あるひととの会話と。

ちょっと前に、「内輪って分からない」とつぶやいたことがある。僕は何十人ものセルパブ作家さんたちと、この一年半くらいで知り合いになり、本を読み、楽しみ、笑い、泣き、苦しみ、喜び、充実した時を過ごしてきた。だからといって、そのひとたちとぐるりと小さな環を作って閉じこもろうとなんて思っているひとはいない。

偶然知り合ったひとたちは、何かの必然を持って繋がり合ったのだと思う。内輪とか、なれ合いとか、そんなものでは断じてない。

リアルの友達は、こんなにたくさんいない。セルパブ作家同士が友達といえるかどうかはまだ判らないけれど、ある領域で理解し合い、尊敬し合い、高め合い、リアルの友達からは望んでもなかなか得られないものを貰ってきた。

と、思う。心から思う。

でも、リアルの世界と同じように、いや、顔が見えないだけそれ以上に、人間関係は難しいのかもしれない。

僕がセルパブ作家さんの本を読む時、結構ドライな取捨選択をする。つまらなければ、途中で止める。最後までどころか、数ページしか読み続けられない本もある。そういう本は、読み終わっても黙っている。良いものにもっと注目を集めたいという気持ちは、面白くなかったものを面白くなかったと言いたくなる気持ちより遥かに勝るのだから。
(これって、先日のラノベの話と矛盾する? いや、そんなこともないんだ。まだ判断がつかないし、読み終えるまで読むつもりだから。それに、その作品が今後読者を得るための邪魔にはならないようにと思ってる。好きか嫌いかなんて僕の中の問題であって、作品を悪く言うつもりは、決してないし)

あまりにもたくさんの面白い本が、いい作品が、あちこちに埋まって、隠れてる。だから、出来るだけたくさん読んでみたいと思うけど、そうもいかないし、読書傾向が偏らないようにすることも難しい。

それはそうだ。人には好みがあるし、それはそれで仕方がない。

そんな風にしてやってきた中で、何人かの大好きな作家さんができた。新作が出たら必ず読みたいと思う作家さんが何人かいる。もちろん積ん読の数も半端じゃないから、そうそう読めるものではないけど──。

 

自分の作品は、自分で宣伝するしかない。電書ちゃんやぽっきゅんや、日本独立作家同盟のお世話にはたくさんなっているけれど、それだって、まずは自分が動かなければ誰も気づいてはくれない。

そんなセルパブ作家をつないで文脈を作り、少しでも大勢の目に触れるようにいろいろな人が努力している。なかなか上手くいかない試みもたくさんあるけれど、その熱量ときたら、たいしたものだ。

セルパブ作家同士は確かに相互の読者であって、共依存の関係かもしれない。でも、誰だって本当は、世間の普通の本好きのひとに自分の本を届けたいはずだ。だから逆に、同じことをやっている人とは関わりを持ちたくないという人もいるのだろう。

せっかく尊敬できる仲間に巡りあって、様々な刺激を受け、もっといい作品を生み出したいと思っているのだから、そのエネルギーを使って、どうにかして一般読者に本を届けたいと思う。

これはきっと、そんな思いの流れる短い会話──。

「例えば似たジャンルの本に手を広げる時を思い出すと、面白かった本のあとがきで触れられている本には興味が湧きますね。それから、同じ出版社の同じシリーズの別作者。これは、出版社の編集部がキュレーションをしていた(今のことは分からないので過去形ですが)と考えると、納得できる気がします」

「僕たちがどうやって知り合いになって、互いの本を読むようになったのか。そこにヒントがあるような気がします。僕らは自分自身で自分の読みたい本をキュレーションして、自分の本棚に並べているようなものですよね」

「ジャンルや内容は違っても、そこにある共通の何か。次々と読みたいと思わせてくれる何か。ですよね。僕らがもっと周囲の人たちの本を読みたいと思うのは、やはり面白いと思うから。本屋で売っている本と遜色のない喜びを与えてくれるからなんだと思います」

「もっと具体的な何かがないと、読者には伝わらないですが、もっと、考えます。。」

もっと考えて、もっと考えて、届けたい。

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