同じ助詞の連続って……どうなの!?

例えばこんな文章があるとして。

《広場でみんなで話し合いました。》
「で」が連続しているけど、不自然な感じを受けるひとはどのくらいいるのかな?

僕はこういう《同じ助詞の連続》が好きではないので、出来る限り避けるようにしている。
最近、新聞を読んでいると、こういうことを気にするひとが減っているのかな、と思う。「の」の連続や「で」の連続は記事の中で当たり前のように出てくるし、「読み難いなあ!」と引っ掛ってしまう僕のようなタイプはあまりいないのかな、とも思う。
もちろん、例えば「の」の連続は文法的に何もおかしくないし、自然に読める場合もいっぱいある。必要があれば3回連続だって問題はないのだろうけど、僕としては出来る限り避けたいんだよね。
避けようがない場合もあるけど。

主格に続く「が」「は」、目的格に続く「に」などはさすがに連続使用されていないようだけど、どうなんだろうか。

言葉は生きているので、これは乱れとか日本語力の低下とかっていうものじゃなく、こういった表現を許容する時代になってきている。ということだったりするのかな?

でも、僕はやっぱり気持ち悪いので、解決法を考えてみたりする。
例えば、冒頭の例で見ると、こんな書き方があるかな。

・広場で、みんなで話し合いました。
 ・広場にてみんなで話し合いました。
 ・広場に出てみんなで話し合いました。
 ・みんなの話し合いは、広場で行なわれました。

最初の解決法は読点を挟むだけ。三行目は動詞「出て」を追加。四行目は順番を入れ替えて品詞の変更もしている。
(「話し合いました」=動詞 ⇒ 「話し合い」=名詞)

だから何だっていうことはないんだけど、ちょっと表現の単調さに囚われてしまったり、助詞の連続で読み難くなってしまった時には、案外色んな書き換えが出来るんだなぁ、という小さな感慨。
僕の場合、(心の中で)音読して読み辛い文章があると、こうやっていろいろな案を出してみたりする。前後関係や文脈や文体を鑑みて、一番しっくりするのはどんな表現かなっていうことが、いろいろと書いてみることで見えてきたりする。
勢いだけで書いてしまった時、内容は面白いのにつまらない文章になってしまった時には、こんなやり方があるかなあ、なんて、自分への覚書として──ね。

僕は若い頃、公的な文章(役所に出す分厚い報告書の類い)を毎日毎日書いたり校閲・校正したりしていたことがあるので、きっと細かいことに目が行ってしまいがちなんだろうと思う。それにプラスして商業印刷物の制作にも深い立場で長いこと携わっていたし──。

まあ、気にしない人、気にする人、いろいろでいいんだと思うけど、と思う今日この頃(過去のトラウマが染みついているだけだったりするのか……?)

ははは。

じゃ、また明晩!

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