチェック(死語すぎる!)して、いつも聴いていた曲。
(歌詞をコピペするのはいろいろと問題があるようだし──だからといってYoutubeのリンクならいいのか、な? まあ、みんなやってるけど……)

実際のところ、歌詞の内容を何も覚えてはいないんだけど、何というかもう、景色が見えてくるでしょ?
ね。

Bowieに影響を受けた曲を、きっといっぱい作っていたと思う。
彼の詩は、自分以外、人間以外の何か別物になりきってストーリーを語るようなスタイルも多かった。ひょっとして、僕のSF観も、Bowieの影響を受けているのかもしれないな……。

そんな、第一回でした。
(続くの?)

じゃ、また!