推敲・校閲・校正。知らなかったことがいっぱいある。

もう一つ白状しよう。

僕は最近まで、推敲、校閲、校正の違いをよく分かっていなかったのだ。だから、Kindleで校正なんて記事も書いてしまった。(ずーっと前の記事だけど)
正しくはKindleで校閲なんだな。この違いがくっきり分からないあなたは、先月までの僕と同じさ!
推敲という言葉も、実はずっと使ったことがなかった。やりとりのある作家さんが推敲という言葉を使っているのを見て、その語感がカッコいいな、と思って使い始めたほどだから。
僕の中では、文章を直すことは全部ひっくるめて校正だと思っていたんだ。痛い事実だ。
(盗用にならないよう今回改めて辞書は引いていないので、間違いがあったらそっと指摘してくれると嬉しいな)

推敲:作品を制作する行程で、ストーリーの矛盾や齟齬を拾い上げて修正したり、完成度を上げるための行為。文法や用語用法の使い方はこっちにも含めていいかな。

校閲:作者としてはいったん完成形になった作品、つまりエンドマークを打った作品の誤字脱字やいろいろな間違いを修正するために行うもの。文法的な間違いや用語用法などの誤用チェックもメインはここではないかな。

校正:これは、校閲を行なって赤字を入れた原稿と、修正結果の出力などを突き合わせて、修正漏れがないか、間違った修正を行ってはいないかを確認する行為だ。

混同されてしまいがちなこの三者だけど、全く違うのだった。

《7/16追記:辞書的な意味をもう少し補足すると、校閲は「しらべ見ること。他の人の文書・原稿などに目をとおして正誤・適否を確かめる」となっている。校正は、「文字の誤りをくらべ正すこと」というのが第一の意味だ。(いずれも広辞苑より(第三版だけど))
解釈によって二つの言葉には重なる領域があるし、文字面は校正、意味は校閲。と、取れなくもない。いずれにせよ、その言葉をずっと使っている業界などでは、そこでの慣習・常識・理解があるだろうし、それを間違っているというのも間違いだろうな。僕はただ、自分が使っていた言葉のズレ感に驚いたんだな。それで、その思いを書き留めた程度のことだと、考えてくれたらいいな》

クライアントのために画像や映像を作る仕事をしている関係で、校正という言葉は日常的に使う。色校正とか、文字校とか。以前制作ディレクター(なんて曖昧な職業名だろう!)をやっていた頃も、やはり《校正》に親しんでいた。親しみたいものではないけどね。
クライアントの書いた赤字があって、それが正しく修正反映されているかどうかを見るのが校正なわけだ。そういった意味では、自分の側や中に正解があるクライアント自身は、校正でなく校閲という言葉を使うのが正しいのかもしれない。
僕がADとして画像に書き加える赤字も、本来は校閲と言うべきなのかな。どうもしっくりこないけどね。

まあ、そんなこんなで、電子書籍セルフ出版における制作工程で、校正という言葉を使う機会はあまり多くはないのかもしれない。
以前は僕も必ず紙に出力して赤字を入れていたけど、最近は短編が多かったこともあってKindle校閲しかしていなかった。
でも、大長編を書くときはやっぱり、紙に出してボールペンで赤字を入れるスタイルが一番良いようにも思うかな、自分の場合。
家族に読んでもらうにしても、紙の方が嫌がられないしね……。

さて、創作の上では何の役にも立たないネタだけど、皆さん、《言葉》が大好物だと思うので、ちょっとでも楽しんでいただけたらいいなぁと。(ニヤリとするひとが10人くらいはいてくれるんじゃないかと密かに思っている……)

校閲校正の段階でコピー用紙を1パック使い切った(もちろん両面使って)、『孤独の王』は、Amazon Kindle Store で絶賛発売中!

(見ると読みたくなるブックトレイラーを貼ってみた)

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

SEOについて少し書いてみる

これを読んでくださっている方の多くは、すでによくご存知なのだろうとは思いつつ、改めて少しだけ書いてみようと思う。ちょうど、前回の記事に登場した言葉だし。SEOのこと。
初めに断っておきたいのだけど、これはあくまでもド素人の所見。詳しい方から見たら「何じゃこりゃ?」と思われる記述もあるだろうし、「これを参考にしたのにブログのアクセスが増えなかったよ」と言われても責任は持てないので、そこはご承知の上でお読み頂きたい。

SEOとは、Search Engine Optimizeの略、つまり検索サイトでいかにページがヒットするように最適化するか、というテクニックだ。

今から数年前、それは高度にビジネス化していて、SEOは即ち《コスト投下による即時性のあるビュー数獲得法》だった。SEOこそがウェブサイト成功の鍵だとも言われていた。アメリカではこれが進みすぎて、検索結果でトップになるためのありとあらゆる裏技が開発され、専門業者が乱立していた。SEO対策コストの切れ目がビジネスの終焉を意味するところまで来ていたという話まであった。

そのお陰で、検索結果トップに表示されるのはエンドユーザーが求めた結果ではなく、検索されたい側の経済力を示すものに成り下がっていたというわけだ。検索エンジン側もその状況を良しとしていたわけではないし、騙す騙される、裏をかく、対策するのイタチごっこが延々と続いていたらしい。

