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挿し絵を《容量の軽い》扉絵データにするために、加工しよう。

はい、どうも!
ついに終わりましたよ、挿し絵が!

と、言っても、描くのが終わったという話です。
結局2枚をいちから書き直し、6枚を部分的に修正しました。
本日全ての絵をスキャンし、扉絵にするための加工を始めたところです。これがまた、手間が掛かるんですよね。電子本のデータができるかぎり重くならないようにしたいので、白黒2値のGIF画像にしても汚く見えないよう、明るさなどを調整しています。

今日は、挿し絵などを入れる場合に参考になるかもしれない簡単な画像処理の話をしてみましょう。
では、まず見本を貼りますね。

元のイラストをスキャンし、そのまま扉画像としたもの。画像の大きさは、Kindle用の表紙画像サイズと同じ2,560×1,600ピクセルとしました。

標準画質で保存したJPG画像。データは141KBあります。
標準画質で保存したJPG画像。データは141KBあります(もちろん、ここに貼った画像は縮小したものですが)。

これでは紙の色が暗くて変ですので、明るさを補正します。いろいろなやり方がありますが、今回は「レベル補正」を用います。例はPhotoshopですが、GIMPやKRITA、メディバンペイントでも同様の機能はあります。

Photoshopの「レベル補正」
Photoshopの「レベル補正」

一番右の白い部分が、紙の色(明るさ)を示しています。このグラフの下にある白い上向き三角が、《これより明るいものは無視して》という設定です。紙の色より左側に持ってくることで、それより明るい色は全て真っ白になります。
それだけだと絵の線までつられて明るくなってしまいますので、真ん中の灰色の上向き三角を右に動かします。これはグレーレベルといって、《ここの明るさをグレーとします》ということです。もっと明るい部分をグレーと解釈させることで、黒い線をぐっと締めることが出来るわけです。

せっかくなので、メディバンペイントで「レベル補正」をしたところのキャプチャも用意しました。

メディバンペイントの「レベル補正」
メディバンペイントの「レベル補正」

見掛けは違いますが、考え方は同じです。入力側の右端にある三角を左にずらすことで、紙の色を白くします。線の色を黒く締めるために、真ん中の三角を(こちらの場合は)左にずらします。メディバンペイントの場合は入力と出力に分かれているので、「入力されたグレー値はもっと暗いです」と教えてあげることで、暗い側をより暗くします。
(専門的な説明ではありません。あしからず)

ついでにGIMPの画面も。GIMPでは、名称が「レベル」です。こちらはPhotoshopとほぼ同じですね。さすが、フリーのPhotoshopを目指しているソフトだけのことはあります。

GIMPの「レベル」
GIMPの「レベル」

さて、では次に保存です。
いろいろな端末で、パッとページが開くようにしたいので、出来るだけデータを小さくします。先ほどのレベル補正済みデータをJPG標準画質で保存すると、約141KBでした。これを、JPG最低画質で保存してみます。ほとんど白黒の画像なので、画像の荒れは気にならないはず!(画質が分かりやすいように、大きく載せますね)

レベル補正後、JPG最低が質で保存
レベル補正後、JPG最低画質で保存。ファイル容量は約90KBです。

これで、約90点の画像を入れると8MB。これで充分だと思う方もいるでしょうが、もっとずっと軽くできます。最も軽くなるのが、GIF形式です。線画イラストなので、思い切って白黒2色のみのデータにしてしまいます。つまり、中間のグレーを全てなくしてしまうわけです。線を滑らかにするためのアンチエイリアス処理※も掛かりませんからアップで見るとがたがたになりますが、解像度が高い画像なので心配はいらないでしょう。

白黒2値のGIF形式で保存。ファイル容量は40KB
白黒2値のGIF形式で保存。ファイル容量は40KB。ぱっと見て、違いは分かりませんよね?

※「アンチエイリアス処理」という言葉を聞いたことがない方のために、アップ画像を並べてみますね。

上、アンチエイリアス処理あり。下、なし。
上、アンチエイリアス処理あり。下、なし。

電子書籍を読むとき、挿し絵をここまでアップにしてみる読者はいないでしょうから、原寸ではまったく分かりませんし、むしろくっきりして見やすかったりする場合もあります。

では、本日はここまで!

カラー画像にはまた別のやり方がありますが、もしも参考になれば幸いです。

じゃ、また明晩!

表紙に理想的なサイズはない!

