カテゴリー別アーカイブ: 言葉

詩?/どこへいった


あれはどこへいった
これはどこへいった
わたしはどこへいった

ありもしないものを願ったからか
与えもしないものを求めたからか

世界はなにで満たされているのか
わたしはなにで満たされているのか
わたしはなにでも満たされていないのか

わたしはからっぽなのか

世界はからっぽなのか

憎しみはどこから来るのか
憎しみはどこへ向かっているのか

時間はどこにあるのか
時間はどこにもないのか

すべては嘘なのか
すべては希望なのか
すべては夢なのか

すべては
愛なのか

すべては
愛ではない
なにかなのか

なにが欲しいのか

どうしたら
嘘を嘘と思わなくなるのか

世界は

愛ではない
なにかなのか

わたしは

わたしは

わたしは

ジュースとソーダ

ずっと、《正しいジュース》しかジュースとは言えないと思っていた。

「ジュースは果汁を搾った飲み物という意味。だから、果汁100%のものだけをジュースって言うんだよ」
たしか、昔英語を習っていたオーストラリア人の先生からだったと思う。そう聞いたのだ。

なるほど、と思ったし、昔はそれが当たり前のことだったのだ。
果汁を搾ったものを飲む。それがジュースの起源なんだろうから。

それをずっと信じて、自分でも人にそう言っていた。
「30%果汁の飲料は、本当はジュースじゃないんだよ!」
とかってね。

この写真を見てびっくらした。
juice2

これはアメリカの情景。
最近ちょっと話題になった《ソーダ税》についての新聞記事にあった写真だ。
最初は、《ソーダ税》という訳語自体が誤訳なのかと思った。だが、そうではなかった。訳は正しい。《砂糖入りの炭酸飲料などに対する税》がソーダ税だ。
だからこれは本来、ジュースとは正反対の飲み物が対象のはずだ。
コーラとか、オレンジ香料ソーダ水とか、そういったものに課税せよという話だ。
理由も、《健康に悪いから》と書かれている。果汁を搾った100%ジュースが健康に悪いとは考えにくいぞ。

でもここには、はっきりとJuicesと書かれている。
アメリカではいまや、100%果汁でないものをジュースと言うことが普通になっている。
────ということなのだろうか?

こっちが新聞記事のほう。

(朝日新聞より)
(朝日新聞より)

まあ、こうやって言葉は変わっていくのだな……。
ううむ。

そして、
こういう飲料ばかりに親しんだアメリカの子供たちが、たまたま何かの拍子に100%ジュースを口にしたら、
「わ、なんだコレ! ジュースなのに酸っぱい!」
「なんか果物の味しかしない!」
とかって思うんだろうかな……。

時代は、変わるんだから、これはもうそういうものだと割り切るしかないんだろうか。

やんぬるかな……。

じゃ、また明晩!

シミュレーション趣味レーション

微妙な日本語英単語について書くのも3回目になりますね。
これ、書いていて結構面白いので、今後もシリーズでいきますよ。

初めて来た方が迷子にならないように、第何回とかは入れませんが、ね。

さてさて、今日のテーマはこれ。

Simulation

今どき、間違えて覚えている人はいませんよね?
──よね?

「シミュ」という語感が日本語にはないからだと思いますが、昔からこの言葉、シュミレーションと言う人が多かったですよね。
(そう書く人もまた、多かった)
やはり日本語としての言葉がたくさん存在する「シュ」のほうが言いやすいから、何となくそう覚えてしまったり発音したりしてしまうのでしょう。

英単語の綴りを見れば、もうこれがどうやっても「趣味レーション」とは発音できないことが分かるはず。

もしも間違ってた人、曖昧だった人、今回の記事で覚えましょうね。

Simul(サイマル)で、「同時」とか「一緒」という意味があります。
Simultaniously(サイマルテイニアスリー)と言えば、「同時に何かが起こる」ということです。
Simulationと綴りが似てますね。意味もそうです。

何かを模して何かをする。ということは、既に何かが存在していて、それを同時期に真似ようとして行なうことですものね。

「シミュ」か「シュミ」か悩んでしまった時は、言いやすさで「趣味」。
じゃないですよ!

サイマルと同じだから、シミュだ!

ね、これであなたも絶対忘れないはず。

じゃ、今日はそんなところで!

