Category Archives: つれづれなるままに

人称代名詞の広大な世界

日本語は面白い。人称代名詞だけ見ても、こんなに表現が豊かな言語はそうそうないのではないかと、外国語の知識が貧弱な僕は思ってしまう。
今日は、一人称の話。

男の一人称:ぼく、おれ、わたし、わたくし、あたし、おいら、じぶん、おら、あちき、こっち、うち、わし……
まだまだありそうだ。
そして、日本語の特徴である表記の多様性がある。
僕、ボク、俺、オレ……と掛け算で増えて行く。

女の一人称:わたし、わたくし、あたし、あたい、おら、うち、こっち、わし……

そう、男女で別の一人称もあれば、一緒のものもある。そこもまた面白い部分。

さらに、「私」は面白い。辞書的に言うと、正しくは「わたくし」と読むのだろう。でも、これは「わたし」と読んでしまうひとが大いに違いない。「あたし」と読ませてもいいし。
んん、どんどん広がる。

小説で言えば、一人称の選択だけでその人物の性格の一端を表わすことが出来てしまう。一方で現実を見れば、人はTPOとか感情の起伏によって、それを自在に(無理やりに?)使い分けている。
なんと深い世界だろう。(当たり前だよ、と突っ込む声が聞こえたけどw)

おっと待った。英語にも色々あるじゃない、I, My, Me, Mineとかさ。
そう思った人、ブーッ!

英語は助詞がくっついた状態で人称代名詞になってるだけだから、「自分」を主語として一人称で言う手段としては、Iの一種類しかないのだ(古語は考慮せず)。
俺が(は)、俺の、俺に(を)、俺のもの、というのを一単語にまとめただけに過ぎないわけだけど、言語構造の違いを感じて面白い。単純に、相当する言葉を訳して置き換えても意味が通じないのは、こういうところにも一因がある。言語圏が全く異なれば、その構造自体も、思考の構造自体もそもそも違うのだ。
だから、自動翻訳というのもなかなか意味をなさないのだよな、と思ったりもする。

要するに日本人は、目の前にいる対象によって、自己表現を変化させるのだな。目上のひとに対して「俺」ってのは使い辛いし、仲間内で「わたくし」って言うのも不自然だ。話をする相手との関係性によって、良く言えば柔軟に、悪く言えば優柔不断に自己表現を変化させるわけだ。そうやって、なめらかな人間関係を形作るのが日本人らしさの現われの一つ、というわけかな?

でも、たまにいるよね、そうやって振る舞わない人、振る舞えない人。KYって言ったりしてしまうけど、どうしてその人がそうやって振る舞うのか、それは自己表現の一環なのか、それとも傍若無人なだけなのか、はたまた謙虚過ぎるだけなのか、そんなことを考えたりしても面白いな。作品に生かせるかもしれないな、などと思う、今日の淡波。

ではまた!

オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-3

僕は自分自信を救うために、一枚のアルバムを作った。やがてそれは、少しだけファンを生んでくれた。僕の好きだった叔母(故人・作詞家)が、周囲のひとにちょこちょこと紹介してくれていたのだ。
あるひとが、「毎日聴いています。大ファンです」と言ってくださった。
僕はまた、歌をやっていこうと思った。でも、環境がそれを許容しなかった。仕事は忙しくなる一方で、声を出す時間が捻り出せなかった。歌はスポーツのようなもので、週に2回はきちんと声を出さないと出なくなる。元々音程の悪かった僕は、ひどい下手くそになり下がっていった。楽器の演奏力ときたら、初心者中学生レベルになっていた。

次のアルバムを出すまでには、10年が必要だった。みっともなくあがきながらも、このままでは終われないと思っていた。録音のための練習に2年、実際の録音には3年以上かかった。テクニック的にはひどいものだったけれど、どうにかして1枚のアルバムが仕上がった。自分の手で、これを絶対に売る。と決めていた。ドメインを取って、WEBサイトを立ち上げた。プロモーションビデオを作って、youtubeに上げた。
でも、僕の宣伝リテラシーはそこ止まりだった。もちろん、SNSもやっていなかった。

当然のごとく、2枚目の個人アルバムは1枚も売れなかった。1枚も、だ。
ずっと僕を応援してくれていた叔母はすでになくなっていたし、今度のアルバムはどう考えても前述のファンの方の好みには合わないものだった。
サイトのペイパルボタンは、決してクリックされることがなかった。でも、懲りずにプロモーションビデオを作り続けた。ビデオのビュー数は二ケタ止まりで、なんのプロモーションにもならなかったのに。
試聴した友人からは、「メジャーの頃よりずっといい」と言ってもらえたその2枚のアルバムは、無料化して、今もひっそりとネットの海に沈んでいる。DL数もアクセス数も把握していないけれど、まあ、相変わらず誰にも聴かれてはいないだろう。