僕はこのブログを始めるとき(そう、このブログはまだ始めてから1年も経っていないヒヨッコなんだ)、アクセスを増やすにはどうしたら良いのかと人並みに考えた。本格的なSEO対策まではいかなくとも、検索エンジンに少しでもヒットしやすい《仕込み》が必要だと思っていた。二十年前なら、それはメタデータに被検索語を連ねることだったけど、それは全く効果を伴わなくなって久しい。
では、今どきの基本は何だろうと調べていたら、いくつかの重要であろう要素が浮かび上がってきた。

それが、ここに上げるポイントだ。

・ページの本文中に含まれる《脈絡・意味のある》言葉が検索される
・生きているページである
・広がりを持つページである

つまり、こういうことだ。

検索されるキーワードは、そのWEBページの内容と密接な関係を持っていなければならない。記述された本文の内容こそがキーワードになりうるのだ。そして、ページは頻繁に更新されていなければならない。放置された固定ページは、検索の対象から外されていく。もう一つが、外部へと開かれているということ。つまり、本文中に記述された生きた言葉が、外部サイトへのリンクを持っているということだ。これは広告のバナーなどではなく記事の内容こそが外部へと開かれていることを意味している。

僕が使っているこのCMS、つまりWordPressのプラグインに、SEOを司るものが数々あるらしい。そのうちのいくつかは、自動的に本文中のキーワードとおぼしき言葉を拾って、勝手にリンクを貼ってくれる。これは便利、と導入したいところだったが、どうもこれはNGらしい。SEOについて調べる中で、このような自動リンク機能は今どきの検索エンジンには嫌われるというのだ。検索エンジンは記事内に貼られたリンクが自動的に貼られたものか、人手によって丁寧に一つずつ貼られたものかを判断してヒット順位に反映するという。
それって本当なのか? とも思ったが、まあ難しいことではない。これはSEOなどというものではなく、読者のために行なうべきものなのだ。
自分が調べものをしながらサーフィンしているとき、自動でリンクをバンバン貼られたページを訪れることがある。ちょっと気になる言葉があって、そこにリンクが埋まっていたらそれをクリックしてみる。そうすると、大抵はその言葉の《辞書的な意味》を解説するページに飛ばされるのだ。その記事のコンテクストとは全く関係ない解説に。
それはあんまりだろうと思う。ブログの運営者として、読者に追加の情報を与えるために貼るのがリンクじゃないか。それをCMSの機能に頼ってクソみたいな情報を読ませるなんて、そんなサイトは願い下げだ。

(この記事からはSEOの解説には飛ばしませんよ。だって専門家が書いた記事と比べられたくないですもんね)

と、いうことで、今日もチクチクと記事を書き、飛んで欲しい先へのリンクを貼る淡波です。

《7/15追記:
早速、WEB解析士の資格を持つというヘリベマルヲ氏からご指摘を受けた。僕の理解はかなり古いという。まあ、テクニック的なことはさておき、考え方としてはヘリベ氏のいう「どんな些細な部分にも全体の意図にもとづく必然性があるべきだ」と変わらないのではないかと思う。読んでくださった方、どう思ったかな? 僕も言いたかったのはそこなんだけど、ちょっと言葉が足りなかったかも。そこは、淡波の考えはこんな感じだ、という程度の読みにして欲しい。ヘリベさんの記事にはちょっとよく分からない技術的な? 記載があったけど、そこも調べて知識にしなきゃとも思う。でも、そこまで学んでもどうか、とも思う。でも、これじゃダメだよ、って言われているようなので、やっぱり調べなきゃ?
(ちなみに、僕はヘリベ氏との距離を取ったつもりはないし、すり寄ったこともない。ただ、僕は少なくともヘリベ氏の味方になりたいと思ってきたし、彼は愛すべき人柄だと思う。でも、それを受け入れては貰えないことも理解している。このブログにはセルフ出版と無関係な人も結構来てくださるので、全く意味の分からないような内容もまた、避けたいな、とは思っているから、距離を置くような感じにも見えるかもしれない。それから、日本独立作家同盟のことは、これからゆっくり自分の目で確かめたいと思っている)》

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

「作品ページを更新しました」のお知らせ

ようやっと、というか、とうとう、というか、今更という感じがしなくもないのですが、作品サイトに『そののちの世界の』のページが仲間入りしました。
最初の作品である『夜啼く鳥』をリリースしてから6か月以上が経過していますが、何とかWEBページ公開まで来ました。いや〜、ここまで長かった。

少しでも作品を読みたくなるようにと考えて工夫した、今回のポイントはこちら。

・全作品の試し読みをBiB/iで用意。
(もちろん、Amazonさんの試し読みよりもちょっと多め!)

