Category Archives: 今週の一枚

今週の一枚─012/緑の手、茶色の手

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先週と同じヒメエニシダの写真だけど、これは偶然。別の日に撮ったものだよ。

と、いうことで、ガーデニングを始めたばかりの人にとっては恐怖を伴うこの言葉「緑の手、茶色の手」。
簡単に説明しておくと(出所は知りませんが)、こんなこと。

・世の中の人の手は、二つに分類される
 それは、緑の手と茶色の手
・緑の手を持つ人は、植物に愛されている。世話を焼く植物はその愛情に応え、美しく育つ。
・茶色の手を持つ人は、植物に愛されることがない。どんなに一生懸命育てたつもりでも、枯らしてしまう。
 いや、そうではない。茶色の手を持つ人は、植物を愛することが出来ないのだ。愛したつもりでも愛していない。だから枯らしてしまう。

僕はずっと昔に一人暮らしをしていた頃、この言葉を知った。誰か、友達に聞いたのだと思う。
殺風景だったアパートの一室に、ゴールドクレストという杉の仲間の観葉植物を買ってきた。それから僕の部屋は、なんだか素敵な空気を身に纏ってくれたような、気がした。当時はまだネットもなく、どうやって育てればいいのかよくわからなかったけど、園芸好きな自分の母親がやっていたことを何となく思い出しながら、水やりをしていた。水やりしすぎると根腐れを起こすから、足りないくらいの方がいいだろう。とか、自己流で。花も実も付けないものだから、肥料もいらないだろうと思っていた。

でもたった二三ヶ月で、ゴールドクレストは枯れてしまった。
「樹」なのに!
強いと思っていたのに!
枯れ難いと思っていたのに!

それから僕は、自分の手の茶色さ加減に嫌気が差して、もう植物を育てるのはやめようと思った。
(たった一度の失敗なのにね。若かったのだ)

その後結婚し、やがて庭のある家に住むことになった。
庭いじりをして、「茶色の手」を克服するのが一つの夢だった。
何年かして、あの言葉が嘘だと言うことを知った。たしか、やはりガーデニングの好きな妻のお母様から聞いたのだと思う。

誰だって、植物を育てれば枯らしてしまうことがある。好きな人ほどたくさん育てるから、枯らす量も多い。
いつでも緑に囲まれているのは、枯れたら新しいのを植えるから。だから、枯れたものが目に付かないだけだ。
──と。

冒頭の写真は、別の意味で「緑の手、茶色の手」という言葉が事実でないことを裏付けるものだ。
僕は、このヒメエニシダを育ててはいない。肥料は勿論、水もやってはいない。
庭を手に入れた最初の何年かは、夏になると必ず庭の水まきをしていた。やっぱり、乾燥して植物が枯れてしまうと悲しいからだ。

ところが、庭の植物は僕の考えよりずっと強かった。
水が足りなければ根を伸ばすだけだ。勿論、それで枯れてしまうものもあるけど、どっこいどいつもこいつも結構強いのだ。

写真のヒメエニシダは庭の別の場所にある親木からタネが落ち、勝手に生えてきた子供だ。
あんなに大きくなっていることに気がつかないほど、僕は庭仕事から遠ざかっていた。水やりも全然していないし、雑草取りもジャングルになってしまう寸前までやっていない。毎週毎週、週末にせっせと雑草をむしるだけのエネルギーが、体に残っていないのだもの、仕方がない。

それでも木は伸び、花はどんどん咲き、柚子はたわわに実を付ける。今年のライラックは素晴らしく美しい。

「今週の二枚」になっちゃったけど……
「今週の二枚」になっちゃったけど……

植物は、強い。
僕らの手の色なんか、全然関係ないのだ。




人類はいったいどこまで行ってしまうのか……?
どんなに奇想天外な未来でも、明日にも起こり得るのではないかと変に納得してしまうことの恐ろしさ。
科学と文明の過剰な発達がもたらすかもしれない様々な「そののちの世界」の出来事を、SFタッチで、ダークなタッチで、またはユーモラスに描いた短編集です。

第三話の本作は、『フローラ』
歩きながら、歩道の脇に眼をやる。アスファルトとコンクリートの間、ほんの僅かな隙間から、イネ科だろうか、雑草がびっしりと生えている。大半は薄茶色になって枯れていたが、その間からは緑色の新しい芽が伸びている。
「植物こそが真の主役、ね……」
本当にそうだろうか?
「あれえ?」
作業員の上げた素っ頓狂な声は走り去る潤の耳には届かなかったが、他の作業員の一人が何事かと目を剥いて半身を起こした。

今週の一枚─011/ピンボケとアブストラクトの間に

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もちろん、これは撮影したまんま。フィルターも編集も一切なしだ

接写撮影が好きだ。
愛用のiPodtouchに千円くらいで買った接写レンズを装着して、撮影するのが好きだ。
ピントの合う範囲がごく狭いから、まるで一眼レフで撮ったみたいに背景がきれいにぼけるのが好きだ。

でも、あまりにピントが合わないので、接写撮影する時は一気に何枚も何枚も撮ったりする。特に、風の強いこんな日に撮った写真は、どれだけ撮ってもほとんど全部がぼけていたりする。
これは、庭のヒメエニシダの花。
こぼれ種で勝手に生えてきた子供の木のうちの一本。他は枯れてしまったけど、こいつは結構大きくなって、今年は花をいっぱいつけてくれた。
でも、変な場所に生えてきてしまったので、花が終わったら小さく剪定しなければならぬ。
でも何しろ、生命の勢いというのか、これでもかというくらいたくさんの花をつけている今のこの木が、好きだ。

iPodtouchには覗き見防止スクリーンが貼ってある。
だから、斜めから見ると画面は何も見えないし、そもそも屋外の明るさにディスプレイの光が負けてしまうので、もう何が画面に映っているのかすらほとんど分からないまま撮影しているのだ。
──接写で撮影する時は、不自然な角度でカメラを構えないと撮りたいものを撮れないからね。

そうやってたくさん撮っていると、ときにこんなきれいな写真があったりする。
狙っても撮れない、抽象画のような一枚。
なぜか、かなりしっかりトリミングを考えて構えたようなバランスで、画面が構成されていたりする。

偶然のアブストラクト芸術に、乾杯!

今週の一枚「ヴォイニッチ手稿」

Voynich Manuscript
Voynich Manuscript(動かなかったら、クリックしてみてください)

イタリアで発見された手描きの不思議な本、「ヴォイニッチ手稿(Voynich Manuscript)」がネット上で公開されていたので、入手して見てみた。
本当に不思議。
何語で書かれているかも分からず、何のことが書いてあるのか、文章も絵も《解読不能》という奇書中の奇書!

ざっと全体に目を通して、まあ、その不可思議さにびっくり。
植物と人と天文(?)を感じさせる絵が多いのだけれど、どれもこれも悪夢のような不思議な構造をしている。それで、「これだ!」という絵を選ぼうと思って見ていた。

でも、これがまた実に、現実の植物というやつも個性的なわけで──特にここに描かれているような《胞子で増える種を想像させる》絵を見ていると──、こんな植物は実在するかもしれないなあ、という気がしてくる。
そう思うと、どうも、どれもこれも実在するような気がしてきて、なかなか選べなかった。で、こりゃあ絶対あり得ないでしょうという何点かをピックアップしてみたのが上のGIFアニメに入れた植物と人。天文学的な何かのサークルに関しては、何だか解らないがゆえに普通の学術的な図版にも見えて。

ここで、ぼくの解釈を。
(あ、適当です)

これはやっぱり宇宙人が書いたものでしょう。地球にやって来た彼は、眼前に広がる見たことのない風景、情景に心奪われたわけです。
特に、植物と人の形態に。
彼にとっては、植物と動物は同一の存在で、それぞれが繋がっているという観察を残したのです。
日々発見した植物と、植物と人の繋がりを、日記のように書き記して行ったのですね。研究書として。
そして、この地球と自らの惑星系の関連を、後に訪れるであろう仲間のために残したのです。

ね。

あ、冗談はこのくらいにして、これ、面白いでしょ?

不思議なものを見ると、イマジネーションが湧きますよね。普段は使わないような脳のどこかが刺激されて。

ということで、不思議なものを見よう! 面白がろう! 考えよう!
という結論に導かれた、今晩の淡波ログでした。

では、また明晩!

今週の一枚─010/エッシャー的な

ツイートしたのは先週だって?
まあ、細かい突っ込みはナシで。
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毎年冬に販売されるラミー。
あまりの人気に、最近は各社が追随したコピー商品を出しているのは記憶に新しい。

冬季限定のこの商品、どうも毎年3月いっぱいは買えるような気がしてしまうんだけど、どうも3月の中旬には突然お店から消えてしまうのだ。
(調べればいつまで出荷か分かるんだろうけど……)

で、今回で最後かもね〜って妻と言いながらスーパーに買いに行くと、
「うわっ、もうないよ!」
とショックを受けたりする。

Amazonさんでお取り寄せしたこともある(箱買いってやつ!)けど、どうも送料で高くつくのがいただけない。
で、お店から消える前に買いだめしとけ、となるんだけど、毎年それが間に合わなかったりもする。

今年も、もうお店になくて諦めてたんだけどね。
たまたま残業用のお菓子を買いに寄った会社近くのスーパーで見つけたのだ。もう、大喜びで五つ、手に取っていた。

深夜、妻が寝てしまった後でダイニングのテーブルにそっと置く。
置く。だけではつまらない。
何か気の利いた置き方をして笑わせよう。と思ったのがミッドナイト試行錯誤の始まりで(笑)。

これは3回目のトライ。

階段が上がっているのか下がっているのか微妙に分からないのは、写真を逆さにしているから。
それから、箱と箱の継ぎ目のパースがわかり辛いようなカメラアングルとトリミングを工夫してみたのだ。

こんな、ちょっと不思議で頭がこんがらがりそうな、エッシャーのだまし絵のような世界観を持つ物語を生み出していけたらなあ──と思ったりしながら、ね。

ってことで、またミョウバン!

今夜はちょっと不思議な恋愛小説を、お薦めで。


書き下ろし新作短編、著者初の恋愛小説にして不思議な香りのするSF短編小説です。 《メタモルフォーゼと永遠の命》とは──?

今週の一枚─009/コーヒーの話?

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さて、これは何かと言いますと──。

まずはこちらのツイートを。
coffee

ですね。

広告に出ていたフレンチプレス式のポットと同じようなものが我が家にもありました。
以前は紅茶に使っていたんですが、最近は全然使っていなかったもの。しかも、お客さんが来た時に珈琲をドリップする先のポットとしても使っていたことを、妻に言われて思い出しました。

そこで週末を待ち、広告に出ていた淹れ方を思い出しながら、やってみました。
挽いた豆を入れて90〜96℃のお湯を注ぎ、4分待つ。
それだけ。

で、紙フィルターに吸われてしまう《いい香り》を奪われずに済むし、挽いた豆の成分全体がちゃんと抽出されるという仕組みなわけ。

飲んでみると、深入り珈琲なのに鋭い苦味がなく、ほんのりと甘味を感じた──気がした。
気がした!

というのも、そもそもちゃんと豆を挽いた珈琲なんて、週末しか飲まないのです。
ウィークデーはずっとインスタント(それもお徳用のやつ!)を飲んでいて、僕の舌はその味で完全に上書きされているという……。

だから、週末に飲む珈琲をとりわけ美味しいと感じるのは当然なのですね。

そこで、次の日はいつものペーパーフィルターで淹れてみたのですよ。
そうしたら、味が……
全然変わりませんでした。というか、違いは分からなかったです。

うーん、そもそもそんな繊細な舌の持ち主じゃないですから、分からなくても当然、ということでしょうねえ。

来週末はリベンジを試みます。
両方の淹れ方で同時に二杯淹れて、飲み比べをしてみようかと。

で、美味しい方を今後のスタンダードにする、という目論み。
ポットを使うと紙フィルターも使わないですから、ゴミも増えないし、いいことかなあ。
なんて思いながら。
あ、忘れちゃうかもしれませんけど、ねっ!


《繊細な舌》、と言えばこの作品を忘れちゃいけません──。


主人公佐山哲夫は、就職内定後にM&Aで世界的な工業食品コングロマリットに買収された陽山食品工業に就職した。
俺は知ってるんだ。本当に旨いものなどもう、──少なくとも外食産業や一般に流通している食材を見る限り──どこを探したって見つからないってことを。
ある小さな事件をきっかけに、佐山は自らの目に見えていた世界が、本当の世界ではなかったことに気付き始める。


じゃ、また明晩の淡波アワーをお楽しみにっ!

今週の一枚─007

rosemary
いつだったか、ずっと昔、こんな言葉を読んだことがある。

「出掛ける時にはいつも、ローズマリーと握手する」

何のことか分かる人は、植物好き、かな。

確か、イギリスの学者か、文学者か、な。誰だったか分からないけど、なぜかずっと心にあった。

そして僕は、もうずっと何年も毎朝のようにローズマリーと握手している。

庭にもあるんだけど、わざわざ出掛ける前に庭には寄らないので、出勤途中の遊歩道にあるローズマリーとちょっとだけ手を触れ合うのだ。そうすると、ローズマリーの良い香りがほんのりと手に残って、会社に着くまで時々その香りをそっと嗅いだりする。
ちょっとした、朝の楽しみ。

実は昨年、この遊歩道のローズマリーが短く刈り込まれてしまった。
膝を曲げて手を伸ばせば葉っぱに触れることができるのだけれど、もっと、さりげなく触れたいんだよなあ。

だから暫くの間は、一応、付近に人がいなさそうなことを確認してからぐっと手を伸ばして触れていた。
でも、ほんの僅かしか触れることができなくて、指先に移る香りもほんの少しだけ。

最近少しずつ暖かくなってきて、少しずつ、少しずつ、枝が伸びてきた。
ような気がする。

もう少しで、またしっかりと握手できるようになるかな。

春よ、来い!

今週の一枚─006

今週も、創作とは関係なさそうな一枚。
全く無関係ではない、とは思う。創作に無関係な出来事なんか、創作者の周囲には何もないのだ!

美味しそうに見える?
美味しそうに見える?

果物、大好きなんだよね。

でも、最近ちょっと淋しい。美味しい果物が世間から激減しているんじゃないかと疑っている。
もちろん、デパートの高級な果物売り場に行けば、ある。果物って、かなり値段と味が比例しているから。
でもね、以前はスーパーでもそこそこのものを手に入れられたと思う。

特に、りんご。
何軒も何軒もスーパーを探し回ったけど、美味しいものはほとんどなかった。
青いうちに収穫して、農協から出荷され、どこぞの倉庫で出荷調整されたりんごたち。味が青臭いままで、歯ごたえはカフカフの古いりんごになってしまう。
可哀想なりんごたち。ちゃんと樹で熟していれば、あんな不味いものにはなりようがないのに──。

僕はスーパーで買うのをいったん諦めて、ネット通販に挑戦してみることにした。

で、買ったのが写真のりんご。

あるネット店では、「高級タイプ」と「見栄えは悪いけど美味しい」タイプと2種類が色んな数量で揃っていた。もちろん、後者にしようと思ったけれど、割安で買える数量のものは全て売り切れていた。
果物は重いから、送料もバカにならない。安くて量が少ないタイプのものは、もう、送料負けしていて買う気になれない。で、高級タイプに決定。価格はスーパーで買う一個売りのりんごの倍だ。
さぞ美味しいのだろうと期待して待つ。

箱を開けてビックリ。
歪んだりいびつだったり、色が悪かったり、もう、明らかに農協に出荷できないりんごのオンパレードだ。
これのどこが高級だ! と心で叫ぶ。
(あ、写真は彩度を上げているんだ。美味しそうに見えちゃうよね)

でもまあ、そんなことはどうでもいい。味が良ければ見栄えなんて関係ないのだから。

で、食べてみて二度ビックリ。
不味い。なんだよコレは!

ほんと、「そりゃあねえだろう〜」と力が抜けた。
倍の値段を取られて、味は変わらない。これ、直販だけにぼろ儲けじゃないか。農家の方がそんなことを平気でやるなんて、とても信じられない。もしかしたら、ブローカーみたいなのに上手いこと言いくるめられて、生産者はろくに儲からない仕組みになっているのかもしれないなあ。
「今まで捨てていたものが金の卵になりますよ」なんて言われてさ──。

にしても、「美味しい」というレビューがずらりと並んでいるのはどういうわけだろうか、ね。

今日はここまで!




主人公佐山哲夫は、就職内定後にM&Aで世界的な工業食品コングロマリットに買収された陽山食品工業に就職した。
俺は知ってるんだ。本当に旨いものなどもう、──少なくとも外食産業や一般に流通している食材を見る限り──どこを探したって見つからないってことを。
ある小さな事件をきっかけに、佐山は自らの目に見えていた世界が、本当の世界ではなかったことに気付き始める。

今週の一枚─005

創作とは全く無関係のネタ。

ニャーがリビングとダイニングを行き来できるように、扉のガラスを壊した。
一枚と言っておきながら全然一枚じゃないし。

まず、最初の状況。普通のガラス付きの扉。

最初
(古い家なんよ)
道具を用意。もう、何かを感じているのか?
道具を用意。もう、何かを感じているのか?
飛散防止にガムテを張り巡らす
飛散防止にガムテを張り巡らす
ガツンといきます
ガツンといきます
中央がなくなっても、枠の溝にはたくさんのガラス片が!
中央がなくなっても、枠の溝にはたくさんのガラス片が!

実はこれで思いっきり指をやられました。
プスッと。
めっちゃ痛い。しびれます──。

おおむね完了。興味ありつつもそっぽを見るニャー。
おおむね完了。興味ありつつもそっぽを見るニャー。
なぜ、扉が閉まっているのにダイニングが見えるのか? 哲学的な問いが発せられている模様。
なぜ、扉が閉まっているのにダイニングが見えるのか? 哲学的な問いが発せられている模様。
うりゃ!
うりゃ!

思い切って飛びました。
めでたしめでたし、ですわ。

寒いので、フェルトを付けてみました。
寒いので、フェルトを付けてみました。

まあ、ガラスネタだしね、最後はこれで締めますか──。

(じゃ、また明晩!)



書き下ろし新作短編、著者初の恋愛小説にして不思議な香りのするSF短編小説です。 《メタモルフォーゼと永遠の命》とは──?




淡波ログに掲載した作品を中心に書き下ろし作品を加えた初の詩集『猫になりたい』。
乾いた心にするりと忍び込む、読みやすい詩編を多数収録しています。

今週の一枚─004

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こうやって踏みしだかれ
穴だらけになって

何週間もかけて
しだいに擦り切れて

ほとんど
アスファルトと一体になって

一人一人には名もなき
小さなものに食べられ
還元されて

しまいには
あなたの足をふっかりと
受け止める

それは生を育み
地球を形作るのだよ

だからわたしは
落ち葉掃きが

嫌いなんだ




淡波ログに掲載した作品を中心に書き下ろし作品を加えた初の詩集『猫になりたい』。
乾いた心にするりと忍び込む、読みやすい詩編を多数収録しています。

今週の一枚─003

さて、今週も、写真じゃなくて画像。しかもまた、自作の表紙の話でまことに恐縮でございまする……。

今日のテーマは、
《1枚で3度おいしい、表紙の使い方》

念のため、注意事項です。
新作『太陽の子孫』の盛大ネタバレ解説ですから!

では早速、画像を貼りましょうか。
最終版のものと、最初に作ったものの2枚です。

これは、最終版の表紙
これは、最終版の表紙。先週ここにアップしたものとも違ってたりしますね

こちらが、アルファ版の未公開表紙
こちらが、アルファ版の未公開表紙

最初に描いたイラストは、アルファ版を見ての通り、結構引きの絵でした。
(あれ? 今日はですます体だ。久し振り)

ついでにもう1枚。オリジナルのイラストをスキャンしただけのもの。
(顔がちょっと違うのはご愛嬌。人物の年齢を下げるために、レタッチ調整してます)

これがオリジナルの水彩イラスト。色も地味ですね。
これがオリジナルの水彩イラスト。色も地味ですね。

これ、物語のあるシーンを描いたものなんですが、女の子に翼があったり、木々の上には謎の格子状の構造があったりで、表紙にするとネタバレが心配になってきたんですよね。
で、最終的には女の子(あ、名前はつばめちゃんですよ)のバックグラウンドが分からないよう、アップにしたのです。

でも、せっかく描いたのにもったいないですよね。とスケベ心も働いて、考えました。
じゃあ、バレてもいいタイミングで部分的に使おう。つまり、トリミングして挿し絵にしちゃおう、って。

Ceiling

この天井の秘密が明らかになる部分で、この絵を挿し絵に。

Tsubame

つばめちゃんの翼の秘密が明らかになった段落の後に、この絵を。
という具合。

いろんな要素を盛り込んだ引きの絵を描いておくと、後でトリミングして挿し絵にできちゃうでしょ。
っていうお話でした。
(あ、つまんないか)

『太陽の子孫』には、この他にも描き下ろしのイラストを入れました。
どんな絵なのかは、読んでのお楽しみですよ。
ぜひ、宜しくお願いしますね〜!
(最後は宣伝か──ドドマ!)