フィーチャーとフューチャー

外国語って難しいですよね、アゲイン。
先日の記事で「ティーザー」と「ティザー」について書きましたが、今回はもうちょっと深刻な誤解についてです。

知ってる人も多いと思うので(特にここに来てくださるあなたは!)、釈迦に説法みたいな話ではあるんですが……。

《Feature》 と 《Future》

この二つは全く異なる英単語ですが、混同されているというか、Future一択になっていることがとても多いですよね。
僕は昔からこれがどうしても気になっていて、でもビジネスの現場でこういうことを指摘するのも気が引けて……。
こんな場所でぼそりと呟くしかないのですが。

まず、辞書を引きましょう。

 Feature:
 (名詞)特徴づけるもの、特性、特長、素性、顔立ち、容貌、外観、メインとなるもの、主要なもの、主役 などなど
 (動詞)特徴づける、売りにする、主役として起用する
Future:
 (名詞)未来、将来
 (形容詞)未来の、将来の

(いずれも複数辞書からの意味を要約。特定の辞書をコピペしたものではありません)

さて、もうお分かりですよね。

《○○をフューチャーした》という表現は、完全に間違いです。言い訳する余地は微塵もありません。
フューチャリングとかって使っちゃダメですよ、あり得ない文法にあり得ない意味のダブルパンチですから。
(ダブルパンチ=死語?)

「未来した、ってなんだ〜っ!」
「未来てる、ってなんだよ〜っ!」
と、僕は身悶えずにはいられないわけなんです。この使い方を聞いたり目にする度に。

あ、ごめんなさい。ちょいとヒートアップしました。
あなたは決して使ったりしてませんよね……。

確かに、日本人的にはかなり似ています。もう、区別が付かない半歩手前。
でもね、カタカナで使いたいんだったら気を付けましょうよ、そこんとこは。

今日はそんな話。

じゃ、また明晩!!

肌感覚と凡庸のバランスポイント

分かりやすさに重点を置いているのは、凡庸に陥りやすい罠なのか?
そう思うことがある。

個性。逸脱。突飛。
発想の飛翔。展開の拡大──。

難解な詩を好んで読んだことがある。
好んで?
いや、無理やりだ。
これっぽっちも解らない。
解らなくていい、感じるんだ。

残念残念無念無念。
解らないことは感じられないね。
凡庸の極み。
──それとも単に、頭の回転の鈍さか?

大事なのは肌感覚だ。
そう思っている。
視点だ。
作者の創造力と読者の経験が重なり合う瞬間に、何かがやってくる。
作者の創造力が読者の想像力を凌駕し、覆いかぶさった瞬間に、何かが得られる。

難解にはしたくない。
できない。
わかって欲しいもの。
言葉遊びをするつもりなんか毛頭ない。

ああ、分かってるさ。
難解な詩は、小説は、難解さが目的なのではない。
言葉をもてあそんでいるわけではない。
それが、その作者が追求し獲得したスタイルであり、表現方法だ。

明らかに凡庸な作品からは、美しさを感じ取ることが難しい。
明らかに非凡な作品からは、美しさの断片を感じ取ることくらいしかできない。
僕には。

美しいことは、ものは、言葉は、できごとは、限りなく存在する。
世界にも、心の中にも。
感じ取り、捕まえて、発酵させて、
叩きつける。
そっとそっと、丁寧に刻みつける。

今日も
どうにもならない凡庸さに陥る恐怖と闘いながら、
リアリティとか、肌感覚とか、
共感とか、常識的とか、
練り込みながら、悶えながら、
イマジネーションの虜になりながら、
イマジネーションの虜になりすぎないように振り返りながら、
一行一行、
一文字一文字、

魂を縫いつけてゆく。

いやいや、
そんな大業なもんじゃない。

考えすぎないように、
心の奥にいる誰だか知らない自分と対話を重ねながら、
ただ、ひたすらキーを打ってゆくのだ。

歌うように、歩くように、呼吸するように。


じゃ、また明晩!

ヘタウマとウマヘタのあいだに

○○をどうした方がいい。っていうことじゃないんだけど。
ただ、難しいよなあと思った。
誰もが目指しているところに向かって歩いているんだけど、その道筋はいろいろある。

ではまず、表題について自分なりにちょいと定義してみる。

1.技術的にはヘタだけど、センスがあって雰囲気が出ている。なんか良いよな、と思うのが、ヘタウマ。

2.技術的には上手いけど、センスがなくて面白みも雰囲気もない。つまんないなあ、と思うのが、ウマヘタ。

3.技術的に優れ、センスも良い。雰囲気と個性も備えていて、コレは良い! と思わずにいられないのが、ウマウマ。

4.ヘタだし、センスもないよな。どんなに頑張ったってダメなんじゃないの? と思ってしまうのが、ヘタヘタ。

──お伽噺風に、図示してみる。

その旅は、どこへ向かう?
その旅は、どこへ向かう?