・ランキングのついている作品について、最高位を記載。SF・ホラー・ファンタジーに再分類していただいたお陰で、金冠がつきましたからね〜!
(しかし、売れていない作品もバレてしまう諸刃の剣であった)

・表紙やブックトレイラーの制作中に生まれたCG画像をまとめて掲載。Twitterなどで見そびれてしまった淡波CGファンなあなたのために!(誰もいないぞ……)
→もちろん、CG好きな人がたまたま検索で辿り着けるように、キーワードを散らして。

・今までにいろいろな方からいただいたレビューや感想をまとめて掲載。Amazon上のものは(レビューを書いてくださった方と知り合いではないケースが多いので)タイトルとリンクにしています。

・各作品のページには《概要》のほかに、《気になるシーン》と題して試し読みでは読めない部分の一部を抜粋して載せてみました。試し読みの後が気になる方がいるかもしれませんし!

まだまだ工夫が足りないとは思いますが、まずはここで公開しておくことにしました。やはりSEO的には《生きている》ページが強いわけなので、まとめて更新してそのあと放っておいてしまうスタイルはよろしくないですもんね。
これからもちょくちょく手を入れて行きたいなあと思います。他の既刊本ページも含めて。

さーて、この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

同盟のセミナーに参加しました

《同盟のセミナー》と書くと、なんだか怪しげな自己啓発セミナーのようですが、そうじゃありません。僕が一般会員として参加しているインディーズ作家のためのNPO法人、日本独立作家同盟が主催するセミナーの第三回目、『大原ケイ「日本の作家よ、世界に羽ばたけ!」』に参加してきましたという報告です。
(本日はですます調で)

最初に言うと、世界に羽ばたくためにはまず《英語に翻訳された本があること》が条件。それがなければ《世界に羽ばたきたいからこのセミナーの内容を知りたい》という作家の希望に応えてくれるものではないということを、お断りしておきましょう。

僕は同盟のセミナーに参加したのが初めてだったので、それを置いてもためになったことがたくさんありました。(第一回を家庭の事情でドタキャンしたのが本当に残念!)

心に残った言葉、参考になりそうな言葉を残しておきましょう。自分の記録も兼ねて。
まずは大原ケイさんのセミナーから。

■(アメリカでは)どういう本がダメなのか

・「絶世の美人」「美少女」キャラや、「紅一点」のグループ
→美人という個性はないよ。どんな美人なのか、どんな人間なのか、それを描かなければ何もアピールしない。
(それを描くのが楽しみなんですよね!)
→男女平等観点、ポリティカルコレクトネスの観点からも、男の中に女が一人というのは、日本で受けても世界的にはNG。
(『孤独の王』のパーティーは女性が二人だ、よし)

・微妙なこころのひだを描いた「ふわっ」とした感性
→これは、日本人の感性にのみ受けそうなものではダメ、ということかな。海外の文学でも微妙なこころのひだを描いたものはありますよね。だけど、それを受け入れて貰うためには、文学として相当高いレベルにあることが求められるのだと理解しました。当然、それはメガヒットするようなものでもなく、《読者の個人的な体験》として少数の読者の心にじんわりと残るものになります。だから、アメリカの出版社は食指を伸ばさないし……ということなのでしょう。逆にインディーズ電子書籍なら、それができるのではないかと思いますが。(高レベルの作品を書いて、それを英語化できれば、ですが)

・「高齢化」「少子化」が社会の標準であるという思い込み
・「日本人はスペシャル」説
→これ、どちらもポリティカルコレクトネス観点からNG。日本の常識は世界の非常識というやつ。これをきちんと書けなければ、世界に出られない。「?」「なんじゃこりゃ?」となってしまう。

では、
■どんな本なら売れるのか

・編集者の答えは“Great Story”
→正解はない。とにかくすごく面白いストーリーを、皆待っている。

そして、ヒント。

・フィクションなら王道の「成長譚」
→まあ、これは小説を書いているひとなら誰でもご存知の基本ですよね。
(僕はそれに反撥して《成長したはずなのにねじれていく主人公:『孤独の王』のセニーロくん》を書いたりしますが、それが王道になれない部分なのでしょうか……w)

・日本ぽくても日本ぽくなくてもいい
→とにかく面白ければ、ということ。例に上げられていたのが「おしん」。
とても日本ぽいと思いがちですけど、アジア・中東圏で相当受けたというのは記憶にありますね。ああいった構図は万国共通。いじめ抜かれて苦労して苦労して成長していく姿に、誰もが涙するのですものね。
逆に、日本ぽいモノ、(僕の理解では、いわゆるジャポニスム)が受けるというのは単なるコチラ側の思い込み。『SAYURI』がヒットして芸者モノがたくさん書かれたけど、柳の下にドジョウはいなかった。芸者が受けたのではなく、成長譚、Great Storyだから受けたんだよ、というお話でした。

では次。第二部の
“映画監督 ヤン・ヨンヒ氏、株式会社ボイジャー代表取締役社長 鎌田純子氏と、編集者の西野由季子氏を交えたトークセッション”から。もちろん、大原さんも一緒です。