一方で、僕は小説を書くようになっていた。子供のころから活字が大好きだったし、詩はずっと書いていた。僕の書く詩は物語仕立てのものが多く、それが小説という形を取ることにも違和感はなかった。
僕の小説は、小説家を目指している人が書くものと少し違うのではないかと思っている。基礎もテクニックもない。ちょっとした文章を書く仕事もしていたけれど、それは整合性の取れたきちんとした文章を書く訓練になっただけだった。文芸を書くための勉強はしたことがない。
若いころの僕はアウトプットが全てで、インプットする時間を惜しみまくっていた。それが必要だとも思っていなかった。僕の読書体験は乏しい。小学生の頃はそれなりの読書家だったけれど、自分で何かを表現することを覚えて以来、読書量はかなり減っていった。

さらに、音楽家を目指していたころは、とにかく英語で歌いたかった。だから英語の勉強がてら、本はできるだけ英語のものを読むようにしていた。これにはとても時間がかかる。ひと月で1〜2冊読むのが精いっぱいだ。そんな読書を二十数年も続けていた。だから、読書の絶対量はかなり少ない。60〜70冊くらいは読んだのではないかと思うけれど、別に英語ぺらぺらにはならなかったし、相変わらず文法間違いだらけの英語詞しか書けない。日本語で書かれた本は、きっと年に1冊くらいしか読んでいなかった。もしかしたら、文体を形成する上で良い影響があったかもしれないけれど、ね。
(以前ネットで見た石田衣良さんの小説家セミナーによれば、小説家志望者は年に千冊、特定のジャンルの本を読むべきだという。そのくらい読まないと、あるジャンルのパターン全てを頭に入れ、自分のものにできないというのだった。何ともまあ、ハードルを上げられてしまったものだ)

40歳を過ぎたころだったか、いかに自分の価値観が偏っていたか、ずれていたか、創作者にあるまじき態度だったのかが、じわじわと染み込んできていた。守破離という言葉がリアリティを持って理解できたのも、ようやっとその頃だ。遅過ぎる。あまりにも遅過ぎる。
でもね、まだまだ僕はいくらでも何かを創り続けられる。生み出し続けられる。だから、遅過ぎてもいいんだ。人生、まだまだ先は長いのだ。

今、僕の中にはむかしのようなオリジナル信仰は全くない。先人の残したものを少しでも味わい、吸収したいと思っている。身に付けるなんておこがましいことも言わない。

だけどこんな僕にも一つだけ、手に入れた大きなものがある。
僕はこの十数年にわたって、クライアントのためのビジュアル表現を仕事にしている。だから、創作物を届ける先、小説でいえば読み手のことを常に意識できていると思っている。自分の表現は最低限に抑え、クライアントの求めるものをひたすらに創り続けているからこそ得られた視点なのではないかと、少しだけ思っている。少しだけ、だけど。
読みやすいこと、理解しやすいこと、伝わること。でも、それだけでは終わらないこと。自分の書きたいこととのバランスに、いつでも注意を払いながら、ね。

そうやって今日も、淡波は何かを創り続けているわけなのだった。

三日間にもわたる、取るに足りない長い記事を読んでくださって、本当にありがとうございます!

おっと、ここでもう一つ(ジョブズ風に)。
最新のプロジェクトである『フックフックのエビネルさんとトッカトッカのカニエスさん』は、この週末、いよいよその一端が明らかになる予定だ。請うご期待! ということで……。

今後とも、宜しくお願いしますねッ(≧∇≦)//

オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-2

3年契約、アルバム3枚という条件でデビューしたにも関わらず、レコード会社は手のひらを返した。次は売れるものを作れ、作れなければセカンドアルバムはない。そう宣言された。
当然のごとく、売れるものなんて作れなかった。世の中で大売れしている作品は、僕には無関係な世界のものだったのだ。そんなもの、逆立ちしたって作れるわけがなかった。バンドの中で、僕の作品の比率が下がって行った。自分の音楽ができないなら、続けても仕方がないと思い込んでいた。僕を天才だと無責任に持ち上げた人が、「このままじゃ、きみ、ダメになるよ」と囁いた。
そして僕は、皆に呆れられながら解散宣言をしたのだった。僕のわがままで。