本日、作家のくみた柑さんからのツイートを読んで、驚いたことがあった。Amazon KDPの出版者用サイトにある「カタログ・表紙画像の作成」コーナーに、こんな記述があるというのだ。

そう、Kindle用の推奨表紙サイズが、また変わってしまってるという。
先日の記事で書いた推奨サイズは1,563×2,500ピクセルだったけど、新しい情報を見ると、これが変わっていた。縦横比は1:1.61で、1,590×2,560ピクセルが推奨サイズとなる。これまでより若干大きくなったことに加えて、わずかに縦長になった。そして、これまでよりわずかに黄金比に近づいた。

なんでなんだろう?
こんなに微妙に変えなくても、黄金比ピッタリにすればいいのに。とも思うけど、ちょっと調べてみた。
新しいKindle Paperwhiteの画面サイズは1,072×1,448ピクセル。比率で言うと、1:1.35だ。まあ、よくあるパソコンの画面比率に非常に近いもので、Kindleの表紙比率とは何の関係もないように思えた。まあ、例えば画面上の本棚に並んだ時のレイアウトとか、そのあたりも関係しているかもしれないけど、ね。

と、いうことで、またまた釈然としないのだ。でも、これは逆に言うと、比率なんて別にどうでもいいということなのだ。A版、つまり文庫本などの比率(白銀比)が好きなひとはそれで作ればいいし、パソコン画面の比率がいいと思う人はそれでいい。黄金比がきれいだと思う人はそうすればいい。それだけなのだ。

画面(=表紙)の中で、
《書籍のタイトルやイメージが魅力的に見えること》
そして、
《手に取ってみたいと思わせること》
これが一番大事なんだから。

新しい比率の三分割法デザイン用テンプレを用意したので、もし使いたい人はこちらのリポジトリーからどうぞ。ちなみに、大きさこそ違うけど、見た感じではまず前回のものとの違いは分かりませんよ。

では、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

山田佳江著『ボタニカルアリス』を読んだ件

何を隠そう、AR関連の小説にはあまり没入することができない。仕事でARコンテンツ開発をやってるせいもあって、数年後の未来までは見えているんじゃないかと思っている。で、その先は、現在の延長の技術では越えられないハードルが存在していることを知っている。そこが、知識としてのサイファイと現実の境界だ。
一般世間の人が思っているARより先が見えていても、いや、だからこそ、だろうか……。(もちろんそれを越えていくのが技術の進歩なのだけど、)それにはあまりにも大きなブレークスルーが必要だから、サイファイの中で繰り広げられるAR的な出来事には違和感が大きくなるばかりなのだ。

だから、ARを扱った小説にはその辺りの説得力が感じられなくて、どうにも冷めてしまうことが多い。
特に、これでもかとIT知識を捲し立てているものに対しては、そこへの抵抗感がどうしても大きくなる。
ARは嘘を吐くための方便なのだから、「ファンタジーでいいっしょ」と割り切って書いてくれればいいのだが、《こんなに詳しいんだぜ》とか《説得させよう》《知識でねじ伏せよう》《科学的にこんなすげー予測してみた》みたいなものが透けて見えてしまうものは、読んでいて正直ツライ。
あんた、そこまでガチガチに理論組んどいてさ、その子供みたいなファンタジーは何よ? そもそも予測のバランス悪いし、そのズレに気付かないでえらそーな顔しないでよ。となってしまうのだ。(まあ人のことは全然言えないけど)

さて、前置きが長くなった。

山田佳江さんの『ボタニカルアリス』には、それがない。
全然ない!

かなり荒唐無稽な設定もあるけど、全体としてバランスが整っていて、楽しく納得できるファンタジック・サイファイになっているのだ。主人公が美男でないというのも好感が持てる。あ、これは関係ないか?
物語も設定も無理せず、美味しいところを上手くつまんでいる。中編という長さも丁度いい。理屈に流れず、ストーリーと人物が主役の座をきちんと守っているのだな。

人工生命、AR、デザインド・クリーチャー。そして、近未来のネット世界。植物園という舞台設定も申し分ない。
植物園舞台のサイファイというだけで、こりゃもう傑作間違いないだろ。と思って説明文も読まないでポチってしまったのは僕だ。大当たりだった。
最新ぽいキーワードで構築された世界観が、とてもセカンドライフっぽいのはご愛嬌。なんだか可愛らしささえ行間に漂っているんだもの。

とても楽しい三日間を過ごさせていただきました(読むの遅い!)。
あの大御所の例の作品より読後感は良かったなあ。何しろ、無理のあるところも無理のないようにホンワカ読める文体に五つ星、かな。

みなさん、コレはお薦めですぞ!

この表紙、さっきリンクを貼っていて気がついたんだけど、ARのイメージになってるんだ。バラの花に重畳表示された人物(上下逆?)。これ、山田さんだったりして?
あ、ちなみに、重畳ってのはAR用語なのかな? 同じ位置に重ねて表示するってことですね。

ではまた!

読後感の解説?:フクチカズアキ著『Hotel New Alabama』を読んで。

いつもどおり、はじめに断っておきたいのだけれど、これはいわゆる書評やレビューではないんだな。実は、今回はさらに一歩先に行ってしまう掟破りを強行するから、もう感想ですらない。

じゃあ何だっていうと、こういうことになる。

《フクチカズアキ著『Hotel New Alabama』を読んだ僕がずっと感じていた世界を使って、小品にまとめてみた》

だったら二次創作? っていうとそういうものでもない。
じゃあ何?