「世界一の嘘話を読ませて!」
鎌田氏。
→すんごいホラ話を書きたいな! そう思います。

「孤立の孤にならず、個を大事にしながら繋がっていく」
ヤン氏、大原氏。
→同盟の趣旨・活動が素晴らしいと仰ってました。小説を書いていると、個人作業だけにとかく孤立しがち。自分の個性を大事にしながら、情報交換・意見交換・相互批評などなど、繋がりは大事だよ、ということ。

「デジタルによる自立を大事にしながらコミュニケーションを大事にする」
ヤン氏。
→「編集ソフトを使えるから編集ができるわけじゃない!」と映像コンクール応募者に激怒したというエピソードを話されました。まさにその通り、と思います。ワープロで文字を打てても作家にはなれないよ、と仰ってました。
大事なのは道具でなく《何を、どうやって表現するか》ですよね、当然です。
《形を作っただけで表現できた気になってはいけない》。改めて心に刻みます。

「人の話を聞いたからといって、自分が消えるわけではない」
→これはどなたの発言だったか、ちょっと覚えていませんが、ヤン氏だったかな。
こういう言葉には勇気づけられますね!

全体を通じての感想として残ったのは、
「世界の入り口は英語である。そして、それはアメリカである。世界中に読まれたかったら、まずは英語でアメリカに読まれるものを」
「本当に面白い物語は世界共通である」
「文学は(少なくともアメリカでは)エンターテイメントの一分野である。エンターテイメントとして磨き上げなければ世界に出ることは困難」
「書くことは『心のパンツを脱ぐ』こと」→その通り!

身が引き締まります。


そして、一つだけ残念だった点、これは僕自身のことです。

理事長の鷹野凌さんとは挨拶させて頂きましたが、他の方とは一言も交わすことができませんでした。これは僕の性格なのでしかたがないのですが、懇親会ではぽつんと一人になってしまい、数分で退場してしまいました……。
例えばもし、よくあるビジネスセミナーや展示会のように名刺入れを首から下げるとか、名札を配ることができれば、名前だけ見覚えのある作家同士が声かけあって繋がりを生めるのになあとも思いました。(独り言です)
もちろん、その準備にも経費が掛かると思いますから、必要であれば寄付する心の準備はあるのですが……。


実は、ある独特な方法で既刊の海外進出を目論んでいます。それが、今回のセミナーに出た目的の一つ。方法はまだ内緒ですが、そのヒントになるような話は、残念ながら聞けませんでした。
でも、これから書く新しい物語の参考として、大いに役立つのではないかと思っています!

さて、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!

ePub編集:解は一つじゃないよね

ヘリベマルヲさんから紹介された《Macでは一番便利なePubの圧縮解凍ツール》ePub zip/unzipを使ってみた。
(どうでもいいけど、『ポンコツ日記』というタイトルに対してhtmlのファイル名がlemon.htmlというところがかわいい)

まず、ソフトのダウンロード。ググったところ、どうも公式っぽいページがみつからない。とりあえず、検索トップがこちら
これは、Ver2.1.1で検索して出て来たページ。Verを入れたのは、実はここまでにちょっと寄り道したから。公式っぽいページが見つからないので、どのバージョンが最新なのかわかりづらく、最初はVer2.0.1をダウンロードした。でも、DLページ内にはVer.2.1.1があると書いてある。しかし、どうにも2.1.1が見つからない。仕方なく2.0.1を使ってみたが、便利である。せっかくだからなんとかVer.2.1.1を入手しようと再度ググって出たのが冒頭のページ。ところが、その中にはもっと新しいVer.3.0のDLリンクがあった。そこで、これをDL。Ver.2.0.1と同じ使い勝手だが、普通のePubをiBooksのePubを解凍したものにも出来るらしい。ちょっとわけわからんけど。早速それも試してみると、エラーが出る。が、解凍はされている。ePubフォルダ内にOEBPSフォルダを含まないと、エラーが出るらしい(Hagoromoから書き出したePubにはOEBPSフォルダはなく、OPSになる)。
あ〜、誰も読まない記事だなあ。

では、本題。
これと、僕が愛用しているEtreZipを簡単に比較してみる。EtreZipの公式ページは英語(作者はフランス人らしい:公式ページのアイコンがアライグマで可愛い)だけど、Mac App Storeで扱っているからアプリ管理は比較的安心かな。

■ePub zip/unzip:

・任意の場所に解凍したフォルダを作ってくれる
→元のePubファイルはそのまま残る
・ePubに戻したいときは再度アプリにドラッグしてePubに戻す
→元のePubを上書きしたくなければ、ファイル名を変更する
・ePub専用だから、安心感がある

■EtreZip:

・ePubをドライブとしてそのままマウントしてくれる
→元のファイルをそのままいじれる
・ePubに戻したいときは、アンマウントするだけ

どちらも同じように便利。甲乙つける必要もなかったので、これは完全に好みかな。ちなみにEtreZipの場合、解凍したフォルダが独立したドライブとして認識されるので、任意のフォルダに中身のファイルをドラッグすると、移動ではなくコピーされる。元データの構造を壊すことがなく、外にデータを持っていけるし、ePub内のファイルを直接エディタで開いて上書きできるので、僕にとってはこっちが便利かな。バージョン管理が苦手なので、無駄にバージョンを増やさずに済む。でも、失敗すると戻れない。だから、バックアップの必要もあるかも。
ePub zip/unzipなら解凍されたフォルダは元のファイルとは別で存在するので、再ePub化のときに気を付ければ元のファイルを上書きする心配はない。

ね。

でも、もっと便利な解もあるかもしれない。

それから最後に一つ注意事項。どちらのソフトウエアも、利用は自己責任だ。ファイル自体を改変するタイプのソフトは、予期せぬエラーでファイルを破壊してしまうこともあり得る。
だから、やっぱりどんな場合もバックアップは必須。と申し添えておこう。

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ただいまBiB/iを学び中!