それから、また僕は自分らしい音楽をどんどん作って売り込んだ。でも、もう評価はされなかった。《売れなかった実績》を首から下げた音楽家なんて、誰が売りたいものか。
僕は別のレコード会社を回った。何社も何社も回った。気に入ってくれた人もいたけど、やっぱり売るとなると話は別だった。「話を上に通せない」、それから、「事務所が見つからないから」が常套句だった。売るためには売れる曲を書いてくれ。それで終わった。僕には、オリジナルであるということ以外、何もなかった。きらりと光る才能は、もうすり切れていた。やんわりと、もう来なくていいと言われた。

僕の中には売れるためのメソッドは何もなかった。売れ筋っぽいものを創るためには何が基本なのか、何もなかった。分析? 研究? 知ったこっちゃいないよ。そればっかりはどうにもならなかった。もちろん、それを試みたことだってある。でもね、全然ダメだった。ダメになるばかりだった。
「きみは何のために音楽やってるの? 今のきみの音楽には何もないじゃない」
そうやってまた一人、僕を評価してくれたプロデューサーが離れていっただけだ。

だから、それを知った上でひねくれるなんて離れ業は、そもそも僕の脳からは生まれてくるはずもないのだ。それでも、僕はこの創作姿勢を変えることはできない。

事務所が見つからないなら自分で見つけようと思って、今度は売り込み先を音楽事務所に切り替えた。デモテープを送りまくったら、興味を持ってくれた事務所が一つだけあった。どんどん新しい曲を書いて、そこへ持って行った。自分が作りたい曲を作って。
楽しんでくれた。君の曲が好きだ、是非売りたい、そう言ってくれた。
でも、時間が経つにつれ、言葉の雰囲気が変化していった。
そして、
「売ってくれるレコード会社が見つからないんだ」
それでも僕は日参し続けた。

そしてあるとき、急に言われた。
「君の音楽からは、人生観が感じられない」

もう、どうでもよくなっていた。メジャーは止めよう。時間の無駄だ。そう思うようになっていた。ちょうど、インターネットによる個人による作品の発信が少しずつ増えはじめていた。
僕は、アマチュアの頃から持っていた自分のレーベルで音楽を売りはじめた。でも、ポップスは売らなかった。怖かった。映像用のBGMを大量に書いて、どんどん発売した。お小遣い程度の収入にはなったけど、虚しかった。感謝のメールが届いたりして嬉しかったけど、虚しかった。
歌を作りたかった。でも、もう自信がなかった。

ちょっとした田舎に引っ越した。周囲には音楽スタジオもなかった。歌うことを止めた。声も、出なかった。
それでもやっぱり、歌を作りたかった。歌いたかった。
仕事のこと、家庭のこと、色々なことがあって、精神的にどん底になっていた。

【つづく】

オリジナル信仰という罠にはまった男の告白-1

タイトルも書き出しも内容も違うけど、これは昨日からの続きなのだ。


 

《オリジナルにこそ価値がある》
《人の真似なんて最低だ》
《自分だけのオリジナルを生み出せ》

僕は、そう言われて育った。
僕の親父は若いころ、ほんのいっときだけれど画家だった。胸を病み、長期入院して持て余した時間を使って、油絵を自己流で描き始めたらしい。
それがなぜかたいへんな評価を受けたらしい。
画廊に出した絵は全て売れた。アメリカの画商が買い付けに来た。当時、サラリーマンの給料よりずっと大きな額が、病み上がりの青年の懐にぽんと入ってきたらしい。

親父は、独学だということが誇りだった。専門教育を受けていないということが、自分のオリジナルを生み出す要素だと信じていた。
それが、基本などクソ喰らえという子育てに繋がったのだった。
(親父は子供ができてから、数年で絵を止めてしまったのだった。僕らが邪魔をするのが耐えられなかったらしい。そして、普通のサラリーマンになっていた)

若いころの僕は、いつも恐れていた。優れた作品に触れることは、影響を受けることだ。それは、オリジナルを失わせることだ、と。

基本がなければオリジナルなどない。そもそも、オリジナルなど幻想だ。《守破離》という素晴らしい言葉も知らなかった。
だけど僕は、若いころずっとオリジナル信仰という罠にはまり続けていた。

僕は音楽家を目指していた。でも練習は嫌いだった。オリジナルを生み出すことが全てだった。練習など不要だった。音楽鑑賞すら、余計なものだった。誰の真似もしたくなかった。僕はどんどん作品を生み出した。仲間のいなかった僕は、デモテープを作るためにいろんな楽器を演奏したけれど、演奏できるのはその時に作った自分の曲だけだった。自分で作ったフレーズを録音するためだけに練習し、終われば忘れてしまう。「何か弾いて」と言われて演奏できるレパートリーは皆無だった。
誰の影響も受けていないつもりだった。
もちろん、物心ついて以来膨大な音楽を耳にしていた。口ずさんでいた。テレビやラジオから垂れ流される歌謡曲やポップスにどっぷりと浸かっていた。でも、コピーやカバーはほとんどしなかった。それだけで、誰の真似もしていないと思い込めるおバカさんだった。コード進行の勉強をしたこともなかった。

