読書の愉しみ、二つの連載小説

僕は今、毎日2種類の連載小説を交互に読んでいる。知っているひとは知っているかもしれないけど、ある新聞の連載小説だ。

これが、あまりにも対照的で面白い。かたや、小説を読む喜びに満ち溢れたとってもすてきな純文学作品(仮にAとしよう)。一方もう一作は、エンタメ系風なのか文学風なのか分からない顔つきだが、ストーリー展開がすべてで、文章の味わいは置いてきてしまった、ようなもの(仮にBとしよう)。いや、きっとそうではないんだけど、僕にはそう感じられてしまう、もの。

Aのストーリー:200字に要約するのは難しい
Bのストーリー:簡単に要約できそう

そもそも、

A:要約してもその良さが伝わらない
B:要約を読めばだいたい内容が分かる

そんな調子だ。

A:いつ読んでも、どんなお話でも、楽しめる。味わえる。先も気になるけど、お話としてはいつ終わっても納得できる
B:物語が動いている時だけは面白い。説明や描写が気取りすぎだったり定型的過ぎたりして、筋に直接関係ない文章は楽しんで書いていないように感じてしまう

面白いのが、挿し絵も不思議と対照的なのだな。

A:味わいがあるが、うまい絵ではない。主に心象風景が描かれているから、何の絵なのか気にしなくても味わえる
B:その日の話の1シーンを切り出して、克明にリアルに描いている。だから、それ以上でもそれ以下でもない

だからどうだっていう話でもないんだけど、創作しているあなたは、どっちを目指したいですか?
AとBはどちらも超有名作家さん。きっと、同じくらい売れているし、評価も高いし、ファンもたくさんいる。だから、僕の読み方が単に穿ったものなのかもしれない。

《ハリウッドのアクション映画VS単館上映の芸術映画》
そこまでの違いはないし、当然、ハリウッドのアクション映画の中に芸術的な味わいを持つものがある。
Bの中にも、美しい描写(風のもの)があるし、行間を読ませようとしてる表現もなくはない。でも、僕の心には何にも引っ掛からないんだな。それでも、話の先が気にはなるから、読まずにはいられない。なんか、ゲーム的?
Aはね、一行読んだだけで不思議な幸せ感が流れ込んでくるんだ。ああ、今日もこれを読んでよかった、って。

別に、芸術家気取りになってるとか、文化的云々とか、そんな積もりは全くないんだ。ただ、話を追うためだけに小説を読むのは淋しいし、そういう読まれ方しかしないような物語を紡ぐのは嫌だな……。そう、作者サイドからもそう思ったという話。
僕は、実を言うと伏線てのがあまり好きではない。凄いなぁと思うこともあるし、それが感動に結びつくことも(稀に)あるけど、多くの場合はその巧んだ姿勢に醒めてしまう。あ、そ。と思ってしまう。あ〜よく考えたね、凄いね、って。
だから僕には、凝りに凝った構成のお話は書けないし、ミステリー作家には向いていないだろうなぁと思う。読者にそこまでを含めて味わってもらえる自信がないし。

テクニックはなくても、読んでいて楽しく、せつなく、かなしく、嬉しくて、美しく、醜くて、胸に突き刺さるものがあり、お腹の奥にずーんと残るものがあり、いつまでもその空気に浸っていたくなるような小説を、僕も書いて行けたらいいな。(贅沢過ぎるかしら?)

日々そう思わされる、この二つの読書なのです。

じゃ!

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