作家は透明な存在であるべきか、色付きの存在であるべきか。

ああ、素人作家が大きなこと言ってるよ、と、
笑いながら読んでくれれば嬉しい。かな。

色のない作家の作品など、誰も寄り付きはしない。
人間味、人間性、正直さ、真っ当さ。
非人間味、非人間性、大嘘つき、悪らつさ、計算高さ。
見栄よりも、明け透けな個の開陳。
裸の個性。
頭脳と感性。

出来事にプラスされる、それらの要素──。

作家の個性の透明度はどのくらいだと良いのだろう?

アイデアなど、どうでもいい。とは言わない。
でも、
本当に個性的で誰にも思いつかないようなアイデアなんて、
そうそうありはしない。
それを追い求めることも必要だけれど、
それがなければ書けないなんてことは全然ない。
決してない。

大事なのはアイデアではない。と思っている。
そのありきたりなアイデアを、
作家というフィルターを通した時にどんな素敵な物語に昇華できるか──。
そういうことなんだろうと思う。

誰の目で読んでも、小説の文字は一緒だ。
でも、心に残る内容はそれぞれ違う。
誰の目で見ても、世界の出来事は一緒だ。
でも、その出来事が意味していることは、幾通りも幾通りもある。
それこそ、無限にある。

三題噺のように、取っ掛かりだけを用意して色んな人が書けば、当然全く違う物語が生まれるだろう。
でも、完全に同じ内容を書いても、
出来上がる物語は作家によって全く違うものになるだろう。
同じ内容なのに、
喜劇になり、
悲劇になり、
テーマも全然違ったり。
長さもまちまちだろうし、
本当に同じ内容を書いたのかすら、
分からないものも出来上がるだろう。

それが、たくさんの、
いろいろな個性の創作家が存在できる理由なのだ。

美術も、音楽も、文学も、舞踏も、ゲームも、創作と名のつくものは全て、
表現者の個性によって初めて魅力が与えられるものなのだろう。

(今日は散文だか詩だか分からない、変な記事だった──)

じゃ、また明晩!
(いよいよ、新連載開始か──!?)

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