小説の世界観の中で僕は作者にもてあそばれ、自由自在に転がされていたんだけど、その心地よさの中で、ずっと僕の頭を支配していたヴィジョンがあったのだ。それはなぜか、小説の内容とはまるで関係のないもので、そこに出てくる世界も小説の提示してくれた不思議な世界とは大きく異なるものだった。異なるというより、何の関連性もないものだったのだけど、物語を味わうこととはまた別の次元で、僕の心はある風景の中に放り込まれていた。それはとても独特で不思議な体験だったので、そのイメージ自体を書き残してみようと思った。
だからこれは、『Hotel New Alabama』とは一見何の関わりもないし、感想にもなっていないのだ。でも、この物語を読まなければ、僕の中にこの世界が生まれることは決してなかった。だから、これはやっぱり、僕にとっての『Hotel New Alabama』の読後感なんだな。

さて、本題は縦書きで、BiB/iによるePubで味わってもらいたい。僕とフクチカズアキ氏の共作を読むような感じでね。
(フクチさん、勝手なことを言って済みません!)
 

『波』
 

あ、ちなみに、僕が普段書いている物語はこんなに曖昧模糊としたものではなく、どちらかというとシンプルで読みやすいものになってるんだけどね……。


 

さて最後に少しだけ、『Hotel New Alabama』の内容にちゃんと触れておかなきゃね!

そこは、《消滅》したい者が訪れる場所、ホテル・ニュー・アラバマ。そこを訪れた者は、存在が元からなかったことになってしまうという。主人公はその謎を解明するためにその場所にやってきた、はずだった。彼女を迎えるホテルは、どんな要望にも応えてくれる。そこで働くのは同じ顔の男たち。そして出遭う、それぞれに秘密を抱える宿泊客たち。
謎がどんどん深まる中、殺人が起こり、主人公は強制的に交替させられる。エピソードはプツリと切れる。

本の最後の1%まで、秘密は解き明かされない。結末や仕掛けをあれこれ想像して読むほうが面白いのか、僕のようにただただされるがままになって読むほうが面白いのか、それは、この本をこれから手に取るあなたが、自由に決めて欲しいな。

惜しむらくは、誤字脱字をもう少し減らしたい。
(いや、決して多いわけではなく、多分僕がそういう部分に目の行きやすい体質なだけなんだと思う)
内容は本当にとても良いと思う。面白くて気が抜けなくて、上手いなあ〜と。

多くの方に読んでもらいたいなあと思う本が、僕の本棚にまた一冊、増えたのだ。

すぐにスカウトしないと手遅れになるかも! ヤマダマコト作『山彦』を読み終えて

「諸君、カネだ! 大金が目の前で野ざらしになっているぞ」ヘリベマルヲ氏が人格OverDriveでそう書いたのにも大きく頷ける大傑作。それがヤマダマコト氏の第2作目、『山彦』だ。

僕は上中下の3冊とも有料で入手したけれど、この内容、ボリューム感で考えると非常にお得な買い物だったと断言できる。書店で買えば、三千円は下らない商品価値があるだろう。

度肝を抜かれるようなどんでん返しや突如として足元を掬われる大仕掛けはあまり用意されていないけれど(いるよ、とも言える)、物語のうねりそれ自体が圧倒的な熱量で膨らみ、押し寄せてくるのだ。凡ゆる不可思議な出来事をごく自然に納得させられる筆力が、それを可能たらしめている。

物語が進行するに従い、超常現象の数々が、ごく自然なリアリティを持って眼の前に提示される。読者は主人公の須見と同化し、それらの現象を《現実のものとして》信じざるを得ない状況になる。そこには超常現象を単なる小道具として用いた小説に見られるチープさは微塵もない。須見のジャーナリストとしての“自分”はそれを否定したいが、それを実際に目撃してしまった以上、疑いを挟む余地はない。他の人間にしてもそれは同じだ。一般人も警察官も、そして読者も、眼の前の現実を淡々と受け入れるしかない。

だが、それでこの小説が荒唐無稽なSFやファンタジーに変質することはない。良質なファンタジック・ミステリーとしての軸がしっかりと保たれている。世界にパラダイムシフトを起こすことはなく、超常現象やそれによる事件は世の中に《よくあるゴシップ》として消化されていく。その流れの作り方が秀逸で、あ、これならたしかに現実世界が一変するようなことにはならないなと、安心させてくれる。だが、そのしっかりとしたリアリティを保ち続けたままで、物語は非日常へと逆に激しく突き進んでいくのだ。

