ところで公募の「あらすじ」ってのは、何のためにあるんだろう?

調べれば分かることかもしれないけど、そうすると記事を書くモチベーションが落ちてしまうのでね、まずは自分の思うところを書き連ねてみようと思う。

あらすじは、客観的な概要を短くかいつまんで書くものだよね。
だから、作家の個性はほとんど現れない(表れない?)のではないかと思っている。文体とか、さ。

僕の考えた用途は、以下の四つくらい。

・受賞後に、または途中経過発表で作品の紹介に利用する。
・応募者が自分で客観的に内容を把握し直せるよう、応募前に考えさせる。
・下読み、または審査に回す時、それぞれの方に合うような作品を抽出しやすいように。
下読み後の作品は、審査員全員が読むのでしょうか? 応募数にもよるだろうけど。
・下読みの、または審査の負担を軽減するため、あらすじだけを先に読む。
それでつまらなそうなら、本編は読まない。

四つも可能性が思いつけるなら、まあ必要なものなんじゃないかとも言えるけど、最初に思ったのは、やっぱり四番目のものだった。これ、もしそうだったら止めていただきたいものだ。

僕の書くものは決してはそうではないと思うけれど、それをやられちゃうとどうにもならんというタイプの作品があると思うんだ。素晴らしい文体、美しい描写、深い人物造形に哲学的な掘り下げ、など、あらすじの文章からは想像できない魅力ってのがたくさんあるよね。
でもそれを、応募作のあらすじに書くわけにはいかないもの。キャッチコピーじゃないんだからさ。

特に純文学系の作品などは、あらすじなんかじゃ絶対に分からないと思うし。
でしょ?

作者の力量は、1ページ読めばそこそこ分かると言われてる。
であれば、作品をちゃんと読むかどうかを決めるのにあらすじは不要だ。最初の1ページを読めばいい。そこをおろそかにしてる応募作はないだろうし、審査員にとっても読む時間は変わらないだろうしね。

まあ、ちょっとした独り言、だけど。
だけど、ってね。

ではまた明日!
エビネルさん、盛り上がってるんだから)

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *