オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-2

3年契約、アルバム3枚という条件でデビューしたにも関わらず、レコード会社は手のひらを返した。次は売れるものを作れ、作れなければセカンドアルバムはない。そう宣言された。
当然のごとく、売れるものなんて作れなかった。世の中で大売れしている作品は、僕には無関係な世界のものだったのだ。そんなもの、逆立ちしたって作れるわけがなかった。バンドの中で、僕の作品の比率が下がって行った。自分の音楽ができないなら、続けても仕方がないと思い込んでいた。僕を天才だと無責任に持ち上げた人が、「このままじゃ、きみ、ダメになるよ」と囁いた。
そして僕は、皆に呆れられながら解散宣言をしたのだった。僕のわがままで。

それから、また僕は自分らしい音楽をどんどん作って売り込んだ。でも、もう評価はされなかった。《売れなかった実績》を首から下げた音楽家なんて、誰が売りたいものか。
僕は別のレコード会社を回った。何社も何社も回った。気に入ってくれた人もいたけど、やっぱり売るとなると話は別だった。「話を上に通せない」、それから、「事務所が見つからないから」が常套句だった。売るためには売れる曲を書いてくれ。それで終わった。僕には、オリジナルであるということ以外、何もなかった。きらりと光る才能は、もうすり切れていた。やんわりと、もう来なくていいと言われた。

僕の中には売れるためのメソッドは何もなかった。売れ筋っぽいものを創るためには何が基本なのか、何もなかった。分析? 研究? 知ったこっちゃいないよ。そればっかりはどうにもならなかった。もちろん、それを試みたことだってある。でもね、全然ダメだった。ダメになるばかりだった。
「きみは何のために音楽やってるの? 今のきみの音楽には何もないじゃない」
そうやってまた一人、僕を評価してくれたプロデューサーが離れていっただけだ。

だから、それを知った上でひねくれるなんて離れ業は、そもそも僕の脳からは生まれてくるはずもないのだ。それでも、僕はこの創作姿勢を変えることはできない。

事務所が見つからないなら自分で見つけようと思って、今度は売り込み先を音楽事務所に切り替えた。デモテープを送りまくったら、興味を持ってくれた事務所が一つだけあった。どんどん新しい曲を書いて、そこへ持って行った。自分が作りたい曲を作って。
楽しんでくれた。君の曲が好きだ、是非売りたい、そう言ってくれた。
でも、時間が経つにつれ、言葉の雰囲気が変化していった。
そして、
「売ってくれるレコード会社が見つからないんだ」
それでも僕は日参し続けた。

そしてあるとき、急に言われた。
「君の音楽からは、人生観が感じられない」

もう、どうでもよくなっていた。メジャーは止めよう。時間の無駄だ。そう思うようになっていた。ちょうど、インターネットによる個人による作品の発信が少しずつ増えはじめていた。
僕は、アマチュアの頃から持っていた自分のレーベルで音楽を売りはじめた。でも、ポップスは売らなかった。怖かった。映像用のBGMを大量に書いて、どんどん発売した。お小遣い程度の収入にはなったけど、虚しかった。感謝のメールが届いたりして嬉しかったけど、虚しかった。
歌を作りたかった。でも、もう自信がなかった。

ちょっとした田舎に引っ越した。周囲には音楽スタジオもなかった。歌うことを止めた。声も、出なかった。
それでもやっぱり、歌を作りたかった。歌いたかった。
仕事のこと、家庭のこと、色々なことがあって、精神的にどん底になっていた。

【つづく】

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