そして最終章、消化されていった非日常に、物語の傍観者でしかなかった主人公の須見が戦いを挑むことになる。その結末は記されないが、不安の中にワクワクする期待感を潜ませながら、物語は終焉を迎える。奇しくも、別の軸で物語を支えた警察官の橿原は、『自分は傍観者でしかなかったのだ』と感慨を抱えながら事件の終息を客観視していた。
一方で須見は、山彦と同じ視点を持つことによって、最終的には傍観者でいることを許されないのだ。ただの巻き込まれの構図とは異なる、ポジティブな須見の行動が、不思議と爽やかな感動を呼んだ。

エダカであるフミの変化、色々な意味での開眼も効果的だ。ふくよかな余韻は、フミの変化によるところが大きいだろう。(何しろフミがたいへんに魅力的だ。あとがきによれば、最初、この人物は男の子だったそうだ。女の子に変更したのは大成功だったろうと思う)

改めて、ヤマダマコト氏、ただものではない。この1作で小説家としての存在を確固たるものにすることは間違いがないだろう。ただし、商業出版関係者の目に留まれば、だが。

読書前感想文という荒業

さて、読書感想文→読書中感想文、と来たら、当然次は読書前感想文ですね!
行きまっせー。

発売前に商品のプロモーションを行なうのは商売の基本ですが、インディー作家たる者、作品のプロモーションをどこまで商売として考えるのかは難しいところ。
宣伝宣伝せず、売らんかなという感じを与えないで、でもそれとなく作品をアピールしつつ、新しい読者を呼び込むために個性的なトピックもちりばめつつ。あぁ何て難しいんだろう!

で、その好例となっているなあと思ったのが、新潟文楽工房ヤマダ氏のこのブログ。ご本人はきっとプロモーションの積もりはなくて、身辺雑記としての新作進捗報告。きわめてプライベート感溢れる記事が、好感を呼びます。そして、一見関係のない記事から自作へと引っ張る滑らかな足場作りが効いています。

・まずはあれですね、値段付けに悩んでいるという記事が意外に面白い。分冊化という話で「これは大長編だな」感も演出。
その悩み方がまた合理的で、しかも「いい人」であることがバレバレ。
ここで、さりげなくサンカ小説という言葉が登場してます。(さりげなくてスルーしてました)

・通常記事としての読書レビューでもサンカ小説に触れ、「何、そのジャンル?」と興味をそそります。
(もちろん、僕は「山窩」という言葉自体が初耳で、ヤマダさんが当たり前のようにその言葉を使っていることに、「俺って無知? やばいの?」感を募らせるわけです)

ちゃんとタイムラインに沿ってブログを読んでいれば、最初のサンカ小説レビューで新作がサンカ小説であると分かるのですが、そこはほら、あっちを読んだらそっちを読んで、というのがブログ読みのお作法で。僕の場合はまず「サンカって何?」から入りましたから。

・で、記事を追っかけていくと、ヤマダ氏の新作がサンカ小説であるという記述にぶつかったわけです。
「あ、面白そう」と思わされてます。

・さらに、その雰囲気を表現するのに表紙画像を作っているという記事でビジュアルでも責めます。(あ、これはほぼTwitterでしたが、苦手な画像処理に一生懸命になっている姿に、僕なんぞもう……)

・そして、リリース告知記事と直後の無料キャンペーン記事。
「読もう」と思っていただけに、じゃ、無料キャンペーン開始前にポチってしまえ!
と、まんまと術中にはまってしまいました。(改訂後なのでご安心を)

今日は、なんのことはない電子書籍ショッピング記事でしたねえ。

僕はいつも新作発表の前には表紙画像について色々とブログに書いていましたが、肝心の小説の内容をロクに告知していなかったなあ、と反省しきり。
同ジャンルの本をレビューして、ジャンル自体に興味を持ってもらうというのも離れ業だなあと感心しました。
値付けもそう。一般的にはKDPで460円(三冊合わせてだけど)というのは《強気》と思われてしまいがちな金額。これを、ブログ読者が納得できるように、悩みながら書いているのがいいですね。しかも、僕の『孤独の王』より10円高いのに、なんだかお得にすら思えてしまう。
この感じ、後の人の参考になりそうですよね。(って思うでしょ?)

あ、最後に紹介しておきましょうね。新潟文楽工房ヤマダマコト氏の新作、『山彦』発売中ですよ!

 

(今回は何の役にも立たなかったかな……。「淡波、これでブログ読者を失う」とはならないことを祈って!)

