工夫する。工夫しない。

工夫しろ、とか、考えろ、とか言うのは簡単で、自分が工夫するタイプの場合、自分自身はそれが普通だから不思議にも思わない。
でも、工夫しろと言われた側はどう工夫するのかが分からない。

言う側は、どう工夫すればいいのかまでは伝えられない。
よく考えれば言えるのかもしれないけれど、やっぱりそれでは意味がない。
それでは、言われた側は工夫したことになんかならない。
まるで本人のためにならないし、結局は指示待ちの「工夫しない」姿勢は変わらないからだ。

与えられた仕事を、自分の枠内で一生懸命やり切る。
ミスをしない。
余計なことに悩まない。
遠回りと知っていても、ただ、自分の知っている道をじっと見てゴールを目指す。
それも大事。とても大事。
でも、時にそれは膨大な無駄時間を生む。

工夫する人間にしても、それが間違いなく良い方向へ進むための工夫なのかは分からない。
身勝手な工夫が意味不明なこだわりを生んで、途方もなく無駄な仕事をしてしまうこともある。

──矛盾。

良い工夫と、悪い工夫?

ゴールを見て、想像して、自分の力を見て、よく考えて、道筋を立てて、順序よく。
無駄も善し。という気持ちも必要だし、試行錯誤こそがその先の道を生み出すものでもある。

しかしながら、仕事には納期があって、時間はお金を食いつぶす。
仕事でなくとも、一人の人間に与えられた時間はとてつもなく長いようでいて、でもやっぱり有限だ。
何かを行なうことの出来る時間を数字にしてみると、それが驚くほど短いことに恐怖する。
実は、仕事に費やせる時間なんかより、ずっとずっと少ないのだ。

工夫する方向が分からなければ、ハナから工夫しないで地道に遠回りをするほうが良いと考えてしまう相手に対しても、ノーと言うのは難しい。
とても、難しい。

工夫する。
工夫しない。

その溝は、考えることでしか埋められないのだ。
そして、何を考えるかは自分で考えるしかないのだ。
──よなあ。

なんてね。

じゃ、また明晩!

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