最近BiB/iの作者である松島智(さとる)さんとTwitterでお知り合いになったこともあり、作品ページ上に試し読みePubをBiB/iで埋込もうと学び始めた。
以前からでんでんランディングページではお世話になっていたけど、あれは用意されたとおりにePubを突っ込むだけだったから、BiB/iの神髄に触れてはいなかった。
今回改めて自分で触ってみると、すごく便利! さくさくだし、表示が美しい。

ちなみに、BiB/iのWEBサイトもとっても美しいです。さすが! という感じ。

《学ぶ》といっても使い方はとっても簡単。

1.サイトからBiB/iをダウンロードして解凍
2.自分のサイトにBiB/i用のディレクトリを作る
3.そこにBiBフォルダをアップロード

WEBブラウザでそのディレクトリを開くと、BiB/iのビューアがいきなり立ち上がる。すっげえ!
まだ、それではブラウザ上で自分が持ってるePubを《ドラッグ&ドロップで》見られるだけなので、次へ進む。

4.BiBフォルダ内にあるbookshelfフォルダに、自分のePubを展開したフォルダをアップロード

ここがちょっと難しいかもしれない。ePubを展開したことのない人にとってはびっくりすることなんだけど、実は、ePubファイルってのは《ちょっと特殊な方法でzip圧縮したファイル群》。拡張子のepubをzipに打ち替えると、それだけでzipファイルになる。それを解凍すると、中に格納されたファイル群が現われるのだ。とは言っても、逆は出来ないので油断しないように。素人が構造を真似したフォルダをzip圧縮して、その拡張子をepubに変えてもepub書類には出来ないし、いったん解凍してしまったepubを再びepubに戻すには、《圧縮しないでzip化》しなければならないのだ。コマンドラインを使ったりしてね(そして僕は素人なので、どうやれば出来るかを解説することは出来ない)。

さてこのzipファイル、Macの人は要注意だ。OSデフォルトの圧縮解凍機能ではこのちょっと特殊なzipは解凍できない。ダブルクリックすると、さらに別形式へと圧縮されてしまうのだ。僕の場合はALZipで解凍することが多いけど、以前紹介したEtreZipで《圧縮されたままのファイルをドライブとしてマウントし》、全体を新しいフォルダにコピペしてもいい。ALZipの場合はインストール時に余計なアプリをインストールしようとするので、パンパンOKを押していくと迷惑なソフトがいっぱい入ってしまう可能性がある。ここに注意すればとても便利なソフトなので、これは好みでどうぞ、といったところ。

こうして何らかの方法でePubファイルを展開したフォルダを用意したら、それで準備OK。あとはBiB/iのマニュアル(このページ)に従って作ったディレクトリにアップロードして、そこへのリンクをHTMLに埋込めばいいのだ。

ePubをそのままHTMLに埋め込めるBiB/iの利点は大きい。Amazonさんのサンプルと違い、今自分がいるWebページを離れずにその場で読める。僕自身もそうなんだけど、試し読みのデータをダウンロードするという、たったワン・アクションが、試し読みから遠ざけてしまうと思うのだ。
端末にサンプル本が溜まっていくのも美しくない。かといって、いちいち端末の書棚をメンテするのも面倒だしね。
BiB/iで気軽に立ち読みして、気に入ればストアに行って本編を購入という流れがスマートなんじゃないかなと思う。

作者にとっても大きな利点がある。全体の文章量に対する比率で自動的に試し読みページ数が決まるのでなく、《ここまで読ませたい》という部分で任意に切れるのだから。

最後に、

『奇想短編集 そののちの世界』で一番人気の『段ボール箱の中の人形』(無料!)の試し読みePubをこちらに用意したので、ぜひ覗いてみて欲しいな。

『奇想短編集 そののちの世界6 段ボール箱の中の人形』

 

ええ〜、ここで終わりかい?

と思ったら、スグにポチりたくなるでしょ?
何しろ無料なんだから。さあ、Amazon Kindle Store (もしくは楽天電子書籍ストアでもオッケー)にGo !