電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−3

このシリーズも三回目を迎えました。項目立ても7つめとなります。さ、いよいよ少しずつ核心に迫っていきましょう。
今回のお題は【コンテンツ】。

7.入手性

《電子書籍》
・欲しいと思った本はすぐに読書端末から購入、読み始められる
→電子版がなければ、そもそも入手不可。待ってもだめ
→Amazonには電子化リクエストのボタンがあるが、これは「出版社に伝える」だけ。当然、電子化に向けた進捗も分からないし、どれだけの意味があるのかユーザーには全く見えない
→書店で欲しいと思った本の電子版があるとは限らない
→読書できる端末を持ち歩いていなければ、お金を持っていても買えない、読めない

・一旦電子化されれば、廃刊になることはほぼない。と思われる。
→データを提供しているプラットフォーム自体がなくなれば、そこに依存する全書籍は購入不可能に

《5/22 追記:
日本独立作家同盟の鷹野陵さんから、ご指摘が入りました。

鷹野さん、どうもありがとうございます!
商業出版の厳しさを垣間見た思いです。
具体的にどんなケースがあるのか教えてもらわなきゃ!》

・データのコピーは困難
→DRM保護のデータは言うまでもなく、保護されていないデータでも独自形式になっていることが多く、簡単にはコピーできない
→著作権のあるデータはコピーされないことが前提なので、デメリットにはならない
→形式、プラットフォームによるが、(法律で許容される)引用の難しいケースも

《紙本》
・書店にあれば、すぐに買える
→営業時間に、欲しい本の在庫がある書店に行ければ……
→携帯端末を何も持っていなくても、お金さえあれば買って読める

・行きつけの本屋さんを作れば、取り置き、取り寄せも融通がきく
→支払いの自由度もありますね。月末にまとめて払ったり
→新刊が出たことを知らなくても、好みの作家さんを覚えていてくれる本屋さんもあったり!
→カバーとか、キャンペーンのプレミアムなどのおまけを付けてくれることも
→雑談相手にもなったり!

・WEB上の書店で購入すれば、概ね翌日に配達される。コンビニや駅でも受け取れる
→Amazon Primeのように即日配達の仕組みもある

・電子化を待たなくても発売日に入手できる

・いずれ廃刊になる可能性が高い
→廃刊になっても書店に在庫があれば買える
→中古市場が成熟しているため、廃刊本でも手に入れられる可能性はある
(ただし、古本で価値のあるもの)

・図書館にある
→なければ購入リクエストも出せる
→高価な本も無料で読める

・コピーするという入手方法もある
→読みたいところだけ、コピーを取っておける
(図書館、友達、など:法律で許容される利用範囲にとどめましょう)

うむ。電子書籍が圧倒的に有利かと思って書き始めましたが、意外にそうでもないですね。功罪取り混ぜて、一刀両断には出来ない複雑さがありますし。

 

8-a.品質(ものとして)

《電子書籍》
・製本や製造に起因する乱丁、落丁はない
→制作者のミスは論外として!
→論外でも、制作者のミスに起因する乱丁、落丁を防ぐシステムはない。読者からの指摘を待つのみ

・他人の手垢が付いていたり、立ち読みにより傷むことがない
→ずっと読んでいても、自分要因の劣化もない。データは常に新品同様

・ディスプレイのドット抜けがあると読書体験を阻害
→それほどのドット抜けがあるという話は聞いたことがありませんが
(あ、これはHWですね、コンテンツではなかった……)

・どんなに長い本でも1台の端末に収まるし、端末の重さも変わらない
→当たり前だ
→辞書も内蔵されていたりするし!

《紙本》
・時に乱丁、落丁がある
→逆に希少本として価値が出ることも

・お菓子をこぼしたりして一旦汚れると、きれいな姿には戻らない
→図書館で借りた本にはありますね
→一方で、自分で汚した場所は、そこに思い出が宿りますね

・長い本ほど重くなる、大きくなる、字が小さくなる、冊数が増える
→700ページ超のハードカバーを持ち歩くのは大変!
→大辞典系も持ち歩きは無理!

好き嫌いもありますが、若干電子書籍が有利?
8-b.品質(中身)

《電子書籍》
・まさに玉石混交。商業作家とセルフ作家の作品が並列で
→商業作家と変わらないクオリティの小説がある一方で、小学生の作文レベルのものも置かれている
→最低限の審査システムがあった方が良いのではないか、との声も
(ex.KDPやKWLの担当者が、必ず1ページだけ読んで確認するとか……?)

・紙で出版できない長さのものもじゃんじゃん発行できる
→数十ページ程度の掌編小説でも1冊として出版できる
(前項と似てますが……)

・内容に対する審査が存在しないため、どんな内容の本でも出版可能(?)
→差別表現、著作権の侵害なども基本的にノーチェック?
→暴力や性描写の激しいものが(米国で)出版停止になったという話は聞いたことがありますが
(これは、表紙や紹介文から「危ないな」と思われたものを運営サイドがチェックしているのでしょうか?)

《5/22 追記:
こちらにもご指摘いただきました。

鷹野さん、ありがとうございます!
その通りでした。楽天で出版するとき、あとがきや著書紹介にAmazonへのリンクが貼ってあると、出版されないことがあるようですね(iBooksや他のストアは未経験なので分からないのですが)→この追記を書いた後に上に貼った鷹野さんの別のツイートに気付きました……。
僕の『孤独の王 分冊版』では、楽天とAmazonで発売中という表記にして、双方ともリンクを入れました。この場合は、問題なく出版されました。出版したい全プラットフォームへのリンクを並列で入れるのはどうなんでしょうか?
でもきっと、アップルの審査は通らないのだろうけど……》

・内容のメンテナンスが可能
→出版社が発売する電子書籍の場合は、やはりデータ修正〜出版に至るコストが無視できないほど大きいため、めったなことでは修正版が出ることはない
→個人が発売するものの場合は、間違いに気が付けばすぐに修正し再出版可能。内容のアップデートも可能。
(ここに大きな可能性がある!)

《紙本》
・書店売りの本は出版社の厳しい目を通して売り出される商品
(もちろん、自費出版本は除く)
→だからといって、どんな作品でも面白いとは限らない
→著名作家でもとんでもなく酷い本がある
(それでも売れてしまうのか!)

・有名作家のものは多大なコストを掛けて出版・宣伝を行なうため、優良誤認がはびこる
(そのコストを回収しなければならないので)
→売ってしまえばつまらなくても勝ち、という価値観が売る側にあるのか?
→これはどんな商品にでも当てはまることですが、ね

・差別表現、著作権侵害など、倫理的に許されないものは基本的に出版されない
→出版社側が意図して行なう場合もある

・内容のメンテナンスは困難
→「改訂○版」が出るのは、よほど売れている本で修正が必要になったか、内容が社会的に(会社的に)まずかったものに限られそう

さあ、どうでしょう?
これは皆さんが考えてみてください、ね。
すっかり長くなってしまいました。まだまだ話題は尽きませんが、今回のメリデメ合戦はこの程度にして、ちょっと考えをまとめてみます。
「これまでの記事とあんまり関係ないじゃん」というリアクションが聞こえてきそうですが、気にしないことにします。
あくまでもセルフ作家視点でのお話ですが、電子書籍を盛り上げたいのは出版社さんとも変わらないかな、という思いで、以下のまとめを書いてみましたよ。
そうでもないかな……。

【中間結論】

電子書籍は玉石混交。特にセルフ作品は「所詮素人の書いたもんでしょ」と思う人が多いのも事実。せっかくクオリティの高い本があっても、そこに消費者を注目させるのは本人の自助努力に委ねられています。
また、内容が素晴らしくても誤字脱字が多ければ、その素晴らしさもレベルダウンが必至。商業小説が遵守している“日本語の書き表し方の一般ルール”すら知らないで書かれている小説も多いでしょうし、「そんなもの不要だ。小説はもっと自由なんだ」との主張を頑なに守っているセルフ作家もいます。確かに言葉は生きていますし、時代につれてどんどん変化しています。でも、同時代を生きる読者に、無名作家が作品を問うのですから、まずは同じ基礎(地面)の上に立っていなければならないのではないかと僕は思います。

電子書籍全体のイメージアップのためにも、セルフ作品の品質の底上げが必要ではないかと思いますし、内容の推敲までは作家に任せるとしても、校正のレベルでは他者の目が欲しいものですね。

僕が思っている解決法の一つは、セルフ作家同士が発売直後に(理想的には発売前に)相互に作品を読んで、校正をし合うものです。それが運営側からシステムとして提供されるのが本当の姿ではないかと思うのですが……。出版社が校正マンを雇う経費を考えれば、遥かに小さな費用で構築できるのではないでしょうか?
実際に作業をするのは作家同士、運営側はシステムを提供するだけです。

電子書籍は作家に入る印税率が大きいことで注目されますが、運営側に入る印税も決して小さな割合ではありません。多くの世界で、原価は売価の3割程度と言われます。製造から販売までの経路が3段階あれば、各工程の原価は売価の1割程度でしょうか。
例えばAmazonKDPでは売価によって3割〜6割5分を運営側が得ているわけです。つまり、自ら製品を製造しているメーカーと同じ以上、または通常の販売店の売り上げを上回る利益率です。(必要経費はきっと小さいのでしょう……)
商品開発・積極的営業も不要で、作家自らどんどん作品を販売棚にのせてくれますしね。

そこで、サイト上にセルフ作家だけがアクセスできる発売前の書棚領域を確保し、そこから各人の端末にDLして校正するというのはどうでしょう。アクセスの履歴を残し、作家同士が自発的にやり取りして校正し合えば、運営側の負荷は僅かなものになりますよね?
技術的にはあまり具体的なアイデアではありませんが、現在のシステムを少しだけ拡張すれば、充分構築可能なのではないかと思います。(米国Amazonでは何だかそれに似た(?)システムがあるような、ないような……)

電子書籍について、というより、“電子書籍によるセルフ出版について”になってしまいましたね。
さて、まだ続きますよ。次回は【価格】【保存性・保管性】で火花を散らしてみましょう。

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

では!