若いころ、偶然にもそれがいい方向へ転んだ。僕の作る音楽は《どこか違う》と言われた。《どんな曲を作ってもオリジナルだ》と言われた。でも、基礎がなければテクニックの積み重ねもない。あるジャンルに最適な楽器の構成も、定番のリズムも、コードの展開方法も、何も知らなかった。ベースラインですら、感情の赴くままに書いていた。ベードラとのシンクですら意識していなかった。
常に一発勝負だった。
幸いにも小さなバンドコンテストで優勝したりした。前後して、ライブを見にきていたメジャーレーベルの人から誘いがかかり、僕はミュージシャンとして颯爽とデビューした。《天才》と持ち上げるひとがいた(たった一人ね)。
何冊かの雑誌に記事がのり、最高の気分だった。(内容は当たり障りのない、なんてこともない記事だった)

でも、たった数千枚の初回プレスが売れなかった。僕のことなど誰も知らないままだった。

【つづく】

美容院のBGMのようなものは……

それは美容師さんの好みで選ばれたものなのだろう。文句を言う筋合いのものでは全くない。でも、僕はあれが嫌いだ。我慢ならん、と、つい思ってしまう。
「明日」「道の途中」「信じて」「いつか」……
ああ、もうあとは忘れたよ。多分、「つばさを」もあったろう。

聴き飽きた王道ドラムフィル。感動進行。気持ち悪い裏声(あ、これは好みか……)。

《売れるため》に作られた使い捨ての甘いバラード音楽が、コンピレーション・アルバムなのか、有線なのか、延々と流れている。適当に歌詞を入れ替えても、誰もその違いが分からない。全体でなく、部分部分の言葉、耳障りの心地よさで作られた音楽だ。
ミュージシャンを入れ替えても分からないだろうし、たとえ歌い手を差し替えたとしても、ファン以外にはきっと違いが分からない。でもそう言い切ってしまうのは乱暴だし、失礼なことだ。彼ら、彼女らだって、仕事でやっているのだ。し、ご、と、で。
存在自体を否定するつもりはないし、それが好きなひとに文句を言うつもりもない。
それが成立してしまう世界があってもいい。

でもさ、1時間弱座りっぱなしで、逃げられない場所で、その音楽をかけないでくれよ。(「店員に換えるように頼めよ」って言わないで! これは僕だけの個人的な感想なのだから)
そう思いながら、これは小説にも言えることではないかと、ぼんやり考えていたのだった。小説を書いて発表している以上、値段を付けて販売している以上、誰だって読まれたい。売れたい。そう思っているはず。
だから、売れているものを全否定するのは虚しいだけだ。そこにも学ぶべきことは必ずあるのだし。

多分、小説の世界にも売れるためのセオリーってのがかっちりとあって、そうやって売り続けている売れっ子もいる。もちろん、そうやってセオリー通りに書いたってつまらなければダメだろうし、ただ面白いだけでもダメだろう。
宣伝費をドカンと投入して売れても、それはずっと続けられるものじゃない。二作続けてつまらなければ、どんなに面白いって言われてもそうそう読みたくなるものじゃないし。

僕はどうも天の邪鬼で、《王道の設定らしきものを使って正反対に突っ走る》とか、《売れすじっぽいプロットでめちゃくちゃに読者を裏切ったり》とか、そんな調子で書いてきた。
よく言われる、《どんな形であっても、主人公が成長しない物語は人の心に響かない》みたいな話には、つい反発して逆行してしまう。まあ、単にそういうものが上手く書けないってだけなのだろうけど、ね。
まあ何というか、この美容院の話だって、僕の天の邪鬼体質のせいで感じることなのだろう。

だから僕の作品は、「面白いけど、商業ベースにはのらないよね、だからこそセルフ・パブリッシングは面白いんだ」そんなふうに言われたりもする。面白いと言われるだけでも非常に嬉しいことだし、その言葉を糧に頑張れる。でも、やっぱり物足りなさも感じてしまう。

それでもね、僕はやっぱりああいった《お約束系》のパッケージを作りたいとは思わない。そんなの自分らしくないじゃないかと思う。自分らしくない作品を作ったって、自分が作る意味がないじゃないかと思う。