 

ヘタウマなひとは、自分にセンスがあることに気がつかないことがままある。

ウマヘタなひとは、自分にセンスがないことに気がつかないことがままある。

ヘタウマなひとは、うまくなりたいと思うことがある。巧くなればもっとずっとうまくいくと、思いたい。
そのままの方が良いかもしれない可能性には、なかなか気づくことができない。

ウマウマなひとは、ただ、好きで続けていたらそうなったのかもしれない。他人の目から見てどんなに努力しているように見えても、
「楽しいからやってるだけだよ」って、
たくまず、力まずに言えるのかもしれない。

ウマヘタなひとは、努力の方向がずれているのかもって、気がつけないのかもしれない。

ヘタヘタなひとは、学ぶことを忘れているのかもしれない。自分を知るには他人を知るのが近道なのかもしれないとは、思わないのかもしれない。

ヘタウマなひとは、罠に落ちやすいのかもしれない。
──巧くなりさえすれば、という罠。


さあ、今のあなたは、今のわたしはどこにいるだろう?
そして、どこへ向かって行こうとしているのだろう?

まず、それを知ることから始めてみよう──か……。
(結論も、アドバイスも何もないけれど)

じゃ、本日のざれ言はここまで!

詩/負け


詩と格闘なんかしたって

勝てるわけがない

少しでも有利に進められる可能性を
始めっから投げ出している闘いだ

わたしの言葉は
虚しく
白いディスプレイに浮かぶ

年齢別人口構成グラフのような
横顔を描きつつ

ただ、画面を埋めてゆく

詩を書くことで
わたしはわたしの感情を
記録しておきたいとは思わない
それは後になって思い出したところで
幾つかの疑問符と
幾つかの共感を
呼び起こすだけだ

振り返りたいとすら
思わないそれを
なぜわたしは書き留めるのだ

じゅうぶんに行数を稼いだころ
わたしはニヤリとする

これでまた
作品がひとつひねり出せたと

そんなことに
何の意味がある

わたしは負けながら
流されてゆくのだよ

わたしには人の心を揺さぶる能力など
これっぽっちの欠片もないと
わたしの書いたこれが
証明しているのだから

それでもわたしは

わたしは負けながら
流されてゆくのだよ


第二詩集をそろそろ、と思ってはいますが、なかなか手が付きません……。と、いつもの言い訳をしつつ──それまでは、こちらをどうぞ。

淡波ログに掲載した作品を中心に書き下ろし作品を加えた初の詩集『猫になりたい』。
乾いた心にするりと忍び込む、読みやすい詩編を多数収録しています。


『猫になりたい』は、楽天KOBOさんから《例の》201円作戦で出てます。こちらですからね!

みんな、ごめんよぅ!

歌詞って難しいよね。特にメロディが先にあったりすると、逆に言葉が出てこなかったりするもんね。取っ掛かりが書けても、続きを書くときに1行の文字数がほぼ決まってるなんて、やり難いったらありゃしない。
やっぱり詞が先でないと、自分の言いたいことが先でないと、文字数を揃えたりしながら書くなんて厳しいもんねえ。
特に、文章書きにとってはさ!

だから謝る謝る謝りまする。
ごめんごめん、ごめんなさいっ!

実はね、何時間も頑張ってくれた作家さんがいたんだ、でも、ギブしてしまい……。そこで初めてこの企画の、いや、自分のバカさ加減に気がついたってわけなのだ。
いやあ、これはもう、全面的に企画が悪かった。悪過ぎた。
もう平身低頭、謝りながら歩くしかないって感じで──。

ということで、企画内容変更。

【書いた詞を、僕に歌わせてみませんか!?】
で、いこう!

条件と言うか、希望としてはこんなふうになっていてくれれば……
 ・歌詞っぽいスタイルになっていて欲しい
 ・2番を書くときは、大体の音数があっていて欲しい

そんな感じかなぁ。

これで、どうでしょ?

この記事へのコメントか、ツイッターのDMで連絡くださいね。もちろん、FBでもオッケーだよ。
待ってるよ〜!

じゃ、また明晩っ!

変な名前の効用

ある小説を読んでいて、突然、腑に落ちたんだ。腹に、ストンとね。

何のことかと言うと、小説に出てくる登場人物の名前。
メジャー、インディーズを問わず、小説には変な名前の登場人物が多い。僕は今までそういう名前に違和感を持っていた。
「どうしてこんな変な名前なの? 作者、ふざけてんのかなぁ」
「ちゃんとした名前くらい考えてよ」
「これ、コメディーなん?」
などど思っていた。

でも、ある時、いきなり理解したのだ。
(おせーよ、の声が聴こえる……)

「これ、読者がめっちゃ覚えやすいじゃん。登場人物の書き分けがスムーズじゃん」って。
僕が普段付けている普通の名前だと、同時に同性が三人以上登場したりするともう、カオスだ。
(あ、もちろんそれは力不足という根本的な問題もあるけど、ね)

《痩せてるのが鈴木、太ってるのが山田、意地悪そうなのが佐藤》なんて付けた日にゃあ、次に登場したシーンでは誰が誰だか分からなくなってしまう。よほどきちんと(しつこく)描写でもしておいて強い印象を残さないと、読者がついて来られないよね。

名前が変だと、描写されているイメージが強力に補完される。頭にこびりつく。
「臑噛竹子(すねかじり・たけこ)は、実はすごい美人なんだ」
「臑噛さんっ!」
なんて書いてあればもう、このヒロインのことを忘れることはないだろう。

「佐藤美和は、実はすごい美人なんだ」
と書いた後で、
田中陽子と鈴木芳美なんて出てきたら、
「あれ? 美人って書いてあったのは誰だっけ?」
ともなりかねない。

『吾輩は猫である』の苦沙弥先生なんていうのも、相当に変だよね。でも、それでパッと記憶に残る。ヤマアラシ、赤シャツ、なんかもそうだ。敢えてあだ名にすることで、人物の輪郭が際立つ。
いっぺんに厚みまで出せてしまうことすらある(かも?)。

まあ、《現実感がある》というのは大事なポイントなんだけど、特徴のある面白い名前ってのも、今後は考えていきたいよな。とじんわりした、最近の読書体験なのだった。

あ、もちろん、臑噛竹子は出しませんよ!

では、また明晩ッ!

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように──!

エンドマークは何が好き?

僕がこれまでに使ったものを思い出してみた。

(完):これが一番多い。
(了):群雛はこれが推奨だった。『光を纏う女』で初めて使った。
(おしまい):エビネルさんはこれだった
〈完〉:『さよなら、ロボット』と『孤独の王』はこれ。括弧の形が他とは違っていた。これもいろいろバリエーションがあっていいのかな。《完》とか、とても終りっぽい。【完】もいいね。

そのほかに、こんなものがあるよね。
(終)、(終り)、(終わり)、(おわり)、(〆)←ないか?
(大団円)ってのを、どこかで見たことがあるような気がする。
(これにて)とか、(ジ・エンド)はさすがにないかな。

終りを示す以外にも、文末に使われるものとしては、
(つづく):連載はいつもこれでした
(電子書籍版の発売をお楽しみに!):予告版試し読みに
(本編に続く):試し読みに
このあたりはありがち。

エンドマークなしっていうのはどうなんだろう?
あまり意識しないで読んでいるけど、きっと、なしの人もいるよね?
これを読んでいるあなたはどう?

特に電子書籍の場合は、落丁なのか本当にそこで終りなのか、読者が判断できない場合もあるかもしれない。それを考えると、何らかのおしまいメッセージは必要なんじゃないかと思っている。エンドマークがなくて、次のページが奥付になっている場合、ほとんどの読者はそれで終わったんだと納得すると思うけど、僕は淋しいな。
特に長い小説を読んだときなど、エンドマークを読んだ瞬間に感動がどっと押し寄せてきたりする。読み終わったことの感慨と物語が終わってしまったことの淋しさと、主人公たちのその後の運命を瞬時に想像したりすることと、そんなあれこれが胸に溢れ出すのが、エンドマークを目にしたときなんだと思う。

エンドマークなしで、“いかにもおしまい”という形が見せられればそれも面白いだろうと思う。参考文献を並べたり、映画のようにエンドロールを書いたりするのもアリかな。

何か変わった、面白い終りの形を使ってる方がいたら、そっと教えて欲しいな。

では、今晩はこれにて!

ちなみに、全然関係ない話だけど、今日は誕生日だったんだ。何歳になったかは想像にお任せするけど、ね。

(了)