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あるセルフ作家さんへのラブレター

Twitterでたくさんのセルフ作家さんをフォローしています。(僕はあまりたくさんフォローしていない方だと思いますが)
作品を気に入った作家さんも何人かいて、「もっと読まれていい小説だ」「もっと知られていい作家さんだ」と常々思っています。僭越ながら勝手に校正のようなことをしたり……(ウザいと思われちゃうけど)

自己出版の人気を底上げし、そのクオリティを知らしめたりクオリティアップに僅かでも助けになろうとすることは、結局自分に返ってくるとの思いもありますから。

さて、今回の記事は、あるセルフ作家さんへのメッセージ。でも、それは一人宛てではなく、この記事を読んでくれた方に、「自分も当てはまるな」と思って頂ければいいなと思って書く記事です。だから、具体的に作品名や作家名は出しません。
(でも分かりますよ、きっと→これで分かるということは、その作品の知名度が大したものだ、ということですよね。ある意味裏山)
なぜ、これを書こうと思ったかというと、「あ、これをこうすればもう少し読まれるんじゃないか?」という気付きがあったからです。それがその作家さん個人だけに当てはまることなら、TwitterでDMを送れば済むのですが、よくよく考えると、これは他の方にも当てはまることかなと。

内容です。前置きが長くなりました。

あなたは自分の作品に略称を付けていますね。とても良いことだと思います。真似したいですが、まだそれに相応しい作品がないので。。
『壁色のパステル』→『カベパス』間抜けすぎ
『さよなら、ロボット』→『サヨロボ』間抜けすぎ
『孤独の王』→『コドオ』意味なし
『ケプラーズ5213』→『ケプ5』なんか吐きそうでしょ
『そののちの世界』→『ソノセカ』あ、これはOK? でも作品イメージにはそぐわないなあ。
(あ、ぜひ呼びたい、と思ったら、使ってみてくださいな)

で、その作品は略称で親しまれているし、ご自分でもそう呼んでいますね。僕は昨晩たまたま、Amazonでその略称を検索しました。結果、なんとその作品が検索結果に出てこないのです。これ、だめでしょ。せっかく浸透している愛称を、検索ワードに入れないと損ですって。
これが一つ目のメッセージ。是非、略称・愛称を検索ワードに登録してください!

第二点。
あなたのブログでは、よく自作について言及していますが、一つ大事なポイントが抜けていることに気が付きました。きっと、全てがそうではないと思いますが、最新の記事では抜けていました。(さあ、どなたかお気付きでしょうか?)
このブログでは、どなたかの作品に言及する時は必ず(抜けもありますが)その作品の販売ページや紹介先へのリンクを埋込みます。記事に数十件のアクセスがあれば、必ずそのリンクを踏んでくれる人がいるからです。
そして、《できる限り手動で外部リンクを埋込むこと》はWEB記事の基本ですよね。これが今どきのSEOの基本だとどこかで読みました。検索エンジンでヒットしやすくなるコツの一つですよね。

そうです、あなたのブログでは、せっかくの紹介にリンクが張られていませんでした。僕はあなたのAmazonページに飛ぶ時、「あ、あそこにリンクがありそう」と思ってブログを訪れ、そこで振られました。そして略称で検索し、振られました。もちろん、著者名で検索すれば一発なんですが、たまたまあなたの作品の表紙に魅かれ、略称に目を留めた人が販売ページに来てくれる確率が、確実に少しだけ下がってしまうのではないかと心配しているのです。

作品名にはすべてリンクを埋めましょう。きっと、踏んでくれる人がいますよ!

いかがでしょうか?

もし、少しでもお役に立てれば幸いです。

あなたの作品が、もっと多くの読者に届きますように!

では!

これは古典だ、傑作だ

牛野小雪さんの新作にして大作『ターンワールド』を読了しました。牛野さんらしく淡々と捩れていく世界にからめ捕られ、仕事で猛烈に疲れていても読むのを止めることが出来ませんでした。
読書中も気持ちは盛り上がり、その世界にどっぷりと浸かり、最後まで気を抜けない作品でした。

“が、”

ただ面白いというのではなく、これを読了した自分と、どう折り合いをつけたら良いのか悩む作品なのでした。作家仲間の新潟文楽工房ヤマダ氏も仰っていましたが、『ターンワールド』は読み手によって全く解釈の変わる作品だと思います。

一言で言えば、《自分(という思い込み)を捨てに行くロードムービー》のような小説です。僕も若い頃、バックパッカーをしていたことがあります。数ヶ月間、テントとギターを持ってヒッチハイクの旅をしたものです。泊まるところがなくて野宿し、野犬(僕の場合はディンゴ)の恐怖に怯えたことも、雨の中、心優しい牧場主に救われたこともありました。だから、主人公の旅が、とりわけリアルに迫ってきました。