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(埋込まれた表紙画像のサイズが変なのは、これからの課題です……)
内部埋込みの表紙画像は削除し、タイトル文字としました。

KENPC:読まれているという実感

これまでKDPにあったKU/KOLという仕組みは、ダウンロードされた冊数に応じて(10%以上が既読になれば)ロイヤリティが支払われる仕組みだった。これが、Kindle書籍のページ数をカウントする新しい仕組みであるKENPCを利用した《既読ページ数》によるロイヤリティ計算に変更された。

以前の仕組みの場合、KDPセレクトに登録しておくことによってちょっとずつ印税が増えるのは嬉しかったけど、実際にその本が読まれているのかどうかは分からなかった。無料キャンペーンやプライスマッチによる無料本と同様に、DLされて積まれて、そのまま忘れ去られてしまうこともあっただろう。
だから、自分の本が読まれているという実感を得られるのは、誰かがTwitterやブログ(ブクログなど含む)に感想を書いてくださった時か、ごく稀にAmazon上でレビューがつく時に限られていたように思う。
これは結構寂しいものだった。売り上げ自体も《売り上げ》と言えるようなレベルのものではないが、それすら本当に最後まで読まれたのか、知る方法はない。(もちろんそれは、商業作家の紙の本でも同じかもしれないけど)

だけど、このたび始まったKENPCは違う。実際に読まれたページ数が、作品ごとに表示されるのだ(KDPセレクトに登録してある場合)。もしこの数字を毎日ウォッチしていれば、自分の作品が前の日に何ページ読まれたのかも分かりそうだ。これは、凄いことではないか?
印税云々より、この《読んでくださってる!》という実感のリアルさが半端ではない。

例えば『孤独の王』のKENPCを見ると、今月の数字は1,202ページだ。Amazonカウントではこの本は468ページだから、三冊弱がこの一週間くらいで読まれていることになる。『ケプラーズ5213』『そののちの世界』を合わせると、6〜7冊ほどになる。
売れているかたの基準からすれば
ゼロのような数だけど、実際に読まれているという感覚は、作者をとてつもなく幸せにしてくれるものなのだ!

《7/12追記:
ヤマダマコト氏、赤井五郎氏などの情報から、やはりKENPCの正しい数字は“既読KENPC”のグラフに現われているものだそうだ。作品ごとのページ数は、“今月の販売数”にある表で確認できる。残念ながら僕は勘違いしていて、Ver.1の後ろにあるページ数は、あくまでもその作品が何ページありますよ、という数字でしかない。現在のところ、僕の作品のKENPC数は、『孤独の王』が12ページ、以上だ。ぬか喜びもいいところだったようだ……》

その昔、僕にとって音楽こそがすべてだった頃、思っていたことがある。もし夜中に街を歩いていて偶然に、酔っ払いでもなんでもいいから誰か僕の知らない人が僕の歌を口ずさんでいるところに遭遇したら、もうそれで死んでもいいや、と。
それはとうとう実現しなかったけど(今のところね!)、今、ほんの少しでも、僕の全く知らないどこかで、僕の本を読んでいる人がいると思うと、僕はなんて幸せ者なのだろうと心から思うのだ。

この仕組みを構築してくれたAmazonさんに多大なる感謝を込めて!
(この仕組みは作家からのリクエストによって生まれたらしい。世界の作家さんに、ありがとう!)

ところで一つ、気を付けなければいけないことがある。KDPのヘルプ頁にはこのKENPCを用いたKU/KOLロイヤリティの計算方法が載っているけど、実際にこれを弾き出すのはとても難しそうだ。世界中でその月にKU/KOLで読まれた総ページ数が月末にならなければ分からないということもそうだけど、もっと分かりにくくしている大きな要因がある。それが何なのか、ちょっと見てみよう。

まず、実際にKENPCのページを見てみよう。管理ページ内の本棚から各書籍欄の右側にある《アクション》の「…」をクリックする。そうすると、下の画像にあるメニューが現われる。
次に、その中から《キャンペーンと広告》をクリックする。

KENPCのカウントを見るには?
KENPCのカウントを見るには?

 

すると、《本の販促ツール》というページに入る。そこの左下にあるのが、これだ。

これがKENPCの表示
これがKENPCの表示(KDPセレクトに登録してある場合だけ入れるページだ)

 

この欄の一番下にある右側の数字がKENPCだ。先ほど気を付けなければいけないと書いたのは、この数字の読み方。ページ数で言えば、1,202ページで間違いがないだろう。でも、この数字はロイヤリティとは直結しない。なぜなら、KU/KOLで読まれた本以外でも、KDPセレクトに登録されてさえいればこのカウント数が掲載されているのだ。

無料キャンペーンや、普通に購入された書籍データが読まれたページ数も、ここには含まれていると考えるのが妥当だろうと、僕は推論した。恐らく、間違いではないだろう。というのも、今までに一度もKU/KOLされたことのない本の同じ欄にも、KENPCは載っているのだ。

『サタンと呼ばれた男』が77ページ。この本は32ページだから、約三冊だ。
『五感の嘘』が74ページ。この本は31ページだから、これも約三冊。
『希望の船』が142ページ。この本は61ページだから、これも約三冊。
『未来からの伝言』が172ページ。この本は71ページだから、これも約三冊……。

《7/12追記:
つまりこれは、KENPC計算による作品の総ページ数を示しているだけ。後述の7/9、赤井五郎さんからのご指摘による追記内容がすべてなのだ。もっと読まれたいと、心から思う。でもね、有料版を見てると、ちゃんと第一部に続いて第二部、第三部と購入されてるのだから、これは間違いなく最後まで読まれていると考えていいのだろうな。無料でDLしたひとが途中で読書を止めてしまうのは、しかたがないと考えるしかないし、届くべきでない人に届いてしまっただけだと考えよう。同じセルフ作家のなかでも、KENPCのグラフがじゃんじゃん伸びている方もいるみたいだし、このシステムは正しいのだ》

こんな調子だ。7月に入ってから、こんなに短編が売れた記録はないのだ。どう考えてもこれは、今までにDLされていた本の、今月の読書ページ数だと考えるべきだろう。
ということで、ここで示したページ数は、ロイヤリティには恐らく全く影響しないであろう数字なのだ。

だけど、《読まれた実感》としては、とてもとても大きいものだと、もう一度申し添えたい。

さて、いつかこの記事が誰かの役に立ちますように!

《7/9、公開直後に追記:
赤井五郎さんから、こんなご指摘がありました。

ううーむ。難しいですなあ……》

喜んでいる場合ではない!

こんな状況を良しとしているわけにはいかないのだ。やれランクインしたとか、喜んでいても仕方がない。
そりゃ、上位ランクに入れば嬉しいですよ。でも、周囲を見てみればすぐ我に返ることになるのだ。
《SF・ホラー・ファンタジー の 売れ筋ランキング》のうち無料本では、1ページ目、つまり1位〜20位までにいる著者の数は僕を合わせてたった5名。(23:56現在)

こんなに上位に並んではいるが……
こんなに上位に並んではいるが……

 

僕の本が四冊、戸松有葉さんが八冊、赤井五郎さんが四冊、ヘリベマルヲさんが三冊、日野裕太郎さんが一冊だ。この寡占状態が、KDP全体の無料《SF・ホラー・ファンタジー》本のランキングを表わしているとはとても思えない。

次のページ、つまり20位以下に目をやると、なんと、28位までで終わっているのだ。このカテゴリーには無料本が28冊しかないのだ! これが何を意味しているかというと、Amazonさんのカテゴリー分類が全く用をなしていない。ただそれだけのことなのだ。

著書を発行する際にKDPの管理ページで選択するカテゴリーは、SFの中でも多くの細目に分類されている。当然、ホラーやファンタジーは別カテゴリーだし、ファンタジーの中にもいくつもの細目がある。

SFカテゴリーの《一部》
SFカテゴリーの《一部》

 

これは、僕の管理画面で、ある著作のカテゴリー選択を行なった際のキャプチャだ。《選択されたカテゴリー》には、《スリラー>超自然》と《青少年向けフィクション>SF》が並んでいる。でも、本が出版されるとき、これは全て無視される。どこかに使われているのかもしれないが、少なくともエンドユーザー(=読者)の目に触れる形ではそれは現われない。

そして、出版後に自動分類された電子書籍は、多くのものが《文学・評論》という上位カテゴリーに大ざっぱに入れられるのだ。この中は完全に雑多な世界で、純文学から評論からロマンス、戯曲、歴史……、何でも含まれている。これ、カテゴリー分類じゃないよね。

《Kindle本>文学・評論》というのが自動分類の結果だ
《Kindle本>文学・評論》というのが自動分類の結果だ

 

こんな分類で、読者さんが読みたいジャンルの本に辿り着けるとは到底考えられない。だから、自分の本がちゃんとしたカテゴリーに、少なくとも《文学・評論》よりは細かいカテゴリーに分類してもらえるよう、著者自身がサポートに申請しなければならないのだ。《お問い合わせページ》にあるメールフォームでね。

上述したランキングは、つまり《SF・ホラー・ファンタジー》の本を無料で出版している著者のうち、このカテゴリー再分類方法を知って申請した人の数でしかない。きっと、《SF・ホラー・ファンタジー》ジャンルのとてつもなく多くの名作・力作が、カテゴリー分けされずに《文学・評論》の海に溺れてしまっているのだ。前々回の記事に書いたとおり、僕自身、ヘリベマルヲさんの記事から赤井五郎さんの記事を読んで、昨日初めてこのカテゴリー再分類に挑戦したわけだ。

エンドユーザー・ベネフィットを真剣に考えたとき、Amazonというショップはカテゴリー分類を自らきちんとやり直さなければいけないと思う。出版時の申請カテゴリーと販売時のカテゴリーが全くリンクしていないだなんて、いったい誰が想像できるだろう?

今までに読んだことのないSF作品を読んでみたいと思ってジャンルで探した読者が、この無料ランキングを見たらどう思うだろうか?
Amazonさんはそのことを考えたことがあるのだろうか?

だけど、システムを修正するなんてそう簡単にはいかないだろう。どれだけ大きなDBシステムが背後で動いているのか、素人には分からないけれど、何人かの著者が騒いだところで手を付けられるような代物ではないことくらいは容易に想像がつく。だから今は、僕らコンテンツ・ホルダーである著者自身が、どんどんカテゴリー再分類に声を上げるしかないのだ。そうすれば、このランキングが本当の出版数と少しずつリンクしてきて、いずれは本当に読まれている《そのジャンルの》本がきちんと上位に並ぶ日が来るだろう。
もちろん、最終的にはそれがAmazonさんの技術者を動かして、DBシステムがきちんと整えられることを切に望んでいるのだけれど。

だから今は、まだご自分の著作が変な分類にされてしまっているセルフ作家の方々に、僕は声を大にしてこのことを言いたいのだ!

この記事がいつか、誰かの役に立ちますように……。

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(本記事は後編の後の続編にあたります。妙なリンクですが……)

人称の揺れ、二つの文体

このブログをずっと読んでくださってる方は既にお気付きのことと思うけど、最近、文体が混在している。今回のような紋切り型《だ・である体》と以前のような丁寧語型《ですます体》だ。

僕はどうにも無計画で勢いに頼るタイプなので、こういったブログ記事では自分の文体をコントロールすることが出来ない。

事前に型を決めて書き始めるられなくて、その内容とその日の気分によって、書いてから自分の文体を知ることになるのだ。
かつては、丁寧語型でなければいけないと思って、いったん紋切り型で書いた記事を全て書き直すようなこともしていた。
でもそれはどう考えても自然じゃない(書いている自分が自分でないような気がしてくる)ので、自然体を旨とする僕としては精神的に辛いものがあったんだな。
だから、ごちゃ混ぜになってもいいから、その時の記事にあった書き方で行ってしまおうと考え直した。
二人(以上!)の人物を登場させて上手く書き分けている牛野小雪さんスタイルも良いけど、無計画な僕にはあんな高度なワザはムリ。

時により読み辛いこともあるかもしれないけど、どうか、呆れないで付き合ってくれたらいいなぁと思う我儘な淡波なのだった。

一方、月刊群雛8月号に掲載していただくために現在執筆中の短編『光を纏う女』では、初めて人称の揺れに挑戦している。
僕はどちらかと言えば人称(語り手)の統一にこだわるタイプなんだけど、今度の小説はどうしても途中で語り手を変える必要があった。それがどの程度効果を現すかは分からないけど、読者が変な意味で迷子にならないようには配慮して書いているつもり。もちろん、語り手を変えるというのはミスリードを意図しているので、んん?  と思うことはあるのだろうけど。

読んでくださった方が大きな疑問に思わず、スルリと物語を飲み込めるものになれば成功なんだろうな。

おっと、いつの間にか自作の宣伝になっていたようだ。では、この辺で〜!

また、淡波がやっちまったらしい……

考えるより先にキーボードを打ってしまう、直撃派の淡波です。
今朝の記事にカテゴリー変更の話を書いたけど、まさかのお断りメールが!

以下引用。

カテゴリー変更のご要望を頂戴いたしましたが、確認しましたところ、お客様ご申請のカテゴリーは登録ができませんでした。
以下にカテゴリーご選択の方法をご案内いたします。

いやあ、本当に間抜けったらない。
賢明な良い子の諸君はもう分かってるよね?

カテゴリー変更のお願いに、本棚の分類と同じカテゴリーを申請してしまったのだ。本棚とストアの分類が異なっているからストアに正しく出ないにも関わらず、なぁんにも考えないで本棚上で設定したカテゴリーをコピペしたんだな。
まあ、同じ過ちを犯してしまう人が誰もいないとは限らないし、ここは恥を忍んで告白するのだ。

KDPサポートさんから教えて頂いたのは下記の方法だ。

◎カテゴリー登録するためには

本棚に表示されるカテゴリーオプションは、ウェブサイトのカテゴリーと完全には一致しません。
本棚ではBISAC(Book Industry Standards and Communications)に基づくカテゴリーをご選択いただきますが、ウェブサイトのKindleストア上では参照カテゴリーが表示されるためです。

お手数をおかけいたしますが、カテゴリーの変更をご希望の場合は、ご希望のカテゴリーを以下のフォーマットで弊社までご連絡いただきますようお願いいたします。
弊社で審査の上、カテゴリー変更の対応をさせていただきます。

例: Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > 小説・文芸 > 日本の小説・文芸

○ 「Kindle本」カテゴリーは、以下の「Kindle本」ページ画面左側の「カテゴリー」よりご確認いただけます。

○ 「Kindle本」カテゴリーは2つまでお選びいただけます。
○ 「本」内のカテゴリーに関しましては、リクエストいただくことができません。
○ ステータスが「販売中」となってから、弊社までご連絡ください。

ね、とっても丁寧に教えてくださいました。この情報をシェアしても良いものかどうかと考えたんだけど、サポートさんの負担が減るかもしれないし、秘匿・機密情報ではないし、事実を端的に述べたメール文面に著作権があるとも思えない。
Amazonさんとセルフ作家の双方にとって役立つ情報だから、シェアしてもいいですよね、中の人さん?

さあ、これから申請し直すぞー!

願わくば、プライスマッチの効果が残っている間にカテゴリー変更が叶いますように!

それからいつものやつ、
この記事がいつか、誰かの役に立ちますように!

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淡波亮作の作り方