あわれ

つくづく、因果なものだなあと思う。

コブシの植わった庭がある。クリーム色の美味しそうなつぼみが膨らんでいる。
美しい花を愛でるために、人は花木を植える。

クリーム色の美味しそうなつぼみは、ほんとうに美味しいらしい。小鳥たちにとって。
ぼくの家の近くにあるコブシの木も、膨らみかけた蕾のいくつかがかれらの食料になった。

この家の庭の主は、それを防ぎたかったのだろう。
それはそうでしょうよ。家の庭のたった一本のコブシ。丹精込めて育てた木。

だから庭の主は、コブシをすっぽりと覆う網を掛けた。
あわれ、コブシの花は網に絡まり隠され、その美しい花姿の光を半減させた。
美しさを壊されないために、自らそれを壊す。
そんなものさと割り切るしかないのだけれど。

一方で、このユキヤナギ。
春を迎えて、小枝からはどんどん花が咲いている。
柵を越えて。
自由に、四方八方に伸びて咲き誇ってこそのユキヤナギだけれど、近いうちに剪定されてしまうのだろう。
近くには既に、柵を越えないように刈り取られた株も目につく。
歩行者の邪魔にならないことも、それはまあ、大事なことなのだ。

僕だったら全然構わないのに、むしろどんどん伸びてほしいのに!
と思う人間は、少数派なのだろうか?

あわれ。

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