でも、主人公が旅に出る先は、不思議に不思議さのないパラレル・ワールド。捩れた旅は、どんどん捩れていきます。
僕は自分のことを“感覚派”だと思っていますが、小説を書いていると、どんどん理詰めになっていきます。アイデアを膨らませたり普通に執筆する時は感覚の命ずるままに、登場人物の喋るままに話が進みます。でも、一旦物語の構成に意識がいくと、まるで理系の研究者のように、何もかも合理的につじつまが合っていないと気が済まなくなり、架空の時代考証やイメージ内のSF考証にやたらと時間をかけたりしてしまいます。きちんと納得の出来る世界を構築できるまでは、どうしても筆を進められなくなってしまったりします。

『ターンワールド』を読んでいて、この手のワナに何度もはまりそうになりました。この作者はこの世界をどうやって構築しているのだろうか、このエピソードの裏には何が潜んでいるのだろう、この不思議な世界の成り立ちはどうなっているのだろう、と。実は、自分の中では牛野さんの提示するこの世界は“こういう事情で出来上がった世界である”と半ば想定しながら読んでいました。SF作家の悪い癖です。(あ、もし僕がSF作家なら、ですが)

ところが、物語は理詰めの解決を見ることなく、どんどん、どんどん、ひたすら先へと進みます。伏線だと思っていたあれこれが、次々に裏切られていきます。あれよあれよという間に物語の終盤が迫り、そして、意外な結末を迎えるのですが、その結末は僕にとって、本来は受け入れ難いタイプのもののはずでした。

しかし、読後感は極めて良いものでした。充実して、感動とすら言える強い感情がじんじんと沸き立ちました。

僕は、芸術作品には2種類しかないと思っています。

観賞し終わって、徐々に心の中での評価が落ちていく作品と、
観賞し終わって、更に評価が上がっていく作品です。

『ターンワールド』は、間違いなく後者の作品です。これは、古典だ。文学だ。そして、傑作です。僕はそう思います。セルフ作家と商業作家という垣根は、もう存在しないのかもしれません。

いえ、最初から存在しないのでしょう。

読者にとっては、ね。

電子書籍ってやつを、改めて考えてみた−1

日本独立作家同盟の鷹野凌さんをはじめ、本日Twitterで少々話題になっていた「電子書籍のどこがいいか」的なネタ。これまでに恐らくたくさんの人が同じことを書いているのではないかと思いますが、僕なりに、改めて考えてみました。紙の本との比較をしてみましょう。
(電子書籍は主にハードウエア《Kindle》を想定したものです。「電子書籍」という呼び方自体も賛否両論あるようですが……)

では、第一回の本日は、まず【表示系】から

1.字の大きさ

《電子書籍》
・拡大できる
→遠視(あくまでも「遠視」)でも読みやすい
→字を大きくするとページをどんどんめくるのが快感だったりもする

《紙本》
・拡大できない
→不用意に紙面をこすっても邪魔なUIが出ない
→ページが固定されているので、読んだ量、残りの量が分かりやすい

そう、「できる」「できない」いずれもメリットでした。

 

2.紙面の明るさ(電子はライト有り限定で)

《電子書籍》
・明るくできる
→暗いところでも読める

《紙本》
・明るくできない
→暗いところでは読めないので、目に優しい

はい、こちらも両者それぞれメリットですね。

 

3-a.表示能力(固定表示)

《電子書籍》
・解像度は決して高くはない
→文字に多少のジャギーを感じることがある

《紙本》
・解像度は非常に高い
→とてもきれいで読みやすい

紙本に分がありそうです。
よく、印刷に近い解像度、という触れ込みのディスプレイがありますが、それは事実ではありません。一般的に写真やイラストなどの画像は350〜400dpiが印刷適性解像度です。それなら、たしかにRetinaディスプレイは印刷同等ですね。画像を見る限り、300dpi前後あれば人間の目でドットを感じることはまずありません。が、この解像度はラスターデータの基準です。
ディスプレイ上の文字は白黒二値のデータで再現されることが多く、特にeインクの端末ではアンチエイリアス処理も期待できません。そのため、画像と同じ解像度で表示した場合、ドットは感じられなくとも、どことなくぼやけた印象になったり、角度の浅い曲線のエッジがジャギーになったりします。
一方、印刷における文字データは三次曲線で表現されるベクターデータですので、紙面上に印刷される文字の解像度は、(印刷前工程におけるRIP処理機の性能などにもよりますが)2,000dpi以上になるでしょう。これが、印刷の文字が非常に滑らかできれいな理由です。

 

3-b.表示能力(固定表示:書体)

《電子書籍》
・変更できる
→美しく読みやすいことが重要なので、変更できること自体はメリットにはならない

《紙本》
・変更できない
→ブックデザイナーが考え抜いて選んだ、美しく読みやすい書体。
その本の内容にも合っている

紙本の勝ち!

 

3-c.表示能力(固定表示:書式)

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