とても面白い作品を、作りたいと思う。読者に喜んでもらいたいと思う。そしてあわよくば、感動を生みたいと思う。いつまでも心に残るものを生み出したいと思う。

それでも、そのための方法論には飛びつきたくない。七転八倒して生み出すことを、苦しいだなんて思わない。
こうやって相変わらず青臭いことをのたまいながら、それでも《自分にしか書けない、とてつもなく面白い作品》を書けないものかともがき、思案し、小さな物語や大きな物語を、飽きもせずに書き続けているのだ。

今日は、そんなことを考えた半日だった。

ブログのログ

あれは、10代の頃だったかと思う。海洋漂流サバイバル系の小説を読んでいて、船室で漂流日誌を付けている主人公がいた。漂流が長引き、日誌が失われてしまったのか、ペンが使えなくなってしまったのかは覚えていないけど、あるところで記録の手段が失われた。そこで、せめて主人公は日付だけでも記録しようと、船体の丸太にナイフで傷を付けた。来る日も来る日も、主人公は丸太に傷を付け続けた。
『ありがとうチモシー』だったかもしれないし、『十五少年漂流記』だったかもしれない。もっと大人向けの小説だったかもしれない。いや、そもそも本ですらなかったかもしれない。『未来少年コナン』にそんなシーンがあったかもしれない。ん? いずれにもそんなシーンはないかもしれない。曖昧な、とても曖昧な記憶。
でも、その記憶は心の片隅にずっと残っていた。
(近年、何かの映画でも似たようなシーンがあった気がする)

そして20代後半、WEBの仕事を片手間で担当するようになった頃、ログという言葉が引っ掛かっていた。なんで丸太なんだ?
いわゆるdos窓に処理記録が延々と流れるようなやつだ。そっち系の専門の人がサーバーの設定をしているとき、ぱらぱらと流れるそれをぼんやりと眺めていたりした。なんのこっちゃか分からないし、専門家ではない僕は興味もなかったのだけれど、
“ログを取ってるんだよ、後で何かあったときに解析できるようにね”
と言った彼の、ログという言葉がどうも気になっていた。

WEBの仕事というとITっぽい響きもあるけれど、ちょっとデザインが出来るからというだけの理由で、当時勤めていた会社でホームページの制作を任されたのだ。まだWEBサイトなんていうカッコいい言葉はなくて、何でもかんでもホームページと言っていた。AdobeのPage millが最先端だったHTML1.0の頃で、WEBデザイナーなんて職業も言葉もなかった時代……。

僕はインターネットの解説書を買ってきて貪り読み、アーパネットの歴史とかWWWの成り立ちなどを読んで、少しずつネット関係の知識を溜めた。そして、HTMLベタ打ちと16色くらいに減色した小さなGIF画像をテーブルで並べた程度のホームページを作るようになった。デザインなんて言えるもんじゃなかったけど。
確か、あの本の中にもログの話がちらりと載っていたと思う。

そして時は流れ、30代後半あたりか、ブログという言葉が使われはじめた。最初は略さないでWEBLOGと言っていたと思う。WEBに書き残す記録だからWEBLOG。
あ、これ、丸太に傷つけるあれじゃないか! とピンと来たのだ。

だからね、僕にとってブログは生存の記録だとも言える。つまらない日記だけど、くだらん自己宣伝に過ぎないかもしれないけど、淡波亮作が日々なにをどう考えて、それをどうやって創作に転生させていくのか、そんなことも残して行けたらと思っている。
今日、この頃。

「役に立たないもののほうが、面白かったりする」
────淡波亮作

なあんてね。

イメージと現実

道路工事の現場を通りかかった。
パワーショベルがアスファルトの道路を《バリバリと》剥がしていた。
さて、こういった場合、アニメや映画ではどんな効果音が当てられるだろう。
漫画ではさしずめ、
「ガガガガッ」「ゴゴゴゴッ」「ドン」「ズシン」あたりだろうか。映画ではきっと、重量感があって腹に響くような音が鳴るだろうと、想像できるのではないだろうか。

だが、僕が実際耳にした音は、まるで違うものだった。イメージとは異なる軽い音だったのだ。
「ビリビリ」「パリパリ」と、堅焼きせんべいをかじる音のような、もしくは、くたびれた薄い木綿(例えば着古して薄くなったシャツ)を引き裂く音のようなものだった。
え? と思った僕は、立ち止まってそれをしばらく見ていたんだ。こんな光景、生まれて初めて目にしたわけじゃあない。でも、頭の中にあった音のイメージは、実際のそれとは大きく違っていた。

あなたは、こういう話を聞いたことがあるだろうか。

スポーツ中継のバックで流れるサウンドは、その場で録音されたものではない。正確に言えば、その場で録音されたもの《だけ》ではない。優秀なサウンドエンジニアがミキサーブースに付きっきりで、膨大な数のサンプリング音源ライブラリとともにスタンバッているのだ。もちろん、予めピックアップした《それっぽい音素材》満載で。
例えばスタジアムの歓声、スキー選手が雪をバサッとかく音、ダンクシュートのリングがぐわわんと揺れる音……様々な音が、テレビ視聴者を盛り上げるために追加されるのだ。

これは、ゲームの表現力が高まり過ぎてしまったことが発端だという。作り込まれたシーンにおけるサウンドエフェクトの臨場感が、現実を大きく超えてしまったのだ。そりゃあそうだろう、いくら録音技術が優れていても、その場にいる観客よりずっとはっきりと、スポーツのサウンドを《一つ一つクッキリと》聴き取れるなんて、とても不自然なことだ。
そこからスポーツ映画に波及し、スポーツドキュメンタリーに広がった。
視聴者の感性は、フェイクのサウンドをプラスオンされたものでないと、臨場感を味わうことが出来ないほど鈍くなってしまったらしい。
だから生録の音では満足出来ない視聴者には、フェイクのサウンド効果をプラスする必要があるのだと《番組の製作者たちは思い込んで》いる。

これ、英国のラジオ番組で三年ほど前に特集が組まれて、一般に知れ渡ったことだそうで、その番組はかなりの聴取率だったらしい。僕はそれをPodcast配信で聴いたのだけれど、とても面白い番組だった。

こうやって、人は自分自身が心の中に描いたイメージに、簡単に騙されてしまうのだろう。

さて、この感じ、何かに似てはいないだろうか?

例えば《食》。
明らかに不自然な色調、工業製品のように画一化された形状の野菜や果物、肉製品たち。そうしないと売れないからと生産者は言う。
そういう食品を眼にして、美味しそうだと思ってしまうイメージの貧困と、そこに乗る販売者と生産者。消費者の側にも責任の一端はある。
そして、それが当たり前のものになり、
《魚が切り身のまま海を泳いでいる》と思い込む子供たちを生む。
《牛も豚も鶏も、味だけでは区別できない》子供たちを生む。
《野菜の味の個性、クセは失われ、気の利いた“やり過ぎの”調味料に演出された味》イコール美味しい味だと思い込む子供たちを生む……。

僕は表現者として、人間のナマの感覚に鋭敏でいたい。
世の中のフェイクを全て否定する気はないし、全て見破れる自身も毛頭ない。でもね、感覚を研ぎ澄ましていたいものだなぁと、いつも思っているのだ。

そんな感覚の変化と、それによる人間自身の変化を描いたサイファイ作品が、『奇想短編集 そののちの世界8 五感の嘘』だ。

 

あなたの五感は本物なのか!?
あなたの五感は本物なのか!?

 

気になったら、ぜひAmazonでチェックしてみてほしいな。
五つ星レビューもついた『五感の嘘』はこちらから!

 

では、いつかこの記事が、誰かの役に立ちますように!

方向音痴の秘密が一つ分かったかも

こっちへ行こうと頭では分かっていたはずなのに、全然違う方にいつの間にか行っている。

それが何故なのか?
今日、一つの答えが出た気がする。

今日は二つの道間違いをした(一つはニアミス)

朝、妻を習い事に送って行ったのだけど、途中まではよく通る道、どこで曲がればいいかもちゃんと理解していた。で、車を運転しながら妻と話し込んでいたら、いつもの道に行きそうになった。
「ここ曲がるんだよ!」
と妻に叫ばれて、どうにか曲がれた状態。ふー。
そこではまだ、なんの気づきもなかった。いつもやらかしてることだからね。

二つめ。今は日本独立作家同盟のセミナーに参加するため、渋谷に向かっている。で、乗換駅の直前でグッスリと落ちてしまい、乗り過ごしてしまった。そこから慌てて再検索して、経路を変更。間に合いそうな行き方が見つかった。駅を降り、サインに従って移動。そこまでは緊張感が持続していた。が!
その乗換駅は以前通勤に使ってたことに気が付いた。それが運の尽きで、気が付くと当時の通勤路をテクテク歩いてた。ホームに着いて、ふと見上げると、検索した路線と違う。
うわわわ、と思って引き返し、駅員さんに道を聞いた(いや、その道だって知ってた筈なんだけどさ)。

で、今、電車に乗ってる。

そこで、ふと気付いたのだ。方向音痴の精神構造に!(大袈裟すぎねえか?)

要するにだ、知らないところにいて、ふと何か知っている記号を目にすると、回路がそっちに切り替わってしまうんだな、パタンと。それはもう見事な切り替わり方で、今までの緊張感が一気に消え失せて、何も考えずに行動してしまうのだ。

んん〜、いいことに気付いたなあ。次からはこれを気にしていれば、道を間違える寸前に気付ける、かもしれない。運が良ければ。

さあ、そろそろ目的地だ。

この記事が、いつか誰かの役に立ちますように!

タイムリー

先週、コーヒーの話をちらっと書きましたが、本日の朝刊に美味しいコーヒーの淹れ方が載っていました。タイムリーなので、ちょっとだけ学んだ内容を残しておこうかな。
(台東区のコーヒー店『カフェバッハ』のご指導だそうです)

・お湯の温度はちんちんに熱くしてはならない
丁度いいのは82〜83度くらい。それより低いと酸味が増し、高いと苦味が増すそう。
コーヒーは苦い方が好きですが、今までは淹れ方によって《より苦く》していたようです……。でもねえ、今沸かしているお湯の温度なんて分からないよなあと思っている。電気ポットで沸かしてれば分かるのかな? 我が家にそんな文明の利器はないので。

・フィルターはドリッパーに密着させる
これ、ちょっと難しいですね。ごわごわしたペーパーだとどうしても浮いてしまうし。

・粉の隅々まではお湯を注いではならない
粉に触れずにフィルターを抜けたお湯がそのまま落ちてしまうのを防ぐためだそうです。薄くなってしまうので。

・最初に粉を蒸らすためにお湯を注いだ後は20〜30秒待つ
蒸らし時間が長いとしっかり味、短いとさっぱり味だそう。
「一気に注ぐと粉が作る濾過層が荒れ、味が滑らかでなくなります」とのこと。僕も一気には注がず、ゆっくりと淹れていましたが、面倒なので最初に注いでから待つという動作は止めてました。これからはちゃんとやってみよう。

本日のコーヒー、これでやってみました。結果は、うーん、よく分からないです。より円やかになった気もしますが、プラシーボ効果にも思える。同じ豆で同時に2種類の淹れ方をしてみない限り、繊細な違いは分からないのだろうな。僕の怠惰な舌では。

そもそも豆から淹れるコーヒーは休日にしか飲まないので、豆の鮮度が落ちているのが一番の問題。ガラス容器にがっちり密閉しているけど、少しずつ香りが落ちていくのは防げない。割高だけど、これからは100グラムずつ買おうかと考えつつ、《いや、今ので充分美味しいのだからこれでいいじゃないか》、という自分が立ちはだかって出費を抑えようとしている。

そんな本日のコーヒー事情でした。

そうそう、味覚が鋭い主人公が出てくるのは、『五感の嘘』でしたね。昨日も書いたとおり、月末目指して刊行予定の短編集に入りますので、急いでポチることはありませんが……。

意識しないものは見えない(?)

最近、白杖をついたひとを頻繁に見る。気が付く。
一昨日のことだ、横断歩道を渡ろうとして待っている若い女性を見た。もう青になっているのに、気が付いていないようだった。僕は向かい側から歩いて渡り、彼女が歩きだすのを待っていた。そして、「どうしよう?」とグルグル悩んでいた。
もし彼女がずっと歩きださなかったら、声を掛けようか。渡りそびれてしまったらかわいそうだし、それを知っていて放っておくなんて申し訳ない。
その数分前に仕事で腸が煮えくり返る経験をしていたから、善い行ないをするという選択がとても正しいものに思えた。心の中が真っ黒だったし、まだ少し身体が震えていた。その時の怒りで。
でも僕は幸いにも彼女の姿に気が付いて、手を差し伸べようか悩むことができた。
悩みながら、彼女のいる側はどんどん近づいてきてしまう、まだ歩き出す素振りはない。
彼女がもし若い女性でなかったなら、きっと僕はためらうことなく声を掛けていたに違いない。
「信号、青になってますよ」
そう言えば良かっただけなのだ。
でもそこで僕はあらぬ妄想に流されながら悩んでしまった。声を掛けて白杖をそっと持つべきなのか、それとも、彼女が手を組めるようにすっと肘を出すべきなのか。考えていた時間は、ほんの三秒くらいだったろう。
そして僕は彼女とすれ違った。無言で。もう一人、そのとき僕とすれ違ったおばちゃんが、ちらりと彼女を見た。でも、おばちゃんも彼女に声を掛けなかった。次の瞬間、彼女は誰にも促されず、足を踏みだした。
きっと、僕やおばちゃんの足音が耳に入って、信号が青であることを悟ったのだ。

僕は自分の最低さに打ちのめされながら、地下鉄のエレベーターを下った。
精神状態が悪いときほど、ひとは一日一善に救われる。常々そう思っていた。一日一善をしそびれた僕の心には、先ほどまでの黒い感情が再び押し寄せてきていた。

苛々しながら電車に乗る。そして、Kindleを取りだした。そう、読みかけの『団地のナナコさん』の続きに逃避するためだ。ヤマダマコト氏のその小説は、ものの見事に僕の感情を180度展開させてくれた。僅か数十秒で僕は作品世界に没入し、現実世界の後悔やうずまくあれこれを忘れることができた。

小説っていいな。と改めて思った。

音楽を聴いていても、なかなかマイナスの感情は逃げていってくれない。集中しなくても、音楽は耳に飛び込んでくれるから、いつの間にか耳は音楽をシャットアウトしていたりする。でも小説は主体的にならないと読むことができないから、物語に突入した瞬間にそれまでの現実の感情はシャットアウトされる。
僕は日本語で歌われたポップスを聴かないから、そのせいもあるかもしれない。言葉が飛び込んでくれば、没入できるかもしれない。でも、きっと歌詞を知っている曲だったら、逆に聞き流してしまい、集中も削がれるだろう。

救われた。その後会社に戻って、フラットな気持ちで仕事に集中することができた。小説よ、ありがとう。

さて、タイトルの話に戻ろう。
こんな話を聞いたことがあるだろう。
《自分が妊娠したら、なぜか街に妊婦さんが増えていた》
《自分の子供がある病気になって以来、なぜか同じ病気のひとをたくさん見る》
《足の骨を折って初めて、そこにエレベーターがあったことに気付いた》

妊婦さんも、病気のひとも、松葉杖、白杖をつくひとも、変わらずずっと存在していた。急に妊婦さんが増えたわけじゃない。心のどこかが、それを無視していたんだ。見えているものを見えないことにしていたんだ。
見えないものを見せるのは、小説の大切な役割だ。音楽も、美術も、芸術といわれるものはみなそうだろう。僕ら表現者は、意識し続けなければならない。意識しなければ目に映らないものを目に映すことができるように、読者がそれを意識できるように行間に潜ませるんだ。

白杖の存在が気になるようになったのは、『五感の嘘』という小説を書いたからだろう。その作品のヒロインは白杖をついている。他にも白杖をついた人物が登場する。行き過ぎた文明の反動で、五感の全てが不自由になってしまった人類の悲しい未来を描いた物語だ。(希望もあるが)

しかも、今度出す短編集(『五感の嘘』を含む10話構成)のトレイラーには白杖のビジュアルも使っている。この記事のアイキャッチにあるやつだ。だから、ちょっと白杖のデザインを観察する気持ちもあって、目に付いたのだと思う。

今度白杖のひとを見掛けたら、ためらわずに声を掛けよう、そう思った矢先、白杖の男性を見かけた。昨日の朝のことだ。
その男性は身体が大きくて、やたらと暴力的な身のこなしをしていた。白杖の先をブンブン振り回し、人に当たってもまるで気にせず、駅のホームをずんずんと歩いていた。彼は、上りエスカレーターを目指して歩きながら、下ってくるエスカレーターの方向へと歩いていた。僕は少し離れた上り階段に向かっていた。
これは危ないな、と思ったが、彼の動きにびびっていた。またも、躊躇してしまった。
次の瞬間、乱暴に振り回していた杖の先が上りと下りエスカレーターを仕切る金属ポールに当たり、カンカンッと音が響いた。彼は身体をブンと翻し、エスカレーターを待って並んでいたひとたちの列に強引に割り込んだ。いや、見えないのだから、決して強引ではなかったのだろう。周囲の迷惑そうな視線が気になったけど、僕はそのまま直進して、階段を上った。その後のことは知らない。

彼にはそれがマイペースであり、きっと、街で暮らさなければならないことで身に付いた強さなのだろう。
《小さな親切、大きなお世話》
あのときの彼女も、誰かに助けてもらおうなんて気持ちは微塵もなかったのだろう。でも、それを当たり前のこととして冷たくなり切れる人間ではいたくないな。
世の中、0か1かで割り切れることなんてそうそうないんだから。

短編集『そののちの世界』は今月末の刊行を目指しているので、今は、『五感の嘘』を買わないでくださいね。(もちろん、一冊だけ読むなら、単体の方がお安いですが……)

(ストアからの直リンクだと、画像サイズを調整できないらしい。大きくて済みません!)

 

では、この記事がいつか誰かの役に立ちますように!